色ボケエルフと嫁の涙
人の姿に戻りたいからキスを、という願いなのにハイドランジアは興奮してしまった。
上目遣いで妻に乞われるのは、悪くない。
否、非常に気分がいい。最高だ。
『おい、色ボケエルフよ』
「誰が色ボケエルフだ!」
ポメラニアンの言葉に、全力でツッコミを返してしまう。
ヴィオレットがポカンとしているのに気づき、ゴホンと咳払いしてその場を取り繕った。
「ポメラニアン、なんだ?」
『変化の魔法を解くならば、ここでしないほうがよい。生まれた時と同じ姿になるのだろう?』
「そうだったな」
ヴィオレットは猫から突然人の姿となった時、毎回大騒ぎだった。
「だったら、すぐに身支度ができるようにバーベナを呼んで……」
『旦那様、使用人の前でキスをするなんて、恥ずかしいですわ』
「そ、それもそうだな」
とりあえず、ハイドランジアの執務室でないほうがいい。すぐに身支度ができるよう、ヴィオレットの部屋のほうがいいだろう。
ヴィオレットを抱き上げ、転移魔法を使って移動した。
『んまあ! これが、転移魔法!』
「初めてだったか?」
『はい!』
ヴィオレットは髭と尻尾をピンと伸ばし、喜んでいた。あまりにも愛らしいので、ぎゅっと抱きしめて頬擦りする。
『だ、旦那様、いかがなさいましたの!?』
「あ……いや……」
ヴィオレットはだんだんと、不審者を見る目付きとなる。理由もなく抱きしめることは、ありえないことだった。仕方がないので、正直に告白した。
「はしゃぐお前が、その、可愛かったから、身を寄せただけだ」
『あ、あら、そ、そう、でしたのね』
キリリとしていたヴィオレットの表情は一変し、ふにゃりと和らぐ。それから、少し恥ずかしそうにもじもじしていた。
ハイドランジアも恥ずかしくなってきたので、本題へと移る。
「して、猫化の解呪はどうする?」
『寝室……がいいかもしれないですわ。すぐに、シーツで身を隠すことができますし』
「そうだな」
猫のヴィオレットを抱いたまま、寝室へ移動する。
寝室はヴィオレットの香りが特に強く、ハイドランジアは羞恥を覚えた。
ここは、普段は立ち入ることのできない、ヴィオレットの神域なのだ。
『旦那様、どうかいたしまして?』
「いや、なんでもない」
一歩、一歩と寝台へ近づき、ぎこちない動作でヴィオレットを布団の上に下ろす。
時間をかけるから、このように緊張するのだ。キスなど、一瞬で終わらせてやる。
ハイドランジアはそう思い、ヴィオレットに顔を近づけた、が──。
『旦那様、お待ちになって』
唇を、肉球で押さえつけられる。
びっくりしたが、肉球の触感は悪くない。とてもぷにぷにだった。
「どうした?」
『このまま人の姿に戻るのは恥ずかしいので、目隠しをしていただけます?』
「目を閉じるだけではダメなのか?」
『絶対に見ないことを、命を懸けて約束します?』
「いや……見るかもしれない」
『でしょう?』
ヴィオレットは枕の下に置いているハンカチを取り出す。
『旦那様、このハンカチで、目を覆ってくださいまし』
「なぜ、枕の下にハンカチがあるんだ?」
『夜、泣きたくなる時があるでしょう?』
「いや、ないが」
『……』
嫁いだ当初は、よく一人で泣いていたらしい。
そんなに、ハイドランジアとの結婚が嫌だったのか。
胸がきゅんと切なくなり、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「悪かった」
『え?』
「もっと丁寧に、段階を踏んで、結婚を申し込めばよかった」
『い、いえ。実家が困窮していて、早急な支援が必要でしたし、それに、今は泣いておりません。旦那様には、深く感謝をしております』
「そう、なのか?」
『ええ。最近は毎日、ぐっすり眠っていますわ』
「だったら、よかった」
ヴィオレットの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じていた。
キスのタイミングは今かと思ったが、再度肉球で唇を押さえられる。
『旦那様、ハンカチで目隠しを』
「……そうだったな」
ハンカチを何回も折り曲げ、見えないようにするようヴィオレットから指導が入る。
ハイドランジアは寝台の上でハンカチを丁寧に折り曲げ、目元を覆った。
「これで、いいか?」
『ええ。問題ありませんわ』
しかし、この状態になると違う問題が生じる。ヴィオレットがどこにいるのかわからなくなってしまった。このままではキスができない。
「どうする?」
『し、仕方ありませんわ』
そのまま動くなと言われ、ピンと背筋を伸ばしたまま待機する。
ハイドランジアは膝に、僅かな重さを感じた。どうやら、ヴィオレットが膝に上ったようだ。
そして、ヴィオレットはハイドランジアの胸に手を突き、そっと口付けする。
ふわふわの猫の口が、ハイドランジアの唇に寄せられた。
その瞬間、魔力の流れを感じる。視界が遮られているからか、余計に強く感じた。
カッと一瞬閃光を感じた。魔法陣が浮かび上がったのだろう。
同時に、確かな重みを感じる。ヴィオレットが人の姿に戻ったのだ。
猫の姿から人の姿へ戻り、一気に体重が重くなる。
ハイドランジアはヴィオレットを支えきれず、そのまま布団に押し倒されてしまった。
「きゃあ!」
むぎゅっと、ヴィオレットの柔らかな体が押し付けられた。
見てはいけない。きっと、触れてもいけない。
ヴィオレットの香りだけ、堪能することが許されていた。
それにしてもと思う。この状態は、拷問だと。




