勉強エルフとポメラニアン先生
溺愛について、ハイドランジアはポメラニアンから習うことにした。
紙とペン、インク壺を用意すれば準備は整う。
『まず、お前が思う溺愛を教えるぞよ』
「溺愛──それは、目に入れても痛くないような愛し方だろうか」
『否! それは孫を愛するジジイであるぞ』
「な、なんだと!?」
『ジジイみたいな恋愛観しかもっておらぬから、嫁にモテぬのだ』
「こ、こいつ……!」
もう、教えなどいらないと叫び出しそうになった。しかし、このままでは爺のような包容力をもってヴィオレットに接してしまう。
ただ、上から目線のポメラニアンから教わるのは我慢ならない。
『なんだ、反抗的な目だな。溺愛について、知りたくないようだ』
「そんなことは、ない。爺のような愛情表現しか知らないと、困る。だから、溺愛とやらを、教えてくれ。頼む」
『まあ、そこまで言うのであれば、仕方がない』
ポメラニアンはハイドランジアの執務机に跳び乗り、インク壺に前脚を入れる。
インクが垂れる前に、ハイドランジアが広げていた紙に押し付けた。
『溺愛実戦術その一、一日一回、嫁を褒めるのだ』
ハイドランジアはポメラニアンの肉球スタンプの横に、教えをさらさらと書いていく。
ポメラニアンは二個目の肉球を押した。
『溺愛実戦術その二、一日一回、愛を囁くのだ』
「愛を……ってはあ!?」
『これが、基本的な溺愛だ』
一応最後まで書ききってから、もう一度読んでみる。
「一日一回、愛を囁く、だと!?」
『そうだ』
「愛……とは?」
『は?』
「具体的な言葉を、知りたい」
『別に、愛しているとか、好きだとか、なんでもあるだろうが』
「……」
いきなり、飛び越えなければならないハードルが上がった。
ハイドランジアは頭を抱え込む。
その間に、ポメラニアンは三つ目の肉球を紙に押し付ける。
『溺愛実戦術その三、一日一回、愛する嫁にキスをする』
「キ、キス、だと!?」
『そうだ。別に、唇にしろとは言わない。額や、頬でもいい』
「……」
唇以外も、難しいように思えた。
「キスなど、どういうタイミングですればいいのだ」
『溺愛実戦術その一からその二をスムーズにすませれば、おのずとキスをする雰囲気が完成しておるぞ』
「そ、そうなのか?」
『ああ。間違いない。嫁を褒めて、嫁に愛を囁いたら、きっと、瞳をウルウルさせてお前を見上げているはずだ。そこで、キスをする』
「な、なるほど。キスができる雰囲気が、出来上がっていると」
書き終わった溺愛実戦術を手に取り、何度か読み返す。
「これは、すごい技術だ!」
『そうであろう』
「ありがとう。心から感謝する、ポメラニアン」
『初めてお前に、ありがとうと言われたな』
「そんなことないだろうが」
『いいや、言われた覚えはこれっぽっちもないぞよ』
「……」
『ちなみに、お前の親父は一度も礼など言わぬまま死んだ』
「それは、悪かった。父上に代わって、礼を言っておこう。ポメラニアン、今まで苦労と世話をかけた。ありがとう」
『ふむ。苦しゅうないぞ』
使用人を呼び、ポメラニアンに蜂蜜を垂らしたミルクを与えるように命じた。
あとは、寝室に行って溺愛実戦術を頭に叩き込み、作戦を考える。
どのような話題を振った末にヴィオレットを褒めるのか。
どのようなタイミングで、愛を囁くのか。また、その際の言葉を考えておく。
そして、最後のキス。
最初は唇ではないほうがいいだろう。
この国で額にキスをするのは親愛の証。頬は挨拶。唇は愛情。
最初は、親愛を示したほうがいいのか。
しばし考えていたが、答えは浮かんでこない。
実際に行動に移したほうがいいだろう。そう思って、ヴィオレットの部屋まで向かうことにした。
◇◇◇
突然転移魔法で現れると、驚かせてしまう。
学習したハイドランジアは、徒歩でヴィオレットの部屋まで向かった。
「あの、旦那様、いかがなさいましたか?」
ちょうど、ヴィオレットの部屋から出てきた侍女のバーベナが、怪訝な表情でハイドランジアを見る。
「我が妻と話をするのに、大層な用事が必要なのか?」
「いいえ。ですが、今まで、奥様を訪ねてやって来ることなどなかったでしょう」
「そういう気分なのだ」
「はあ、さようでございましたか」
「そんなことなどどうでもよい。あれは何をしている?」
「お勉強をされているようです。魔法書と、にらめっこですよ」
「そうか」
そろそろ休憩時間を取ったほうがいいと思い、茶と菓子を用意しようとしていたところだったようだ。
「ならば、茶は二人分用意してくれ」
「ええ、そのように」
バーベナは首を傾げながら、厨房のほうへと歩いていった。
ハイドランジアはヴィオレットの私室に入る。ノックをしたら「どうぞ」と返ってきた。
ヴィオレットは机に魔法書を山のように積み上げ、何か一生懸命書き写している。
表情は真剣そのものだ。
足下には、スノウワイトがいた。また、大きくなっている。仔馬と同じくらいか。
まだまだ、大きくなるのだろう。
ヴィオレットは靴を片方脱ぎ、スノウワイトのお腹を撫でている。
即座に羨ましいと思った。
スノウワイトはハイドランジアと目が合った瞬間、起き上がって「シャア!」と鳴く。
「どうかなさっ──まあ、旦那様! いつからそこにいらっしゃったの?」
「やはり、気づいていなかったか。大した集中力だ」
「ええ、今、面白いところで」
ヴィオレットは瞳を輝かせながら、ページを開いて見せてくる。
ハイドランジアはごく自然に、ヴィオレットに近づくことができた。
ここから、ポメラニアンに習った溺愛実戦術を試す。




