挙動不審エルフと変化魔法の禁書
ここ数日、ハイドランジアはあることに悩んでいた。
悩みの種は、ヴィオレットだ。
「おはようございます、旦那様」
ヴィオレットは絶妙な角度でお辞儀をし、笑顔でハイドランジアを見る。
観劇以降、ヴィオレットの態度が柔らかくなったのだ。
それはいい。イヤイヤ結婚したとはいえ、相手と良好な関係を築くことは快適な生活を送るために必要なことだからだ。
ここからが問題である。
笑顔を向けてきたり、楽しそうに魔法を学んだり、仕事が終わったら労ってくれたり。
そんなヴィオレットが、どうしてか可愛く見えてしまうのだ。
別に、猫の姿で言っているわけではない。にゃ~と鳴いているわけでもなかった。
どうして、こんなにも愛らしく見えてしまうのか。
ヴィオレットを見つめていると、動悸がする。ソワソワと落ち着かなくなって、姿が見えないとどうしているだろうかと考えてしまう。
夜、別れたあと水晶を手にして姿を確認したいと思うも、覗きはいけないことだと知った。
諦めて布団に入っても、脳内ではヴィオレットのことばかり考えてしまう。
これは、何かの病気のようだ。
猫がきっかけなのか。
ヴィオレットが猫になったり、「にゃ~」と言って甘えてきたりするから気になっているのか。
いくら考えても謎が深まるばかりなので、翌日、副官クインスにあることを命じてみる。
「クインス」
「なんですか?」
「猫の鳴きまねをしてみろ」
「な、なんでですか!?」
「いいからしろ。命令だ」
「ええ~……」
「早く」
もしも、クインスが猫の鳴きまねをして可愛く見えたら、それは単に猫好きの弊害だ。
しかし──。
「に、にゃ~」
「可愛くない!!」
あまりの酷い鳴きまねに、執務机を拳で叩いてしまう。
クインスは「理不尽だ」と呟きを残し、会議へ出かけて行った。
そんな二人のやりとりを、目を細めてみる者がいた。猫の姿をしたヴィオレットだ。
『旦那様?』
「なんだ?」
尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ヴィオレットは話しかけてくる。
初日以降、幻術は試していない。ハイドランジアが触れるとヴィオレットは猫化するので、こうして猫になった状態で連れてきている。
何かあったらマズいので、バーベナを控えさせていた。
『今のやりとりはなんですの?』
「……秘密の命令だ」
『そうでしたのね』
クインスの猫真似は、なんとか誤魔化すことができた。
だが、天井を仰いでしまう。
「なんてことだ」
猫の鳴きまねをするクインスは、まったく可愛くない。
これで、ヴィオレットだけが可愛いということが発覚したのだ。
◇◇◇
もしかしたら、無意識にヴィオレットが魅了魔法でもかけているのではないか。そう思い立ち、バーベナにヴィオレットを任せ、禁書室に行って調べてみる。
が、魔法書を読み込んだ結果、エルフ族であるハイドランジアは魅了に耐性があるようだ。
それに、魅了は闇属性の高位魔法で、ヴィオレットが使えるわけがなかった。
禁書室にやってきたついでに、変化魔法について調べてみる。
ヴィオレットの猫化は呪いではなく、自らを防衛する変化魔法ではないのか、という疑いがあるのだ。
変化の術は、ごく一部の魔法使いにしか使えない無属性の高位魔法である。
無属性というのは、転移魔法や召喚魔法など、特殊な属性のない魔法で誰にでも使える可能性を秘めたものである。
しかし、どれも消費魔力が多く技術的に難しい魔法であるので、使える者は少ない。
変化魔法の魔法書は一冊だけあった。禁書室のさらなる奥にある、王家の者とローダンセ公爵家の当主しか読めない本を収めた部屋にあった。
そこには、禁書中の禁書とも呼ばれている国家の秘密が書かれた本が収められている。
変化魔法についての本は以前読んだことのあるもので、内容も覚えている。それは、既婚者であった王妃が変化魔法を使って別人を装い、魔法使いと恋仲になる物語である。
本人が書いたものではなく、仕えていた魔法使いの視点から書かれていた。
変化魔法について書かれているのではなく、夫である国王と王妃、魔法使いとの三角関係を描いた物語だ。
これは王家の醜聞である。絶対に、外に漏らしてはいけない。
そういう意味での、禁書中の禁書なのだ。
ヴィオレットの猫化について、役立つものは皆無。記憶にある通りだった。
しかしその中で、引っかかる記述があった。
それは、「恋」についての一文である。
──恋とは呪いのようなものだ。相手の一挙一動が気になり、見つめていると動悸がする。一人になると相手のことを考え、落ち着かなくなる。こんなの、まったく自分らしくない。しかし、これが恋なのだ。
読み切った瞬間、あまりの衝撃にハイドランジアは脱力し、机の上に額をゴン! と強くぶつけた。
ハイドランジアはヴィオレットに恋をしている。
猫だからではない。
彼女自身に、惹かれているのだと。
今まで、異性相手にこのような想いを抱くことはなかった。
紛うことなき、初恋である。
初めこそ、なんて生意気な女だと思っていたのに、今では「我儘でもなんでも、いくらでも言うがよい」とすら、思っている。
ただ、ハイドランジアはヴィオレットに「お飾りの妻」だと宣言している。
ヴィオレットがハイドランジアを正式な夫としてみることはないだろう。
それに気づいた途端、胸が苦しくなる。
どうして、あんなことを言ってしまったのか。
言われたヴィオレットも、傷ついたに違いない。
もとより、貴族同士の結婚は愛を前提に成り立つものではない。だから、愛情のない結婚も普通だ。
だが、はっきり「お飾りの妻である」と言うべきではなかったのだ。
いまさら後悔しても遅い。
自分の言葉に責任を持って発していたつもりだったが、相手を想うという配慮が欠如していたのだ。
二十六歳にもなって、自らの傲慢さと愚かさに気づくとは、恥ずかしい話である。
ハイドランジアにできることは、ヴィオレットを妻として愛すること。
それに、ヴィオレットが応えるかは分からない。
見返りを求めず、愛情表現を行うしかなかった。
感情の分析が終了したのはいいものの、ふと我に返る。
愛情表現とは、どうやってするのかと。
禁書室の中を探し回ったが、愛情表現に関する本を見つけることはできなかった。
執務室に戻ると、ヴィオレットの置き手紙が執務机に置かれていた。
中庭の花をバーベナと共に見てくるとのこと。
植えられているのは、結界花と呼ばれる透明な花である。
それは、国を守る結界に使う魔力を集める花で、月光を浴びると花開く。この花の習性を利用して、ハイドランジアは赤薔薇スカーレットを作ったのだ。
昼間に見ても面白い花ではないが、ヴィオレットは興味があったらしい。
窓から中庭を覗き込むと、バーベナに抱かれた状態で花を見るヴィオレットの姿が見えた。
そろそろ昼休みが終わるので、迎えに行くことにした。