振られエルフと北風
ノースポール伯爵家は現在、三十歳のヴィオレットの兄ロジーが当主となっている。
ヴィオレットとの結婚の話を進めるには、まず彼に連絡しなければならない。
その日の仕事を終えたハイドランジアは、早速ノースポール伯爵に手紙を認めた。
ヴィオレットと結婚したいということ、それを故シランと約束していたことを書いておく。
便箋を丁寧に折り曲げ、封筒に入れる。蝋燭を垂らし、ローダンセ公爵家の家紋が彫られた指輪を押し当てた。
その手紙を、窓から捨てるように投げる。呪文を唱えると宛名が光り、風に乗って飛んでいった。魔法使いの高位魔法、書翰術である。『翰』という字は鳥の羽という意味があり、鳥が羽ばたくように手紙が送り主のもとへ飛んでいく。
返事は一週間以内にくればいい。こなければ、直接家を訪問するしかない。
故シランは、娘を結婚させる気はないようだったが、兄ロジーが同じ考えとは限らないのだ。相手の事情がどうであれ、一度話をしなければ。
手袋を嵌めていると、年若い副官クインスが外套を着せてくれた。
「閣下、今宵の陛下主催の晩餐会は……」
「行くわけないだろうが」
「御意に」
夜会に競馬に晩餐会──どこに行っても、社交場は将来の伴侶を決める場所になる。
そんな恐ろしい場所には、足を運びたくない。たとえ、国王主催のものであっても、だ。
国王の誘いを断るのは、ハイドランジアくらいだろう。
世界有数の魔法国家となったリリフィルティア国は、ローダンセ公爵家の協力なしには運営できない。そのため、影の支配者と揶揄されることもあった。
当然、大きな顔をするローダンセ公爵家を嫌う一派も存在している。
ただ、国王に次ぐ権力を持ち、大きな魔力を宿すローダンセ公爵家の者に太刀打ちできる者はいなかった。
「クインス・フォン・モンストリム、今日も一日ご苦労だった。ゆっくり休め」
「はっ!」
クインスは踵を鳴らし、敬礼する。
言葉を交わし、ハイドランジアは転移魔法で帰宅した。
◇◇◇
転移先はローダンセ公爵家の裏である。ハイドランジアはキョロキョロと周囲を見渡し、しゃがみ込んだ。
おもむろに外套の懐から取り出したのは、革袋である。中に入っているのは、乾燥肉。それを水魔法と魔衝撃でふやかし、柔らかくした。
ふやけた肉を地面に置いてある皿に載せる。すると、遠くから猫の鳴き声が聞こえた。
ハイドランジアは皿から離れ、見守っていた。
しばらくすると、猫が三匹やってくる。
「今日は……三匹も!」
茶色とぶち柄と黒猫の三匹である。どうやら、ご近所お誘いあわせで来たようだ。
一日中寄っている眉間の皺が解れ、頬も緩む。自然と、声も弾んでいた。
何を隠そう、ハイドランジアは大の猫好きであった。今まで何度か飼育しようと子猫を拾ってきたものの、ハイドランジアの魔力の波動に耐えきれなくなるのか、いつも逃げられていたのだ。
最近は猫に好かれることを諦め、野良猫の餌付けに挑戦していた。
餌付けを初めて三ヵ月。最初は暗闇の中に佇むハイドランジアを警戒していた。だが、何もせずに立っているだけだと学習すると、警戒も解かれたように思える。
今日も、はぐはぐと一生懸命になって肉を食べていた。
エルフは耳だけでなく、視力も優れている。そのため、暗闇の中でも猫が肉を食べる様子は見えるのだ。
もしかしたら、そろそろ触らせてくれるかもしれない。心を許してくれるような時期だろう。
ハイドランジアは音もなく手袋を外し、足音を殺して猫へ近づく。
猫の毛はふわふわだと本で読んだ。それから、とても手触りがいいと。
一度も触ったことはなかったが、とうとうその機会が訪れようとしていた。
あと少し、あと少しで触れようとしたその時──。
「みぎゃ~~~~~!!」
ハイドランジアの存在に気づいた猫が絶叫し、手の甲を思いっきり引っ掻いた。
「痛っ!」
そして、一目散に逃げていく。
手に残ったのはふわふわの猫の触感ではなく、爪痕と滲んだ血だった。
ひゅうと、冷たい風が横切る。それはまるで、ハイドランジアに「もう猫のことは諦めろ」という風の精霊からのツッコミのようだった。
◇◇◇
翌日、その翌日と屋敷の裏に足繫く通っていたが、猫が現れることはなかった。
もう、二度と会えないのだろう。
『おい、七代目、何ぞ、屋敷の裏に猫が住み着いていて困っていたと申していたが、数日前からいなくなったと、庭師が喜んでいたぞよ』
「……」
傷心のハイドランジアに話しかけるのは、小型犬の姿をした大精霊『ポメラニアン』である。
艶やかな毛並みは小麦色で、愛くるしい姿は物語の中でも人気が高い。
ただ、その見た目に反して古めかしい言葉で喋り、声が野太いことは広く知られていない。
千年前にリリフィルティア国の王子ディセントラと契約していたが、彼の死後はローダンセ公爵家に身を寄せていた。
七代目というのは、初代から数えた当主の数字だ。
初代は五百年生き、二代目は三百年生きた、三代目は二百年と長い時を生きていたが、ハイドランジアの父である六代目は五十五年──といった感じで、人と交わることにより、寿命はどんどん短くなっている。
ちなみに、ハイドランジアの父は病死だった。
『どうせ、お主が小さき猫を、脅かしたのだろう?』
「脅かしていない。触ろうとしただけだ」
『小さき猫にとって、それは脅かすことに該当すると思うが』
ポメラニアンの言葉にムッとしたものの、冷静になってみれば間違ったことは言っていない。
ローダンセ公爵家の初代当主に匹敵するほどの高い魔力を持っているハイドランジアは、耐魔力のない生き物にとって脅威なのだ。
それは人にも言えることで、魔力に耐性のない者はハイドランジアと一緒の空間にいるだけで具合が悪くなる。
そのため、ローダンセ公爵家の花嫁探しは至難を極めるとも云われていた。
『夫婦となると、もっとも魔力の影響を受ける』
「そもそも私は、まともに夫婦生活をするつもりはないからな」
『またまた、そんなこと言いよってからに。ノースポール伯爵家にお嬢さんを我にと、熱烈な手紙を送っただろうが』
「どこで、それを?」
『書翰術で送っただろう? 何日か前の夜、見かけたぞよ』
「……」
高位魔法である書翰術は、緊急時か大事な手紙を送る時に使うとっておきの魔法だ。
そのため、熱烈な手紙と言われてしまったのだ。
「そもそも、なぜ内容まで分かるんだ」
『七代目よ、大精霊を舐めるな。まとわりついた魔力を読み取れば、どんな内容かも分かるのだ』
大精霊ポメラニアンは、一生頭が上がらない相手である。父も、祖父もそうだった。
『それはそうと、猫に振られた君を励ましてあげるぞよ。ほれ、モフモフとやらを、許す』
ポメラニアンは腹を見せた状態で、ハイドランジアを見上げる。
『こんなこと、歴代の当主の誰にもさせてあげていないぞよ』
「断る」
『なにゆえに!?』
それは、ハイドランジアが犬派ではなく、猫派だからだ。
『もったいないことをする。我は、やんごとなきモフモフであるに』
ポメラニアンは無視して、ハイドランジアは机に積みあがった書類を片付けることに集中した。