疑いエルフとマグノリア王子からのプレゼント
翌日、魔法師団にマグノリア王子がやってくる。
いったい何事かと、団員は目を剥いていた。王族がこうして、足を運ぶことなんて滅多にない。
案内役を任されたクインスは、緊張で生きた心地がしない。
「あ~~、殿下、今日はお日柄もよく」
「そうですね。まるで、ハイドランジアの結婚を祝福しているかのよう」
「あ、はあ」
マグノリア王子のキラキラな笑顔を向けられたクインスは、あまりの眩しさに額に大粒の汗を掻いていた。
◇◇◇
突然やってきたマグノリア王子を前に、ハイドランジアは顔を思いっきり顰める。
「わざわざ何をしにきたのだ?」
「どこぞの誰かみたいに、気軽に転移魔法は使えないもので」
「だとしても、呼んでくれたら向かうのに」
「来たかったんですよ。これを渡しに」
そう言ってマグノリア王子が従者から受け取り、ハイドランジアの執務机に封書を置いた。
「これは?」
「結婚祝いです」
封を切ると、中から出てきたのは二枚のチケットである。
「……『女公爵の婿取り奮闘記』?」
「ええ。原作の発行部数二百万部、エトワール座では上演回数千回を超え、人気を博した舞台なんですよ。初演は二十年前で、二年から三年ペースに再演されているそうです」
入手困難なチケットで、王族であってもなかなか手に入らないらしい。
そんな舞台の、特別桟敷席を用意したようだ。
「どうやって入手したのだ?」
「まあ、五年分ほどの愛想とコネを使って少々」
「……」
なぜ、ここまでしてくれるのか。ハイドランジアは疑いの目を向けた。
「いえ、先日は素晴らしい呪い……いえ、素晴らしい奥方を紹介していただいたので」
「お前は……」
マグノリア王子はヴィオレットの猫化の呪いに興味津々なのだ。
困った弟子だと思い、盛大にため息をつく。
「チケットは感謝する。しかし、妻は異性に触れると猫化する呪いがあるゆえ……」
劇場は酷く混雑する。異性との接触は、多々あるだろう。そんな場所に、ヴィオレットを連れて行くわけにはいかない。
「ハイドランジア、これは、特別桟敷席ですよ。入口も別なので、人とぶつかることもないでしょう」
特別桟敷席の入口は劇場の裏手にあり、客席から誰が座っているか見えないようにもなっている。
「特別桟敷席はもともと、愛人を連れた貴賓用に作ったみたいです。それ以外にも、人目を避けたい恥ずかしがり屋も利用しているようですが」
「……」
その説明を聞いていたら、ヴィオレットを連れて行っても大丈夫なような気がした。
ただ、チケットの日付を見てギョッとする。
「これは、今夜上演のチケットではないか!」
「ええ、そうですよ」
特別桟敷席は急に取れるものではない。舞台の上演が決まるとすぐに予約が入る。
『女公爵の婿取り奮闘記』は半年前から上演が決まっていたので、ハイドランジアとヴィオレットの結婚に合わせて用意するのは難しい。
「これは、どこで入手したのだ? 誰かを脅して、奪ったのではないな?」
「私がそんな物騒なこと、すると思いますか?」
「……」
マグノリア王子は一見して穏やかに見える。しかし、その実態は腹黒だ。
遠回しに特別桟敷席のチケットが欲しいと呟けば、臣下が自ずと入手してくるのではないかと疑っているのだ。
「そんなことするわけがないでしょう。なんですか、その疑い深さは」
「普段と違う行動が重なると、おかしな出来事が起きていると思うようにしている」
まず、今までマグノリア王子が直々に魔法師団へやってくることはなかった。
それだけでも不審なのに、入手困難な特別桟敷席のチケットを用意し、それが当日券であるということも重なる。
好意からのチケットではないことは確かであると、ハイドランジアは確信している。
「もしも、結婚祝いだとしたら、先日の訪問時に渡しているのが普通だろう。その点から、これはお前が無茶苦茶な我儘を言って、本来の持ち主から奪ったか、それか自分用に使おうとしていた物で、急に行けなくなったか」
ハイドランジアの言い分を聞いたマグノリア王子は、腹を抱えて笑いだす。
その様子を疑心たっぷりの目で見つめていた。
「何がおかしい?」
「すみません。ここまで、見透かされるとは思っていなかったので。あなたの疑い深さを、甘く見ていました」
ハイドランジアの推理は正解だと、マグノリア王子は涙を拭いながら言う。
「これは、私が婚約者と一緒に行く予定だったのです。しかし、先日喧嘩をしてしまい──」
国王が臥せり、マグノリア王子は忙しくなった。そのため、婚約者との約束を後回しにしてしまったのだ。
「それはもう、烈火のごとく怒りまして」
「お前……このチケットを仲直りの材料にしなかったのか?」
「ご機嫌取りみたいで、イヤだったのです」
「……」
それでも、女性を怒らせたままにしておくのはかなり面倒だ。日々、ハイドランジアも痛感している。
「だが、喧嘩したままというのも、よくないと思うが」
「普通の喧嘩だったら、反省したのちに謝っています。しかし、今回は国が絡んでいるどうしようもないことです。私は、普通の男ではないのですよ」
マグノリア王子は国の将来を背負っている。
国と女とどちらが大事かという質問は、愚かなものなのだろう。
「おそらく、この先も同じような事態は起こるでしょう。そのたびに、ご機嫌取りをするのは馬鹿らしい」
だから、マグノリア王子はチケットを手放すことを決めたのだという。
「お前は、自分や父親、臣下だけでなく、婚約者にも厳しいのだな」
「当たり前ですよ。毎回、子どもっぽいことで怒って、泣いて、そうすれば周囲が機嫌を取ってくれる環境で育ったようで。まるで、子守りのようですよ」
将来の王妃となる女性なので、模範的な淑女になってほしいようだ。
ただ、我儘放題に育った婚約者は何人もの教育係を辞めさせ、困った状況にあるという。
「リナリア嬢は、まだ十二歳だったか」
「ええ」
「お前は、十六だったか」
「それがどうしたのですか?」
「いや……」
模範的な淑女と聞いて、ヴィオレットの姿が思い浮かんだのだ。
彼女ならば、誰であれ、指導できそうな気がする。
「ハイドランジアは、喧嘩した時どうやって仲直りするのですか?」
「私は──」
物を与えて機嫌取りをするということはしない。そもそも、ヴィオレットには物欲がなかった。
ハイドランジアが悪い場合は、バーベナが指摘してくれる。そこで、自分の発言や行動を振り返り、悪いと思ったら反省したのちに謝った。
ヴィオレットの場合は、頭を撫でながら落ち着かせてじっくり話し合う。
前回の喧嘩は、それで解決した。
これは猫の姿限定で、人の姿であればまた別のやり方になるだろうが。
「なるほど。機嫌取りをせずに、話し合う、ですか。まだ、私と幼いリナリアには難しい。あなた達は、やはり大人なのですね」
「当たり前だ」
ゆっくり話し合って、仲直りしてほしい。国の将来がかかっているのだから。
「まあ、私はともかくとして、ハイドランジアは奥さんと舞台を楽しんできてください」
「しかし」
「今日一日、私が魔法師団長代理をするので」
「は?」
「この、優秀な副官であるクインス君が手伝ってくれるので、安心して休んでください」
クインスのほうをチラリと見ると、涙目でコクコクと頷いていた。