後悔エルフと猫の嫁の意外な事実?
ヴィオレットは猫の姿で、床に着地する。頭上にはたくさんの疑問符が浮かんでいるように見えた。
幻術がかかっている間と魔法が解けたあとは触れても猫化しなかったのに、再度触れたら呪いが発動した。
いったいどういうことなのか?
『わたくし……今まで、どんな男性が触れても、猫化してしまいましたの』
触れた人物は、父シラン、兄ロジー、執事のオーキッド、悪徳商人トリトマ・セシリア。
皆同じように、ヴィオレットに触れたらもれなく呪いが発動した。
『もしかしたら、幻術にかかっている間は、呪いが発動しないとか?』
「だとしたら──」
はっきり言っていいものか迷う。だが、隠しておくのは、本人のためにはならない。それに、これは推測だ。一度咳払いをしたのちに、自らの考えを語る。
「猫化は呪いではなく、お前自身が発動させていることになる」
『な、なんですって!? わ、わたくしは、そんな魔法など、知りませんわ!』
魔法は正しく把握し、術式を理解していないと発動しない。
多少、魔法使いについて詳しい程度では、変化を伴う高位魔法など使えるわけがなかった。
『わたくしが、わたくしに魔法をかけたなんて──ありえませんわ』
「私もそう思う。しかし、あるとしたら──」
膨大な魔力を持つヴィオレットは、ある可能性があった。
『なんですの?』
「前世から、魔法の知識を受け継いでいる可能性だ」
『ぜ、前世ですって!?』
魂は死したあと、神と呼ばれる存在が人格、記憶、魔力、罪、知識など、その人物を形作るものすべてを浄化させ、まっさらな状態にされる。そして、新たな人生を送るように送り出す。
その流れを、『転生』という。
生まれた赤子は前世とは違う人物として、両親から授かった魔力で生を得るのだ。
「一方、転生魔法を経て生まれた赤子は、前世の記憶や魔力、知識などを持って生まれる。その流れを、『輪廻転生』という」
『輪廻、転生……。魔法の力で前世を引き継がせる、というものですの?』
「ああ、そうだ」
『ありえない、ですわ。わたくしはわたくしです。前世の記憶なんて、ありませんし』
前世の記憶がない場合、自覚症状などあるわけがない。
それに、ヴィオレットの高い魔力値や、魔法に関する知識、適応力など、普通ではありえないことも輪廻転生者だったら納得できる。
さらにヴィオレットを取り囲む謎も、別の解釈が浮上した。
「年の離れたトリトマ・セシリアがお前に執着している理由は、前世が絡んでいるかもしれない」
『!』
ヴィオレットを転生させたのは、トリトマ・セシリアに付いている魔法使いなのか。
それも、可能であれば吐かせたい。
ヴィオレットは放心しているようだった。忌まわしい呪いの原因が自分である可能性が浮かんだのだ。ショックを受けるのも無理もないだろう。
「すべては仮定段階だ。まだ、深く考えないほうがよい」
『ですが──』
イライラしているのか、ヴィオレットは尻尾を床に叩きつけている。
『猫化は呪いではなく、わたくしの弱さ……?』
「いや、違う。お前は猫化することによって、お前自身を守ろうとした。いわば、盾のようなものだろう」
『盾……?』
「ヴィオレット、お前は、父や兄も、恐れていたのではないか?」
『そんなことは──』
否定しかけていたが、ヴィオレットは目を見張ってハッとなる。
心当たりがあったのだろう。
『わ、わたくし──……!』
「無理して話さなくてもよい」
その感情には、ハイドランジアも覚えがあった。
「私も、幼少のころは、父親が怖かった」
ハイドランジアの父は自分にも他人にも、猛烈に厳しい人物であった。
魔法を教わる際、理解が遅ければ鞭で叩かれることもあったし、食事を抜かれることもあった。
『あなたにも、そんなお年頃がありましたのね』
「なんでも苦労なく、こなしてきたように見えるか?」
『ええ……ごめんなさい。奇跡のように完璧な人なんて、いないのに』
「気にするな。化け物扱いは慣れている」
勉強や研究を行い、裏付けがある状態で事件を解決しても、エルフだから当たり前だと言われたこともある。
別にエルフだからといって、知識や教養が生まれつき備わっているわけではない。すべては努力の賜物なのだ。
「父も、似たような扱いを受けていたらしいが、傍若無人を擬人化したような人柄だったようで、化け物だ、悪魔だと言われても気にしていなかったのだろうな」
心の奥底では、父親のことを尊敬していた。しかし、素直に認める前に旅立ってしまったのだ。
「今思えば、いろいろ話をしておけばよかったと思う」
父親同様、若くして魔法師団の師団長を務めるハイドランジアも、妬まれたり嫌味を言われたりする。同じくらいの年齢の時、どうやって切り抜けたのか話を聞いてみたかった。
「もう、遅いがな」
ここで我に返った。ヴィオレットがしょんぼりしていたせいで、自分のことについて話し過ぎてしまった。こういうことは、誰にも話したことがないので少々気恥ずかしい気持ちになる。
「お前には、興味のない話であったな」
『いいえ。わたくし、旦那様に親近感を覚えましたわ』
ハイドランジアも人の子だったのだ。そんなことを、ヴィオレットは言う。
耳は長く、魔法に関する知識は豊富だが、それ以外は普通の人と変わらない。特別な存在でもなんでもないのだ。
今度はヴィオレットが居住まいを正し、話しかけてくる。
『わたくしの話も、聞いてくださる?』
「いいのか?」
『ええ』
ヴィオレットも、家族についてポツリポツリと語り出した。
『わたくしは、家族や使用人から嫌われることを、何よりも恐れていましたの』
猫化の呪いにかかり、外出もできず、結婚も難しい。
そんな中で、いつかお荷物に思われるのではないかと、恐怖を抱いていたようだ。
『わたくしの小さな世界では、父と兄、それから数少ない使用人がすべてですから……』
嫌われたくないから、ヴィオレットであり続けることを放棄した。だから、猫化してしまうのか。
まだ分からないが、確かに怖いと思った相手に魔法は発動していたようだ。
我儘を言っていたのは、愛情の確認だったのかもしれない。
母親がいない中、ヴィオレットも複雑な思いを抱えて生きてきたのだろう。
ヴィオレットを見ると、強い眼差しを返す。吹っ切れたような、そんな表情をしているように見えた。
どうやら、もう落ち込んでいないようだった。
『この、何もできない猫の姿が大嫌いだったのですが、あなたが盾だとおっしゃってくださったから、少しだけ、好きになれそうな気がしますわ』
そう言ったヴィオレットは、今までにないくらい明るい声色だった。
彼女の強さを、ハイドランジアは眩しく思う。