ツンデレエルフと気ままな嫁
ヴィオレットを膝に乗せたまま、ハイドランジアは硬直する。
本来だったら、膝に座ったのと同時に、猫化するはずだ。
なぜ、呪いが発動しないのか。
魔法師団のある宮廷は王城の一角にある。王城の地下には、さまざまな魔除けの魔法陣が刻まれ、その影響で呪いが発動しないのか。
改めて、ヴィオレットに触れてみる。
長く綺麗な指先に、柔らかな手のひら、細い手首に、布越しで触れる腕、華奢な肩。どこに触れても、猫化の呪いは現れない。
詰襟を寛がせ、首筋に触れる。なめらかな白い肌に指先を這わせていたら、逃走防止のリボンに触れた。これも、呪いが発動しない理由なのかと解いてみる。
するとくすぐったかったのか、ヴィオレットはくすくすと笑った。
そして、ハイドランジアの顔を見上げる。あまりにも無防備で、無邪気な笑顔だった。
「か……可愛い」
自分の呟いた言葉に、驚愕する。
今の可愛いは、まったく猫に関連していないものだった。
いったい、どうしたというのか。
ここで、コンコンと扉が叩かれ、副官のクインスが中へと入ってくる。
一歩部屋へ踏み出した瞬間、ハイドランジアは猛烈に睨みつけてしまった。
妻を膝に乗せ、触りまくっている。
職場で許される行為ではない。
ハイドランジアを見たクインスは、ギョッとして叫んだ。
「うわっ!! すみません。猫々時間でしたね!!」
そう言って、クインスは執務室から出て行った。
バタンと扉が閉められた瞬間、我に返る。
にゃんにゃんタイムとはいったい……?
言われてみれば幻術がかかっているため、外から見たら猫を撫でているようにしか見えないのか。
それを、クインスに目撃されてしまっただけのようだ。
問題ないようだったので、ホッとする──否、それも問題な気がした。
ハイドランジアの猫好きは秘密なのだ。ローダンセ公爵家の使用人数名とポメラニアンは気づいているが、それ以外にはバレていない。
もちろん、ヴィオレットにもだ。
猫化の呪いがあると分かったので、結婚したと思われても非常に困る。
ヴィオレットとの結婚は、しょうがなく、イヤイヤ行ったのだ。
撫でる手が止まったからか、ヴィオレットはハイドランジアの手の甲をちょいちょいと触れた。
そして、再び顔を見上げて言った。
「にゃあ!」
それは、分かりやすいほどの撫でて欲しいという要求であった。
猫語を話すヴィオレットは可愛い。可愛すぎる。世界一可愛いのでは?
そんな想いが溢れ、ヴィオレットをぎゅっと抱きしめてしまった。
触れても、抱擁しても、引っ掻かれることはない。ヴィオレットは腕の中で、大人しくしている。
だが、このままというわけにはいかないだろう。
「昼食を……」
一度ヴィオレットを放し、執務机に置いていた籠を指差す。
「食事を、取れ」
「にゃ!」
空腹なのか、嬉しそうにサンドイッチの入った籠を覗き込んでいる。
ただ、食べようとしないし、ハイドランジアの膝の上から退こうとしない。
「仕方がない」
ヴィオレットを横抱き状態にして、膝の上にサンドイッチの籠を乗せてやる。これで、食べやすくなるだろう。
しかし、ヴィオレットは籠を見つめるまま、食べようとしない。
「空腹ではないのか?」
「にゃあ」
どうしてか、「お腹は空いていてよ」と言っているように聞こえた。
猫語など分かるはずがないのに、謎である。
一つ掴んで渡そうとしたら、ヴィオレットは口を開けた。しかし、食べようとしない。
この行動が示す理由は、一つしかなかった。
「なっ! 食べさせろと言うのか? この、私に?」
「にゃあ」
ヴィオレットは「当然ですわ」と言っているように聞こえた。
ハイドランジアの腕をぽんぽんと叩き、早く食べさせるようにと急かす。
「くっ……この!」
ぶつくさと文句を言いながらも、一口大のサンドイッチをヴィオレットの口元に運んだ。
パクリと食べ、美味しそうにもぐもぐしている。
それから二個目、三個目と与え、水筒の中の紅茶もふうふうと冷まし飲ませてやった。
そのあとも三個ほど食べさせたが、四個目はぷいっと顔を逸らす。
どうやら、満腹らしい。
「一口大のサンドイッチを、六つしか食べていないではないか!」
「にゃ!」
「もっと食べないと、力が出ないぞ!」
「にゃあ!」
「可愛いから許す!」
そう叫んで、再びハッとなる。
こんなことをしている場合ではなかった。
なぜ、呪いの効果が消えてしまったのか。一度、地下の魔法陣を見にいかなければならない。
その前に、ヴィオレットの幻術を解いてみる。
魔法陣が浮かび、パチンと弾けた。
これで、周囲や自らが猫だと思い込む幻術は解かれた。
意識が途切れたのか、ヴィオレットはぐったりとハイドランジアの胸にもたれかかる。
「──ん?」
すぐに目を覚ましたようだが、至近距離にいたハイドランジアを見てヴィオレットは叫んだ。
「な、なんですの!?」
ヴィオレットは猫のように、しなやかな動きで膝の上から跳び降りる。
「な、なぜ、わたくしは、旦那様のお膝に!?」
「自分から座ったのではないか」
「なっ、ど、どうして?」
「どうやら、猫だと思い込ませる幻術は、お前にも効果があったようだ」
「な、なんですって!?」
信じがたいという目で、ヴィオレットはハイドランジアを見る。
「本当だ」
「……」
「それから、猫化の呪いも現れなかったのだが」
「あら、本当ですわ。でも、どうして?」
「王宮にある、魔除けの魔法陣が原因ではないかと思っている」
「そんなこと、ありえるのですか?」
「さあ、前例がない呪いだからな」
「本当に、わたくしは猫化しませんでしたの?」
「そうだと言っている」
疑うならば、触れてみるがいい。そう言って、ヴィオレットに手を差し伸べる。
ヴィオレットは疑心に満ちた様子で近づき、そっとハイドランジアの手に触れた──が。
『うみゃ!?』
「何?」
ヴィオレットは魔法陣の発した光に包まれ、瞬く間に猫の姿となった。