苦慮エルフと思いがけない作戦
自分を餌に、魔法使いを引き寄せる。
猫の姿のヴィオレットはハイドランジアの膝の上から、キリリと上目遣いで言った。
「かわい……!」
『え?』
「え?」
マグノリア王子とヴィオレットが真顔になる。
ふと我に返る。ヴィオレットの可愛さに注目するばかりで、話の内容を聞き逃していた。
「上手く聞き取れていなかった。もう一度言ってくれないか?」
『もう!』
ハイドランジアの膝の上で、ヴィオレットは前脚で地団駄を踏んでいた。それすらも、可愛いだけである。
喉元まで出かかっていた「可愛い」を呑み込んで、謝罪した。
「すまない」
『次はありませんからね。……呪いをかけた魔法使いを、わたくしを餌にして招いたらどうかと、提案したのです!』
ヴィオレットは言う。この家は正真正銘の魔法使いの屋敷である。ここに一歩でも足を踏み入れたら、こっちのものだと。
「たしかに、魔法使いの屋敷は仕掛けだらけで、油断ならないですからね」
ハイドランジアの許可なく敷地内に入ったら、まずガーゴイルが襲いかかってくる。
ローダンセ公爵家には、屋外屋内合計百体ものガーゴイル像が設置されているのだ。
『そういえば、玄関に大きな竜の石像がございますが、あれも魔法仕掛けの石像ですの?』
「いや、あれは初代が新婚旅行で買ってきた、ただの石像だ」
『そうでしたのね』
その話題に対し、マグノリア王子はうんざりといった様子でぼやく。
「あの竜の石像は、本当に不気味で……」
「あれは名もなき邪竜を彫ったものだ」
人々の畏怖の対象である邪竜を玄関に設置することは、魔法使いの屋敷ではよくあることだ。
竜は魔法の象徴であり、強い魔力を持つ存在である。
そんな竜の石像を玄関に置くと、魔法と魔力の恩恵を得られるという謂れがあるのだ。
「魔法使いの屋敷に潜入するのは危険ですが、それだと決着がつきません。でしたら、相手側をローダンセ公爵家に呼び出せばいいと思いましたの」
「しかし、こちらが魔法使いの拠点を警戒しているように、向こうもこちらの拠点を警戒しているだろう」
ローダンセ公爵家には、初代当主が仕掛けた侵入者は何者であっても通さない魔法がかけられている。
わざと隙を作っても、相手は罠だと気づくかもしれない。
魔法使いは基本、疑り深い。やすやすと、招かれるとは思えなかった。
『でしたら、別の場所にお招きするとか?』
「どこに、どうやって招くというのだ?」
『……結婚式とか?』
確かに、結婚式であったならば、トリトマ・セシリアは呼ばなくても妨害しに来るだろう。
しかし、ハイドランジアは反対であった。
「それはダメだ」
『なぜですの?』
「結婚式は一生に一度のこと。奴がやって来たら、台なしになってしまうだろうが」
『旦那様……!』
ヴィオレットはキラキラとした瞳でハイドランジアを見つめる。
結婚式は晴れ舞台だ。事件解決の舞台にはしたくなかった。
「トリトマ・セシリアと対峙する舞台は、別がいい」
『何か、案がありますの?』
「披露宴を開くのはどうだろうか?」
『ですが、わたくしはこんな体ですし、皆様の前に出ていいものか』
「トリトマ・セシリアと例の魔法使い以外の参加者は、魔法師団の関係者だけにしておく」
傍を離れさせず、異性が触れないようにハイドランジアが守ればいいのだ。
『上手くいくのでしょうか?』
「これくらいしか、誘き寄せる方法は思いつかない」
場所は王宮にある薔薇園がいい。開催は夜だ。
夜になると、魔力が物質化したと云われている月が出る。地上を照らす月明かりは、魔力を高める効果があるのだ。魔法使いがもっとも力を揮える時間帯でもある。
加えて、薔薇園にあるハイドランジアが品種改良をして作った薔薇『スカーレット』は、契約者に魔除けと守護の力をもたらす。戦闘を有利にする材料が揃っているのだ。
やり合うのであれば、本気を出す。ハイドランジアはそう宣言した。
マグノリア王子に視線で問題ないか投げかけると、いくつか質問を受ける。
「ハイドランジア、それって、夜に行うものですよね?」
「そうだが?」
「夜の園遊会とは、かなり珍しいですよね?」
「まあ、否定しないが」
ハイドランジアの父親もその祖父も、国王に頼んで薔薇園で披露宴を行ったのだ。
舞台として、なんら不思議な場所ではない。
さらに、ローダンセ公爵家の家紋には薔薇がある。その加護のおかげで、薔薇園にいると魔法の威力がさらに増加するのだ。
そこに遠隔魔法を弾く結界を張ったら、魔法使いも会場にしぶしぶと姿を現すだろう。
「あともう一点、気になっていたのですが、奥方の付けているリボン、ものすごい魔道具のように思えて」
「これは、私が睡眠時間を削って作った、妻の逃走防止のリボンだ」
この話を聞いたマグノリア王子は、本日二度目の胡乱な視線をハイドランジアへ投げかけていた。
「信じがたい言葉が聞こえたので聞き返しますが、逃走防止のリボン、で間違いないですよね?」
「ああ」
口には出さないが、マグノリア王子からの「この変態め!」と言わんばかりの冷え冷えとした視線が投げかけられる。
「どうして、そのようなことを?」
「妻は無理矢理ノースポール伯爵家から連れ出して、結婚したから仕方がなかったのだ」
「は!?」
「当主の許可は出ている。嫌がったのは、妻ヴィオレットだけだ」
「なんて、酷いことを」
マグノリア王子の言葉に、ハイドランジアは口の端を上げながら反論する。
「貴族の結婚は、個人の感情でどうにかなるものではない。その時は何か嫌な予感がしていたのだ。だから、無理矢理にでも連れてきた」
トリトマ・セシリアのヴィオレットへの執着を目の当たりにしたら、あの時の判断は間違いではなかったのだと確信できた。
「奥方は、それでいいのですか?」
『無理矢理連れてこられた時は最低最悪な気分でしたが──旦那様は魔法を教えてくださるといいましたし、旦那様はともかくとして、ローダンセ公爵家の方々は優しいので、まあ、想像していたよりは悪くないかなと思っている次第ですわ』
「そうでしたか」
ハイドランジアは腑に落ちない気分になったものの、話が長くなりそうだったので聞かなかったことにした。
話は対魔法使い戦に戻る。
「それで、披露宴を開いてトリトマ・セシリアと魔法使いを呼び寄せる作戦は理解できました。しかし、ハイドランジアが不在の時に、もしもローダンセ公爵家の屋敷に魔法使いがやって来たら、どうするのですか?」
相手の実力は未知数。いくら初代が作った結界があっても、破られる可能性がある。
マグノリア王子の指摘に対し、ヴィオレットはさらなる提案をする。
『でしたら、わたくしが旦那様の使い魔として、魔法師団に行くのはいかが?』
「猫の姿で、ということですか?」
『半分正解ですわ』
「半分、というと?」
猫の姿で行ったとしても、今日みたいに呪いが解けて突然人の姿に戻るかもしれない。
それは、非常に危険なことである。
だったら、どうすればいいのか。その解決策を、ヴィオレットは提案した。
『人の姿で付いて行って、幻術で猫に見えるようにすればいいのです』
「ああ、なるほど。それだったら、常にハイドランジアの近くにいることができますね」
マグノリア王子はそれでいきましょうと言ったが、ハイドランジアは眉間に皺を寄せていた。
「簡単に言うが、私が常にヴィオレットのために幻術を展開させておかなければならぬのだろう?」
『ええ、そうですわ。大変かもしれませんが、あなたは国内一の魔法使いなのでしょう?』
そう言われてしまったら、否だと言えない。
加えて、正体が見えない魔法使いへ有効な対策は、直接ハイドランジアがヴィオレットを守ることだ。彼女の提案は、理にかなっている。
「しかしだ。魔法師団は関係者以外出入りを許可して──」
「私が特別に許します」
魔法師団の特別顧問官であるマグノリア王子の許可が出てしまった。
それでも、ハイドランジアの眉間の皺は解れない。
「もしも他に事件が起きた場合、お前を守ることはできないかもしれない」
ヴィオレットはハイドランジアの腕に前脚をかけ、上目遣いで懇願する。
『そうだとしても、一人で家にいると不安ですの。お願いいたします』
「……」
腕を組み、唇を噛みしめる。
ヴィオレットの言うことはともかくとして、猫の言うことは聞かなければならない。
それは、ハイドランジアの中の法律である。
「そうだな……」
初代当主が作った結界を信じるか。それとも、自らヴィオレットを守るか。
信じられるのは、自分の力のほうである。
しかし、職場に連れて行くとなると、他に問題も生じるような気がした。
判断に迷っていたら、ヴィオレットがダメ押しの行動に出る。
『いい子にしておりますので』
肉球のぷにぷにが、ハイドランジアの手の甲に強く押し当てられる。
『お願いいたします!』
ここまで言われてしまったら、頷く他ない。
「分かった。常に、私の傍から離れないという条件であれば──」
『ありがとうございます!』
ただ、すぐに作戦を実行するわけにはいかない。準備が必要だ。
「連れて行くのは、魔法の基礎を覚えてからだな」
念のため、ガーゴイル像を増やし、周囲の警戒も強める。
トリトマ・セシリアが敵に回ったからには、容赦しない。徹底的に叩き潰すつもりだった。
「ハイドランジア、顔が怖いです」
「当たり前だ。奴らは我が妻の実家を、長きに渡って苦しめていたのだ。ノースポール伯爵家と縁を繋いだ今、売られた喧嘩はもれなく私が貰い受ける」
それに、国王にも危害を加えようとしていた。この件についても、赦せないことである。
「ハイドランジア、作戦を実行する時は、私にも声をかけてください」
「分かっている」
戦いの火蓋が、切られようとしていた。
◇◇◇
ヴィオレットはマグノリア王子が帰ったあとも、ハイドランジアの膝に座り続けている。
案外、居心地がいいようだ。
『……大変な事態に、あなたを巻き込んでしまいましたわね』
ヴィオレットがぽつりと呟く。
「見て見ぬ振りはできないからな」
『ありがとう、ございます。感謝しております』
「どうした? 今日は殊勝だな」
ヴィオレットの顎の下を撫でると、嫌がらずに目を細めている。
夢のような状況であるものの、にやけてしまったら不審に思われるので表情に出さないよう努める。
『実家も支援していただいて……兄は深く感謝していると、言っておりました』
「どうってことない」
『あなたのことを、わたくしは勘違いしていましたわ』
ハイドランジアは明後日の方向を眺め、目を細める。
今までの人生を振り返ってみても、善人であると言われたことは皆無だった。
つい先日も、「悪魔」と恐れられた。
「……」
『どういうふうに勘違いしているのか、聞きませんの?』
「想像はつく」
『教えてくださる?』
「悪そうなヤツに見えたが、見た目通りの悪いヤツだ、と」
そう答えると、ヴィオレットは笑いだす。
『ふふふ、あなた、自分のことなのに』
「実際に何人も、言われたことがあるからな」
『ああ、おかしい』
ひとしきり笑ったあとで、ヴィオレットはハイドランジアのことを評する。
『わたくしは、あなたのこと、悪い人だと思っていましたが──』
青い瞳がとろけそうに目を細めながら言い放つ。
『思っていたよりも、悪い人ではありませんでしたわ』
「なんだ、それは。先ほどの評価と、あまり変わらないではないか」
『頑張って、評価を善人に変えてくださいまし』
「残念ながら、性分は簡単に変えられない」
言葉の応酬を重ねていた二人であったが、雰囲気は以前よりもよくなっている。
気づいていないのは、本人達ばかりであった。