変態エルフとだんまりの嫁
翌日、ヴィオレットは何事もなかったかのように、朝食の席に現れた。
「旦那様、本日はノースポール伯爵家自慢の、三日月パンを作っていただきましたわ」
席についたヴィオレットは配膳されたばかりのパンを指し、自慢げに語り始める。
「こちらは生地にバターを挟んでは伸ばしてという作業を繰り返して作り、三日月の形を作って焼くという芸術的なパンですのよ」
給仕係が取り分けた三日月パンを、ヴィオレットは嬉しそうに手に取る。
三日月パンと呼ばれるだけあって、欠けた月の形を見事にパンで表現していた。
ヴィオレットは端を千切り、そのまま何も付けずに口へ運ぶ。
余程美味しかったのか、口元は三日月のような弧を描いていた。
ハイドランジアも、皿に取り分けられた三日月パンを食べてみることにした。
手に持った感じは、見た目以上にずっしりしている。生地の層にバターが練り込まれているからだろうか。
ヴィオレットがしたように、端から千切る。外側の生地も、中も層ができていた。
ふわりと、バターの香ばしさが漂う。口に含むと、これまで以上にバターが香った。
外はパリパリ、途中はサクサク、中はふんわり。しっかり噛むと、小麦の豊かな風味とバターのコクが口いっぱいに広がった。
実に美味しいパンである。
「旦那様、どうでしたか?」
「これは、初めて食べる。美味しい」
「よかった」
ハイドランジアとヴィオレットは、食べ物に関することであれば互いに素直になれるようだった。
「そういえば、昨日は商人が売り込みにいらっしゃったようで」
「……ああ、よくある話だ」
それは、トリトマ・セシリアが送り込んだ商人である。もちろん、取り合うつもりはない。
持ってきていた品々に魔法反応もあったようで、ローダンセ公爵家に影響のある悪い物を売り込もうとしていたことは目に見えていた。
相手方も、ローダンセ公爵家への潜入には二の足を踏んでいるのだろう。
それくらい、魔法使いの拠点は危険なのだ。
「我が家は、専属の商人がいるからな。新規取引は行っていない」
「たしかに、商人は信用に足るお方から購入することが一番ですわ」
ヴィオレットの言葉に、ハイドランジアは大きく頷いた。
◇◇◇
朝からマグノリア王子より呼び出される。調査が完了したようだ。
執務室にクインスを残し、ハイドランジアは単独でマグノリア王子の私室まで転移した。
マグノリア王子は肘掛に腕を伸ばし、スラリと長い脚を組んだこれぞ王族といった威厳たっぷりの姿でハイドランジアを迎えた。
「放っていた密偵が戻ってきました」
「何か、分かったことがあったのか?」
「ええ」
まず、トリトマ・セシリアから魔法仕掛けの茶と菓子を購入していた大臣の名が挙がる。つい先日、ガーゴイルで脅かした大臣だったようだ。
「さらなる証拠が集まり次第、枢密院の査問にかけ、徹底的に調査します」
現在、その身を拘束しているという。
ただ、その事実が明らかとなればトリトマ・セシリアの魔法使いが動きを見せるかもしれない。
とりあえず、表向きは感染症にかかり、隔離しているということにしているようだ。
「その大臣の娘は確か──」
「ええ、私の叔父と婚姻関係にあります」
自らの地位向上のため、国王に一服盛ったのか。
「芋づる式に、叔父も怪しく思えてきました」
「それは、確かに。しかし、そうだとしたら、次に狙われるのはお前なのでは?」
王位継承権第一位はマグノリア王子であるが、第二位は国王の弟である叔父となっている。
国王になるためには、マグノリア王子も邪魔な存在となる。
「別に、命を狙われているのではないのだろう?」
「ええ、今は特に。しかし、叔父主催の夜会に誘われてしまい……」
今まで、叔父主催の夜会などなかった。
初めて招待を受けたマグノリア王子は、参加するか否か悩んでいる最中にいるようだ。
「ハイドランジア、叔父の夜会に私と参加してくれませんか?」
「危険だから、参加を断ったほうがいいだろう。それに、妻の同行は難しい」
既婚者は必ずパートナーと参加しなければならない。しかし、ヴィオレットは異性に触れると猫になる呪いにかかっているため、参加させることは不可能だ。
「なるほど。愛妻を他の男に見せたくない、というわけですか?」
「違う」
「でしたら、どういう意味なのでしょう?」
「……」
今回の事件と、ノースポール伯爵家の問題は繋がっている。
そのため、ヴィオレットを呪いも含めて紹介したほうが手っ取り早いのではと思った。
ついでに、精神干渉系の魔法はマグノリア王子のほうが得意だ。もしかしたら、ヴィオレットの記憶も探れるかもしれない。
「だったら、妻を紹介しよう」
「ああ、そうですね。気になっていたんです、ハイドランジアの妻を務めることができる女性を」
引っかかるような言い方をするが、聞かなかったことにして話を進める。
「いつがいいか?」
「ちょうど、今晩空いています。というか、今日以外は空いていないですね」
「だったら、今宵、我が家に来てもらおう」
「……」
ハイドランジアの屋敷の話題を出すと、途端にマグノリア王子の表情が険しくなる。
「どうした?」
「いえ、ハイドランジアの屋敷は、少々不気味だったと思いまして」
「そういえば、言っていたな」
それは、マグノリア王子が八歳の頃の話である。
国王と共に遊びに来た際、千年前から変わらないローダンセ公爵家の内装を見たマグノリア王子は不気味だと泣いてしまったのだ。
「黒い絨毯に、赤い呪文が織り込まれているとか、子どもにとって恐怖でしかないですよ」
「あれは呪文ではない。ただの模様だ」
「そうだったのですね」
屋敷の中は、ヴィオレットが模様替えしている。
マグノリア王子が不気味だと言った絨毯は、すでに倉庫の中にある。今は新しい若草色の絨毯が敷かれているのだ。
「私と同じように、ハイドランジアの妻も不気味だと思っていたようですね」
「不気味とまでは言っていないが」
「分かりました。模様替えをしたのであれば、お邪魔します」
急な話となったが、優秀な使用人達は対応してくれるだろう。ヴィオレットには書簡魔法を使ってマグノリア王子を迎える準備をしておくように伝えておく。
それから、呪いについて話すということも伝えておいた。
◇◇◇
一日の仕事を終え、帰宅する。予定では一時間後に、マグノリア王子がやってくる。
「早く! あと、一時間ですわ!」
廊下が騒がしい。何事かと覗き込んだら、侍女を引き連れているヴィオレットが使用人にてきぱきと指示を飛ばしていた。
「おい、何をしているのだ?」
「あら、旦那様、お帰りなさいまし」
「ただいま帰った。いいや、そうではない。そこで何をしていると聞いている」
「何をって、マグノリア王子がいらっしゃるので、客間と食堂の模様替えを優先的に行うよう、お願いしていましたの」
「模様替えは終わったのではないのか?」
「ぜんっぜん、終わっていませんわ」
現在、絨毯の張替えしか終わっていないようだ。
「最低限、黒いカーテンから花模様のカーテンへの取り換えと、赤い灯りが点るシャンデリアだけでもどうにかしようと思いまして」
「……」
「不気味ですもの」
ローダンセ公爵家の内装が不気味だと思っていたのは、マグノリア王子だけではなかったようだ。
ハイドランジアから書簡を受け取ってすぐに取り換えを開始したので、時間までには間に合うとヴィオレットは胸を張って答えた。
「身支度も、完璧でしてよ」
華美ではない、落ち着いたオールドローズのドレスを纏い、金色の髪は夜の淑女にふさわしく巻いた髪を薔薇細工の櫛で留めていた。
「いかがかしら?」
「……」
反応がないので、ヴィオレットは一歩前に踏み出す。
同時に、ハイドランジアは一歩下がった。
「なんで、後退しますの?」
「お前が接近してくるからだ」
「質問に答えないからですわ」
「近づく必要は皆無だろうが」
「お耳が遠いので、近くで聞いてみようと思いまして」
「誰の耳が遠い、だ! 私はエルフだぞ」
「でしたら、先ほどの質問に答えてくださいまし」
「綺麗だ! これで、満足か?」
「まあ!」
やけくそ気味に叫んだ言葉であったが、ヴィオレットは頬を染めてハイドランジアを見ている。
「なんだ?」
「褒めていただけるとは、思ってもいなかったので」
「……」
喜ばれると、ハイドランジアはだんだん恥ずかしくなる。
小娘の言うことを真に受けず、適当に流しておけばよかったと後悔した。
「旦那様がわたくしを綺麗だと言ってくれたと、バーベナに報告しなくては」
「!?」
その報告は、必要ない。言葉で制するよりも先に、手が伸びていた。
ハイドランジアはヴィオレットの腕を掴んでしまう。
『──んっ、にゃあ!?』
瞬く間に、ヴィオレットは猫の姿になってしまう。同時に、叫んだ。
『にゃんてことですの!?』
そう言ったあと、脱げたドレスの上に着地した。
『わ、わたくし、この姿になったら、最低でも五時間はこのままですのに!』
「……」
可愛いからいいではないか。そんな言葉が喉から出かかって、寸前で呑み込んだ。
『せっかく、マグノリア王子と拝謁するため、綺麗にしていただいたのに』
「お前は、殿下のために着飾っていたのか? そのために、私にどうかと確認したと?」
『何をおっしゃっていますの? 客人がくるならば、身綺麗にしておくのは礼儀ですわ』
「……」
マグノリア王子のために着飾った。その事実は、どうしてか面白くない。
今まで感じたことのない気持ちに戸惑うも、今は気にしている場合ではなかった。
「身だしなみをどうこうと気にするのであれば、ブラッシングをしてもらえ」
『それは、なぜ?』
「鏡を見てみろ。怒ったからか、全身の毛が逆立っているぞ」
『!?』
ヴィオレットは自らの姿を確認しようとくるくる回っている。
『見えませんわ!』
「そうだろう。おい、部屋に連れて行って、毛並みを整えてやれ」
「はっ!」
侍女はヴィオレットを抱きかかえ、私室へと戻っていく。
ヴィオレットは侍女の背中越しに、恨みがましい視線をハイドランジアに投げかけていた。
また、嫌われてしまったようだ。
それから一時間後──ローダンセ公爵夫妻はマグノリア王子を迎えた。
「え~っと、ハイドランジア、本気ですか?」
「本気だ」
猫を妻だと紹介すると、マグノリア王子は明らかに引いていた。
「勘違いするな。これは、猫ではなく人だ」
「えっと……一見して猫ですが、ハイドランジアには猫ではなく人に見えていると?」
「違う! 妻には、異性に触れたら猫になる呪いがかかっているのだ」
「それは──本当ですよね? そういう設定ではなく?」
「正真正銘人だ。おい、ヴィオレットよ、挨拶しろ」
『……』
先ほどのことを怒っているのか、ヴィオレットはぷいっと顔を逸らす。
マグノリア王子の胡乱な視線が、ハイドランジアにグサグサと突き刺さる。
「おい、ヴィオレット、殿下の御前だ。話さないか!」
『……』
ヴィオレットはツンとしていて、話そうとしない。
完璧に、この場では猫を愛し、人と思い込んで結婚した痛い男と化してしまった。