説明エルフと衝撃を受ける嫁
短い時間の中で、さまざまなことが明らかとなった。
まず、悪徳商人トリトマ・セシリアは十年前、ヴィオレットに求婚したこと。その際に、ヴィオレットは呪いの力で猫になってしまった。
トリトマ・セシリアは、父シランが娘を呪ったのではと疑っている。
彼はその話をネタに、ノースポール伯爵家を強請り続け、口止め料を十年間にもわたって請求していたようだ。
ここからが、ハイドランジアの推測である。
十年前、シランは娘を守るためにトリトマ・セシリアを殴り、異性が触れると猫の姿になる呪いを娘にかけたのではないかと考える。
しかしなぜ、そのような事態になったのか。
考えられることは、一つしかない。トリトマ・セシリアがヴィオレットを襲った以外に思いつかなかった。
もしかしたら、シランが娘の結婚に頷かないので、既成事実でも作ろうと考えたのか。
当時のヴィオレットは九歳の少女だ。
少女でなくても絶対に赦されず、ありえないことでもある。
ただ、温和なシランがトリトマ・セシリアに暴行を加えるとしたら、それくらいのことをしでかしてもおかしくなかった。
この推測が正しければ、絶対にこの件を露見させたくないノースポール伯爵家側の主張も理解できる。
わからないのは、ヴィオレットの呪いについて。
シランが暴行事件を起こしたのは、彼が禁書室に来るよりも前の出来事だった。
自分でかけた呪いの解き方がわからないというのはありえない。
魔法の展開は複雑な魔法式を構築し、術を完璧に理解しなければ発動しないからだ。
それに、呪いは術者が死ぬと解ける。
ヴィオレットの呪いが今もなお残っているということは、シランのかけた魔法ではないだろう。
次なる疑うべき相手は、トリトマ・セシリアと手を組んでいる魔法使いだ。
実力はかなりのものと見て取れていた。
遠隔から魔法を使うのは、高等技術を要する。
特に転移魔法は高位魔法であるため、遠隔から使うことは奇跡に等しい。
おそらくその魔法使いの実力は、第二魔法師か、ハイドランジアと同等の第一魔法師である可能性があった。
しかしこれも、呪いについて相手側から動きがないことが気になる。
もしも呪いをかけていたならば、解呪を条件に結婚を申し込んでいただろう。
それがないというのは、どういうことなのか。
トリトマ・セシリアがノースポール伯爵家を脅す材料にしていたので、呪いについて触れなかったのか。
何かがおかしい。
呪いについていくつか推測するも、どれもしっくりこなかった。
別に、呪いをかけた者がいるような気がしてならない。
いったい誰が、なんのためにヴィオレットに呪いをかけたのか。
水晶を通じて、ヴィオレットの姿を覗き込んでみる。
ヴィオレットは絨毯に座り込み、私室で猫じゃらしを使ってスノウワイトと遊んでいた。
すぐ近くには、ポメラニアンがいる。
その様子はどこまでも平和で、楽しげだった。
事件がヴィオレットの心に影を落とさなかったことは、奇跡のようなことである。
一つ、試すべきか否かと悩んでいるものがあった。それは、ヴィオレットの精神に干渉し、記憶にない記憶を甦らせる魔法である。
これはかなりの危険が伴う魔法のため、実行できずにいたのだ。
魔法を発動させた本人にも影響があるため、試せないでいる。
今、ハイドランジアにできることは、ヴィオレットを守ることだ。
ハイドランジアとヴィオレットが夫婦関係にあると判明したため、相手方が何か動きを見せるだろう。
幸い、ヴィオレットはローダンセ公爵家から出ることはできない。
この屋敷は何者も侵入できないよう、初代当主が魔法をかけてある。
一見普通の屋敷のように見えて、難攻不落な無敵要塞のような造りになっているのだ。
そのため、ヴィオレットはここにいる限り安全である。
ただ、もしもということもあるので、なんらかの対策も増やさなければならない。
とりあえず、ヴィオレットを呼んで話をすることにした。
◇◇◇
ヴィオレットは腕にスノウワイトを抱き、ポメラニアンを引き連れてやって来た。
眠っていたスノウワイトはハイドランジアの視線に気が付くと、警戒するように『ふー!!』と鳴いている。
その後、ヴィオレットの腕から飛び下り、ハイドランジアの私室から出て行ってしまった。
入れ替わりにポメラニアンがヴィオレットの膝に座る。
ポメラニアンはふんと、小馬鹿にするような鼻息を立てていたので、ハイドランジアは渾身の睨みをお見舞いした。
結果、ポメラニアンはわざとらしくため息をつくと、ヴィオレットの膝から下りて部屋から出て行った。
「あなた、本当に小さな生き物には好かれませんのね。これも、魔力のせいですの?」
ヴィオレットの同情と憐憫が滲んだ言葉を聞いて、ハッとなる。
もしかしたら、スノウワイトはハイドランジアの魔力に苦しんでいる可能性があるのだ。
魔力遮断のリボンを用意したら、警戒も解かれるかもしれない。
魔道具の作成は安易ではないが、娘との交流のため頑張ろうと胸に決意の火を灯す。
「それで、何用ですの?」
「先ほど、お前の実家に行ってきた」
「あら、そうでしたの。お兄様はお元気でしたか?」
「ああ。顔色は今までの中で一番よかったぞ」
兄の近況を聞いたヴィオレットは、安堵するように胸に手を当てていた。
「わたくしの実家には、どのようなご用件で訪問を?」
「お前の魔法属性と魔力について、知っていたか聞きにいったのだ」
「そう、でしたのね」
父シランと兄ロジーは真実を話さずに黙っていた。ヴィオレットにとって、腑に落ちないことだろう。
ヴィオレットは膝の上にあった手で、ぎゅっと拳を作っている。
「お父様とお兄様はなぜ、そのようなことをなさったの? わたくしが大きな魔法の力を使いこなせないと思ったから? それとも呪いのせい?」
「それは、どちらでもない。お前のことを想った結果、教えなかったのだろう」
大きすぎる魔法の力は、現代では役に立たないこと。それから、女性の魔法使いはやっかみを受けやすく、魔法師団へ入団しても苦労することが目に見えていること。
それらの事情が、魔法を教えなかったことに繋がっている。
「女性が魔法使いになることは、荊の道だ。きっと、お前の父は女性として平凡だけど幸せな生涯を送ってほしいと思ったのだろう」
「……」
親の心、子知らずというのは異国の言葉だったか。
子を想って親がしたことを、どう思うかはそれぞれだ。
ヴィオレットは何を思ったのか。そっと見てみる。
彼女の伏せた睫毛が、白磁のような肌に影を落としていた。
魔法に憧れ、習いたいと懇願していたのに、それはダメだと言われ続けた。
その原因が今、判明したのだ。複雑だろうことは見て取れる。
「あなたは、どうして教えてくださったの?」
「お前のことだから、知らせるべきだと思ったのだ。私はどうも、相手を想って隠し事をするということは好きではない」
ヴィオレットのことは、ヴィオレットが一番に知るべきだと思っている。
隠すことによって、本人が得るべきものは何もないと考えていた。
「お前はずっと、父や兄に守られていたのだ。しかしこれからは、そうもいかないだろう」
もちろん、結婚した以上ハイドランジアもヴィオレットを守るつもりでいた。
けれどそれにも限界がある。
ヴィオレットの傍にいられる時間は短く、もしも妻か仕事かと迫られた場合仕事を取らなければならない。
国家に忠誠を誓う、ローダンセ公爵家の定めなのだ。
「もしも、お前自身に危険が迫った場合、自分で判断をしなければならない。その時、何も知らなかったら、判断を誤ってしまうだろう」
だから、ハイドランジアはこれから先もずっとヴィオレットに隠し事はしない。
これだけは変わらずに、確かなことだと言えるだろう。
「ひとつ……」
「ん?」
ヴィオレットは顔を上げ、まっすぐにハイドランジアを見る。
眉尻は下がって瞳は潤み、いつもの生意気も鳴りを潜めていた。
「一つが、どうした?」
珍しく弱気な態度を見せているヴィオレットを、ハイドランジアは心配する。
「今、思い出して……」
それは、猫になる呪いがかかる数年前の記憶だという。
「たぶん、四歳か、五歳くらいだったかと」
魔力属性と魔力量を知りたかった幼いヴィオレットは、父に調べてほしいと頼み込んだ。
「しかし、父はわたくしに魔法はまだ早いと反対して──」
ヴィオレットは諦めなかった。三日三晩シランに頼み続け、誕生日祝いの代わりに魔法使いを招いて調べてもらう約束をこぎつけた。
「わたくしの誕生日当日、父の知り合いだという、魔法使いがやってきました」
その者の記憶は酷く曖昧で、全身をすっぽりと覆う外套を纏って現れたということのみ覚えているようだ。
性別も、年齢も、声色でさえ記憶の中にはっきりと残っていないという。
「ただ、記憶に残っているのは、わたくしの魔力量を調べるさいに、手を翳すだけで分かったということだけ。あなたが調べた方法とは、違いましたわ」
ハイドランジアはすぐにピンとくる。それは、魔眼による『鑑定』の能力だろう。
魔眼は瞳に多くの魔力を有しており、視るだけで物の本質を見抜く力がある。
他に、睨んだだけで相手をその場から動けなくさせたり、委縮させたりすることも可能だ。
高位の魔眼を持っていたら、睨んだだけで対象を呪うこともできる。
「今思えば、わたくしを呪ったのは、その魔法使いだったのかと」
「それは誰なんだ?」
「それが、記憶にありませんの。あの日以降、魔法使いが来ることはありませんでしたわ。ただ、その日以降父と付き合いのあった商人トリトマ・セシリアがよく家を出入りするようになったので、彼の知り合いかと」
やはり、ヴィオレットの呪いに例の魔法使いが関係しているのか。
「もしも、過去のできごとについて知りたいのであれば、魔法で探ることができる」
「!」
「だが、それは術者である私を心から信用していないと、失敗する可能性が高い」
それは対象となるヴィオレットだけでなく、術者であるハイドランジアも危険な目に遭う。精神世界に引っ張られ、二度と目覚めなくなる可能性がある危険な魔法なのだ。
「今の私達では、失敗する可能性が高い」
「ええ」
「だが、いつか試したいと思っている」
その時は協力してほしい。そう願うと、ヴィオレットは躊躇いの表情を見せたのちに、考えさせてほしいと言葉を濁した。
◇◇◇
一度に、たくさんの話をしてもらった。
ヴィオレットはすっかり元気がなくなってしまっている。
バーベナを呼んで、ヴィオレットを私室に連れて行くように命じた。
一度にいろいろ話をしすぎたのかもしれない。
さすがの彼女も、衝撃を受けているように思えた。
立ち上がった瞬間ヴィオレットはよろめき、バーベナが体を支えていた。
今まで見たこともないほど、顔色が悪くなっていた。
「我が妻よ」
部屋から出て行く前に、引き留める。
ヴィオレットへ手を翳すと、祝福の魔法を発動させた。
──祝福よ、不調の因果を癒しませ
白く発光する魔法陣が出現し、パチンと音を立てて消えていった。
祝福の魔法は、回復魔法ほど効果のあるものではない。気休め程度に気分がよくなるだけだ。
しかし、ヴィオレットへは効果てきめんだったようだ。
頬に色味が戻り、真っ青だった顔色がみるみるうちによくなる。
「これが、祝福の魔法だ。お前に最初に教える魔法でもある」
「!」
ヴィオレットはハッとなり、瞳に光が宿った。
「次に、早く帰れた時に伝授しよう」
「あ、ありがとうございます」
「今日はゆっくり休め。考えごとはするなよ」
「ええ、わかりましたわ」
ヴィオレットは淡く微笑み、スカートの裾を摘まんで淑女の挨拶を返す。
そして優雅にスカートを翻しながら、部屋を出て行った。
扉がバタンと閉まるまで、ハイドランジアはその様子に見とれていた。
誰もいなくなった部屋で、我に返る。ため息を一つ落とし、椅子にどっかりと腰を下ろした。
「ポメラニアン」
名を呼ぶと、小型犬にしか見えない大精霊が現れる。どこにいても、こうして呼ぶことができるのだ。
『どうした?』
「今回の件を、どう思う?」
『どうもこうも、人間の愚かな野心が錯綜しているようにしか思えぬぞ』
「だな」
『それで、どうするのだ?』
「相手の出方を待つのは、面白くない」
『だが、魔法使いの拠点への潜入は危険ぞよ』
「ふん。魔王退治へ同行した経験のある大精霊とは思えない発言だな」
『あの時は、頼もしい勇者がいたのでな』
ローダンセ公爵家の屋敷が要塞のような造りになっているのと同じように、相手方の拠点も侵攻を許さない仕かけはなされているはずだ。
安易な気持ちで近づくと、返り討ちにあってしまう。
「もしも対峙するならば、魔法使いの拠点でないほうがいいだろう」
『そうだな』
それから、幻獣スノウワイトが成獣になってからのほうがいい。
「あれはヴィオレットを守る、最大の盾となるだろう」
『高位幻獣を手にするとは、お主らの引きの強さには、驚いたぞよ』
「魔法屋に感謝しなければならないな」
とりあえず、魔法使いとは接触しないほうがいい。
「準備が整うまで、ヴィオレットの傍にいてくれ」
『言われずとも、そのつもりだ』
そう言い残し、ポメラニアンはヴィオレットのもとへと帰っていった。