幸せエルフととんでもない事態
ヴィオレットがそっと手を引いたので、光は収まった。
呪文を唱え、部屋にあるすべての魔力灯に灯りを点す。
『わたくしの魔力、どうでしたの?』
話したほうがいいのか、話さないほうがいいのか。
ハイドランジアは悩む。
ここで、今まで謎だった点と線が繋がったような気がした。
シランは恐らく、ヴィオレットの魔力属性と魔力量に気づいていたのだろう。
だから、魔法を習わせなかった。
魔法使いの九割以上は男性だ。女性で魔法を使える者はごく僅かとなっている。
魔力師団にも女性はいるものの、全体の一割以下。
魔法を使えると知ったら、誰もが魔法師団に入りたいと望むだろう。
ヴィオレットが苦労すると分かっていて、魔法を習わせなかったのか。
本人が亡くなっている以上、確かな情報はないが。
『あの、いかがなさいました?』
ヴィオレットは不安そうに、ハイドランジアを覗き込む。
もう、炎属性を持っていると言ってしまった。いまさら、隠すことなんてできない。
ハイドランジアは真実を彼女に伝えた。
「お前の魔力量は、国一番の魔法使いである私のものより遥かに凌駕している」
『な、なんですって!? それは、本当ですの?』
「嘘をついて、私になんの得がある」
『そ、そうですが──』
魔法を会得し、炎魔法を使いこなしたら、英雄の名を冠することができる魔法使いになれるだろう。
ただそれは、魔王の出現や戦争を行う世の中であれば、だ。
今現在、リリフィルティア国は平和である。魔物も騎士隊が討伐し、目立った被害はない。
ここでも、シランが魔法を教えなかった理由の一つを推測できた。
大きな炎の力を持っていても、役立たせることができない。
ヴィオレットは生まれる時代を、間違ってしまったのだろう。
「お前の父は、魔法を覚えさせても能力を活かす場がなく、燻ぶらせるだけだろうと思ったのかもしれない」
『そう、でしたのね』
「それに、魔法師団は男所帯だ。女であるお前が、苦労することを予想していたのだろう」
『……』
気が強い上に周囲を凌駕するほどの能力があれば、確実に妬まれる。
ノースポール伯爵家は、彼女を守れるほどの地位や名声がない。
娘に平凡な人生を送らせるため、敢えて魔法を教えなかったのかもしれない。
『わたくしは別に、魔法師団に入りたいとか、魔法を使って活躍したいとか、これっぽっちも考えておりません』
「魔法を会得したあと、同じことを言えるか分からんがな」
『ありえませんわ』
ヴィオレットが憧れているのは、暮らしをほんのちょっとだけ豊かにする生活魔法らしい。
『魔法で灯りを点けたり、扉を開いたり、スープをコトコト煮込んだり。魔法が使えたらいいなと思うのは、そういう場面です』
大きな力を使えるようになることは、望んでいないと言う。
『わたくしは、魔法の力を武力として使いません。契約書が必要ならば、書いて捺印いたします』
「肉球でか?」
『必要であれば』
「分かった。ならば、私はお前に魔法を伝授しよう」
ハイドランジアは手のひらを、ヴィオレットへ差し出す。
『なんですの、その手は?』
「契約内容は頭に叩き込んである。あとは、印鑑をもらうだけだ」
『手のひらに、肉球を押せとおっしゃりたいの?』
「そうだ」
『……』
ヴィオレットは目を丸くしながら、ハイドランジアに問う。
『それって、意味はありますの?』
「大いにあるぞ」
『……』
ヴィオレットは盛大なため息をつき、ハイドランジアに近づく。
そして、広げられていた手のひらに、ぎゅっと肉球を押しつけた。
その瞬間、ハイドランジアは幸せな気分で心が満たされる。
肉球のなんと柔らかいことか。強めに押し付けられた肉球は、ぷにぷにだ。
神に触れられた時の触感は、これに違いないと確信する。
『これでよろしくって?』
「あ、ああ。そうだな。問題ない」
そう言うと、ヴィオレットはハイドランジアの手のひらから前足を降ろす。
『あら、これは、どうなさいましたの?』
ヴィオレットがハイドランジアの手の甲の傷に気づいた。それは先ほど、彼女の可愛さに耐えるため、羽根ペンの先を当てていた部位である。血がでないように突き刺していたのに、いつのまにか皮膚を破って出血させていた。
「それは、別に、大した傷ではない」
『でも、なんだか痛そうですわ』
そう言って、ヴィオレットはハイドランジアの傷口に触れる。
ぷにっと、再び肉球が押し付けられた。
「──っ!」
『ほら、痛みがあるのではありませんか』
「治った」
『はい?』
「いや、これしきのこと、魔法で治せる」
回復魔法で傷を癒すと、ヴィオレットは治癒した部位を見つめて息を呑んでいた。
『これが、回復魔法!』
「そうだ」
低位のものであれば、ほとんどの魔法使いが使える。
『わたくしにも、使えるということですの?』
「ああ、そうだ。お前ほどの魔力量であれば、中位の回復魔法くらいまで使えるかもしれない」
上位の回復魔法は、風属性が必要となる。
「回復魔法も、必要であれば伝授しよう」
『よろしくお願いいたします!』
本日の授業はここまでとしておく。
ヴィオレットをポメラニアンやスノウワイトと共に、転移魔法で寝室まで送った。
ちなみに、スノウワイトは持ち上げようとしたらハッと目覚め、ポメラニアンは抱き上げても目覚めなかった。
『旦那様、本日はありがとうございました』
「ああ。次はいつになるか分からないが、近いうちにできたらと思っている」
『楽しみにしていますわ』
そんな言葉を交わして、この日は就寝することとなった。
◇◇◇
翌日、仕事を終えたハイドランジアは、先触れなくノースポール伯爵家を訪問した。
支援を有効に使っているようで、屋敷の中は明るくなり、使用人の数も増えていた。
客間で出迎えたノースポール伯爵は、ぺこぺこと会釈しながらハイドランジアを迎える。
今日はすぐに紅茶がでてきた。
「突然すまなかった」
「いえ、いつでも訪問されてください」
ノースポール伯爵の顔色はぐっと良くなり、初めて晴れやかな表情を見せる。妹のことは、長年悩みの種だったのかもしれない。
「今日は、聞きたいことがいくつかあってな」
「なんでしょうか?」
「ヴィオレットの所有する属性と魔力量について、だ」
ノースポール伯爵は自らを偽れない性分なのだろう。ハイドランジアが話題を出した瞬間、目を見開き表情を強張らせる。
これは、知っている者の顔だった。
「どうやら、分かっていて隠していたようだな」
「そ、それは……」
「なぜ、黙っていた?」
「……」
「父親に、口止めされていたな?」
「……」
ノースポール伯爵の顔色が、どんどん悪くなっていく。この場合、沈黙は肯定を意味する他ない。
「妹であるヴィオレットが珍しい魔力属性を持ち、多大な魔力量を有するという事実を知らせることは、お前達にとって不都合が生じるようだな」
ここまで言っても、ノースポール伯爵は唇を噛みしめ、真実を語ろうとしなかった。
自白魔法が効かないことは確認済である。だから、今回は試そうとも思わない。
「まさか、私が魔法研究機関に、妹を差し出すと思っていたのか?」
「いいえ、そのようなことは決して思っておりません」
「ではなぜ、隠していた?」
「……」
またもや、ノースポール伯爵は口を閉ざす。
理由がわからず、ハイドランジアは眉間に深い皺を寄せた。
「ヴィオレットのことは、悪いようにはしない。生涯、夫として守ることを誓おう。ただ、知らなければ守れないこともある」
「!」
何か起きてから知るのでは遅い。今、知ることが重要なのだ。
「ノースポール伯爵、教えてくれ」
「そ、それは──」
ノースポール伯爵のぎゅっと握りしめていた手が、開かれる。
ようやく、話をしてくれるつもりになったようだ。
しかし、ここで邪魔が入った。
「邪魔だ、退け! 俺は、伯爵に用事があるんだよ!!」
粗野で乱暴な声が廊下に響き渡る。
遠慮なく開かれた扉の先にいたのは──四十代くらいのがっしり体型の男性。
ハイドランジアには視覚えがあった。ある調査書に、姿絵があったのだ。
「トリトマ・セシリア──!」
それは、ノースポール伯爵家から財産を搾り取っていた悪徳商人である。