教師エルフと教え子の嫁
夕食後、ヴィオレットへ地下の書斎に来るように言っておく。
ハイドランジアは時間ぴったりに転移魔法で移動し、扉の前に着地した。
いつもならば直接部屋に下り立っていた。だが、先日ヴィオレットを驚かせてしまったことを反省し、移動先は扉の前にしておく。
念のため戸を叩くと、すぐに返事があった。ヴィオレットはすでに、書斎に来ていたようだ。
扉を開くと、ヴィオレットは立ち上がって会釈する。
「おかえりなさいませ、旦那様。本日はお疲れの中、このようなお時間を取っていただき、まことに感謝しております」
ヴィオレットの殊勝な態度に、ハイドランジアは何と言葉を返していいのか分からなくなる。いつもの生意気な様子は鳴りを潜めていた。
周囲を見回したが、侍女は連れていない。扉の向こうにもいなかった。
「バーベナや他の侍女はどうした? 一人で来たのか?」
「ええ。もう時間が遅かったので、下がらせましたの」
若い男女が密室で二人きりという状況を、ヴィオレットは受け入れているようだ。
屋敷の中とはいえ、女性の一人歩きは危険だ。そう指摘すると、部屋の隅にポメラニアンとスノウワイトが転がっているのが見える。
「彼らがわたくしの騎士ですの」
ポメラニアンは腹を見せて寝転がり、スノウワイトは丸くなって寝ていた。
騎士の本日の営業は終了しているようだ。
「……」
「なんですの?」
「いや、寝室に来た時は怒っていたから、侍女を要塞代わりに待っていると思っていたのだ」
「この前は、突然やって来たから驚いただけで……今日は別に勉強を教わるだけですし、それだけであれば、わたくし一人でも構いませんわ」
「なるほどな」
二人きりになるだけだったら、抵抗はないと。
ヴィオレットにとって、ハイドランジアは意識する異性ではないと言っているようなものであった。
微妙に面白くない気分になるも、今はそんなことを気にしている場合ではない。
今、ヴィオレットに魔法を教えることがもっとも重要なことだ。自らの感情には、そっと蓋をする。
「さて、本題に移るが──」
円卓には書き取りをする覚書に、羽根ペン、インク壺、そして紅玉杖が置かれてあった。準備は万端のようだ。
「さっそく、授業を開始するぞ」
ヴィオレットは居住まいを正し、はきはきとした口調で「よろしくお願いいたします」と返した。
「まず、お前の魔力の属性を調べる。四大属性は知っているか?」
「ええ。火、水、風、土、ですわ」
「そうだ。人の魔力の属性は、だいたいこの四つに分かれている」
それ以外の属性もごく稀に存在する。
大精霊の祝福を受けた属性で、百年に一人いるかいないかの稀なるものだ。
「炎、氷、嵐、雷──中でも珍しい属性が闇、光だ」
「魔王と勇者が持つ属性ですわね」
「光あるところに闇がある。この二つの属性は、同じ時代に出現すると云われている」
千年前、魔王退治をするためポメラニアンを召喚したリリフィルティア国の王子ディセントラは光属性だった。彼は大精霊の召喚を成功させ、ローダンセ公爵家の初代であるシオンを仲間に引き入れた偉大なる勇者の一人である。
「だが、勇者が光属性であるとは限らない」
稀に、光属性は勇者でない者が授かる場合もあった。女性である場合は、聖女と呼ばれていた。
闇と光の属性を持つ者の話の多くは物語となり、子ども達の憧れとなっている。
ヴィオレットも幼いころから勇者と魔王の話は何冊も読んでいたらしい。
「わたくし、自分がどんな属性を持っているのか、知るのが夢で」
「そう思っている者は、案外多いみたいだな」
今まで何度か、属性を調べてくれと頼まれたことがあった。しかし、たいてい属性なしであることを知って終わる。
魔法を使える属性を持つ者は、ごく一部なのだ。
「属性はこの水晶で調べることができる。魔法はかけてあるから、あとはお前が触れるだけだ」
属性検査用の小さな水晶を取り出すと、ヴィオレットは頬を染めてほうと息をはく。
彼女の夢の一つが叶う瞬間が、とうとうやってきたようだ。
「ちなみに、私が確認すると、このようになる」
ハイドランジアは手のひらにあった水晶を包み込むように持つ。すると、水晶は赤くなったあと水色に染まり、そのあと緑色と土色に変わっていく。
火、水、風、土、四つの属性を持っているという証だ。
「さあ、お前も試してみるとよい」
「ええ!」
机に置く前に、ヴィオレットはハイドランジアの手のひらから水晶を取る。すると、彼女の姿はみるみるうちに猫の姿へとなった。
『んっ、みゃあ!?』
着ていたドレスはすとんと床に落ち、ヴィオレット自身の姿も耳しか見えないようになる。
「お前は、何をしているんだ」
『……ご、ごめんなさい。つい、嬉しくって』
猫化の呪いをすっかり忘れていたようだ。ヴィオレットは机に跳び乗ったあと、がっくり項垂れている。
思わず撫でて励まそうと思ったが、触れる直前でヴィオレットが顔を上げた。同時に、ハイドランジアの手も止まる。
宙に浮いた手は、ヴィオレットの前から水晶のあるほうへ伸ばされるという、おかしな動きをする結果となった。
『わたくしったら、本当に何をしているのでしょう』
「まあ、気にするな。今宵は魔力属性と魔力量を調べるだけで、書き取って覚えるようなことはしない」
『ええ……』
そうは言っても、ヴィオレットはしょんぼりとしていた。
すでに、彼女が持参した覚書にはびっしりと文字が書かれている。ハイドランジアの話を、聞きながら書いていたようだ。
ヴィオレットは自身の不注意に苛立っていた。毛を逆立させ、尻尾を机にパタパタと打ち付けている。
拗ねた姿も、なんとも可愛い。ハイドランジアはじっと愛でている。
『あとで読み返すのを、楽しみにしていましたのに』
「別に、珍しい話はしていないだろう。すべて、初歩的な魔法の知識だ。参考書にも書いてある」
『魔法使いであるあなたからのお話は、大変貴重なものですの。お父様は、何も教えてくださらなかったし』
しょんぼりとするヴィオレットは、とてもいじらしかった。「愛いヤツめ」と言って撫でまわしたい衝動に襲われるものの、行動に移したら怒ることは分かり切っている。
ハイドランジアは机の上の羽根ペンを手に取って、膝の上にある手を血が出ない程度に突き刺して耐えた。
『どうしましたの?』
「なんでもない」
とりあえず、属性を調べるように勧めた。
ヴィオレットは項垂れつつも、猫の手を水晶へと伸ばす。
ぺたりと、水晶に肉球が触れた。同時に、彼女の属性を映し出す。
水晶は真っ赤に染まった。
『これは、火、ですわ!』
「いいや、違う」
水晶が映し出したのは、火属性の赤よりも紅いもの。即ち、炎だ。
「お前は、炎属性だ」
『わ、わたくしが、炎属性、ですって』
非常に珍しい、世界的にもあまり例のない炎の属性である。
だったら魔力量も、相当あるはずだ。
ハイドランジアは棚から瓶と硝子の器を取り出した。
『それはなんですの?』
「魔力量と質を調べる水と器だ」
水に指先を浸すと、発光する。その水の光り方で、保有する魔力量を知ることができるのだ。
これも、魔法屋で購入した一式である。
ハイドランジアは器に水をほんのちょっとだけ注ぐ。
「この水に、浸すだけで魔力量が分かる」
まず、ハイドランジアが試してみる。魔力灯を消して指先をちょこんと浸すと、部屋の中が光りに包まれた。
『す、すごい……! これが、あなたの魔力、ですのね』
「そうだ」
ハイドランジアの魔力は国内一。これ以上光る者は、今まで見たことがない。
今度はヴィオレットに試すよう、命じた。
『ドキドキしますわ』
「念のため、目は閉じておけ」
一応、発光で失明しないよう防御の魔法はあらかじめかけられているが、それでも眩しく感じるのだ。
ヴィオレットはぎゅっと目を閉じ、水の入った器に手を浸した。
すると、水は発光する。
じわじわと光っていたが、途中からパチパチと閃光が弾け、耐性があるハイドランジアでさえも眩しく感じるほど光った。
「なんなんだ、これは──!?」
部屋の中が光で満たされ、真っ白になる。
驚くべきことに、ヴィオレットはハイドランジア以上の魔力量を有していたのだ。
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