帰宅エルフと気の毒な嫁
結局帰宅は日付が変わるような時間になってしまった。
主人が帰宅を果たしていないため、使用人達も休んでいなかったようだ。
家令のヘリオトロープが仕分けた急ぎの書類を眺めながら、用意されたサンドイッチを食べ紅茶で流し込む。
かつて教育係も務めていたバーベナが見たら悲鳴を上げそうな状況であるものの、時間がないので仕方がない。
恒例のバーベナからの報告は、書面に書かれていた。
今日のヴィオレットは、地下室で魔法書を読み、昼からは屋敷の模様替えの計画を行ったようだ。
「模様替え、だと?」
どういうことかと、ヘリオトロープに問いかける。
「奥様はこの屋敷が少々暗いとおっしゃり、客間や玄関を明るくしたいと」
たしかに、ローダンセ公爵家の屋敷は全体的に暗い。それは、千年もの間家具も絨毯も、替えていないからだ。劣化防止の魔法がかかっているため、取り換える必要がないのだ。
「奥様は、魔法にお詳しいのですね」
「まあ、多少な」
模様替えをしようと思ったのも、劣化防止の魔法の仕組みに気が付いたからだという。
「劣化防止の魔法は、家具や絨毯にかかっているのではなく、屋敷自体にかかっているとお気づきになり、だったら、替えてもいいのではないかとおっしゃっておりました。合っておりますか?」
「ああ、そうだ。間違いない」
ヴィオレットは使用人を集め、どんな家具や絨毯、カーテンがいいか聞き、その意見を反映する形で内装を決めたようだ。
「後日、絨毯商や家具職人、布物商を呼んで商談したいとおっしゃっていますが、いかがなさいますか?」
「別に構わん。任せておけ」
商人ならば、ヴィオレットに近づくこともないだろう。ただ、男は近寄らせないようにと、重ねて注意しておく。
「あと、奥様からの伝言なのですが」
「なんだ?」
「旦那様がご帰宅されたら、お話ししたいと」
「まだ起きていたのか」
「もしも、不都合があればお断りしても問題はないとおっしゃっていたようです」
すっかり深夜になってしまったが、魔法を教わるつもりなのか。
ヘリオトロープは「お断りいたしますか?」と聞いてくる。
「いや、別に構わない。ここにある書類に目を通したら、あれの部屋に行くとしよう」
「では、そのように侍女に言付けしておきます」
サンドイッチを食べつつ、書類に目を通し必要あらば承認の署名をする。
仕事を終え、背伸びをする。懐に入れてある懐中時計の蓋を開く。日付が変わってから一時間経過していた。ヴィオレットはまだ起きているのか。水晶で確認する。
すぐに寝台が映し出された。ヴィオレットは円卓に置いた小さな角灯の灯りで本を読んでいるようだ。
傍らに、ポメラニアンとスノウワイトが寝転がっている。共に、ぷうぷうと腹が膨れているので、すでに眠っているのだろう。
部屋は暗くなっていたものの、ヴィオレットはまだ起きていた。
ハイドランジアは転移魔法を使い、寝室まで移動した。
ヴィオレットの寝室に着地した瞬間、大きな悲鳴が上がった。
「きゃあああ~~~!!!!」
同時に、枕が飛んできて、ハイドランジアの顔面に命中する。
枕がぽてんと落ちた瞬間、ハイドランジアも叫んだ。
「何をするんだ! 私だ!」
「何をって、突然現れたら誰だって驚くでしょう!?」
「お前が話をしたいというから来てやったというのに、なんだ、その態度は!」
「確かにそう言いましたが、女性のもとを訪問する時はまず、侍女に言って部屋の外で待っておくものですわ!」
「それは未婚女性を訪ねる際の礼儀だ。お前は、私の妻だろう」
「た、確かに、そうですけれど、こんな深夜に、暗闇から突然人が現れたら、あなたは冷静でいられて?」
「……」
それはそうだと、ハイドランジアは心の中で同意を示す。
魔法に慣れていないヴィオレットは、魔法の気配も感じなかったはずだ。それを思ったら、気の毒なことをしたと反省する。もちろん、心の中で。
こんな言い合いをしていたのに、ポメラニアンとスノウワイトはぐっすり眠っている。
ヴィオレットは欠伸をかみ殺していたようなので、本題に移ることにした。
「して、何用だ」
魔法を習いたいというのはわかっていたが、向こうから頼まないと教えてやらない。このような姿勢だった。
「いえ、別に、夜遅くまで働いていると聞いていたものですから、一言労いたいと思っただけで」
「労い、だと?」
「ええ。こんな夜更けまで、お仕事ごくろうさまです」
ヴィオレットはぷいっと顔を背けながら言った。
「用件は、それだけなのか?」
深い溜息を落としたヴィオレットは、もう一言付け加える。
「ゆっくりお休みになってくださいまし! これでよろしくって?」
「他に、用事は?」
「ありませんわ」
「……」
「なんですの?」
てっきり、魔法を習うために起きていたと思っていたので、意外な用件に驚いてしまったのだ。目を瞬かせていると、ヴィオレットはボソボソと小さな声で呟く。
「皆、あなたのことをなんでもできる超人のようにおっしゃりますが、わたくしから見たらただの人にも見えます。食事を抜いたり、睡眠時間を削ったり、なさらないでください」
「どうして、そのようなことを思ったのだ?」
「あなたの家の、家系図を見て……お義父様とお義祖父様が、その……」
ハイドランジアの父親と祖父が若くして亡くなったことを言いたいのだろう。
言われてみれば、確かに二人共深夜まで働き、食生活も偏っていたように思える。
不養生が仇となって早死にしたのであれば、ハイドランジアも気を付けなければならない。
「私が死んだほうが、都合がいいだろう」
「どういう意味ですの?」
「遺産がお前の手元にいって、気ままに暮らせる」
「そんなことありません。この豊かな生活を送ることができるのは、あなたがいるから叶うもので──感謝していますわ、それなりに!」
予想外の殊勝な態度に、調子が狂ってしまう。
ヴィオレットはもっと我儘で、自分勝手で、派手な女性だと思っていた。
しかし、本当の彼女は夫を慮ることができる稀なる女性だった。
呪いさえなければ、引く手数多だっただろう。
「気の毒な女だ」
「わたくしが、気の毒?」
「そうだ」
ハイドランジアはヴィオレットに手を伸ばし、頬にそっと触れた。
すべすべとした、瑞々しい肌に指先を滑らせたのは一瞬のことで、彼女の姿は魔法陣の光に包まれる。
その姿は美しい女性のものから、金色の毛並みを持つ美しい猫に変わった。
ヴィオレットは突然の接触に驚き、まんまるの瞳でハイドランジアを見上げる。
『なっ! わ、わたくしに、触れないでくださる!?』
「お前は、私の妻だろう? 触れて、何がおかしい?」
『それはそうですけれど……。そんなことより、わたくしのどこが気の毒だと言うのです?』
「私のような男と結婚することになったからだ」
そう言いながら、人差し指の背でヴィオレットの頬を撫でる。すると、不快感を覚えたようで毛がぶわりと膨らんでいた。
分かりやすい拒絶を前に、ハイドランジアは手を引く。
「もう眠れ」
『言われなくても、ぐっすり朝まで眠りますわ!』
そう宣言し、ヴィオレットは丸くなって眠り始めた。
とても愛らしい、寝姿である。
寝台の上には、ポメラニアンとスノウワイト、ヴィオレットという毛並みの美しい獣が寝そべっている。
ハイドランジアもここで眠りたい。ポメラニアンはともかく、猫科生物であるスノウワイトとヴィオレットに囲まれて眠るなど、夢のようだ。
と、そんな妄想をしていたが、一晩中ヴィオレットが耳元でシャーシャー言いそうなので止めておいた。
「おやすみ、我が妻よ」
返事は期待していなかったが、ヴィオレットは律儀に「おやすみなさいませ!」と言った。
我慢できず、その場で笑ってしまう。
『あなた、何がおかし──』
怒りの言葉を受けている途中で、転移魔法が発動してしまった。
夫婦の時間は終了となる。