女難エルフとモテる者の悩み
「ローダンセ閣下に敬礼!」
今日も、魔法師団の団長を務めるハイドランジアは、朝から閲兵を行う。
月に一度、こうして可能な限りの隊員を集め、整列させて検閲をするのだ。
きれいに揃った敬礼を見ながらハイドランジアは思う。よくぞ、これだけの魔法使いが育ったと。
水晶杖で地面を叩き、片手を上げると、皆一斉に靴の踵を鳴らした。
魔法師団の中庭に、ずらりと並んだ団員の数は約三千人。千年前、初代のローダンセ家当主が魔法使いの軍隊を始めた時は、たった五名しかいなかったという。
千年の間に、魔法使いをこれだけ増やしたのだ。
それは、王家の支援あっての賜物である。
ただ、師団と名乗るには少ない。これは、いずれ数万の魔法使いを従える組織でありたいという願いが込められているという。
エルフであるローダンセ家とリリフィルティア国王家は古くからの盟友で、千年に渡って親交を深めてきた。
王太子、マグノリアは十歳年下の十六歳。彼に魔法を教えたのは、ハイドランジアだ。
師弟関係は今も続いており、今日も大事な用事があるからと呼び出されている。
閲兵を終え、副官から報告を聞いて裁決を下し、届いた手紙を読む。
マグノリア王子との約束は昼過ぎにということだったので、ハイドランジアは執務室を出た。
廊下を歩いていると、メイドとすれ違う。彼女らは廊下の脇に避け、頭を下げていた。
通り過ぎたあと、喋り声が聞こえる。
「きゃあ! ローダンセ閣下よ!」
「素敵! いつか見初められないかしら」
エルフは耳が良い。遠く離れていても、声を拾うことがある。
メイドたちの会話を聞いたハイドランジアは、ぞっと肌を粟立たせる。
何を隠そう、彼は大の女嫌いなのだ。というのも、理由がある。それは、恵まれ過ぎた家柄が事件を巻き起こしてしまったのだ。
国内でもっとも優良な結婚相手として、ハイドランジアは注目を集める。
社交界デビューの年は、ひっきりなしに縁談が持ち込まれた。
そして、縁を持とうとした女性が、ハイドランジアのもとに押しかけたのだ。
女性たちは互いにけん制しあい、醜い喧嘩を行った。
時に、媚薬入りの紅茶を飲まされ、危うく既成事実を作りそうにもなった。
他にも、偶然を装ってぶつかってきたり、職場や家に押しかけたり、わざと魔法を絡めた事件を起こして関係を持とうとしたりと、あの手この手を使ってハイドランジアに近づこうとしていた。
そんなことが繰り返されるうちに、ハイドランジアは女性という存在すべてに嫌悪感を抱く。
皆、ハイドランジアを見ているわけではなく、ローダンセ公爵家の財産と過去の栄光しか見ていないのだろう。
そんな相手をローダンセ公爵家に迎え、家の中をめちゃくちゃにされたらたまらない。
ハイドランジアは降ってかかる縁談を、小さな羽虫を追い払うように無下にした。
おかげで、『孤高の貴公子』だの、『氷の公爵』だの、不名誉な呼び方が広まっている。
いつか結婚しなければならないことは分かっていたが、それは決して今ではない。
それに、他にも叔父や従弟がいる。ハイドランジアでなくても、彼らの子が公爵家を継いでもいいのだ。
そんな理由で、孤高の貴公子ハイドランジアは今も独身を謳歌している。
指定された部屋にたどり着くと、マグノリア王子が優雅に足を組んでいた。
ふんわりとした癖のある赤髪に、知的な銀の瞳を持つ美少年である。
「忙しい時に呼び出してしまい、申し訳なかったですね」
「いや、いい。時間など、どうにでもなる」
「さすが、ハイドランジア」
長椅子に腰かけると、すぐに侍従の手から紅茶が運ばれる。ふわりと漂うのは、熟したベリーのような甘い香り。朝から何も飲まずに仕事をしていたことに気づき、紅茶を口にする。
春風のような甘美な味わいが、喉の渇きを癒してくれた。
「で、私をわざわざ呼び出して、何用だ?」
マグノリア王子は何も言わずににっこり微笑んだあと、侍従に目配せをして合図した。すると、机の上に二つ折りの冊子が置かれる。
表紙は革張りで、大小さまざまだ。中身は、見なくても分かる。
「なんだ、これは?」
「釣書です」
「見れば分かる。なぜ、これを私に寄越すのかと聞きたい」
「父上が君のために用意したみたいで。なかなか言い出せないから、仲の良い私から渡すようにって、頼まれまして」
国王から届けられた釣書と聞き、深い溜息を落とした。
侍従が一番上にあった釣書を開いて見せてくれる。タレ目で色気のある、ブルネット美女だ。隣国の第三王女だと書いてある。
名前はカトレア。我儘そうな外見で、見た瞬間ぞっとしてしまった。
「ハイドランジアに相応しい、最高級の女性を集めたようです。いかがですか?」
「……」
侍従は一冊一冊、丁寧に開いて釣書を見せたが──ハイドランジアの眉間の皺が解れることはない。
渋面を浮かべて固まるハイドランジアを見たマグノリア王子は、肩を竦める。
「やっぱり、こういう結果になりますよね。父上にも無駄だから止めるよう言ったのですよ」
「まだ、結婚は、考えていない」
「それ、五年前にも聞きました」
長年、結婚は考えていないと言って回避してきたが、それも限界があった。
というのも、一年前に父親が亡くなり、公爵位を継いだ。喪が明けたのと同時に、再び縁談が舞い込むようになってしまったのだ。
「そういえば、十年前に心に決めた女性がいるとかいないとか、そんな噂が流れていましたが?」
「心に決めた女性、だと?」
いったい何の話か。心の中に女性などいない。
十年前といえば、社交界デビューの年で、もっとも多くの縁談が舞い込んだ時期である。
「別に、そんな相手など──」
と、ここで思い出す。十年前、確かにそんな話をしていた。
相手は会ったこともない女性だ。
「確か名は、ヴィオレット・フォン・ノースポール」
ハイドランジアより七歳年下の、十九歳の伯爵令嬢だ。
「へえ、そんな相手がいたなんて……。本当に実在する女性ですか?」
「失礼だな」
ヴィオレット・フォン・ノースポールは社交界に一度も出てきたことがなくても、確かに存在する。
「ノースポール伯爵といえば……先代が五年前に亡くなっていたような」
「あの男……死んでいたのか?」
「どういうことですか?」
心の中にいる女性の父親の死も知らなかった。マグノリア王子より、胡乱な視線を向けられる。
友人であり、弟子でもあるマグノリア王子に隠し事はしたくない。そう決めているハイドランジアは、十年前にあった出来事を語り始めた。