お買い物エルフとルビーの嫁
一日の仕事の終わりを告げる鐘が鳴り響く。
同時に、ハイドランジアは立ち上がり、クインスを労った。五分以内に帰るようにと釘を刺し、下がらせる。
魔法師団は基本、残業を許可していない。一人一人、残って作業をするほどの仕事量を与えていないからだ。
仕事が間に合わない部署は人員を入れ替えたり、増やしたりしている。
これを始めたのは五年前の父親の代から。成果はすぐにあった。まず、体調不良で仕事を休む者が減り、退職者も減った。人件費も削減でき、いいこと尽くめだった。それなのに、他の職場で残業禁止は行われない。
ハイドランジアの代になってからは、仕事を早く終えた者は職場に残らずに帰っていいことにしている。この件は、他の部署から「それはどうなのか」と言われたことがある。
仕事がない時は仕事を探すのも、立派な仕事らしい。さらに、残業を禁じることは個人個人の努力の機会をなくし、評価する機会を与えないのは組織にとって損になると。
それは、魔法師団と他組織の体質の違いかもしれないとハイドランジアは思っていた。
魔法師団の上層部は、個人に与えた仕事の質を見ている。
仕事を早く終えたからといって、不完全なものだったら意味がない。
逆に、残業をしてまで完璧に仕上げても、作業効率を見直さなければならなくなる。
重要なのは、時間を有効に使って完璧な物に仕上げること。それができる者を、魔法師団では評価している。
窓際に立ち、次々と部屋の灯りが消される様子を眺め、最後の部屋の灯りが消えたのを見守ったら、一日の仕事は完了となる。
その後、ハイドランジアは転移魔法である場所に移動した。
◇◇◇
辿り着いたのは、森の奥にある茅葺き屋根の小屋の前。
「……魔法屋、私だ」
扉の前から声をかけると、しわがれた老人の声が返ってくる。
「どこの私さんかねえ。最近、老人を騙す悪い魔法使いが多くて、困っているんだよお」
「リリフィルティア国、ローダンセ公爵ハイドランジアだ」
「おお、おお! ハイドランジア坊か。入ってくれ」
このやりとりは、いつもの「お約束」である。老人にとって小芝居をすることは楽しみでもあるので、付き合ってあげているのだ。
ちなみに、シチュエーションは毎回変わる。
前回は、新しくやってきた村人と厳しくあたる老人だった。ハイドランジアはこれの何が楽しいのか、まったく理解できない。
老人は魔法屋を営んでいる。魔法屋というのは、魔法に関する品物を売る店の店主だ。
名前や年齢は不詳。姿は全身を覆う外套に覆われ、頭巾を深く被っているのでどんな顔をしているのかも知らない。
ただ、ここは世界一の店だと、ハイドランジアの父や祖父が言っていた。彼自身も、そう思っている。
一見こじんまりとした店だが、品揃えは豊富なのだ。
天井から魔石灯が吊るされ、店内にある商品を幻想的に照らしていた。
魔法書から魔道具、魔力薬の素材など、魔法に関する物ならなんでも扱っているというのは店主の口癖だ。
今日は注文していた杖を受け取りに来た。
「今日が約束の日だったが、仕上がっているか?」
「もちろん」
魔法屋は店の奥から、革張りの細長い木箱を持ってきた。
「よいしょっと」
精算台の上に置き、蓋を開いた。それは指揮棒くらいの長さの、金色の持ち手に丸い紅玉が先端に付いた杖だった。
非加熱のルビーがあしらわれた杖を手に取る。羽根のように軽いのは、付属機能だ。
杖を振り過ぎて、手を痛める魔法使いは多い。そのため、特別に付けた。
「ふむ。いい品だ。紅玉杖に間違いない」
懐から金貨が入った革袋を取り出し、精算台の上に置く。じゃらりと、重たい音が鳴った。
中に入っていたのは、白金貨だ。一枚で魔法師団一ヵ月の、平均的な給料と同じくらいの価値がある。
「十……二十……と、たしかに」
ハイドランジアの注文した指揮棒サイズの紅玉杖は最高級の宝石があしらわれ、持ち手は魔力を多く含む聖樹を使い、表面には金が塗られている。
素材は一級品であるが、大きさは初心者用だ。
「贈り物ですかい?」
「まあ、そんなところだ」
「ルビーと相性がよいのは、気が強い女性。間違いないですな?」
「まあ、そんなところだ」
「だったら、これをおまけに持って行ってくれよ」
魔法屋が棚から取り出したのは、拳大の卵だ。
「なんだ、これは?」
「幻獣の卵だよ。何が入っているかは、分からん」
なんでも、十年間ずっと孵らないので、購入と返品を繰り返して店に残っているらしい。
「今まで買っていった客は、全員男だったんで、孵らなかったんだろうなあ。きっと、女性のもとへ連れて行ったら、速攻孵るだろうねえ」
「そんなこと、あるものか」
「さあ、分からん」
「本当に、生きているのか?」
「生きているとも」
とりあえず、孵ったら使い魔にでもすればいいと、おまけで付けてくれた。
手で受け取ると、ドクンと鼓動を感じた。十年卵の中に籠っているとは思えないほどの、強いものだった。
「なあ、生きておるだろう?」
「ああ、不思議だな」
ヴィオレットは会ったばかりのポメラニアンを抱き上げていたので、生き物は平気だろう。
卵が孵るか分からないが、ありがたく受け取っておく。
「では、またくる」
「今度は、ルビーのお嬢さんもご一緒に」
「気が向いたらな」
そう言って、ハイドランジアは転移魔法でローダンセ公爵家の私室へ帰る。
◇◇◇
帰宅後、バーベナを呼んで報告を聞いた。
「奥様は一日中、魔法書の書庫に入り浸って、楽しそうに本を読んでおりました」
「そうか」
「早く魔法を習いたいと、輝く瞳を私に向けて、話しておられましたよ」
どうやら、ハイドランジア以外の人物には、素直な態度で接しているようだ。
「呪いはいつ解けた?」
「それはですね──」
猫の姿から人の姿に戻ったのは正午過ぎ。それまで、バーベナや侍女が、代わりに本の頁を捲っていたようだ。
「猫の手では、なんにもできないと嘆いておりました」
「別に、嘆くことではない」
猫の手は、最高だ。
ふっくらとした丸い形に、しなやかに伸びる爪、ふくふくとした不思議な触感の肉球。そのどれもが素晴らしい。
猫の手は、世界一美しい手の造形だろう。ハイドランジアはそう信じてやまない。
「それで、我が妻は?」
「まだ、地下の書庫で魔法書を熱心に読んでおります」
「夕食は?」
「召し上がりになりました。地下に、お運びしましたけれど」
「あそこは空気がよくない。次から食事は、食堂で取らせるように」
「かしこまりました」
地下の書斎にいるのならばちょうどいい。そう思って、杖と卵を持ってヴィオレットに会いに行く。
「歩いて行かれますか?」
「本を夢中で読んでいるところに突然私が現れたら、恐ろしいだろう」
「それはまあ、たしかに」
バーベナと共に、地下の書斎へ向かう。
「あの、その木箱はお持ちしましょうか?」
「いや、いい」
杖自体は重たくないものの、木箱はずっしりと重たい。そのため、ハイドランジアが運ぶことにする。
「そういえば、欲しい物があるかどうか、聞いたか?」
「ええ。満面の笑みを浮かべながら、書斎にある本を示されました」
「そうか」
ドレスも宝石も、特に必要と感じていないようだった。
金のかからない妻だと考えていたら、地下へ繋がる扉の前に辿り着く。
重たい鉄の扉を開き、薄暗い中階段を降りていった。
「ここは、暗いな。灯りを増やしておくように」
「はっ」
ハイドランジアだけが使うならば問題ない暗さだ。なんせ、エルフは夜目が利く。
しかし、ヴィオレットや侍女にとっては暗く、足元も覚束ないだろう。
書斎の前には、侍女が一人控えていた。ハイドランジアの存在に気づくと、扉の前から退いて壁際に寄る。
バーベナが声をかけると、すぐに扉が開かれた。
「バーベナ、今、私室に戻ろうと──きゃっ!」
ヴィオレットは書斎の扉を開くのと同時に、飛び出してきた。
すぐ前に立っていたハイドランジアと接触し、猫の姿へとなってしまう。
『う、うう~~!』
「お前は当たり屋か」
『だって、あなたが、こんなに扉のすぐ向こう側にいるとは思いませんもの!』
ああ言えばこう言う。
顔を合わせるたびに、二人は言い合いをしていた。
バーベナのハイドランジアの態度を責める視線が背中に突き刺さっている気がしたので、本題へと移ることにした。
「お前に、良い話がある」
そう言うと、ヴィオレットは疑いの視線をハイドランジアに向けていた。
信用度は分かりやすいほどゼロである。