暗黒微笑エルフとマグノリア王子
翌朝──転移魔法で食堂に行くと、ヴィオレットの姿があった。
彼女は挑むように、ハイドランジアの前にやってきて朝の挨拶をする。
「おはようございます、旦那様」
片方の眉を上げ、旦那様と強調するように言ってくれる。
まるで、この結婚については不服だけれど、契約だから仕方なくやっていると暗に主張しているかのようだった。
「おはよう、我が妻よ」
そう返すと、ヴィオレットのもう片方の眉がピクリと跳ね上がった。彼女の指先がわなわなと震えているのに気づき、笑いそうになる。
よほど、ハイドランジアの妻となることは、不本意なことなのだろう。
ハイドランジアはさらなる反応を引き出そうと、言葉を続ける。
「今日も、お前は朝から美しい」
「あ、あなた、そんなこと、ぜんぜん思っていないくせに!」
「どうしてそう思う?」
「わたくしを怒らせて、楽しんでいるのでしょう?」
「お前は、私を楽しませる怒り方をしていると? ずいぶんな自惚れだな」
「な、なんですって~~!!」
指摘された通り、怒るヴィオレットの様子をハイドランジアは見て楽しんでいた。
女性をからかってはいけない。バーベナにそう言われて育った。こういうことは口にするべきではない。
分かっているのに、止められない。
おかげで、ヴィオレットの背後に佇むバーベナからも、睨まれてしまう。
「わたくしはともかくとして、他の女性にこういうことをしたら確実に嫌われることを、覚えておいたほうがよろしくってよ」
十分、ヴィオレットにも嫌われているような気がした。この点は、反省しなければならない。
「分かった。すまなかった」
「え?」
「なんだ? 謝っているだろう」
「いえ、そんな素直になるとは、思ってもいなかったから」
「こう見えて、いい年の大人だ。その辺は、わきまえている」
「も、もしかして、実年齢は百歳以上とか?」
エルフが長寿というのは有名な話である。しかし、人と交わったローダンセ公爵家のエルフの寿命は短い。
童話を聞く子どものような純粋な目を向けられたが、実年齢は二十六だと言っておく。
「初代は数百年ほど生きたらしいが、それからどんどん寿命は短くなっている」
病死したハイドランジアの父は、半世紀しか生きなかった。
森から出てはいけないというエルフの掟を破った呪いかもしれないという、病床の父の言葉を思いだしてしまった。
そんなことはない。きっと。
頭を振って、忘れることにした。
朝食を食べ終えたあと、ハイドランジアは地下の魔法書がある書斎の鍵をヴィオレットに渡した。
「魔法書は好きなだけ読め。ほとんどが現代訳されていない、古代書だが」
「よろしいのですか?」
「好きにしろと言っている」
「ありがとう!」
ヴィオレットはハイドランジアの手を包み込むようにして、鍵を握った。その瞬間、彼女の身は人から猫の姿へと変化する。
一回転して床に着地したあと一緒に落ちた鍵を銜え、ぴょんぴょんと跳ねまわっていた。
「機嫌は回復したようだな」
「旦那様」
バーベナが詰め寄り、小さな声で囁く。
「奥様をからかうのは、もっと仲良くなってからにしてください」
「分かっている。反省はしているから」
「お願いしますよ」
ヴィオレットはすでに、バーベナを味方に引き入れているようだ。
油断ならないと思いながら、転移魔法で出勤した。
◇◇◇
今日は朝から、国のお偉い様による魔法師団の視察に付き合う。
供を二十人ほど連れた大臣に、ハイドランジアが直々に内部の案内をする。
「魔法師団は、目には見えない活躍をしているようで、どうも成果が耳に入らないとかねがね思っていてなあ。大きな予算を使うわりに、内部はどうなっているのやら」
遠回しに予算泥棒ではないかと指摘する話を聞きながら、各部署を回る。
大臣は整えられた髭を撫で、膨れた腹を摩りながら、足よりも口を動かしつつ視察を堪能しているようだ。
「その若さで団長が務まるほど、魔法師団の活動は経験が必要ないものなのだろうな」
ハイドランジアは何も言い返さずに、笑顔を浮かべておく。隣にいるクインスが「ひっ!」と短い悲鳴を上げたが、気にしない。
事務局に教育学部、魔道具保管室と、いつものコースに加え、今日は特別な部屋に案内することに決めた。
「ここは普段、関係者以外立ち入り禁止なのですが、今日は特別にお見せします。視察では初公開です」
「おお、そうかそうか!」
特別扱いされたと思い込んだ大臣は、足取り軽くハイドランジアのあとに続いた。
「ん、暗いな」
「ここは、禁書室です。今、灯りを点けますから」
そう言って、禁書番をしているガーゴイルの頭上に魔法で光球を作った。
それを見た大臣は目を剥き、叫んだ。
「ぎゃあああああ~~!! 化け物~~~!!」
回れ右をして、走り出す。供とクインスが大臣のあとを追った。
「ふん。ガーゴイルを動かして驚かそうと思っていたのに、見せただけで逃げるとはな。意気地なしが」
その発言を聞いたガーゴイルが、目だけぎょろりと動かして話しかけてくる。
『うわぁ、えげつない』
『おじさん、可哀想』
「これしきのことで驚かれても困る。このあと、封印部に連れて行って、凍眠体験とかも考えていた」
『止めてあげて』
『聞いただけで、ぞっとするから』
戻ってきたクインスより、大臣が急に具合が悪くなったというので視察は中止となったことを告げられる。
再視察はしないとのこと。
調整役だったクインスに小言を言われてしまった。
「閣下、大臣を、「愚かな民衆め」みたいな顔で見下すの、止めていただきたいです。本人が気づいていなかったからよかったものの」
「なんだその、愚かな民衆め、みたいな顔というのは」
「暗黒微笑、みたいな感じです」
「よくわからん」
このあと、マグノリア王子に呼び出されていた。昼食会という名目の、相談会である。
クインスを執務室に残し、ハイドランジアは招かれた食堂へ転移した。
「やあ、こんにちは。ローダンセ公爵閣下」
にっこりと、柔らかな微笑みを浮かべ、マグノリア王子がハイドランジアを歓迎する。
「さあ席に着いて、食事にしましょう」
食事をしながら、昨晩送った手紙の内容について話す。
「ここ一ヶ月ほど、忙しくて父のところに見舞いに行けていなかったので、驚きました」
「やはり、そうだったのだな」
マグノリア王子は賢く聡明で、国王の器であった。しかし、唯一の欠点が、父親との不仲だったのだ。
国王は笑顔を絶やさず、他人の意見を聞き入れる寛容さがある──と、言えば聞こえがいい。けれど実際は、八方美人で誰にでもいい顔をし、物事の判断を自分の考えにせず他人の意見で選ぶという優柔不断な面がある。
そういう点が、マグノリア王子の父親への尊敬値をどんどん下げているのだろう。
はっきり言えば、現国王は王の器ではない。
しかし、国王は国王なりに、賢い者の意見を取り入れ、慎重に国家を統治してきた。
「しかし近年では、判断力が鈍くなっているように思っていました」
権力があり、声の大きな者の意見ばかり取り入れているという。
しかしまさか、私生活まで家臣の意見を聞き入れているとは、思ってもいなかったようだ。
「父に医者の変更を促した人物は、特定できました。ハイドランジアの容疑者リストのおかげです。しかし、あれはいったいどこで入手したのです?」
「国王が、私に結婚したらどうかと薦めてきた家だ」
「ああ、なるほど」
今後は慎重に調査を続けるという。
マグノリア王子は、メインの肉料理を切り分けながら話す。
「もしも、父を失明させ、傀儡とさせようとする者がいるならば、絶対に許しません。もしも、そうしようと画策する者を発見したら──」
以降は何も言わずに、フォークを握って切り分けた肉を勢いよく突き刺した。
ソースが皿から飛び散り、白いテーブルクロスにポツポツと染みを残す。
温厚なマグノリア王子が珍しく怒っていた。
「ああ、そうだ。父からハイドランジアへ手紙を預かっています」
なんでも、渡そうか止めようか、もじもじしていたらしい。想像したら、ゾッと鳥肌が立ってしまう。
すぐに開封すると、そこには丁寧な文字で昨日のことへの感謝の気持ちが書き綴られていた。
最後に、魔力薬を頑張って飲んだと書かれている。まるで褒めてくれと言わんばかりの文章だった。
ハイドランジアは火魔法で、国王直筆の手紙を速攻燃やす。
「何か、機密でも書かれていたのですか?」
「いや、しょうもない内容過ぎて、思わず燃やしてしまった」
その言葉に、マグノリア王子は「分かります」と同意を示してくれた。