乾杯エルフと嫁との攻防
ハイドランジアはバーベナを呼び、ヴィオレットについての報告を聞くことにした。
「ヴィオレットお嬢様は──」
「もう、妻になった」
「あ、許可は出たのですね」
「当り前だ。この私が、頭まで下げたのだから」
バーベナはゴホンと咳払いし、背筋をピンと伸ばして報告を再開させる。
「え~、それで、奥様は正午前に、人の姿へと戻りました。その後、庭の散策ついでに外に出ようとしましたが、旦那様の結界があるのでそれも叶わず。しょんぼりとした様子で、昼食をすべて召し上がっておりました」
落ち込んでいたわりに、食欲はあったようだ。笑いをこらえながらも、いいことだと頷いて置く。ヴィオレットは、どこまでも強かな娘のようだった。
「午後からは、屋敷の案内をいたしました。五名の侍女で囲むように歩いたので、男性への接触は心配ありません」
「ふむ」
「一番奥様が興味を示されたのは、地下の調合室と、魔法書の書斎です。もちろん、入室はしておりません」
魔法への興味は隠しきれていないようで、今でも使われているのだとか、どんな時にこもるのかとか、質問責めにしていたらしい。
「魔法についていろいろ知りたくて、堪らないといった感じでした。あいにく、私は魔法についてはからっきしなので、満足のいく説明はできなかったのですが」
「そうか」
夕方はドレスの採寸を行い、兄と義理姉に手紙を書いたあと茶を飲んで休憩していたようだ。
「奥様のお手紙は、いかがなさいますか?」
「そのまま出せ。どうせ、大したことは書いていないだろう」
「かしこまりました」
最後に、バーベナに命じておく。
「欲しい物がないか、毎朝聞いておけ。何一つ、不自由のない暮らしをさせるんだ。なんだったら、同じ年頃の話し相手も招いてもいい」
ただ、自由だけは与えられない。その点は、我慢してほしい。
「あの、奥様へ魔法を教える件は?」
「それは、本人次第だ。あれが教えを乞うならば、私はいつでも魔法を教えよう」
「では、そのように、伝えておきます」
「頼んだぞ」
バーベナは一礼し、去っていく。
再び水晶を覗き込めば、ヴィオレットは侍女達と楽しげにお喋りしていた。いったい何を話しているのやら。羨ましくなってしまう。
水晶を通して、音声を拾うことも可能だ。しかし、ハイドランジアはしなかった。
表情を見ていたら、相手のことは十分把握できる。そこまで、探りを入れる必要はない。
一応、私生活には最低限の配慮をしていた。
◇◇◇
夕食時、ヴィオレットは胸元が開いたイブニング・ドレスで現れた。ハニーオレンジのドレスに、首元に結んだ真っ赤なリボンが映える。
美しい金の髪は左右とも三つ編みにして、後頭部で纏めている。朝よりも濃い化粧だが、彼女の美しさが際立つような、洗練されたものだった。
ハイドランジアに対する怒りは治まっていないようで、睨んだ相手の眉間を突き刺すような鋭い視線を向けていた。
「今日は、百年もののワインを開けた」
「まあ、豪勢ですこと。何か、お祝い事ですの?」
「我々の結婚が、成立したからな」
「!?」
ヴィオレットは青い目を瞬かせ、信じられないと震える声で呟く。
「あ、あんな肉球しか押していない婚姻届けが、成立するわけ──」
「ある。国王陛下が、受理した」
国王の決定は覆すことができない。この結婚は、確固たるものとなってしまった。
「なんて、ことを──」
「お前は、この結婚の何が不満なのだ?」
「え?」
「実家であるノースポール伯爵家は支援するし、日々の生活に不自由はさせない。宝飾類だって、飽きるほど買っても公爵家が傾くことはないし、ドレスは毎月流行の物を作ればいい」
貴族女性として、これ以上の結婚はないだろう。
「そう、ですけれど……わたくしは……」
「お前自身を好きになる者と、結婚したかったのか? そんな結婚など、貴族社会ではありえないのに」
「ち、違いますわ!」
顔を真っ赤にさせて、反論してくる。
こうして、感情を剥き出しにしている時は十九歳の年相応の娘のように見えた。
「では、何がイヤだというのだ?」
「だってあなたは、わたくしを誘拐するように連れて来ましたし、その上、よくよく考えたら、お兄様に酷い魔法をかけた相手と結婚するなど……」
「無理矢理連れて来たのは、イヤな予感がしたからだ。勘だから、説明はできん。ノースポール伯爵にかけた魔法は、こちらの質問に対して、答えなかったからだ」
「自白魔法、ですの?」
「よく知っているな」
「お兄様から、いったい何を聞き出していましたの?」
ヴィオレットの質問に答えずに逆に問う。なぜ、ノースポール伯爵家が薪を買えないほど困窮していたのかと。
「そ、それは……お兄様が、お父様の名誉を守るために、悪徳商人にお金を渡していたからで……。盗み聞きしていた話ですけれど」
「いや、それだけではないだろう。私は、そこから先を聞きたかったのだ。お前はどう思う?」
「え?」
「お前の兄や亡き父が守ろうとしている何かは、お前ではないのか?」
「わたくし?」
父シランの悪徳商人へ暴行を加えたという不可解な行動には、ヴィオレットの呪いが関係しているように思えてならない。
しかし、それがどういうふうに繋がっているかが、予測不能だったのだ。
点と線が、どこにも繋がらない。謎が謎を呼ぶような事件だ。
「質問を変えよう。お前の呪いは十年前から始まったと聞く。当時のことは、覚えているか?」
「……何も」
「ん?」
「何も、覚えていませんの」
十年前、気づいたら猫の姿になっていて、半年間人の姿に戻ることがなかったようだ。
「わたくし、一生猫の姿でしかいられないのではと思って、絶望していましたわ」
けれどある日、ヴィオレットは人の姿へ戻った。
「それから、父や兄が、わたくしを今まで以上に甘やかすようになって」
ヴィオレットは、お姫様のようにちやほやされて少女時代を過ごした。
「けれどそれは、自由の代償でしたの」
呪いを隠すため、ヴィオレットは外出できなくなった。友達も、家に招くことを禁じられてしまう。
「けれど、ずっと楽しく暮らしていて──」
それが崩れたのは、シランの死んだあとだった。
悪徳商人はさらなる金を要求するようになり、ノースポール伯爵家の資産はみるみるうちに目減りしていく。
五年経った今は、薪を買えないほど貧乏になっていた。
給料が払えなくなったために使用人はどんどん辞め、ヴィオレットは新しいドレスが買えずに母親の物を手直しして着ていた。
「わたくし、猫になる呪いがあって、兄や義姉に迷惑をかけて──」
困惑と苛立ちをその身に抱えていたのだ。
「あなたとの結婚も、本当に突然で」
気持ちの整理もできないまま、新しい環境の中へと連れてこられたヴィオレットは気の毒としか言いようがない。
「これから、どうすればいいのか」
「魔法を身に着けろ。もしかしたら、呪いを抑えつけられるかもしれない」
「呪いを、抑えつける?」
「そうだ。呪いを解くことは難しくても、発動を抑えることは可能かもしれない」
今までに例がない呪いを解くことは、夜空の星を掴むのと同じくらい難しいことだ。
しかし、どんな呪いでも、発動を抑える手段がある。
もしも呪いを操れるようになれば、外出も許可できるようになるのだ。
「あなたが、魔法を教えて、くださるの?」
「そうだと言っている。魔法を教える代わりに、お前は私の妻の振りをする。これを結婚の契約としよう」
一度、ヴィオレットは顔を伏せる。その間に、宣言しておいた。
「一つ、言っておく。私は、お前の敵ではない」
味方であるとは言えないが、今確かなことは敵ではないということ。
宣言を聞いたヴィオレットの肩は震えていた。泣いているのかと思ったが──違った。
再び顔を上げ、迷いのない眼差しでハイドランジアを見る。
「それで、どうするんだ?」
「わたくしは、魔法を覚えて、この呪いを抑えつけますわ!」
ハイドランジアはヴィオレットの強さを、眩しく思う。
同時に、こんなに気が強い妻を迎えて、これから上手くやっていけるのか不安になった。
決めたのは、ハイドランジアだ。後戻りなど、許されない。
苦笑しながらワイングラスを掲げ、ヴィオレットに言った。
「それでは、祝そうではないか。我々の結婚に、乾杯を」
ヴィオレットは挑むようにハイドランジアを見ながら、ワイングラスを掲げ返した。