番外編 ハイドランジアと猫の日
今日は、猫の日らしい。どこの誰が決めた日か知らないが、すばらしい日を作ったものだと、ハイドランジアは思う。
猫の日を記念して、大事に取っておいた本を読むことにした。
それは、猫の生態について書かれた本であった。
表紙の猫の絵が、まず可愛かった。しかし今、もっとも可愛い猫はヴィオレットである。
ハイドランジアは猫の姿になれる妻を、溺愛しているのだ。
しかし、猫の本を読むことで、浮気にならないか。心配になって、バーベナに尋ねた。
バーベナはまともに取り合わず、「疲れているんですか?」と真顔で聞いてきた。
ハイドランジアが真剣に聞いていると訴えると、バーベナは質問に答えてくれた。
別に、猫の本を読んだくらいでは、浮気にはならない、と。
安心して、読むことができる。
本の中には、耳よりな情報が多々書かれていた。
猫の前でしてはいけない行動も、書かれている。まず、低い声を嫌うらしい。うなり声に聞こえるからだそうだ。
思い当たる節しかない。いくら話しかけても、仲良くなれないわけである。
次に、グイグイと迫るのも、好まないようだ。スキンシップをしたいのであれば、猫ではなく犬を飼うべきと書いてある。
匂いにも敏感なので、なるべく無臭状態で接近しなければならないようだ。
ハイドランジアは仕事で、薬草を扱わない日はない。薬草の匂いをかいで、猫は逃げていたのだろう。
これらの嫌う条件を、ハイドランジアは満たしていたのだ。徹底的に嫌われるわけである。
もしかしたら、これらに気を付けたら、猫と触れ合えるのか。
ここでふと気付く。自ら猫とふれあいに行くというのは、浮気に値するのかと。
ハイドランジアはすぐさま、バーベナを呼んだ。
「旦那様、なんでございましょう?」
「私が、野生の猫とスキンシップを望むのは、浮気だろうか!?」
「また、疲れているんですか?」
「私は真面目に聞いている!!」
バーベナはため息をつきつつ答えた。
「普通の猫ちゃんに触るだけならば、浮気でもなんでもないですよ」
「そうか」
ならば、今から会いに行こう。猫の日に、猫と触れ合えるなんて最高だ。
ハイドランジアは風呂に入り、薬草の匂いを消す。石鹸も、匂いが残らないものを選んでゴシゴシ全身を擦った。
きれいになった状態で、庭に出る。住み着いた猫を発見したが、その向こうにさらなる魅力的な猫を発見してしまった。
「スノウワイト、今日は、天気がいいですわね」
『にゃーう』
散歩をする、ヴィオレットである。
猫ではなく、人間の姿であった。
ハイドランジアは思わず、妻の姿に見とれる。
猫のことなど、頭から消え去っていた。
ハイドランジアが触れたいのは、猫ではなく、妻のヴィオレットであった。
あまりにも熱烈に見ていたからか、ヴィオレットはハイドランジアに気付く。
「あら、ハイドランジア様?」
ハイドランジアは回れ右をして、転移移動する。
ただ触れたいと思っていただけなのに、なんだかいけないことを考えていたように思えたのだ。
部屋に戻り、再び猫の本を読む。次なるページには、驚くべき内容が書かれていた。
なんと、猫はとてもいい匂いがするらしい。太陽の下で干した、ふかふかの布団の匂いがするのだとか。
匂いは猫によって異なるようで、パンが焼ける匂いとか、バター、ミルクの匂いとか、いろいろあるようだ。
うちの猫は、どんな匂いがするものか。
ハイドランジアが思い浮かべたのは、もちろん猫の姿のヴィオレットである。
なかなか、触れさせてくれとは言えないでいる。
それ以上に、匂いをかがせてくれと頼むのはハードルが高い。
しかし、世の愛猫家は積極的に猫の匂いをかぎ、精神の安寧を得ているらしい。
ハイドランジアも、ヴィオレットの匂いをかいで安心したい。
ただ、変に思われるかもしれない。
念のために、バーベナの意見を求めることにした。
「旦那様、また、馬鹿な質問をするために呼んだのですか?」
「馬鹿な質問ではない! ただ、猫の姿のヴィーの、匂いをかがせてくれと頼むのは変か、聞きたかっただけだ」
「旦那様、それは変を通り越して、ド変態ですよ」
「な、なんだと!?」
猫の匂いをかぐことがド変態の行為など、本には書いていなかった。
しかし、著者は相当な猫マニアなようだった。もしかしたら、猫に対する愛をこじらせた、ド変態なのかもしれない。
「そうか……わかった。下がれ」
「え、ええ」
猫の匂いをかぐのは、ド変態の行為だと理解した。
けれど、どうしてもヴィオレットの匂いをかぐことは諦めきれなかった。
ハイドランジアは意を決し、ヴィオレットのもとへ行く。
散歩から戻ったヴィオレットは、快くハイドランジアを迎えてくれた。
「旦那様、いかがなさいましたの?」
「ヴィーに、頼みがあって」
「なんですの? ハイドランジア様がわたくしを頼るなんて、珍しいですわね」
「ああ」
ハイドランジアは生唾をごくんと飲み込む。ありえないくらい、緊張していた。
「ヴィー、その、頼みとは――ヴィーの匂いを、かがせてくれないかと思って」
「なんですって?」
「ヴィーの、匂いを、かがせてほしい」
ハイドランジアの言葉を理解すると、ヴィオレットは顔を赤面させる。
「なっ、なっ――!」
恥ずかしさのあまり、猫化してしまった。椅子から飛び降り、部屋から出ようと弾丸のように駆けて行く。
「ヴィー、待ってくれ、ヴィー!!」
引き留める叫びも空しく、ヴィオレットはいなくなってしまった。
部屋に残ったバーベナが、ボソリと呟いた。
「旦那様、奥様の匂いをかぎたいだなんて、ドドドドド変態ですよ」
そんなこと、誰も教えてくれなかった。
ハイドランジアはひとり、意気消沈する。
◇◇◇
しかし、心優しいヴィオレットは、落ち込んでいるハイドランジアを見て、気の毒に思ったのだろう。
人間の姿のときは恥ずかしいが、猫の姿であればかいでもいいと許してくれた。
こうして、猫の姿の妻のお腹に顔を埋め、気が済むまで匂いをかいだハイドランジアであった。
本に書いてあった通り、猫はとてもいい匂いがする。
多幸感に包まれるハイドランジアであった。
令和2年2月22日はにゃんにゃんにゃんの日です!




