婚前エルフは、ノースポール伯爵領へ向かう
結婚式を挙げる前に、ハイドランジアはヴィオレットと共にノースポール伯爵領に向かっていた。
ヴィオレットは結婚したあとでいいと言っていたが、ハイドランジアはどうしてか、結婚前に行かなくてはならないと思ったのだ。
転移魔法は一度訪問した先でないと使えない。
そのため、領地までは馬車で向かう。
聖獣となったスノウワイトは、馬車に乗れないので留守番となる。
ゴロゴロ寝転がりながら、気を付けてと言わんばかりにニャーと鳴いていた。
ポメラニアンは布団の上で丸くなりながら『王都の平和は我が守るぞよ』という、説得力に欠ける家に残る決意を口にしていた。
唯一竜の子だけは同行していて、今はヴィオレットの膝の上でピーピー寝息を立てながら眠っている。
王都からノースポール伯爵領まで、馬車で五時間ほど。
穏やかな農耕地で、数少ない領民がせっせと田畑を耕し、僅かな益を得ているという。
ヴィオレットが領地に向かうのは、実に十八年ぶり。呪いがあったせいで、足を運ぶことはできなかったのだ。
初めこそ、ヴィオレットは窓の外の風景を楽しげに眺めていたが、ノースポール伯爵領に近づくにつれて表情が曇っていく。
「ヴィー、大丈夫か? 具合が悪いのではないか?」
「いいえ、大丈夫」
初めての墓参りで、緊張しているのだという。
「まさかお父様のお墓が、領地にあったなんて……」
ヴィオレットはこれまで、猫化の呪いが原因で墓参りできていなかった。
だから、兄に詳しい話を聞かずにいたのだ。
「なんていうのは、建前で……本当は、お父様のお墓に行くのが、ずっと怖かった」
「なぜ?」
「わたくしが猫化するせいで、お父様に心労をかけてしまい……。それだけでなく、わたくしは我が儘放題ばかりで、かわいげもなく、迷惑ばかりかけていました……」
父シランは、ヴィオレットを恨んでいるのではないか。そう、呟く。
「ヴィー、それは思い違いだ。シランはヴィーの幸せを心から願っていた。迷惑や我が儘も、気にすることではない」
「どうして、ですの?」
「私は、ヴィーに頼られると、嬉しい。それから、ヴィーの我が儘は、可愛いと……思う。他人の私がそう思うのだから、父親であるシランは、もっともっと、嬉しかったり可愛かったり、思っていただろう」
ヴィオレットは、ポロポロ涙を流す。
ずっと、気にしていたのだろう。ハイドランジアはきっぱり告げる。シランが、ヴィオレットを恨んでいるはずがないと。
ハイドランジアがヴィオレットを抱きしめるより先に、竜の子がヴィオレットの涙をペロリと舐めた。
ヴィオレットは竜の子をぎゅっと抱きしめ、わんわん泣き始める。
今まで、ヴィオレットは泣けなかったのだろう。
強くあろうと自らに言い聞かせ、生きてきたに違いない。
こうして、素直に感情を表に出してくれることは、嬉しいことだ。
抱擁を竜の子に取られてしまったが、今日のところは許してやる。
◇◇◇
予定通り、ノースポール伯爵領へとたどり着く。
まずは、土地を管理している分家の者や、農村の村長と挨拶した。
ヴィオレットの兄であるノースポール伯爵は、ハイドランジアから受け取った支援金の多くを村に託していたようだ。
百年ぶりに風車を建て直したと、深く感謝される。
現在、ハイドランジアの木像を作っている途中なので、完成したらぜひとも見にきてほしいと言われた。
挨拶が終わると、シランの墓参りに向かう。
シランの墓は村の墓地ではなく、森の湖のほとりにあるらしい。
「そこはお父様とお母様の思い出の地で、お母様も一緒に眠っているようで」
「そうだったのか」
村で摘んだスミレの花を手に、墓へと向かう。
木漏れ日が差し込む、美しい森だった。
かつて、シランはこの森で妻だった女性と逢瀬を重ねていたらしい。
「お父様ったら、ロマンチストでしたのね。こんなきれいな場所につれてこられたら、ドキドキしてしまいます」
「私もきれいな場所につれて行っただろうが」
「花の妖精がいる花畑のことですか?」
「そうだ」
「花の妖精のインパクトが大きすぎて、いまいち美しかった記憶が薄くて」
「それは、否定しない」
そんな話をしているうちに、湖へとたどり着く。
太陽の光が差し込む、美しい湖だった。
「きれい……!」
「これは、妖精が棲む湖だな」
「妖精、ですか」
「今日は、姿を現さないだろう」
シランとその妻の墓は、湖のほとりにあった。
竜の子はよちよちと駆け寄り、湖の中を覗いている。
「おい、落ちるなよ」
大丈夫だとばかりに、尻尾を振っていた。
墓は蔦が絡みつき、月日が経ったことが否応なくわかってしまう。
ただ、荒れているという感じではなく、森の住人が守っているように見えた。
ヴィオレットはしゃがみ込み、手と手を合わせる。ハイドランジアも、隣に片膝を突いた。
「お父様、お母様……わたくし、結婚します」
続けて、ハイドランジアも言った。
「ヴィオレットを幸せにすると、誓います」
「ハイドランジア様……」
はらりと、ヴィオレットの眦から涙が流れる。美しい涙だった。
ここで、ハイドランジアは気付く。シランの墓石に、魔法陣が刻まれていることに。
蔦を引き抜くと、その全貌が明らかとなる。
「ヴィー、これは!」
「お父様の、魔法ですわ」
魔法陣の中心に、『我が愛しの娘へ』と書かれている。
ヴィオレットが指先で魔法陣に触れると、強く光り始めた。
ハイドランジアはヴィオレットを守るように、外套の中に包む。
光が収まったあと、瞼を開いた。
「――なっ!」
墓前に、半透明のシランが佇んでいたのだ。
ヴィオレットに、見せてやる。
「ヴィー、シランが」
「お、お父様!?」
ヴィオレットは手を伸ばしたが、触れることはできない。
これは、幻術だ。実体ではなかった。
幻術によって姿を現したシランは、にっこりと微笑み、話し始める。
『ヴィー、ここにやってきて、この魔法陣を発動させることができたということは、呪いを解き、魔法を覚え、大切な人を得たということだね。本当に、嬉しく思うよ』
シランは深々と頭を下げる。
『幸せにしてやれなくて、すまなかった。ヴィーの頑張りを、見届けることができないのも、悪かったと思っている。そして、ヴィーについて、話せなくて、ごめんよ。私はいくじなしだから……ヴィーに、話すことができなかったんだ』
シランの声がだんだんと震え、しゃくりあげながら話す。
『ヴィーへの愛だけでは、できないことも多くて……。やりたいと望むことも、させてあげられなくて、私は、父親、失格だね』
「お父様……そんなこと、そんなこと、ありませんわ……!」
言葉は届かない。シランは、この世の者ではないから。
『ヴィーの隣にいる、ヴィーの大切な方へ。ヴィーはこの通り、愛らしい娘です。どうか、生涯、大事にしてくれると、嬉しい』
シランの姿が、薄くなっていく。ヴィオレットは再度手を伸ばすが、空振りするばかり。
「お父様!!」
『私は、ヴィーの父親で、とても、幸せだった。ありがとう』
それが、最後の言葉だった。シランの幻術は消えてしまう。
「お父様……!」
泣きじゃくるヴィオレットを、ハイドランジアは優しく抱きしめる。
結婚式の前に、この地へやってくる意味は、確かにあったのだ。




