動揺エルフは、三度目の正直に期待する
休日の朝、バーベナがハイドランジアに一冊の本を差し出した。
「旦那様、こちらを」
「うん?」
薄紅色の奇抜な装丁の本だった。題名を見て、ぎょっとする。
――私はこれで、夫への愛が冷めました
「な、なんなのだ、この本は!」
「女性が男性への愛が冷めた瞬間を、集めた一冊となります」
「はあ!?」
「男性には理解できない、女心の機微が書かれております」
「なぜ、これを私に手渡す!?」
「以前の旦那様は、奥様にデリカシーに欠ける言動をなさっておりました」
「また、私がヴィーに失礼な発言をすると思っているのか?」
「旦那様が失礼と思っていなくても、ヴィオレット様が失礼だと感じる発言があるかもしれません。その本を見て、しっかり女心を学んでいただきたいなと」
バーベナはハイドランジアの乳母であり、礼儀の先生でもあった。
何か気付いたことがあれば、指摘するように頼んである。
ここ最近はヴィオレットに失礼な発言などしていない。大切にしているつもりだ。
「旦那様、二回目のご結婚は、ヴィオレット様の寛大なお心と、ご厚意あってのものです」
「そう、だな」
無意識のうちに、ヴィオレットに対して失礼な発言をするかもしれない。バーベナの言うとおり、勉強しておかなければ。
ハイドランジアは適当なページを開き、読んでみる。
「……生まれた子どもが女で、産後の妻に詰め寄り、『男がよかった』と発言って、なんだ、この、悪魔のような男の話は。もっと、産後の妻にかけるべき言葉があろう!」
「跡取りの問題で、男を欲していたのでしょう。珍しい話ではありません」
その後、生まれた三人の子どもはすべて女で、親戚中から白い目で見られ、夫は守ってくれなかったと書かれてある。
「ヴィオレットが産んでくれた子どもは、女でも男でも、愛らしいに決まっている! 間違いない!」
「続けて女のお子様が産まれても、その考えは揺らぐことはありませんか?」
「ああ、もちろんだ。跡取りに関しては、長男だから、男だからという基準で決めない。もっとも相応しく、優秀な子に託すつもりだ。誰にも文句は言わせない」
子どもの問題は、結婚した女性にとって非常に繊細な問題らしい。
「もしも子どもが生まれなくとも、ヴィオレットは何も気にする必要などない。ローダンセ家は親戚に託してもいい。ヴィオレットが自身を責めるような事態には、絶対にさせない」
「それを聞いて安心しました」
他のページを見てみる。
「結婚式の準備に夫は無関心で、婚礼衣装の試着すら、見に行かなかった……だと!?」
ハイドランジアは額に汗がぶわりと浮かんだ。
つい先日、ヴィオレットに婚礼衣装の試着に付き合ってくれと言われて、きっぱり断ったのだ。
「ヴィオレット様は、残念そうになさっておりましたよ」
「いや、それは、なんというか、婚礼衣装の姿を見るのは、結婚式の楽しみに、したかった。だから、断っただけなのに」
特に理由は話していなかった。無関心だと思われていたら、一大事である。
すぐに弁解をしなければならない。
ハイドランジアはカードに、今からヴィオレットのもとへ訪問していいかという質問を認める。それを、バーベナに託した。
「ヴィオレットに、これを」
「かしこまりました」
十分後、ヴィオレットより「問題ありません」と書かれたカードが届けられる。
ハイドランジアはすぐさま、ヴィオレットの私室へ向かった。
突然やってきたハイドランジアに、ヴィオレットは不思議そうな視線を向けつつ尋ねる。
「ハイドランジア様、どうかなさいましたの?」
「少し、話がしたいと思って」
ヴィオレットは結婚式当日に使う、ハンカチに刺繍を入れているようだ。白い絹の生地に、ローダンセ家の薔薇を銀糸で刺している。なかなかの腕前だった。
もうすでに、準備のほとんどが終わり、あとは一週間後の当日を迎えるばかりだ。
ハイドランジアはヴィオレットの隣に腰掛け、これまでの頑張りに対し感謝の気持ちを伝える。
「結婚式の準備は、大変だっただろう? ヴィーがいろいろ進めてくれたおかげで、助かった」
「いいえ、すべては、ローダンセ家の女主人となる、わたくしの仕事ですもの」
口ではそう言っていたが、ヴィオレットは嬉しそうにはにかんでいた。
「ハイドランジア様がきちんとすべきことをまとめてくださったので、そこまで大変ではありませんでしたわ」
「そうか」
続けて、ハイドランジアは婚礼衣装の試着について、弁解する。
「婚礼衣装の試着だが、付き合えず、すまなかった」
「どうか、お気になさらず。ハイドランジア様は、お忙しいお方ですもの。わたくしのつまらない婚礼衣装姿の確認なんて、お付き合いしている暇なんてありませんわ」
「いや、違う。私は、ヴィーの婚礼衣装をまとった姿を、その、結婚式当日の楽しみに取っておきたかったのだ。だから、断った」
「そ、そう、でしたの?」
「はっきり言わずに、すまなかった。決して、興味がなかったわけではない。むしろ、興味は大いにある」
ヴィオレットは顔を伏せる。頬どころか、耳まで赤くなっていた。
このような反応を見せてくれるのであれば、恥ずかしがらずに素直になって言えばよかったのだと、ハイドランジアは思う。
ヴィオレットへの愛しさが、こみあげてきた。
「ヴィオレット」
「な、なんですの?」
ハイドランジアは、三回目の求婚に挑む。
一回目と二回目は失敗に終わったが、三回目はかならず成功させる。
その意気込みで、愛の言葉をヴィオレットに伝えた。
「私は、あなたのことを、心から愛している。結婚を、してくれないだろうか?」
ヴィオレットは潤んだ瞳を向け、感極まった表情でいる。そして、コクリと頷いた。
そんな彼女を胸に抱き、背中を優しく撫でた。
ヴィオレットはそっと囁く。
「ハイドランジア様の花嫁になれて、わたくしは幸せです」
一週間後、夫婦となるハイドランジアとヴィオレットは、口づけをして永遠の愛を誓う。
ようやく、求婚は成功した。
ハイドランジアはホッと胸を撫で下ろしていた。




