憂鬱エルフと禁書室
その日、仕事を終えたハイドランジアは副官であるクインスを下がらせたあと、禁書室へと向かった。
禁書室には、転移魔法無効の強い魔法がかけられている。これは、ローダンセ公爵家の初代当主がかけた魔法が今も残っているのだ。
厳重にかけられた封印術は、どんなに魔法に精通した者でも解けないようになっている。
閲覧が許可されている第二魔法師といえど、入室するにはハイドランジアの許可が必要になる。
ただ、ローダンセ公爵家の現当主であるハイドランジアは、いつでも入室できるようになっていた。
扉の把手に手を触れたら、封印術はパキパキと音を鳴らしながら解かれていく。
禁書室に一歩足を踏み入れると、魔法灯が点く。暗い部屋の中を、紫色の光が幻想的に照らしていた。
禁書室は吹き抜けで、壁一面に本が収められている。所蔵量は約三千冊。
そのほとんどが、初代当主の手による魔法書の写本だ。
妻を亡くした初代の手慰みが、この禁書室に保管されている魔法書の作成だったのだ。
出入り口には、ガーゴイルの石像が置かれていた。禁書室の本を持ち出そうとすれば、石化が解けて死ぬまで追いかけてくる。
ガーゴイルの横を通った瞬間、ぎょろりと目が動いた。
『よお、七代目』
『久々だなあ、七代目』
ハイドランジアの魔力の波動を受けたガーゴイルの、石化がわずかに解ける。
だいたいこうして、話しかけてくるのだ。
「今日まで、平和だったか?」
『暇なくらい平和さ』
『誰も来やしない』
ガーゴイルは自慢げに、今までに起こった禁書泥棒についての話をしだしたが、のんびり聞いている暇などない。早々に切り上げる。
「それよりも、だ。十年前に来た、男のことは覚えているか?」
『十年前……ああ、うだつが上がらない魔法使いだな』
『見た目のわりに、血の匂いを漂わせていたから覚えているぜ』
調査にあった、シラン・フォン・ノースポールの傷害事件は本当だったようだ。
「その男がどの本を読んでいたか、覚えているか?」
『いいや』
『俺達、本を盗むヤツにしか興味がないから』
「そうか」
ハイドランジアが離れると、ガーゴイルは物言わぬ石像と化す。
どうやら、自力で探さなければならないようだ。
まず、魔力を目に集めると、今まで見えなかったものが視えてくる。
時を経て尚、魔法使いの動いた跡が、一本の線となって残っているのだ。
さまざまな色合いの糸のようなものが、浮かんできた。その中で、金色に輝く太い糸は初代の魔力だ。何百年と経っても、誰よりも強い主張をしていた。
その中で、シランの魔力を探す。清浄な緑だ。なかなかない色なので、すぐに見つかった。
しばらく、ふらふらと禁書室の中を彷徨っていたようだが、目的の本がある棚を見つけたのか、シランの糸は一直線に伸びていた。
シランが探していたのは──呪い関連の棚。
どの本に触れたかも、跡が残っているので一目瞭然だ。
数冊読んだ形跡が残っているが、その中の一冊を引き抜く。
「呪いの解呪全集……」
それは、ありとあらゆる呪いを解く魔法が書かれたものだ。どれも高位魔法で、方法を知ったからといって使えるものではない。
猫の呪いについて探してみたが、特殊な呪いのようで見つからなかった。
そもそも、異性に触れられたら猫の姿になる呪いなど、初めて聞く。
どういう構成の魔法なのか、今度は『呪い全集』を読んでみた。
呪った相手を猫の姿にする呪いは有名だ。方法は新月の晩、猫と同じ重さの石と家畜の血とトリカブトの毒を垂らし、誰にも見つからないように呪いたい相手の名前を一晩中呟くだけ。
しかし、探せども探せども、異性が絡んだ猫の呪いは見つからない。
いったい誰が呪いをかけたのか。それに、罪もない当時十歳の少女をなぜ呪ったのか。
ここで、新たな問題が浮上してしまう。
眉間にあった皺を解しつつ、舌打ちする。
シランも同じことを考えていたのか。呪い解呪全集を読んだあと、呪い全集にも手を付けた跡が残っていた。
彼は娘の呪いを解呪させるために、禁書の情報が必要だったようだ。
しかしなぜ、それをハイドランジアに言えなかったのか。
確かに、娘が猫の姿に変化してしまうということは、貴族令嬢にとって大きな醜聞である。
引っかかった点は、禁書室の入室許可をもらわなければならないハイドランジアにまで隠そうとしたことだ。
呪いを巡って、とんでもないやりとりがなされていたに違いない。
もしかしたら、悪徳商人トリトマ・セルシアとの傷害事件も何か絡んでいる可能性がある。とても、無関係には思えなかった。
魔法師団に残っているシランについての情報は、大人しく真面目な魔法使いということだけだった。それまで、大きな事件などおこしていない。
何か、彼を狂気に走らせるようなことがあったのだろう。
今度は事件の被害者であるトリトマについて調べなければ。
そのまま、禁書室から自宅へ転移魔法で帰宅した。
◇◇◇
『とんでもないことに、巻き込まれよって』
ポメラニアンはヤレヤレと、呆れた様子で首を横に振る。
今回の結婚は、確かに調査不足だった。
『そもそもだ、そういう身上調査は、結婚を申し込む前にするものぞよ』
その指摘に、ハイドランジアは顔を真っ赤にさせた。
ポメラニアンの言葉は、ぐうの音もでないほど正論だった。