第五十八話 交渉と魔石とルビマスター
前回のあらすじ
ダンジョン建設予定地にいた、水でできたおっさんと喋繰った。
内心では(こいつ早く出て行ってくんねえかな)とか思ってる。
ウェスト大陸のやや西側。町一つをすっぽりと覆う程度の森林の、西端と東端を繋いだ線の中点付近。
清水の湧き出す湖で、シルバとサナは、水に体を借りた神と対峙していた。
「さて、我の話にも付き合ってもらったことだ、用件を聞こうか」
『……ダメもとで聞くが、ここを出て行ってくんねえか? ここにダンジョンを造りてえんだ』
「断る。……と言いたいところであるが、少し待て。お主、よく見たら……」
先ほどゴリアスと名乗った水の男は、指の腹で顎をさすりながら思案する素振りを見せると、サナの右眼をじっと見つめた。
サナの右眼になり替わり、寄生しているシルバが、訝しげにゴリアスを見つめ返す。
見透かされて、吸い込まれるような感覚が、ぞわりとシルバを突き抜けた。
ゴリアスはしばしシルバを凝視すると、突然、おかしくて仕方ないといった様子で笑い始めた。
サナが警戒して、鬼の短刀を素早くスカートの下から引き抜き、正面に構える。
ひとしきり笑ったゴリアスは、にかにかと笑みを浮かべ、言った。
「お主を見ていると、昔を思い出す。神が人と寄り添っていた時代をな! お主の存在そのものが、その象徴だ。シュバルの奴もなかなか、粋なことをする。よし、ここを譲ろう。譲ってやろうではないか!」
シルバはゴリアスがなんの話をしているのか、よく理解できなかった。
自分が珍獣のような扱いを受け、それで気分の良くなったゴリアスが土地を譲ろうとしているのだ思い至ると、存在しないはずの頭に血がのぼるような、なんとも微妙な気分になる。
『喜べばいいのか、怒ればいいのかよくわかんねえな』
『喜べばいい。楽しいから』
その通りだ。
少女の言葉は淡白で、明快だった。
「お主ら、ダンジョンマスターだろう? ならば、これもくれてやる」
いまだに上機嫌のゴリアスが指をクイと上に曲げると、湖の底から二つ、何かが浮かび上がってくる。
透き通った赤色の球をかたどる多面体が、水の両掌に収まった。
「魔石?」
そう。浮かび上がってきたのは魔石である。ダンジョンでモンスターを解体することによってのみ得られる、重要な資源。
浮かび上がってきたそれはエステリカの迷宮、四十階層で戦った龍のそれより一回り大きく、何倍もの魔力を秘めているように思えた。
それが二つ。
「ダンジョンをつくるとき、初めにダンジョンコアとなるものを決めなくてはならぬ。魔力がこもっている物をコアに選べば、ボーナスが発生するのだ」
『無駄に詳しいな。俺も知らなかったのに』
脳内の知識を手繰り寄せると、確かにそんなことが書いてあった。
見落としていたらしい。
「我は仮にもシステムを作る側だ。こういうことは一通り覚えておる」
『へえ』
シルバは人の頭ほどはある魔石を、しげしげと眺めた。
光を乱反射する魔石は、見る角度によってちかちかと光る。
『にしてもこんなもん、どこから……』
「ここはもともとダンジョンだったのでな。ダンジョンマスターとダンジョンボスのものだ。確か……グラトニアスライムと、プテルオードンだったか」
本当だろうか。
久々に解析をかけてみる。
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名前:グラトニアスライムの魔石
種別:魔石
レア:A
強度:S
魔力:S
属性:全
価値:10,000,000ゴールド
所有:ゴリアス・ディ・グリモワール
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名前:プテルオードンの魔石
種別:魔石
レア:B
強度:A
魔力:S
属性:風
価値:8,000,000ゴールド
所有:ゴリアス・ディ・グリモワール
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ゴールド。シルバの知らない単位だ。長らく文明に触れていなかったため、こういうこともあるのだろう。
『本物みたいだな』
「当たり前だろう。我が嘘をつく理由が無い。……そうだ、シルバよ。少し耳を貸せ」
ゴリアスはサナに二つの魔石を投げてよこすと、思い出したようにそう言った。
念話がつながった感覚がする。
いったい、個人同士の念話で何を話すつもりなのだろうか。
『転生神によろしく言っておけ。我の名前を出せば通じる』
ゴリアスはそれだけ言うと、念話を断った。
同時に、それまでずっと湖に浸かっていた足を、完全に水中から抜く。
「それでは、我はもう行く! さらばだ!」
あっけにとられてゴリアスを見るシルバに構わず、前触れもなく形を失った水滴群がぴしゃりと音をたてて落下した。
ゴリアスの姿は、どこにも見えない。
「行くに、ゆく、のルビ振ってた。ゴリアス、実は上級者?」
サナのつぶやきは、風に乗って流れていった。
所変わってここは天界。神が暮らす場所である。
大理石の机で、自らが所属する教会の管理に励む神。
黄金色の雲をクッションにしてまどろむ神。
他の神と談笑する神。
暇つぶしに異世界人を転生させ、加護を与える神。
様々な神がここで暮らし、神生を謳歌している。
そんな場所に、久方ぶりに帰ってきた神が一柱。
ゴリアスである。
神が好き勝手に家屋を立てた雑な街並みを見て、ゴリアスはふん、と不快そうに鼻を鳴らした。
ゴリアスはこの場所が嫌いだ。
別に顔も見たくない嫌な奴がいるわけでも、身の毛がよだつような恐ろしい行事があるわけでもない。
それでも、彼は天界を好きになれなかった。
理由ははっきりしている。
ここが神の住まう場所と言えば聞こえはいいが、実際は封印を恐れた神たちの避難所だ。
ゴリアスは魔神との戦いに参加し、信者を失ってなお下界を離れようとしなかった、筋金入りの下界好きである。下界から、いや、戦いから逃げるために作られたここを利用するのは、魔神から逃げることと同じような気がして、あまり長くとどまりたいと思えなかった。
「おお、そこに居るのはゴリアスではないかの? 珍しいこともあるもんじゃ」
聞きなれた声に振り向くと、そこには高齢の男が立っていた。
その手はまるでゴミ袋でも持つかのように、先ほど異世界人を転生させていた神の首根っこをがっしりと掴んでいる。
彼が、シルバを転生させた転生神、シュバルである。
「ん、シュバルではないか。お主こそ、なぜここに居る」
「仕事の一環じゃよ。最近、許可なく異世界人を転移・転生させて、競わせる遊びが流行っておるようでな」
カブトムシの相撲のようだ、とゴリアスは思った。
信仰を共有する多神教のシステムが確立されてから、ちゃんとした仕事をする神はほとんどいなくなってしまった。
ゴリアスも、仕事をしない神の一人なのだが。
「また仕事、か。労働中毒者め」
普段は転生神としての業務に追われているシュバルは、多忙のため会うことすら困難である。
本人はそれをむしろ喜んでいる節があるため、仕事の時間は一向に減らない。
だからこそ、死ぬ度に必ず顔を合わせるシルバに挨拶を頼んだのだが、無駄になってしまった。
「それにしても、やっと使徒が決まったのか。驚いたぞ、まさかステビアの忘れ形見を使徒にするとはな」
使徒。
天界に移り住んだ神の代わりに下界への干渉を行う、神の加護を持った者。
異世界転移・転生者も、使徒に分類される。
シュバルはうむ、と頷いた。
シュバルに首根っこをつかまれている神は、口をパクパクと開いた。
持ち方が悪いのか首が閉まっているらしく、声も出せずもがいている。
シュバルはそれを意に介さず、話を続けた。
「ちょうど人手が欲しかったからのう。あ奴には転生者を駆逐してもらう」
「む、違うだろう、お主の意図は。信者が生きているということは、草と花の神は……」
そこまで言いかけた時だった。
「ぶっっっっっっはぁぁああ!」
シュバルの手を引き剥がして息を吹き返した見知らぬ神が、大きく息を吸い込んで、吐き出した。
赤を通り越して土のようになっていた顔色が、急速に回復していく。
「よくもやってくれたな、転生神め!」
ゼイゼイと息を荒くした神が、威嚇するように叫んだ。
家屋の中で息をひそめてごそごそしていた神たちが、何事かと通りに顔を出す。
一番近くにいたはずのシュバルは、見知らぬ神が自らの手を振りほどいたことに大して驚いてもいない。
――こやつ、わざと手を緩めよったな。素直でない奴め。
ゴリアスはそう思いつつも、口角を吊り上げた。
なんだかんだで、シルバの魔力や魂は在りし日の彼女にそっくりだ。手を貸したくなる気持ちはわからないでもない。
感傷的な気分に浸っていたゴリアスの耳に、騒がしい声が聞こえる。
神たちが独特なデザインの窓から顔を出してはひっこめ、こそこそと話をしていた。
「なんだなんだ?」
「うわ、あれ転生神じゃね?」
「うっそ、なんでこんなとこに? ってやべっ! こっち見た」
「おい! 急いで異世界召喚ツール隠せ!」
「ああもう無理! 起動してる!」
「えぇい! 叩き壊せ!」
「間に合わない!」
「あ、待って? 召喚先、下界の王宮じゃなくてここになってない?」
「「「「えっ」」」」
…………………。
…………。
……。
「……あぁぁぁぁ、ぁ? あれ? 俺が助けた幼女と、突っ込んできてたトラックは?」
その後、神宮司輝也君は無事、地球に送還された。
送還した神が転生神から逃げ回るのに必死で加護を消し忘れた結果、どうなったのかは想像に難くない。




