第五十五話 迷宮王
前回のあらすじ
テラリアと別れ、なんだかんだタルテに勝利したシルバたち。
そのままダンジョンの最下層、五十階層に向かう。
道化の用意した転移陣がたどり着いた先は、これまでの階層とは少し毛色が違った。
まず、モンスターがいない。その代わりにあるのは、大量の石像。
球状の空間に底板を敷いたようなシンプルな構造の空間に、年齢も性別もてんで一貫性のない、妙に精巧で、不気味な石の彫像がいくつも並べてあるのだ。
石像たちの共通点は二つだけ。その全てが人間である事と、全員が、絶望しきったような表情を浮かべているということ。
声も出ないシルバ。
サナは黙って手近な石像の顔を覗き込んだ。
痛々しく泣き叫ぶ少女の石像は、視線の先を何もない宙に固定している。
まるで生きたまま固めて持ってきたような印象を受けて、悪寒が走った。
カタン、と何かがはまり込むような音が聞こえ、照明が作動する。
石の群れの中でスポットライトの光を浴びているのは、道化だ。
「気に入ってくれたかい?」
「全然。悪趣味が過ぎる」
サナの返しに特に反応も示さず、道化は照明に魔力を送る。
照明が照らし出す範囲が広がり、部屋の床のみをすっぽりと覆った。
光に照らされた床を見ると、何か影が出来ている。
影は線となって石像を避けるようにずっと続き、合流と分離を繰り返して魔法陣を形成していた。
大昔とはいえ、魔法に精通していたはずのシルバが、見たことがないような術式。
しかし、複雑さ、大きさからして明らかに、大規模なものだと言う事がわかる。
道化はそれに躊躇いなく魔力を注いでいく。
「すごいでしょ? これ。照明に細工をして、魔方陣が影になって浮かび上がるようにしてあるんだ」
スポットライトに手をかざすと、巨大な手の影が投影される。それと原理は一緒で、照明に小さな魔法陣を貼り付けることで実現する仕掛けだ。
後は影に沿って魔力を張れば、即席魔法陣の完成だ。
逆に言えば、手間を省こうと思うほどよく使う術式という事だ。
加えて、ここにある大量の、本物そっくりの石像。
誰もがたどり着くであろう想像に、シルバもまた辿り着いた。
『ッサナ! 逃げろ!』
『なんで?』
『この石像の仲間入りしちまうぞ!』
なぜ気が付かなかった。この可能性に。
シルバ達は「侵入者」だ。ダンジョンを攻略したからといって無事に帰れる保障はどこにもない。
「報酬を与える」と自室へ連れて行き、魔法で石に変えられてしまっても何もおかしくはないのだ。
この空間に出入り口はない。
ならば魔法から逃れる方法としては、魔法の発動を邪魔するのが一番手っ取り早い。
照明に魔力弾を放つ。結界に阻まれて失敗。
魔法陣に解呪をかける。魔力を消しきれずに失敗。
サナに指示を出して道化をどうにかする。結界に阻まれて失敗。
「え? なに? 急にどうしたの?」
白々しい!
そう思ったシルバは、道化が次にとる行動を、予想も出来なかった。
「じゃあ、ダンジョン踏破報酬を与えようか。僕からの報酬は――」
道化は、どこからか取り出したナイフを自らの首に当て、そのまま首を掻き切った。
シルバの予想が、外れたのか。
性格の悪いダンジョンマスターにも血は通っていたのか、ほとばしる鮮血が魔法陣の中央を紅く汚す。
道化は息も絶え絶えといった様子で、呆然とするサナをマスクの奥から見やった。
「――限定的な、細胞の不死化だよ」
『……!』
「……馬鹿なの?」
細胞の不死化。
別に死ななくなるわけではない。
むしろ、逆だ。
魔法を使わずに、なにがあっても死なないなどということはありえないため、生物学的な意味での不死とは、寿命の存在しない状態を指す。
すなわち、不老。
サナが馬鹿と切り捨てた報酬。
しかしシルバには、それがとても魅力的なものに思えて仕方がなかった。
魔法陣が、ひときわ大きく輝く。
道化のマスクから、血が溢れる。
溢れた血は衣装を伝い、靴を流れ、床に落ちて、消えた。
まるで蒸発でもするかのように消えた血の跡には何も残っていない。
いや、消えたのではない。魔法陣が吸っているのだ。
大量の魔力が含まれた、大精霊シーリアの血液を。
「意識が遠くなってきたな……。ああ、もう限界だよ……」
道化が倒れて動かなくなっても、魔法陣は輝きを失わない。何か黒いもやのようなものが、現れては消えを繰り返していた。
もやは少しずつ、少しずつサナのところへ寄って来て、纏わり付くような動きをする。
全ての石像に亀裂が走り、最後には砕け散った。
ガラガラと崩れる石像たち。
魔法陣にこめられた魔力が薄れ、消えていく。
照明もいつの間にか消えており、後に残ったのは道化の死体と、砕けた石像の破片のみだ。
<迷宮の神の加護を取得。輪廻の神の加護に吸収>
<迷宮の神による干渉を個体名*******が妨害>
<アビリティ「迷宮」を取得>
通知がシルバの身に起こった変化を告げる。
その意味を噛み砕いて理解する前に、部屋に新たな転移陣が出現する。
サナが短刀を抜き放ち、切っ先を転移陣に向けた。
転移陣から立ち上った光が、人の形を形成する。
「やぁやぁ。大丈夫? 拒絶反応で舌が異様に長くなったりしてない? 酷いときは歯茎に人面瘡とか出来てるから、早めに言ってね」
サナとシルバの警戒が籠もった視線を浴びながら姿を現したのは、道化だった。
倒れている人影を観察する。道化が虚ろに横たわっている。
今しがた入ってきた道化を凝視する。相変わらずマスクを被ってよくわからないことをほざいている。
クローン? 双子? それともバイトの人?
シルバの脳裏に師匠から教わった漫画の知識が浮かんでは消えていく。
『っつうか、待て、歯茎に人面瘡ってなんだよ』
「魔法のアレルギーみたいなものだよ。それより本題に入ろう」
おぞましい事をさらっと流した道化は、どこぞの魔王が使っていたような魔法で、床に異次元の穴を開けると、そこにもう一人の道化の死体を蹴りこんだ。
ずるずると穴の淵を這いずった後、暗闇の底に道化が吸い込まれていく。
「死人は、大事にしないと駄目」
死人に鞭を打つ行為をサナが咎めるが、道化はどこ吹く風で、
「ああ、大丈夫大丈夫。一週間くらいで復活するから」
そう嘯くのと、異次元につながる穴の奥底から、何かが派手に潰れて飛び散ったような音が聞こえてくるのは、ほぼ同時だった。
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まず、言っておく事があるんだけどね、と前置きをして、道化は語り始めた。
「君達はダンジョンマスターになったんだよ」
『はあ? なにを勝手に――』
「ああ、心配しなくてもいいよ。別に必ずダンジョンを作って運営しないといけない訳じゃないんだ。役割を放棄してくれても良い。その場合はご褒美もなくなるけどね」
説明をしながらも、道化はなにやらウインドウを出して、慣れた手つきでそれを操作している。
「ここで聞きたいのは、君たちにダンジョンマスターになる気はあるかということ。それと――」
ウインドウの操作をやめた道化は、自分がさっきまで操作していたそれをひっくり返してサナに向け、見やすいように拡大した。
ウインドウには、ウェスト大陸の地図が大きく描かれていた。
ところどころに、マル印とバツ印、そして、大陸の西端の一部が紫に着色されており、そこにマル印が集中している。着色された部分の中央付近には、「魔族領」と書かれていた。
「――魔王になる気は、有るかい?」




