第四十四話 精霊の驚愕
ウェスト大陸はもともと、ダンジョンに住まうモンスターの楽園だった。
進化を繰り返したモンスターは知性を持ち、好んで人の形態を取るようになる。
彼らはいつしか自分達を魔族と称し、ダンジョンから出て小規模の町を造り始めた。
きっかけはなんだったか。とにかく些細な事で、当時中央大陸西部からノース大陸西部にかけて君臨していた人間が、魔族と戦争を始める。
新種の人族であった魔族は当然絶対数が少なく、瞬く間に大陸の隅に追いやられ、彼らが所持していた土地の大部分を人間が獲得するに至った。その過程で魔王が誕生したが、健闘むなしく敗退。十代目魔王を皮切りに、魔王という制度は完全に途絶え、生き残った魔族の多くは奴隷に身を落とした。
このエステリカの町は、十代目魔王が住んでいたとされる町で、彼の居城である魔王城が観光スポットとして今なおその威風を人々に知らしめている。
街中をぐるっと見渡してやれば、そこかしこに人間がいることがわかるだろう。
本来の住民であるはずの魔族は殆ど居らず、いても大層みすぼらしい格好をして道端に力なく横たわっているか、奴隷の証である首輪を嵌めているかのどちらかである。
この町の地下から、シルバの存在を感じる。
そこには魔王城につながるダンジョン、エステリカの迷宮があると聞いている。
エステリカの迷宮は西の大精霊が趣味で作ったものだと聞いているので、それほど危ない場所ではないはずだ。
元魔王城の前に飛んでいく。そこは、今は西大陸を征服した国、その公爵家の居城である。
どうせ見えないのだから、テラリアはおどろおどろしい門の前に立つ聖騎士を無視して、魔王城の地下を目指す。
城の中は閑散としており、まるでお通夜か葬式かと言った雰囲気。侍女たちが陰でこそこそと、ここの主の夫人に対して何か、噂話をしている。
本来精霊の姿は人間には見えないので、特に制止されるわけでもなくダンジョンを目指していると、少しばかり豪華な扉の向こうから、かすかな話し声が聞こえてきた。妙に気になって羽を止めるが、物体をすり抜ける力はないので、扉に寄り添って聞き耳を立てる。
徐々に、会話の内容がわかってきた。
「ど……うこ…だ! な…で君がついて…ながらあの子だけ逸れるんだ!?」
「仕方ないでしょう、あの子が勝手にどこかへと行ってしまうんだもの」
「サナはそんな子じゃあない!」
「もうどのみち手遅れよ。なんの魔道具もなしにダンジョンで生き残るのは厳しいし、死んでしまったらダンジョンに吸収されて、すぐに骨になるんでしょう? 打つ手がないわ」
サナ? シルバは以前アレックスと呼ばれていたし、名前が違うことは納得だ。シルバの存在は確かに、この城のはるか下から感じる。もしかしたらサナこそがシルバかもしれない。
待っていてくださいシルバさん、と決意を新たにしたところで、男が言い放つ。
「なら、なおさらだ! 君はか弱い女の子をダンジョンに置き去りにしたんだぞ!」
パーン、と破裂音がした。
遅れて短く、鋭い悲鳴が上がる。
金切り声を上げて男を罵る女性の言葉が遠のき、テラリアの脳内を真っ白に染める。
えっ……? シルバさん女の子になっちゃったんですか……?
こうしてはいられない。真偽を確かめるためにも、サナという名前を記憶して、テラリアはエステリカの迷宮に急いだ。
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ダンジョンの奥にはコアがあり、それがダンジョンを管理している。
この世界の常識だ。しかし、ダンジョンコアがなぜ生まれるのかは、今のところわかっていない。
一口にダンジョンと言っても、ダンジョンにはいくつかの種類がある。
まず、一番多いのが天然迷宮。洞窟や古代の遺跡など、入り組んだ場所に魔力が集まってダンジョンコアが誕生し、中にいた野生動物が魔力で変異、モンスターとなった場所は天然迷宮に指定される。これは頻繁に誕生しており、星の数ほどある。ウルフも歩けばダンジョンに落ちるなんて言葉があるくらいだ。
次に多いのが人工迷宮だ。愚直すぎるネーミングの通り、大昔の大魔法使いが作ったダンジョンであり、彼らの持っていた秘宝を守っている。
そして、一番数が少なく、一番大規模なのが世界迷宮である。世界迷宮は魔力を世界中に循環させる役割があり、神や精霊といった存在がじきじきに管理している。
この世界に存在が確認されている世界迷宮は現在三つ。
中央大陸のちょうど真ん中にある、次元の洞穴。
大陸自体が迷宮化した、サウス大陸。
そしてここ、ウェスト大陸にある、エステリカの迷宮だ。
エステリカの迷宮には二つの出入り口があり、一つは一年前に完全封鎖。
もう一つは旧魔王城の地下。
『つまり、ここですね』
入り口に張ってあった結界は無効化。最近魔法が廃れ、代わりに魔道具が台頭し始めたとは聞いていたが、重要施設の魔道具がこの程度とは拍子抜けだ。
結界の魔道具の残骸を視界から外し、代わりに石でできた通路を見やる。
すぐそこの曲がり角から出てきたオークがごうと吹っ飛んで、はるか先の通路を紅く染めた。
いけない。はやる気持ちを抑えられず、魔法の加減を失敗してしまった。
だが、急いだほうがいいのも事実。なんといったってここはエステリカの迷宮。最下層に至っては魔王クラスでなければ突破できないと言われているのだ。
テラリアは羽に魔力を集めると、一気に加速した。
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結論から言うと、十階層のエリアボスは雑魚もいいところだった。
風の刃で細切れになったオーガがびしゃりと嫌な音をたてて崩れ落ち、紅い水たまりをつくる。
それすらもまとめて突風で吹き飛ばし、石の壁に叩き付けた。
「やあ、テラリア。待ってたよ」
テラリアはキッと、声のした方を睨み付ける。
出てくると思っていた。
西の大精霊、シーリア。世界に魔力を循環させるための依代をただの石に決めて、地下深くに埋めた変わり者。
今はどういうわけか道化の恰好をしているが、その魔力を見違えるはずもない。
『シーリア。ここにサナという人がいるはずです。会わせてください』
「嫌だねぇ。ここはダンジョンだよ? 中に用があるなら、とりあえず潜ってみるのが筋ってものじゃないかな」
少し驚いた。
断られるのは予想していた。でも、前に会った時、シーリアは何というか、言葉を濁さないなら根暗だったのだ。受け答えもボソボソとしていたし、根拠を述べずにいきなり結論を言って相手を困惑させてしまうような、そんな精霊だった。
それがどうだろう。今のシーリアはむしろ明るく、それゆえに少し不気味だ。
だが、その身から発せられる魔力は間違いなく本人のものである。
それ以前に、近くに契約者がいるわけでもないのに実態を持てているのは、いったいどういうわけだろう。顕現は契約者がいるという前提のもと、かなり条件が厳しいのだが。
いや、そんなことはどうでもいい。今はシルバだ。
『この中に、サナという人はいるんですね?』
「ああ、それは保証するよ」
『じゃあ、あなたに用はありません。さようなら』
テラリアは羽に魔力を込め、道化の脇を通り抜けようとして──眼前に差し出された掌に阻まれる。
道化の手だった。
「君、持ち場から離れてるけど、契約者はどうしたんだい? それらしき姿は見当たらないけど」
『その言葉、そっくりそのまま返しますよ』
テラリアは眼前に置かれた手を避けて、転移陣に滑り込む。
明滅する転移陣。
転移するテラリアを、道化は見送る。
彼女が会いたがっている人物(?)は、今四十階層にいる。
テラリアは知らない。道化がわざとダンジョンの魔法的な遮断を解除したから、シルバの存在に気付けたということを。
ああ、楽しみだ。テラリアが思いを寄せる彼が別の女と行動を共にしていると知ったとき、彼女は一体どんな反応をするのか。
「ただの嫉妬で済めばいいけどね」
一人残った道化は、心底楽しそうに、邪悪な笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございます。
ここで、第四十一話につながります。
道化が報酬を与えるとき、無駄に機嫌がよかったのはこれのおかげです。
一部設定を公開します。
・ダンジョン
世界各地に存在する、謎の構造物。
形態はさまざまで、サウス大陸とかだと、足を踏み入れた瞬間からダンジョンに入っていました、みたいなわけのわからないことが起こるダンジョンもある。そして、広いダンジョンは大抵モンスターが弱い。スライムとかホイホイ沸く。実はシルバは三章でもダンジョンモンスターに転生していた。
世界は広いので、探したらダンジョンに住み着いて村を作っちゃった一族なんかがいるかもしれない。
・モンスター
もはや「なろう」の共通設定と化してしまった、人類の敵。
気づいているだろうか。彼らがダンジョンの中でしか登場していないことを。
基本的に、モンスターはダンジョンにとって白血球的な意味合いを果たすため、ダンジョンの中か、見世物小屋の中でしか見ることができないのである。
一応、魔力を持った獣、魔獣なら普通にいる模様。
・グランハート父
サナのお父さん。公爵家の当主。興奮すると爆裂の魔眼が発動し、焦点が合ったものを自動的に吹っ飛ばす。とある種族と人間とのハーフだとかなんとか。よく部屋を散らかす。
子供は前妻との子が一人、後妻との子が二人。
・グランハート母(前)
サナのお母さん。公爵夫人だったが、サナが五歳の時に事故に遭い、腹に宿していた子と共に死亡。享年二十二歳。
・グランハート母(後)
サナの継母。サナを追い出す機会をうかがっていた。




