第三十三話 道化
シルバはしばし呆けていた。
サナという少女の記憶を観察する過程で、人間の性格が変わる瞬間を見てしまったからだ。
彼女の精神が死の恐怖に耐え切れずに崩壊し、再構築された。
恐ろしいのは、それを彼女自身が全く気付いていないというところだ。
変貌したのは深層心理。いうなれば「ピーマンが嫌い」とか、そういったものである。
彼女はもう、人を殺そうが愛玩動物を切り刻もうが眉一つ動かさないだろう。
冷酷無比な本能と、異常な生存欲求。それが彼女の心を構成している。
「ふぁぁぁ」
欠伸の音が聞こえた。どうやら起きたらしい。
シルバは結界を解除し、変わりにサナに身体強化をかけた。
毎日毎日瞑想した甲斐あってかシルバの魔力は日に日に高まっており、サナにかける身体強化の精度も上がっている。
サナが魔石を破壊するのも大きい。
魔力タンクたる魔石から漏れ出した魔力を得られるので、能力の向上につながっているのだ。
本人にとっては道端の石を蹴り飛ばすくらいの感覚だろうが、それが自身の強化につながっているなど思いもしないだろう。
サナが殺した場合は通知してくれないようだ。
そしてここはダンジョンの四階層。五階層に下りる階段前。
サナはボス戦前の睡眠を終えたところだ。
英気は十分。後は敵を葬るだけ。
サナはボス部屋の固く重い扉を、汗一つかかずに押し開く。
ボボボボォ! と少し大きめの松明に火が点り、石のみで作られた質素な空間を照らす。
中央では、巨躯の鬼がサムライのように刀を地に突き立て、サナを見据えていた。
戦闘が始まるゼロコンマ数秒前。
シルバは鬼に向かって解析をかけた。
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no name 921才
種族 オーガウォーリアー
魔力 3000
アビリティ
筋肉
鬼刀
称号
脳筋
フロアボス
最後の侍
ボッチ
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鬼は見た目どおりのパワータイプだろう。そのくせ今のシルバよりも魔力が高い。
称号から察するに伏兵は誰一人としていないようだが、アビリティの筋肉の想像がいまひとつ出来ない。
筋肉をどうするのだろう。シンプルに馬力を上げるか、鋼のように固くして身を守るのか。
案外隆起させて射出してくるかもしれない。もしそうだった場合、相手だけが一方的に遠距離から攻撃できると言う事だ。筋肉ミサイルは脅威である。結界の準備をしなくては。
シルバは漫画のような超高速思考の持ち主ではない。こうしている間にもサナは鬼に飛び掛ってゆく。
「ぐうおおおおおおおおおお!!」
鬼が吼えた。音が鼓膜を叩き、剣の切っ先をビリビリと振動させる。
サナは常人なら発狂するほどの雄叫びに怯みもせず、未だに振動している剣を振るった。分厚い首の肉を一度でそぎ落とす事は出来ないので、無難に足から。
ガキイ! と、生物の肉から発せられるわけが無い音が響く。
折れた剣先が吹き飛び、少し低めの天井に突き立った。
シルバも吸収を試してみたが、その頑丈な体故か何も起こらない。柔らかいはずの目すらも吸収できなかった。
あえて何もしなかった鬼が、ニタリと笑う。
「かはっ」
峰で思いきり吹き飛ばされたサナは、受身を取る暇も無く壁に叩きつけられた。肺から空気が漏れる。
シルバはすぐさま魔法で回復し、折れた肋骨、潰れた腎臓などを元通りにする。
シルバの体ではないので痛覚を鈍らせる事は出来ないのだが、サナは終始痛みを口にする事も、顔に出す事も無い。表情は無のままだ。
やはり、とシルバは思う。
記憶を垣間見た限りではサナという少女は優しく繊細な少女であって、こんな戦闘マシーンのように淡淡とはしていなかった。シルバはまだ、彼女の感情が顔に表れたところを見たことが無い。
サナは今の攻防で肉体性能の差を理解したのか、獲物をゴブリンのナイフに切り替えた。
今度は折れないようにサナ自身の魔力を纏わせてある。
機動力において、ナイフは剣よりも数段勝る。
鬼の攻撃をかわしながら削っていく作戦だ。
ずしん、ずしんと歩み寄ってくる鬼をすれ違いざまに切りつけると、急転換して反対側を走りぬけ、ナイフの後を刻み込む。叩きつけると折れるので、刃先を滑らせるように。
上から見れば鬼を中心とした五芒星かそれに近い図形が描かれているだろう。
今のナイフで付けられる傷はせいぜい紙で切った程度のものだ。ほんの少しだけ血がにじむ程度の負傷。
だがシルバにはそれで十分だった。
魔眼でにじみ出た血液を吸収する。
いくら皮膚が堅くても、血液をどうこうする事は出来ない。
無数の傷口から、見えない注射器でもあるかのように鬼の血液が吸いだされ、黒くなった瞳に消えていく。
やがて鬼は血液を大量に失い、失血死した。
<オーガウォーリアーを殺害>
おそらく死ぬまで削り続けるつもりであっただろうサナは、間髪いれず鬼の眼球にナイフを突き刺した。
そこしか刃が通らないのはわかるが、お前は眼球に何か恨みでもあるのかと聞いてみたくなるシルバだった。
死んだ鬼は簡単に吸収できた。おそらく筋肉というアビリティは体中の筋繊維を硬化させる能力だったのだろう。それに加え魔力による防護がかかっていたため、吸収が効かなかった。
優先順位はこんな感じだ。
吸収<鬼の皮膚≦強化したナイフ<筋肉
ナイフが皮膚を切り裂いたお陰で血液を吸いだせるようになった。逆にナイフだけなら筋肉の鎧を突破できず、浅い傷をつけるだけだった。
巨体の吸収がようやく終わり、魔石だけがころりと転がる。
サナはそれをいつものように叩き割った。
<進化が可能な魔力に到達>
通知が進化可能になったことを知らせてくる。
直後、魔力を使い切ったサナが倒れた。
武器に魔力を纏わせるのは高等な技で、使用する魔力も大きいのだ。
あと数時間は起きないだろう。
<ステータスを確認>
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シルバ 0才
種族 パラサイトアイ(進化可能)
魔力 4327
妖気 128
アビリティ
転生(転生数3)
魔法
妖術
進化
魔眼(精霊視)
通知
魔眼(吸収)
寄生
称号
転生者
ダンジョンモンスター
義眼
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サナが気絶している間に進化を済ませておく。
<進化を開始>
閉じられたまぶたから、進化光があふれ出す。
サナは眠ったままだ。
<ステータスを確認>
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シルバ 0才
種族 チャームアイ
魔力 327
妖気 128
アビリティ
転生(転生数3)
魔法
妖術
進化
魔眼(精霊視)
通知
魔眼(吸収)
寄生
魔眼(魅了)
称号
転生者
ダンジョンモンスター
義眼
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ダンジョンにおいてこれほど要らない能力があるのだろうか。
他に超強力な攻撃手段があるのに、態々モンスターを魅了する意味があるのだろうか。
落胆していると、部屋の奥に転移魔方陣が現れ、奇抜な格好をした道化が転移してきた。
その顔は一目でそれとわかるピエロのマスクをかぶっており、素顔はわからない。
「あれ? 冒険者さん寝ちゃってる」
道化はそう言って、サナにテクテクと歩み寄る。
刹那、サナの右目だけが大きく見開き、様々な結界を展開した。
もちろん、魔力切れのサナは眠ったままだ。
<対象のステータス確認に失敗>
!? 馬鹿な、そんなはずはない。仮にも魔法その他を極めた師匠の作った解析だ。レジストなどありえない。
<対象のステータス確認に失敗>
<対象のステータス確認に失敗>
<対象のステータス確認に失敗>
「おやおや、そんなに怖がらないでおくれよ。別に攻撃するつもりは無いからさ」
『お前は誰だ!』
「ああ、喋れたんだ。自己紹介がまだだったね。僕の名前は……まあ適当にダンちゃんとでも呼んで。ダンジョンマスターだし」
『ふざけんな!』
「口の悪い目玉だなあ。僕は君達を祝福しに来たんだよ?」
道化は口の悪い目玉から打ち出される高圧水流を軽々かわし、ため息をついた。
「じゃあ、これからも当ダンジョン、エステリカの迷宮をよろしく!」
応対するのが面倒になったらしく、道化はそう言うと、PON、とコミカルな音と煙を立てて消えた。
キラキラと虹色に輝く煙が収束し、宝箱を形作る。
なんだったんだ、とシルバは結界を解除した。
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