第三十一話 邪眼
目を開けると、まず目に入ってくるのが壁。苔むした石のレンガで構成されており、薄ぼんやりとした魔力光を放っている。天井と床も同じつくりのようだ。
右に目を向けると、通路が続いている。十メートルほどで曲がり角になっており、その先に何があるのかはわからない。
左に目を向けると、まず十字路があって、その奥には上階に上る階段が見える。
次に自分の状態を確認しようとして、あることに気づく。
視界が正面を零度とした八十五度以上後ろに行かない。
首を動かそうとしても、感覚すらない。
幸いにも魔力はあるようなので、千眼を使って視点を少しずらしてみる。
シルバがいると思われる場所は、ただの壁になっている。
そんなはずはないと注意深く観察すると、壁にポツンと、単眼が埋まっていた。
千里眼でない方の視点を横に動かすと、壁に埋まった単眼が横を向いた。
これがシルバであるらしい。
解析を使う。
<ステータスを確認>
なんか言った。
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シルバ 0才
種族 イビルアイ
魔力 63
妖気 1
アビリティ
転生(転生数3)
魔法
妖術
進化
魔眼(精霊視)
通知
魔眼(吸収)
称号
転生者
ダンジョンモンスター
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イビルアイというと、暗いところを好む目玉のモンスターだ。邪眼の癖に魔眼を使う。
そして、シルバの魔眼の能力は「目から半径二メートル以内のあらゆるものを吸収し、糧にする」というものである。
向こう側の壁への距離、二メートル強。
天井への距離、三メートル。
床への距離、二メートル強。
何も吸収できない。
知らず知らずの内に天敵だった転生者、カンタと似た能力を手にしたシルバだが、今はその不便さに嘆いた。
あれからどれほどの時が経っただろうか。
シルバがふと疑問に思った瞬間、通知が入る。
<ただいま22時50分。覚醒から50分経過>
なかなか有能なアビリティのようだ。合成された機械音声なのが若干気になるが、それ以外は言う事無しである。
まぶたを閉じられる事を発見して以来、高速瞬きに躍起になっていたが、かなりの時間が経過していたらしい。
一時間近く経ったと言うのに、何も変化がない。相変わらずシルバの眼前には無機質な通路が広がっているだけである。
シルバの称号から、ここはダンジョンであると言う事はわかっているため、待っていれば魔物か人が通ると思っていたのだが、その考えは甘かったようだ。
その結論に至ったシルバを嘲笑うようなタイミングで、通路にコッ、コッ、と足音が響く。
右側の通路のほうから響いてくる足音の主は、足音からして靴を履いているようだ。だが、人間が一人でダンジョンを悠々と歩くなんておかしい。こういう場合は十中八九──
曲がり角から少しずつ、歩行者の体躯が現れる。
髪の毛の無い、豚耳がついた頭。
涎の垂れた口と細められた目、大きな鼻から構成される醜悪な顔。
人間では考えられない、太く大きな体。
オークだ。
オークは息を吸うたびに小さくンゴ、ンゴ、と鳴る鼻を気にも留めず、人間から強奪したであろう血で黒ずんだ靴で歩いてくる。有効範囲まであと七メートル、……六メートル、……五メートル。
見つかれば潰されるかもしれない。だが、このチャンスを逃せば餓死するまで誰も来ないかもしれない。
三メートル、……二メートル、……一メートル。
シルバの銀色の虹彩が、黒く染まった。
オークの体表から何かが漏れ出し、シルバの眼に吸い込まれていく。
オークはすぐに異変に気づき、犯人であるシルバを捜そうとするのだが、ダンジョンの壁に生えた小さな眼でしかないシルバを見つけ出すことは出来ない。
そうしている間にもオークは魔眼に吸収されていき、動くのも億劫になってくる。
既に自慢の硬い皮は服ごと剥ぎ取られ、筋繊維すらも剥き出しになり、吸収されていた。
さすがに恐怖を感じたのか、オークは全力で走り出す。……壁に向かって。
光魔法を駆使した撹乱である。今のオークには視界が九十度回転して見えているはずだ。
予想外の衝撃に完全に体力を奪われたオークは、地面に転がって吸収されるのみとなる。
オークはゆっくりとその体積を減らし、最後には石のようなものを除いてすべて吸収されてしまった。
この石、名前を魔石といい、ダンジョンモンスターからしか取れない特産品だ。
<オークを殺害>
機械音声が通知してくる。
ステータスを確認すると、魔力は一切増加していなかった。吸収はあくまで糧に変えるアビリティであり、魔力を奪って自分のものにする事は出来ないようである。それどころか、モンスターなら順当に己のものに出来る魔力すらもエネルギーに変えているようだ。
つまり、進化したければ瞑想するしかないということだ。
そう結論にたどり着いたと同時、シルバは瞑想を始める。ダンジョンのオブジェと言う現状を打開する為に。
あれから何日経っただろうか。
<現在中央暦1352年10月10日。誕生から10日経過>
十日前と似たような質問をしつつ、数度瞬きをする。
この十日間、シルバはとても退屈な日々を過ごした。
だが、ひたすら瞑想し、たまに通りかかったモンスターを狩る日々は、今日を持って終わりを迎える!
<ステータスを確認>
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シルバ 0才
種族 イビルアイ(進化可能)
魔力 1094
妖気 88
アビリティ
転生(転生数3)
魔法
妖術
進化
魔眼(精霊視)
通知
魔眼(吸収)
称号
転生者
ダンジョンモンスター
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ついにこつこつと練った魔力が規定値に達したのだ。これで進化が出来る。移動手段が手に入らなくとも何かしらの暇つぶしが手に入る。
シルバの成長スピードは異常である。モンスターだから、で済まないほどに。
これには転生でも引き継がれている、ある特性が深く関わっているのだが、それはまた別の話。
<進化を開始。条件、「何かに埋もれる」を達成した事で進化先が変化>
恒例の進化光が収まる。
<ステータスを確認>
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シルバ 0才
種族 パラサイトアイ
魔力 94
妖気 88
アビリティ
転生(転生数3)
魔法
妖術
進化
魔眼(精霊視)
通知
魔眼(吸収)
寄生
称号
転生者
ダンジョンモンスター
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寄生を理解した。これは移動手段になる。
早速だが、シルバはこれを使ってみることにした。
すぐ横に寄生。
視点がほんの少しだけ右にずれた。
この寄生と言う能力は簡単に言うと、触れたものに寄生する能力である。
寄生を繰り返すことで、壁伝いに移動が可能になるのだ。
シルバはとりあえず、階段のほうへ移動する事にした。出口があるか上階があるかで、ここがダンジョンのどの付近にあるのか知りたかったからだ。
銀の単眼がズズズズ、と移動する光景は軽くホラーだが、当の本人は気にする様子も無く移動する。
この寄生による移動は、カタツムリかと言うくらい遅い。
階段には結界が張ってあった。中心から外側へ斥力を発生させるタイプのものらしく、半径二メートル以内に近づくことも出来ない。
人が通らないわけである。
ならば階段の前の十字路だ。階段から見て右側、初期位置から見て左側の通路に入ることにする。
入って直ぐの曲がり角を曲がると、小部屋があった。奥には宝箱が置かれている。
ダンジョンには宝箱が置かれており、中身はダンジョン内で死んだ者の所持品であることが多い。
あの中にも何かしらのお宝が入っているのだろう。
今の状態では宝箱を開けることも出来ないが。
またのろのろと十字路に戻ってくると、なんと人間がいた。
「お継母様! 私を嵌めたのですか!?」
上質な服を着た少女が、結界越しに、同じく上質な服を着た女性に訴えかける。
女性の周りには杖を持った魔法使いと思しき男が数人、女性を守るようにして立っていた。
「悪く思わないで頂戴ね。恨むなら魔眼を持って生まれなかった自分自身を恨みなさい。あなたが魔眼を持っていない癖に優秀なせいで、こんな目に遭うのだから」
「そんな……!」
「じゃあね。……やれ」
女性の取り巻きの男達が、いっせいに杖を掲げ、呪文の詠唱を始める。
風の刃が、少女を切り裂いた。その華奢な体に大小さまざまな傷を付けていく。
その中には、明らかな致命傷も含まれていた。
「あ、ぐうぅ……」
「いきましょう。後は勝手にくたばってくれるわ」
女性は男達に声をかけ、階段を上っていく。
後に残ったのは血まみれの少女と、一部始終を観察していたシルバだった。
「ぁ……ぅぅ……」
シルバは考える。この少女をどうすべきか。
とりあえず、暗くてよく見えなかった顔を確認する。
人形のような、美しい少女だった。
じっくりと観察すると、まず目に付くのがその若干長めの亜麻色の髪だ。
赤や青、金などの派手な髪が多い異世界で、地味な色は逆に珍しい。
ほっそりした顔立ちにはまだ幼さが残っているが、血に染まった服から見える二の腕にはそこそこ筋肉がついている。
小柄な割には、人間になったシルバよりもいい動きが出来そうだった。
傷のぐあいを診る。
整った顔は無残にも切り裂かれており、特に右目は失明していると見ていいだろう。
そして何よりも胴体のダメージが深刻だ。このまま放っておけば間違いなく命を落とす。
魔法を使えば傷はある程度治るが、リザレクションを使う魔力が無いため、部位欠損は治らない。彼女の目は失明したままだろう。片目と言えど、ダンジョンで距離感がつかめないのは致命的だ。
ここでシルバの脳裏に浮かんだのが、寄生の本来の使い方だった。




