第三話 妖術
シルバが婚約を快諾した翌日。
「今日からシルバには妖術の練習をしてもらう」
朝食を食べようと居間にやってきたシルバに、ガルアはそう言った。
「妖術、ですか?」
婚約をする旨を書いた手紙を持たせた使いを走らせたため、返事が返ってくるまで暇になっていた。瞑想はさっき終わったばかりだ。
「ああ、そうだ。時間があるときにやっておいたほうがいいだろう」
不死鳥族の返事が合意だった場合、ガルアはシルバを連れて不死鳥族本家に挨拶に行くことになっている。返事が返ってくるまではガルアも暇を持て余すことになるのだ。
ガルアとて本気で妖術を教えようと思っているわけではない。あくまで暇つぶしのためである。
「よーし、じゃあ、基礎からだ。まずお前にはこれをやってもらう」
庭にでたガルアが取り出したのは、一本の極細の糸のようなものだった。
「なんですか、それ?」
同じく庭に出たシルバが尋ねる。
「これは、ある妖怪の髪の毛を編んだものでな、わずかにでも妖気にふれると……」
紐がピン、とまっすぐに伸びた。
「このように硬くなる。これをアンテナのように使って敵を見つけるらしい」
ガルアがシルバの下に歩いていき、スッと紐を差し出す。
「こいつを反応させることが当分の目標だ」
紐を受け取ったシルバはうーん、と考え込む。
特に何も説明されていないということは、できて当たり前もしくは方法を感覚的に理解できるということだ。だが、シルバにはわからない。どうすればいいか。
ガルアはその様子を見てニヤリ、と笑った。
できなくて当たり前である。妖術の訓練は妖気を感じ取ることから始まる。コツも教えられないでそれをするのは不可能だ。
今紐を渡したのはあくまで教えられなければできないということをわからせるため。五歳ですでに作法と座学を修めてしまい、一部では神童などと呼ばれているシルバから過信を取り除くためである。
妖術指導書マニュアルの二百三頁、「生徒が優秀すぎる場合」の欄に書いてあった。
『自らの力を過信しすぎると、大抵失敗します。早いうちに鼻っ柱を折ってあげましょう』
マニュアルは絶対だ。守っていれば大抵のことは何とかなる。
ガルアがフッフッフッフ、と笑っている間に、シルバは突破口を見つけつつあった。
妖気自体はすでに発見している。瞑想時に魔力を循環させる際に生じる、心臓付近の違和感だ。最初は心臓病にでもかかったのかと心配したものである。
あとはそれを魔力操作の要領でコントロールしてやればいい。
シルバはいつも魔力でやっているように妖気を操り、紐を持っている指先に集める。
魔力よりもはるかに大きなエネルギーが心臓から血管を伝って指先に集まっていく。
すべて指先に集まりきったとき、紐がわずかに起き上がり、すぐに力なくダラン、と垂れた。
反応した。
わずかだが確実に妖気を感じ取って、まっすぐとはいかないまでも、硬化したのだ。
「父上、出来ました」
シルバはずっと見守ってくれていたガルアのほうを見る。
「…………」
ガルアは顎が外れそうなほど大きく口を開けて、惚けていた。
無理もない。ガルアがそれをできるようになるまで一か月を費やしたのだから。
それをたった三分、人間御用達の即席食糧にお湯を入れてから完成するまでの時間でやってのけた。
魔力操作の経験が活かされているのだが、魔力なんて扱えないガルアには知る由もない。
心が折れそうだ。
「父上、次は何ですか?」
父上の都合なんて知りませんよとばかりにシルバが畳みかける。
父の威厳を守るために、せめて強がらなければならない。
「つ、次は妖気を使って妖術の初歩、狐火を発動してもらおう。これはさすがに厳しいぞ」
そう言ってガルアはテニスボールくらいの大きさの、色とりどりの火の玉をいくつも出現させた。
一つ一つが意思を持っているかのようにガルアの周りを漂い始める。
「一つでいいから作ってみろ」
狐火を使うには妖気で火を発生させる必要がある。妖気の変換は一夕一朝で出来るものではない。今度こそ泣きついてくるはずだ。
意識をシルバに戻す。
シルバの掌の上に、小さな狐火が浮かんでいた。
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狐火を習得してから三日。シルバはほぼすべての妖術を習得していた。
とはいっても、まだ妖術を極めたとは言えない。妖術は技の習得に重きを置く魔法とは違い、覚えた技をどう発展させるかを重視しているからだ。例えば、狐火の場合、魔法のファイアーボールに似通っているが、そこからさらに精霊を憑依させて戦わせたり、実体を持たせて防御に使ったりできる。
しかし、一撃の威力が高い分、消耗しやすいという欠点があるため、長期戦には向かない。そのため、獣王国ビーストにおける妖狐族の役割は、主に諜報や暗殺、遊撃である。
「ガルア様。不死鳥族より文を預かって参りました」
不死鳥族に使いとして出していた男が、どういうわけか空から降ってきてそういった。現在、シルバたちは朝食中だ。
「ご苦労」
ガルアが差し出された手紙を受け取り、封を開けて読み始める。
『前略
娘も乗り気だ。後でそちらに寄ろう。
後略
リエルド・ハルク』
ちなみにこれは文章の都合で略しているわけではない。本当にこれだけしか書かれていなかったのだ。
質のいい紙と本格的な封蝋が泣いている気がする。
「まあ、なんというか少し変わった奴でな」
「はあ……」
親父殿が変わっていようが何だろうがシルバにはどうでもよかった。どうせ隙をついて血を飲めばもう関わりあうことはないだろうからだ。
ガルアは使いの男に手紙を返す。男は狐火で足場を作り、その上を駆けていった。
シルバは少し感心する。そういう使い方もあるのか。妖術もなかなか奥が深い。
「セレイヌ! 急いで接客の用意を!」
「畏まりました」
そばで控えていたセレイヌが立ち上がり、居間を出ていく。
「せっかくの準備が無駄になってしまったな」
朝食を食べ終えたシルバは、どうやって血を入手するか考えていた。不死鳥族の血に不老不死の効能があったなら、ぜひとも入手する必要があるからだ。
頼んだりするわけにもいかない。断られた場合、不信感を抱かれてしまい、入手成功率が大きく下がってしまう。
別の手段として挙げられるのは、
・偶然を装い手や足に傷をつけ、出てきた血を素早く拭い取る。
・自分でケガするのを待つ。
というものだ。
前者はリスクが高すぎる。バレたら何をされるかわからない。最悪殺されても転生できると思われるが、絶対ではないし、転生先にまた都合よくチャンスが巡ってくるとは思えない。
転びでもして怪我するのを待とう、シルバはそう決めて、不死鳥族が訪ねてくるまで妖術の特訓をすることにした。
ドロン、という音を立てて、シルバの体が煙に覆われる。
煙が晴れると、そこには何の特徴もない、黒髪黒目の少年が立っていた。
「う~ん、師匠はもう少し地味なんだけどな……」
さっきから師匠に変化しようとしているが、どうしても違和感がある。特徴は捉えられているのだが、細部まで変化しきれていない。美術品の贋作といったところだろうか。
これがシルバの変化の限界である。
ちなみに、妖術を習得したことによってステータスに変化が表れた。
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シルバ・フェート 五才
種族 妖狐
魔力 84
妖気 21
アビリティ
転生(転生数1)
魔法
妖術
称号
転生者
族長候補
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妖術関連の項目が加わったのだ。
変化を解いて、ほかの妖術も練習しよう。
まず、狐火。
シルバが薙ぎ払うように右手を振るうと、軌跡を描くように狐火が生成される。その数、五つ。
妖気で操られたそれらの狐火のうち四つを、訓練場に設置された的に向けて発射し、残り一つを変化、シルバに似た人形を作りだし、狐火四発でも傷一つついていない的に向かって突撃させる。
続けて、呪術。
人の形をした物なら無生物でも有効なため、的をポコポコと殴り続けているシルバ人形に向かって、爆散の呪いをかける。抵抗に必要な精神力をかけらも持ち合わせていない哀れな人形に、おぞましい模様が浮かび上がり、直ぐに土煙を巻き上げながら爆音を轟かせた。
爆音が木霊となって響く。結界術を用いた結界を解いたシルバは、魔法で発生させた風を以って土煙を吹き飛ばした。的の状態を確認するためだ。
「な、なん……だと……」
驚いて師匠がよく使っていた言葉をつぶやいてしまう。
つやつやした光沢。
流線的な円。
中心までの距離を表した丸になっている、赤と白のボーダー。
傷一つついていない的がそこにあった。
妖術を使ったことによる疲労もあって、ガクリ、と膝をつく。
「驚いているようだな」
玄関からガルアが出てきた。しっかりと正装(着物)に着替えている。
「中央大陸から取り寄せた。名のあるドワーフが作り、王都一とうたわれるエルフがエンチャントした最強の的だ。並大抵の攻撃では破壊することはできん」
「的にこだわりすぎでしょ!?」
中央大陸は東西南北にそれぞれ位置する大陸のちょうど真ん中にあり、エルフ、ドワーフの国がある大陸だ。
両種族は共生関係を築いており、エルフが後衛、ドワーフが前衛のパーティーを組んで戦うことが多い。
ドワーフは力が強く、手先が器用であるため、王都では職人が槌を打つ音が絶え間なく響いている。
「的こそ破壊できなかったが、一日でそこまで上達するとは思わなかったぞ。お前には安心してフェート家を任せられるな。その第一歩としての婚約だ。お前もそろそろ着替えろ。普段着で婚約者に会うつもりか?」
「わかりました。すぐに着替えてまいります」
訓練場は庭を結界で隔離しただけの簡易なものだ。庭というくらいだから母屋と大して離れているわけではない。
シルバは五分ほどで着替え、客間で待機していた。
「やあ、お邪魔するよ」
「よく来たなリエルド。シルバも客間で待っているぞ。リエナちゃん、いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
玄関のほうから聞こえてくる会話に、シルバは唖然とした。
ガルアが、実の息子にも厳しい、あの厳格なガルアが、柔らかい口調でしゃべっている!