第二十八話 転生者
「ほう、奴が?」
「ああ。転生者、シルバだ」
「強いのか?」
「もちろんだ。この俺が保障しよう」
「それは楽しみだ」
「気をつけろよ? 奴は――――ん? 何だ、もう行ったのか」
先程まで「彼」が立っていた位置を眺め、ニンジャの装束に身を包んだケンジはため息をついた。
魔力の手で結界の表面を拭いたシルバは、戦場の散歩と洒落込んでいた。
グロ画像を目にしなければ大丈夫なのである。
『すごいですねシルバさん。皆さん自分から道を空けてくれますよ』
「強者の威厳って奴だ」
テラリアの言うとおり、シルバの行き先だけぱっくりと割れたように兵士がいない。ただ一つ間違いを指摘するなら、彼らは道を空けているのではなく結界で退かされているという事のみである。
もともと対魔専用のものだった結界は改良され、いつしか人間同士の争いにも使用されるようになった。
そして、結界は熟達すれば自由自在に操る事が可能となる。もともと結界は魔力を固めて固形物を作る技術でもあるので、溶かしては固めを繰り返すのだ。あまりやりすぎると脆くなるが、棘を飛び出させたりすれば攻撃も可能なため、それを主力にして戦う魔法使いもいる。払魔師が人間の為を思って開発した結界が人間を傷つけるために使われるとは、皮肉なものである。
説明がフラグになったかは定かではないが、突然結界に亀裂が生じる。
人一人通れるほどの亀裂から、変な格好をした男が飛び込んできた。半袖半パンの上からぼろぼろのローブを羽織っており、手には指貫グローブをはめている。
結界の外から歓声が聞こえた。帝国の兵士であると見て間違いはないようだ。
「貴様がシルバだな?」
「ああ、そうだけど?」
「では転生者シルバよ。貴様に一対一の決闘を申し込む!」
「嫌だ。断る。失せろ」
即答したシルバに、闖入者は面食らった顔をした。
「何でだよ!? そこは好戦的な笑みを浮かべながら不敵に了承するところだろ!?」
そこまで言い放ったところで、闖入者はようやく我に返る。
「……ゴホン。理由を聞かせてもらおうか」
「お前は俺の弟子じゃねえんだ。聞いたからって何でも教えてもらえると思うな」
「ああもう! 調子狂うなぁ!」
『シルバさん、あんまりからかうとあの人発狂しちゃいますよ? それくらいの狂気を感じます』
「確かにキモチワルイな」
耳ざとく反応した闖入者改め変質者が、ゆらゆらと奇怪な動きをする。
「ほう……よほど死にたいらしいな。我輩に逆らった事を後悔するがいい! 死ねええぇぇぇ!」
キエエエエエエエ、と奇声を上げながら飛び掛ってくる変質者に、シルバは魔力の手を放つ。
「ふ、無駄だ!」
魔力の手が腕の一振りでかき消された。振り切られた左腕をよく見てみると、何か黒い、ヘビのようなものが絡まりついている。そこに一切の魔力は存在しない。
「転生者!? SSって奴か!」
『というかあの手気持ち悪いですね』
「喰らえ我が異能! 食手!」
咆哮と共に触手達が主の腕を離れ、シルバに襲い来る。
とっさに張った結界を食い破り、自動結界を消滅させ、その勢いのままにシルバの肩口を抉った。
「ぐ!? あがあああぁぁっ!」
『え、え? シルバさん?』
痛い。痛い痛い痛い痛い痛ぃ痛ぃ痛痛痛痛痛痛痛痛痛
「あああああああああああああああアアアアアアアアアアァァァァッッ!」
『シルバさんっ!!』
「ん? あれ? 弱っ。弱すぎるだろ」
魔法使いは魔法の研究はしても、体を鍛える事はめったにないため基本的に打たれ弱い。身体強化がなければ町にいる裁縫師と大して変わらないほどにだ。
それは痛みに対する耐性にもいえることだが、それらの問題はすべて身体強化で解決する。
身体強化には単純な身体能力の強化はもちろん、アドレナリンを操作して痛覚を鈍化させる効果もある。
獣人になった際に呪術をよく使用していたのも、この恩恵があるからである。
しかし、普段ならデコピンされた程度にまで軽減される痛みを、今はダイレクトで激痛として感じていた。
シルバは生まれて初めて感じるまともな激痛の中、意識を手放す一歩手前まで追い詰められていた。
『この糞野郎っ……! よくもシルバさんを!』
「う~ん、一応技の解説だけはしとこうか」
怒り狂ったテラリアを認識する手段のない変質者が、ぶつぶつと独り言を呟いていたかと思うと、よし、と深呼吸をした。
「はははは! これが我が異能、<食手>だ! 我輩が魔神から簒奪せしめたこの力、ペラペラクドクドうんたらかんたら(略」
やたら常用外の表現を使った説明を翻訳して要約すると、
・SSの一部
・触れたものなら岩だろうが魔法だろうが何でも喰らいつくす
と言う事らしい。
なるほどシルバの天敵である。身体強化を解除されたら痛みで何もできない。
『精霊契約第三項、契約者の生命が危険にさらされた場合の特例により、外敵を排除します』
基本的に許可がなければ何もできない契約だが、いくつかの例外がある。その一つが非常時の対処だ。
契約者が危機に陥った場合、危機の回避が優先される。
『攻撃対象を変更させるため、一時的に顕現。精霊の存在の秘匿を目的に、人の形態をとります』
いちいちテレパシーで口に出す事で、精霊契約に引っかかっていないか確認する。
契約は……無反応。つまりお咎め無しだ。
掌に乗るほど小さな体が、大人の女性の肉体へと変貌していく。
青い髪が、あふれ出る魔力になびいている。
「そこの変質者! その人から離れなさい!」
数百年ぶりにその口から発せられた声は、そうとは思えないほど透き通っていた。
「へ、変質者!? ……俺そんな風に見られてたのか。……ゴホンゴホン。無礼であるぞ! 我輩の名前はカンタ・ドラゴ・ニージマだ! 貴様も名を名乗れ!」
「うるさい」
「へ?」
「うるさいっ!」
純粋な魔力の奔流が、カンタを包み込んだ。
自動防御機能でもあるのか左腕から黒い触手が湧き、魔力を喰らっていく。
が、許容量を越えたらしく、内部から破裂した。
「なっ!? <食手>が! 帝国中の魔法使いの攻撃にも耐えられるのに!」
「死んでください」
テラリアがそう吐き捨てると同時、カンタを取り囲んでいた濃密な魔力が、すべて水分と強烈な冷気に変換される。氷点下を大きく下回った水が、カンタにへばりつき、中身ごと凍り、へばりつき、中身ごと凍り……。
数瞬後には、テラリアの前には巨大な氷塊が鎮座していた。
巻き込まれた帝国兵達が氷に閉じ込めれている様は、さながら水中に浮かぶクラゲのようである。
これこそがテラリアの力。風を纏い、大質量の水を生み出し、熱を限界まで奪う力のほんの一部。
世界樹の子としての力だ。
カンタが絶命しているのを確認したテラリアは、急いでシルバのもとへと向かった。
氷塊が発する冷気で周辺の温度が下がり、吐く息を白く曇らせる。
「シルバさん、大丈夫ですか!? 何かして欲しい事は!」
急激な気温低下により、冷えた空気が移動を開始する。冷たく、乾いた風が吹き抜けた。
シルバが口を開く。
「寒い……」
「……」
シルバは寒さで感覚が麻痺し始めた体を、大きく震わせた。




