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たった五十年、それでも

作者: 直江吉喜

                 たった五十年、それでも  


ノンストップで飛ばした四時間弱の運転だったが、足腰の疲れを感じることもなく、車を出たその場で周囲の変貌振りを呆然と見渡した。広く盛り土した高台にあるためか、向こうに見える通り沿いに並んだ東京で見慣れたチェーン店や遠く高速のインターチェンジも見通せた。ここは角地には違いなかったが、前方で交差する両サイドの道路はそれぞれ片側一車線だったはずだったし、畑だったか田んぼだったか、何かほとんど使われていそうもないスレート()きの倉庫が無造作に建っていたような気もする。そんな記憶の中の絵を思い浮かべていた。

ほとんど空きスペースのない駐車場をいかにも使い慣れているかのように、濃紺の軽がけっこうなスピードでまっすぐ彼の方に向かってくる。運転席から手を挙げながら目の前で右に折れて行った。気づいたときは逆光と彼の目線の高さからでは、運転席の人影が男なのか女なのかも判別できなかった。

見遣(みや)っているとドアを閉めながら振返った彼女と目が合った。胸のあたりで手を小さく振った。パンプスを引っ掛けトートバッグを提げた姿は、近くのスーパーまでちょっと買い物という出で立ちだった。後で聞かされたが、彼が指定したこの昼過ぎの時間はよほどの急用を取り繕わなければ家を空けられないということだった。

二十二年振りだった。

口紅だけのほとんど化粧っ気のない笑顔は昔のままだった。咄嗟の印象は幼児を二人連れて歩いていても違和感もないくらい、幸せいっぱいの若妻だった。ひと回りふっくらしたように見える体つきは、子どもを何人か産んだはずの彼女の四半世紀を物語っていて、当然だろうと暢気(のんき)な思いが頭を()ぎっていた。スカートの前を上から軽く()ばして手を額に(かざ)しながら駆け寄ってきた。スカートから伸びた真っ白な(なま)(あし)が陽に(さら)された別の生き物のようで、彼はその動きだけを見ていた。あっという間に彼の(そば)に立ち照れ笑いをつくったのも束の間、昔と変わらない優しい眼差(まなざ)しが、彼を見上げて頷くと睨みつけるような(まなこ)に変わった。周囲を確認するように頭を左右に振ってから「乗って」と小声で彼を運転席に促しながら、自分は反対側に回り助手席に滑り込んだ。

「出たほうが、、、やっぱり目立つ」

「元気そうだ」

「うん、なんとか。あなたも変わらない。安心した。よかった」

「どっち?」彼女の指差した左に向かった。「どっかある?」

「わからないけど、離れたほうが、、」

彼は町中を抜けて川を渡って二十分ほど行けば里山に入れることを知っていた。町中に車を走らせるのも、夏目前のいい季節に川向こうまで眺めるのも久し振りだった。親父の葬式の日に寺までタクシーの中から眺めて以来だ。あの時もおそらく何も見えていなかっただろう。

駅前の昔からの商店街は人影もまばらで寂れようは隠しきれない。彼女の指定したマックの駐車場の車の多さはウソのようだ。松林の濃い緑に彩られた旧道を迂回してバイパスに乗ると里山の麓までは思ったより近かった。 彼は窓を開けたまま紫煙を切らすことなくくゆらせていた。話すこと、聞きたいことを何から始めればいいのか思案したが出てこない。彼女は両手を膝の上で合わせてシートに浅く腰をかけたまま動かない。乱れる髪をかき上げることもなく前を見詰めているだけで、どこへ行くのかも頭にないかのように黙り込んだままだ。

切り口の鈍くても鋭利でもどっちでも構わない、この空気を切り裂く言葉を探しても口を()いてこない情けなさが(つの)ってきていた。一方で、彼のなかに(そうなんだよ。早く隠れなくては、逃げなくては)という気分がにわかに()ち上っていた。道中流れる風景に懐かしさを感じる余裕はなかった。車の中には高校の頃に二人で人目を避けて座った薄暗い喫茶店の隅に漂っていた青臭い空気だけでなく、別の緊張感のようなものも薄く流れ出していた。CDプレーヤーのボタンを押した。ニーナ・シモンがミスター ボージャングルを軽やかに哀しく唄いはじめた。

「オレのせいだけど、不思議だな」

「うん、そうね。でも、ありがとう」

「二十年以上だろ」

「、、、、、」

「変わったな」

「わたし、、?」

「あなたも当然変わっただろうけど、駅前を外れると街道沿いはどこの町も同じ景色だよ」

「そう?久し振りなの?」

「一年くらい前から毎月一度は来ている。ゴルフだよ。だから町中には入らない。メンバーになった。夕方までゴルフ場、そのあと延命寺に寄ってから一、二時間は近くの飲み屋で飲ってからビジネスホテル。翌朝早く出て昼過ぎに会社に戻っている。最近はその逆で、前泊してゴルフのあとそのまま帰るほうが多いかな。さっき思い出していたんだ。昼間、駅前を通るのは八年振り、親父の葬式のとき以来じゃないかな」

「そう、お父さん、、、、家には寄らないの?」「うん、寄ってない」

「、、、、、、、、、お母さんは?」

「二十年前、がん、最初は喉頭がん、それから肺へ転移、最後は胃。会えたのは前の日の夜だった」

「えっ、二十年前、じゃーその二年前だと思う、わたし、、、あなたの実家に行ってお母さんと玄関先でお話したのよ、、、、知ってる?」

「あぁ、聞いていた」

「トイレからやっと出てきたところみたいだった。確かにやつれている様子で、寝巻きを着けていて立っているのも辛そうだった。憶えている、、、、、、、そうだったの」

「その頃は喉のあと肺を開けて手術した後だったはずだよ」

「そういえば、寝間着の首から胸元あたりが白い布でおおわれていて、心臓か肺の具合が悪いのかなぁと思った記憶がある。お母さん、、、、、お父さんが送ったお米が戻ってきたって、、、住所がわからなくなった、と云ってすごく申し訳なさそうに何度も何度もごめんなさいって。わたしのも、、、よく憶えている。今でも忘れられない」

「その頃オレは札幌へ行く少し前だったと思う。就職しないでウロウロしていて、思いつきで引き払ったんだ、東京を」

「札幌、、、、御母さん、いくつだった」

「五十語」  

母親が逝った最期の晩、職に就いたばかりの彼はやっと病院に顔を出すことができた。家の前の通りを二百メートルほどいった突き当たりに航空母艦のような威容であたりを威圧している。小学校に入って間もない頃に何もなかった川沿いに、突然恐竜のように現れた病院だった。

顔つき、布団に隠れた体つきは予想通り末期癌患者のそれだったけれど、胸を()かれたのはベッドが窓辺にぴったり寄せられ、しかも窓枠まで上げられていたことだ。横になって顔を右に倒せばこの四階のガラス越しに、実家の玄関をすぐそこに見下ろせる。母は出入りする人間の顔ぶれをいちいち見定めているのではないか。彼は目を(つむ)った。胃が締めつけられ胃液が競り上がってくるようだった。今、逝こうとしている母の不憫(ふびん)に自分の情けなさが重なり、身を裂かれるような思いで病室を後にした。「元気でやるのよ。兄さんとも仲良くやるのよ」半日休みをとった翌月曜日、朝早く出て昼過ぎにたどり着いた会社のデスクの上に訃報が届いていた。

 母は彼が東京に出てまもなく発病して、十年ほど入退院を繰り返し都合十五年は病の中にあった。その間、胃に転移する前のほんのわずかな一時期「どうしても」と懇願して家で療養していたことがあった。結婚したばかりでまだ町中のアパート住まいだった嫂が通い詰めで介護にあたったらしい。彼女が彼の実家を訪ねたのは、そんなもう末期といってもいい時だったのだ。彼が札幌に向かう途中で一晩だけ泊ったその直前くらいだろう。「お父さんは久しぶりの慰安旅行、彼は東京の営業所に出張」何年振りかで実家に電話を入れてみると二人はたまたま不在だという。どう家の中の様子をうかがおうかと迷いながら緊張して受話器を握ったが、思いがけないラッキーに彼の声色は一転明るくなった。(あによめ)の語り口は久しぶりという以上に珍しい義弟からの電話に、戸惑いとは別にどこか 不自然だったことが気になったが、(札幌へは、旅気分で実家に寄って母のメシをたらふくときれいな布団でひと晩泊まって日本海側を廻っていこう)二人が留守の間隙(かんげき)をついて(かす)めるように母の顔を見に寄ったのだ。

彼は嫂に電話口で聞いた母の容体との落差におののき驚き、癌の怖さを見せ付けられた思いでおふくろを正視できなかった。病気のことには触れなかった。母は彼が避けたい話題はほどほどにしてくれた。彼は台所の嫂の気配を気にしながら、精一杯の愛想を尽くした。トイレに立つのもやっとだろうと想像させるに十分で、声はかすれがひどく聞き取りにくかったけれど、気持ちは痛いほど伝わっていた。半分になった小さな体は居間の奥に据えられたベッドに沈んでいた。しばらく彼の顔を大きな目を見開いて積る思いをいろいろ言いた気に見詰めるだけで目を(つむ)ってしまうことを何度か繰り返した。ベッドに向き合ったのはほんの数十分だったろうが、ふっと気づくと眠ってしまったかのように目を閉じていた。布団から出ている手や顔はカサカサに乾いていたが、(まぶた)の奥には涙が溢れているような気がした。並んだ料理はすべてたいらげたが、味噌汁もどのおかずの味にもたのしみにしていた母の手料理の懐かしさはなかった。向かいに座る嫂に笑顔を見せながら、目の裏に彼が高校の頃の元気な母の顔と背中の向こうのベッドで目だけぎらつかせている小さな顔を交互に浮かべた。

「卒業できたのね」「うんまぁ何とか、安心してよ」

「それで?」

「うん、もう少し時間がかかる」

「落ち着いたら父さんに知らせなさいよ」

就職の話はそれで終わった。兄嫁は腫れものに触るように彼に気を遣っていたのだろう、二人とは距離を置き笑みを浮かべるだけで黙って聞き流していた。ビールを何本も空けた後すぐに、嫂が用意してくれたふかふかの布団でぐっすり寝入ってしまった。それでもさすがに気になり、朝までに珍しく何度か目を覚まし嫂の謂う通り、母の様子をうかがいに居間に降りた。そのたびに「起きたの、ゆっくりやすみなさい、こっちはいいから」と機先を制された。その夜、深刻な病人しかもご無沙汰してしまっていた母と具体的に何をどう話したらいいのか考えながらも、実際何を言われて何をしゃべったのか。

思い出すのは、唐突に彼女のことを言い出したことだ。

「高校のとき、付き合っていたんでしょ?その娘さんとはどうなってるの」

「エッ?付き合ってた?」

「その()、家に来たのよ、あなたに出した手紙が宛先人不明で戻ってきたって。あなたまた変わったの?」

「もういいんだよ。結婚でもするんじゃないの」

「ないのって、あなた、それも知らないの」

「知らない」

翌朝、駅まで送ってもらった車の中で嫂から聞かされた。母は、彼から連絡が入ったらとにかく一度家に帰ってくるように言ってほしい、その際、自分の病気の詳しい話はしないようにと半分口止めされていたという。改めて「近いだろうな」と心に重く刻まれた。

母はこの後すぐ病院に戻った。そして、翌年の暮れだった。

「あなたの実家の前を先月通ったとき、お兄さんの奥さん、庭先で姿を見かけた。子供はうちと同じくらいの子が二人いるのよね」「上は東京にいるらしい、大学だろ。下の女の子は神戸で看護師みたいだね」

 父親と兄とは、母親が亡くなる前の晩とその二日後の葬式の場で顔を合わせた。火葬場の向こうに色合いが同じような海と空が拡がっていた。時折、潮騒も聞こえてくるようだった。その灰色のキャンバスに(あが)っていく白い煙を父、兄夫婦、叔父叔母たちといっしょに眺めた。鼻にハンカチをあてながら「早かったわね、、、これからだったのにね、、、」とつぶやいた叔母の一言が重く待合室に漂い、所在なく俯いていた彼は上目使いで近親者の顔色を見回した。帰りの車での「やっぱり骨はおおきかったけど、がさがさだったな」「薬のせいもあるだろう」母のすぐ上の兄と次兄の互いに顔を見合わすこともないささやきを彼は聞き逃すことはなかった。(やっぱり、そうなのだ)彼はゆったりたなびいていた白煙を思い返し、つい三日前の別れ際にベッドの読書灯の下で見せた母のやさしい笑顔がこめかみに貼りついたような気がした。彼は最後まで親戚縁者の「東京で勝手にやっている次男坊」を演じ通して、葬儀の後の会食の席でも何を語ることもなく会葬者の出入りに紛れて早々に姿を消した。

田舎の仲間は兄と時折呑み屋で居合わすことがあるという。「うちのアイツはどうしてる」と訊かれるらしい。そのたびに「やってるらしいですよ。東京で会社やるのは大変みたいですね」と彼の言い含めた以上のことを漏らしながらも何度かしらばくれ通している、と聞いていた。

彼は中学の頃から、父とは(むか)い合ってこれといった話をしたことはないし、兄とも物心ついてから記憶がない。男二人兄弟にしては家の中はいつも静かだった。両親はこれといって手を(わずら)わされたこともないかわりに、ずっと物足りなさを感じていたのではないか。今この齢になって男子と女子の違いはあるだろうが同じ年頃の子を持ってみて、父と母の当時の顔を思い出そうとしたことがある。母の静かな笑顔はすぐに浮かび上がってくるが、父の顔は全く浮かばない。長兄を差し置いて何事にも面倒見のよい次男の親父のところに顔をだして深刻そうな表情で話し込んでいた叔母たちの姿を彼はよく目にしていた。彼は、その話の内実を知ってか知らずかいちいちお茶を()したり丁寧に応対しながらも、親父の隣に同席した母の姿を見たことがなかった。敢えて避けて、彼が(こも)っている部屋に唐突に取り繕った笑顔を出して、思い出したような話をもちかけたりして気を紛らわそうとしていることを彼は敏感に嗅ぎとっていた。そのわざとらしさ(またいい話ではないのだろうな)を感じとるたびに彼は聞き役の親父よりも母の心裡(こころうち)を察した。外面(そとづら)がよく何事にも頼りになりそうに見えるのか親戚縁者、会社関係に限らず町内会の(よろず)担当者まで何かにかこつけて父のところに寄ってきていた。当然のようにそのたびに茶だけでもてなしが済むわけがなかった。高校生になると彼のうんざり感はつのり、その得体の知れないわだかまりの正体を母が身をもっていちばんよく知っているのではないかと思いはじめた。兄とは特に確執といわれることもあったわけではない。母親を早く亡くしたせいもあるのだろうが、三十年以上互いに寄らず触らずのころに身を置いている。これからもその定位置は変わることはないだろう。

舗装されていない林道に入ると、今来た方角へ戻るように登り坂が続いていた。しばらくアクセルを踏み続けていると空が開け、整地された小さな公園のような空き地に出た。「降りよう」途中お互い自分のことに触れなかった。顔を見合わせることもなく二人とも前を向いたままだった。言葉を探しているうちに小高い山の上まで上がって来ていた。遠くに()いだ海が銀色に明るく広がって、見下ろせば昇ってきた五十メートル足らずの勾配しかない山道がほこりっぽく陽の光を照り返していた。バイパスと八号線の向こうに北陸道が走り、車が音もなく往き来していた。振り返れば、遠くに今朝も(くぐ)り、越えてきた三国山脈の夏を間近に控えた濃い(みどり)を畳んだ稜線が、空との境をあいまいにしてぼんやり南北に拡がっていた。

数年前、ここから北に首を伸ばせば(のぞ)めるはずのゴルフ場の会員権を手に入れた時に、地元の仲間が「()めた方がいい、そんな金があるなら百姓でもできる近所の土地を買っておいたほうがいい。いずれ家を建てるにしても」という言葉を思い出していた。さらに東京との往復の道中に売りに出されている古民家がいっぱいあるという情報に敏感になっていることもよほど口に出そうかと思ったが、それもブレーキがかかっていた。

「こんなところがあるのね。はじめて」ささくれ立った二人座ればいっぱいの木製のベンチが置き去りにされたようにあった。並んで座った。二人の間に海から吹き上がってくる風の音が横たわっていた。二人は傍目(はため)にはゆったりと沈黙に包まれて寄り添っているように見えただろう。股を広げて座った彼の腿と腰に彼女の体の温もりが伝わっていた。彼の気持ちの揺れも彼女の心の震えも聞こえてきそうだった。彼は時折両腿に肘を乗せ、頭を股の間に落とし蟻が行き来する乾いた地面を見下ろしていた。彼女はずっと姿勢を変えることなく遠く海の上の虚空を見詰めているようだった。結局何を話したのか今でも定かではない。

 彼は一瞬、隣にいる彼女の存在を忘れそうになるほど解放感に浸った。自分の肌に合う空気というものがあり、心に深く刻み込まれた風景があり、その中に身を置くと身体ごとすぐに馴染める場所があるというが、それはやはり育った郷里ということなのか。いままで何十年も拒絶してきた空気もその一部なのか。高校時代までは東京以外に向かうべき場所はないと考えていた。二十五年後の当時も、東京以外に何処か行くべき場所はないし、居る場所もないと思っていた。まして帰る場所などあるはずもあったためしもない。いつも今居るここしかないと考えていた。東京にしがみついてきたと云われても可笑しくない。しがみついてきたと言われれば、そんな思いにしがみついてきたのは確かだ、などと今更のように彼女とのわずかな時間の中で、東京に固執してきた自分の四半世紀がよみがえっていた。そしておふくろのいなくなった今では、彼女はオレのふるさとのアイコンなのかもしれないなどと、どこかで耳にしたような言葉も思い浮かべていた。

「今、家に居るの。戻らないと」

彼は不意に心がひきつった。ゆっくり顔を回すと、切羽詰まった表情で彼を見詰めている彼女の目があった。

「ダンナ?」

「毎日昼は(うち)で済ますの。ごめんなさい。今度いつ?来れる?」

唾を呑みこみ、一息あっただろう。

「来るよ、いつがいい」

「いつでもいい。都合がついたら早めに連絡ください。携帯持ってきた。あなたの、、、番号は?私の方からかけてもいい?」

二十分もいただろうか。帰りも同じだった。言葉は少なかった。

「来月、いつがいい?」

「来れるの?私が電話する」

町中に戻ったときには、車の中の空気には一時間ほど前とは違った重さがあった。窓を開けたばこを(くわ)えた。風は紫煙を気持ちよくもっていっても充満している沈黙の息苦しさを吹き飛ばしてくれなかった。やっと出てきたのは念押しの一言だった。

「よかったんだよな」

「うん、会えてよかった、、、、」

彼女が何回か頭を振り彼の横顔を窺っていた。彼は何も言わず、左手で彼女の手を手繰(たぐ)り寄せた。握り返す汗ばんだ温もりのある彼女の()と指には昔のか細い感触は消え女、妻、母親の厚みと太さががあった。風で髪が大きく乱れ白い(うなじ)を見せるだけで、顔を彼の方に向ける気配はもうなかった。

スウィッチを入れた。

「タバコ、減ってないのね、、、変わらないわね。好みも」お登紀さんの百万本のバラがもの哀しく流れた。握りなおした手を離した。降りるとき改めて顔を見合わせた。二度目だった。彼女は目を見開き張りつめた表情で頷いた。

「じゃぁ、ありがとう。うれしかった」

「あぁ、待ってるよ」

 自分の車へ歩き出した彼女の背中にはまったく別の空気が貼りついていた。運転席に入る間際、背伸びするように振り返って彼と目を合わせ小さく手を振った。笑顔には違いなかったがその表情には一時間前の印象を裏切るように溌溂さはなく、目の奥に、何年になるのか結婚生活の灰汁(あく)なのか疲れなのかを見てしまった気がした。気持ちはもう彼のほうには向いていなかった。一息ついた後、けっして言葉にできない思いがここにあると指さすのが無言のことばなのだ、、、詩人のような言葉が肚の底に重くあった。

彼は気を取り直して車を出した。両親そして彼が生まれる前に亡くなった姉が葬られている寺に向かった。一年前から実家から車で三十分の改造オープンなった地元ゴルフ場に通うようになった。その際に、田舎に足を踏み入れたなら、実家の仏壇に線香の一本も立てない人間の最低限の義務だろうと自分に課して、ゴルフの前後必ず足を運んでいる。それを仏ごころ、と云うならばそうなのだろう。通ううち、(次男の親父が自前で墓を建立したのは彼が中学生のころで、オレもすでにその(とし)になっている。いずれ自分の入る墓を手当てすることになるのだろうか)墓石に水を遣りながらそんな思いも涌いてくる。(親父もおふくろもガンで逝った。自分も毎日酒とたばこを手放さない生活を続けていると同じようにガンで早死にすることになるのだろうか)誰が()()けたものか(しお)れかかっている菊の花数本を挿し直しながら、そんな思いも(はら)のなかに涌いてきた。茎先をいじっているうちに白い花弁が一輪あっけなく水の滴る黒い墓石に転げ落ちた。

ひと月前に献花を買いに寄った門前の花屋の土地は更地になっていた。子供の時分からあった、おそらく戦後から商っていた老舗だった。白く干からびた地面の真ん中に一輪花弁をもたげているタンポポの黄色が鮮やかで寂しげだった。車のドアを開けるとエアコンでわずかに冷えた空気と一緒にちあきなおみが流れていた。しっとりと哀しく、別れの一本杉が胸に滲みた。

東京に戻ってから週に一度は声を聞くようになった。彼女は自分の車の中、彼も移動中の車の中か会社の会議室が多かった。次回の逢引(あいびき)の段取りと「いつもつながっているみたいだから」の道具としては携帯の手軽さは確かにありがたかった。

「あの頃あったらね」

「、、、、いいんだよ」

「そうね」

 どうということもない他愛ない話で三十分にも四十分にもなることもあった。地元に残った数人の中学時代の友達との話は楽しそうだった。仲のよかった長野や横浜に嫁いだ仲間とは年に一度は地元で会っているらしい。彼はそんな話はどうでもよかった。彼女たちの顔をぼんやり思い出すのが精一杯だ。彼女は自分のことはなかなか言い出さなかった。彼も敢えて訊き出すことを避けた。去年息子の東京のアパートに行ってきた話になり「今年も行くからそのときに」で彼女の声のトーンが落ちた。「だいじょうぶ?」と念を押した。彼女の気持ちの高まりは伝わってきていた。「東京でか、、、、笹塚以来だ」彼の昂奮も彼女の胸まで届いていただろう。彼は(二十年以上前にはこんなことは一度もなかった)と不思議に思いながらも心のなかで苦笑しながら携帯を閉じた。

大学と短大の長男と長女、高三の次女の三子を抱え、少なくても家庭的には彼より数段幸せというものを(つか)んでいるように思える。

ダンナは毎日昼飯時だけは家に戻るが、ほとんど家に居つかないという。どこか語り口が寂しげだった。

「居つかない、、?そんなに忙しいのか、店がいっぱいあるってことか?付き合いもあるんだろうな、、、そうなんだ」

「ううん、違うの」

(自分も似たようなものだ)

彼女の温かかったやわらかい手の感触を思い出しながら聞き流していた。老け込んで(ゆる)みなどまったく見せることもなかった体つきが頭のなかで像を結んでいた。

「あなたのことだから仕事はちゃんとやってるでしょうけど、家のほうは?そう、、、娘さんは?」

「うんまぁ、人並みにはね。今度ゆっくり話すよ」特に今、伝えなくてはということもないからなのか歯痒(はがゆ)さは残るし、切るたびに昔同様、電話の限界を思い知らされた。

 娘はミッション系の女子中学からの半分エスカレーターで同じブランドの高校に通っていた。学費の高さだけをタテに反対はしたが、カミさんに押し切られた。彼が子育てを任せ放しにしていた娘の進学問題に口をはさむ余地は無かった。「そのために勉強してきたんだから、ねぇ」と母娘で迫られればどうしようもない。何事も無く普通にクラブ活動も楽しんでいたように見えていたが、半年前から急に様子がおかしくなり、三ヶ月前から通院では済まなくなっていた。

おそらく当初から孤独と不安が胸の奥底にあったのだ。それが結婚十五年経()ったあたりから、夫が家を空けるようになり、それが女のせいでしかも会社の事務員ではないかと察しがついた頃から陶芸教室に通いだした。妻そして母親を(まっと)うしてきた彼女が、老いも意識しはじめた魂を救う場所として選んだのが轆轤(ろくろ)を回す時間だったのだろう。そこに集まるのは四十半ばの彼女以外ほとんどが子育てを終えた五十を過ぎた主婦ばかりらしい。主宰する先生と慕われる女性は東京近郊で夫と共に、長年素人に開放してきた工房での教室を、還暦を期に実家のあるこの海沿いの町から車で十分ほど入った里山に移したという。市も歓迎したらしく、なにかと便宜をはからい受講料も格安だという。陶芸の実技や知識を教えてもらうだけでなく、オバちゃん達にとっては大げさに言えば人生相談の場にもなっているらしい。「先生はみんなのあこがれのおネエさんのような存在になっているのよ」彼女のようにこの土地から一歩も出られぬまま少女時代の気分のそのままに、妻となり母となった主婦たちが、日々の屈託の多い現実を一時(いっとき)でも(かわ)すために集まってくるのだろう。「子育てが終わったんだからそんなに現実的な愚痴もないだろう」「私のところと違ってみんな平穏なんだけど、二人だけになってみて、これからのことを考えると滅入るんだって。歳を取ってから先生夫婦みたいにしていられたらいいとかということもないけど。贅沢といえばそうだけど、それが普通よね」陶芸のまえに市のボランティアスタッフとして一年ほど週に何時間か幼児の世話で気を紛わせはしたが、夫の不貞の気配がはっきりした頃から抱えてきた心の空白を埋めきれるものではなかった。長男、長女が家を出てひとり暮らしをはじめ、次女も一、二年後に家を離れるのを目前に控え、女のところからいつ帰るかわからない夫との二人暮らしに迫ってくる寂しさを誤魔化しきれるものではなかったのだ。彼女は何かを思いつめて、それを滅多なことでは何事となく人に打ち明けることなく過ごしているのではないか、押し寄せてくる不安や焦り、切なさ、淋しさに身をよじられそうになりながら、表向きはそれまでといささかも変わらずに生きているのではないか。仲間といっしょのときでも、彼女はほんとうの姿を見せることもないだろう。

そんな時に、ずっと気持ちの底にうっすらと沈殿していた二十五年前の甘苦い記憶が「オレ、わかる?」の降ってきたような声に唐突に()き回された。ゆっくり三回、やっと深呼吸してから「うん、はい」と答えたのが、忘れていたオンナをつま先から襟足を抜けて引き吊り出されたきっかけだった。人の声で背中が粟立つのは、彼との電話のときだけだったことを思い出したのは受話器を置いてしばらくしてからだった。汗ばんだ掌に気づき思わずエプロンの裾を握りしめ、逢いたい、と改めて自分にも言っていた。あした、逢える。

翌月、その後何度も利用することになるラブホテルでポツリポツリと語りはじめた。彼女は彼が所在無く腰を下ろしていたベッドに向けたソファに座っていた。それまで彼の顔を見上げていた彼女の眼差しが肩口で泳いだ。そして数秒口をゆがめたあと小さな声をさらに潜めた。

「こんな話は誰にも言えない。あなただけ」

単なるダンナのオンナ遊びとも言えない深刻な(くだり)一息(ひといき)ついたあとの一言だった。は何も言えず黙って聞いていた。やっと出た言葉が「そんな話はオレの周辺ではいくつもあるよ。小さなオーナー会社の社長に多いよな」だった。今の彼女にとって毒にも慰めにもならない。むしろ(そんな男と一緒になったのだから)と暗に(とげ)(はら)んだ一言を口走っていた。気の利いた言葉のつもりで吐いた一言だったが、その日の帰りの車の中で、投げ遣りだった口ぶりも思い返して、つくづく自分に嫌気がさした。身体は心地いい疲労感で気持ちの昂揚感も収まり切れず、来る時よりも短く感じられるはずだった道中は、彼女の想像を超える身につまされる話とそれにかぶせる自分のいちいちの口吻(こうふん)にはらが立ち、ずっと唇をかみしめていた。高速に乗る前に給油で一度車から離れたきり飲まず喰わずで家にたどり着いた。喉はたばこでカラカラだったが腹は湿った怒りでいっぱいだった。

「相手は?」

「もうおそらく三人目になるはず。最初は会社の女性、次はスナックの女の子、お酒も飲めないのにね、今は居酒屋のママ。帰ってこないときは一週間になることもある」

「そうか、よほどだよな」何が余程なのか、彼女が嫌われたのか、飽きられたということか、惚れっぽいのか、女なら誰でもいいということなのか、彼は続ける言葉がわからなくなった。

彼女は眉を寄せて(いぶか)しげな表情を見せてから、膝の上の掌を見詰めながら何かのついでのようにうち明けた。「何度も殴られた。恥ずかしくて、言えないわね」消え入るような(ささや)きだった。

彼女のいったい何が許せず怒り狂うのか、想像がつかない。考えられるとすれば、(ひとの気持ちのなかによほどのことがない限り入らない)彼女がダンナの蛮行か淫行を黙って見て見ぬ振りをしているのが、むしろ面白くなく無性に腹が立つのではないか。彼女にすれば「もういいの」と言わせるだけの経緯があったとしても、「オマエは最初から俺を馬鹿にしたところがあった」と執拗に(ののし)られるらしい。それをまた彼女が(おび)えながら受け流すとさらに横暴が増幅される、という図式ではないか。

彼女は胸を上下させて鼻で大きく息をしてから、「どうしようもないわね」とポツリとこぼした。彼は上から眺めているだけだった。 

二人の周囲に孤立感がたちこめ身体にはりついてくるようだった。数秒、空気が(ゆる)んだ。何かにそそのかされたかのように立ち上がった彼女は、顎をわずかに上げ一度目を伏せてから彼を上から見返してきた。彼は腕を伸ばし彼女の腕を引き寄せ、身体ごとベッドの上に引き倒した。朝五時前に家を出て四時間のドライブで疲れていた。ホッとしたかった彼には、体と気持ち、どちらに先に触れたかったかといえば、体だった。彼女も正直な体を悔やんだ気配はなかった。それまで表情にかかっていた(かげ)が消え、ピンク色に染まった顔に光る涙目が彼にはうれしかった。

 何回か、いっしょに食事をと手作りのお重を持ち込んでくれたこともあった。それを彼はほとんど口にできず、家に居るときは会社に出かけるのが十時過ぎだというダンナの目を盗んで、よくぞこんな手の込んだ料理をと、ありがとうのことばも、目を合わせて微笑んでやることさえしなかった。「おなか、だいじょうぶなの。食べないね」と残念そうな表情を見せることもなく、広げたお重を手際よく仕舞い込む姿を、彼は(申し訳ない)と心の中で呟きながら眺めていた。

「コレ、何年も使っていないの。引き出しから持ってきた」

何かを宣言するかのように語尾をはっきり、床に座り込んでお重を差し出したときの笑顔そのままで薄紫色のパッケージ二つ三つを、彼の鼻先でひらひらとかざした。(超薄)の文字がはっきり見えてからその後ろの彼女の顔をさがした。下から首をかしげながら覗きこむ彼女と目を合わせる。彼は笑い返すこともなく、ベッドに彼女を引き上げ、始めるのだ。体を重ねて二人で一時間ほど理性の外に出るのだ。だからといって何も事は立ち上がることはない。「他の男の人は知らない。あなただけ」

こうして二人の月に一度の密会が始まった。

それでも、東京と新潟という物理的な距離よりも時間的な空白はおいそれと埋まるはずはない。その頃の彼女との逢瀬は、彼のなかでは前後の脈絡はなく、いつの場面も点でしか繋がっていないのは当然かもしれない。まして面になるわけはないのだ。たいがいが午後の三、四時間を二人きりの狭い密室か移動中の車の中で過ごすだけなのだ。ここから何かが始まるなどと期待すべくもない。それは彼女も同じだろう。線にするにも、たいへんな時間と空間が必要なのだ。そもそも二人だけの社会性のない世界が面や立体になるわけがないのだ。そんな男と女の関係は時間に敗れ去るのは必定(ひつじょう)なのだ。そんな遠い予感は山の上で二人で並んで海を眺めたときからあった。それをどこまで見て見ないふりを通せるか、もちろん自分自身に対してだ。不安は募っていった。身体を重ねたその夜から、彼のいくつかある心の暗い裂け目がひとつ増えていた。

それも日々の仕事の中で埋もれていく。彼女と電話でしゃべった日の夜は、何の根拠もなく何も起こらないだろう、出来事は起きるときは起きる、と酒で流すだけなのだ。店を出ると、じっと抱えていくしかないと酒と一緒に胃袋に収める。数週間後の逢引の(たび)に帰りの車の中で気怠(けだる)い悦びとは裏腹に裂け目が拡がる。

点が線になりかけたころ、一度捩(よじ)れて負の立体として立ち上ったことがあった。互いの磁石のように張り付いている連れ合いが突然介在したときだっだ。それだけだ。

勤めていた会社の限界を感じて周囲のおだてにも乗り、勢いだけで会社を(おこ)して十二、三年。四、五年前までの資金繰りの大波は乗り切って一息ついてはいたけれど、別の懸念はあった。毎月スタッフを増員せざるを得なかった。こなしきれないほど仕事が廻ってきていた。行き当たりばったりで当面の峠を越えていた。しかしこの頃からずっと違和感があった。自分がイメージしていた会社の方向から徐々に()れていくような気がしていた。社内の(きし)みが毎月月替わりに出ていた。それをもぐら叩きよろしく処理して、後はおまかせ。場当たり的に、半分神頼みみたいだった。それがいい方向に向かうのは三つのうちひとつが関の山だった。

そんな時に彼に時間があったことが問題だったのだ。きっちり現実と向き合っていなかったということなのだろう。というよりも、逃げを考えていたのだ。現実逃避の道具は揃っていた。体力、無理やり捻り出せた時間、そして金。

バブル景気のさなか突然思い立ち、東京のゴルフ仲間の情報を頼りに、郷里の友達の制止も聞かずにメンバーとなった地元ゴルフ場まで足を延ばしていた。独りになりたいという思いには、午後早めに会社を出て四時間弱のドライブはわけのわからない何かからの開放感を実感させてくれた。通ううちに完璧な車社会になったとはいえ、どこかで彼女の姿を見かけるのではという絵空事に(かす)かな期待もあった。彼女は実際、どこの誰と結婚して何処で暮らしているのかも知らなかった。ただ彼女のことだから、ずっと年上の地味で温厚なおっとりした地元の役人かなにかといっしょになってこの土地から離れているはずはないと思っていた。そんな思い込みだけを頼りにした子供染みたエネルギーはまだ残っていたのだ。

当日の夜ゴルフプレイの前夜、仲間と一杯やるのと前後してどんなに暗くなっても実家を素通りして、罪滅ぼしに墓に寄った。真っ暗な墓地を、車からライトを取り出してウロウロすることもあった。花を()()けることができなくても手だけは合わせた。地元に入るといつの間にか殊勝(しゅしょう)な若造の気分になるのだ。その足で精進落としを兼ねて昔の仲間と居酒屋で合流して地酒を()るのがお決まりとなった。「吉乃川」ひと筋だった父親と同じように、彼も数年前から東京では滅多にお目にかからないこの昔の二級酒にはまっていた。これに昔の仲間の噂話とイカ刺し、(あぶ)った海苔、里芋の煮付け、そしておこぜの唐揚げが並べば、話はどこにでも飛んでいった。

そしていい具合にまわっていた酔いが醒めはじめたころだった。実家近くの、中学の頃から面倒を起こしていた同級生の一人が、地元のカラオケ屋の社長にホラ話のような商売ネタを持ち込んで相変わらずワルをやっている、という(らち)も無い(とが)った話に及んだ。ここでその社長の女房として彼女が登場したのだ。はじめて彼女の苗字を知った。

「オマエ、付き合ってたんじゃないのか、あの彼女のダンナだよ、知ってると思ってたけどなぁ、あの社長は地元の人間じゃない。どこの出か知らないがオレらより五つか六つ以上上のはずだ。アイツに言わせると商売は上手(うま)いらしい」 

 中学の同級生の顔はすぐに浮かんだ。その男が売り込んでいる、ワル、商売、カラオケ屋、、、、、帰りの車の中で彼の頭の中でずっと渦巻いていた。ダンナは商売人か、、、。まさか、、、でもないのかもしれない。二十数年前、電話口で「強引なひとで、、」と云っていたあの男か。田舎で当時としては新しいビジネスといってもいい商売を手広くやっている地元出身ではない男。色浅黒く脂ぎった顔つきの五十半ばの男の顔をアタマのなかで浮かべていた。

上京して三年目の年明け頃だ。今となっては遠い昔のことだ。十歳くらい上の男と「見合いさせられている、強引な(ひと)で無理やり付き合わされている」と彼女の手紙の中に男の影がちらつきだした。電話でも、何回かその男との途中経過を愚痴っぽく知らされていた。

「でも、付き合っているんだろ」「父がうるさいから」彼には先が見えていた。(当然の成り行きなのだろう。なるようになる)最後に、「幸せに」の一言で潔く引き下がることも一瞬頭を過ぎることがあっても、アルバイトの楽しさと仲間との酒と麻雀の疲れに流されていた。アパートのピンク電話を誰が取ったのか、彼女からの電話が欲しいというメモ書きがドアに(はさ)まれていたことも何回かあった。

仲間たちが宗旨(しゅうし)変えしたかのように長かった髪をバッサリ刈り就職活動に血眼(ちまなこ)になりだした頃に、バイト帰りの寒空の下電話ボックスで震えながら聞いた。彼は引き止めるだけの覚悟も打算さえ持ち合わせていなかったし、すでに投げやりだった。青少年が夢想するような明るく開けた未来は、最初から二人の間には無かったのだ。いつもと変わりなく言葉少なに語る彼女の話を心のなかで(もういいだろう)と(つぶや)きながら聞き流し、返答も感想もなおざりだった。「オマエ次第だよ」と低く小声でしかも怒り口調で返したところで、ツーツーとコイン切れの警告音が聞こえ、最後の百円玉の落ちる音が響いた。十秒ほど立ち尽くしてから受話器を放り掛けヨロヨロとボックスを出た。手と首筋の汗がすぐに引き、思わずコートの襟を合わせた。寒い夜だった。仲間たちと入れ替わり出入りしていた中野・野方の老舗質屋の脇のボックスだった。アパートに着いた頃には(好きにしてくれ、しようがないだろう、これでいいんだ、来るときが来ただけだ。わかっていたじゃないか)と自分を納得させていた。声を聞くのはそれきりだった。

彼はそれどころではなかったのだ。その男に比べオレは、、という今後の見通しに不安は変わらずあったけれど、不思議と劣等感や切迫感はなかった。卒業さえ単位不足でままならなかったし、無事に通過できたとしてもそのまま就職する気にはなっていなかった。すでに覚悟を決めるしかないと思っていた。はっきりしていたのは、あと数ヶ月で仕送りがストップするということだけだった。

ただあの夜のひねくれた心根から出た冷たい言葉が自分の本質ではないか、と彼は今更ながら思う。回線を通して生まれる越えがたい距離感、溝はこれを機に一気に開いていった。この後一、二通の手紙のやりとりが最後だった。何を書いたのか、何が書かかれていたのか一行たりとも記憶にない。

学生時代、彼女は二回上京してくれた。大学は紛争でロックアウトが続いていたし、その他大勢の一人としての日雇いのバイトで時間の都合もどうにでもなったはずだ。彼女と一緒にあちこちうろうろする気力はなかったにしても、何を考えていたのか、何も考えていなかったにせよ、心ここに在らずだった。

入学した年の秋、彼女が彼の下宿に手作りのカーテンを持ち込んで、薄汚れた部屋に掛けている姿を覗き見ていた顔ぶれがぼんやり懐かしく浮かんでくる。下宿先のおカミサンと高校に入ったばかりの娘、同宿の仲間たちが揃ってドアの外で手を叩いて冷やかしていた姿はこそばゆく片腹痛い絵柄として記憶の片隅に(かろ)うじて刻まれている。「一人で一時間くらいずっと立って待っていたけど、心細かった。見たこともないような人の流れの中でだんだん怖くなったことは憶えている」翌年、新宿西口地下で落ち合うことができなくて、彼女の友達のアパートのある笹塚で会えたのは数時間後だった。彼にはそこまでの臨場感なく、今ではむしろ、まだ東京の暮らしに地に足のついていなかった頃の苦い一シーンとして思い出されてしまう。

そんな四半世紀以上前の薄桃色の場面を思い出して、カーテンの色を薄い茶色だったよな、と口をすべらすと「ううん、青とグレーの太いストライプ」といった具合の体たらくだ。ことほど左様に昔の話をしても詮無いのだ。その後の彼女の幸・不幸を掘り返すだけの勇気もない、というよりそんなことにどれだけ意味があるというのか。かといってこれからの話などさらさらできるわけもない。

どこで踏ん切ったのか、最後まで迷ったにしてもよほど身体の相性がよかったのか、結局その「しつこい」男と結婚したのだ。彼女なりによくよく考えたうえでの深甚なる妥協だったのだろう。そんなものだ。そのダンナが事業を始めたのは結婚数年後らしい。

彼が半年東京を離れたのは彼女が結婚した年の一年前だったようだ。証書を貰った記憶もないし実際見たこともないが、卒業できたのだ。彼にしては長続きしていたアルバイトはやめた。商社の多摩地区にある十人前後常駐している倉庫での発送係りだった。担当以外の雑用も卒なくこなし重宝された。彼の(しょう)にも合っていた。オジサンたちだけでなくオネエさん、おばさんにも可愛がられた。所長の肝いりで送別会まで開いてくれた。「北海道の寒さに耐えられなくなってすぐ帰ってくるんじゃないのか。そのときはまたうちを手伝ってくれや。部長の耳にも入っていて、本社にも繋いであるから」と別れ際口々に言われた。「ほっかいどうのさむさ」はその後ずっと彼の鳩尾(みぞおち)あたりに引っかかっていた。

何のアテもなかった。一年前に大手証券会社に就職していた数少ない仲間の初赴任地が札幌だった。会社で借り上げているアパートが広く、布団も一組空いている、という。「しばらくこっちに来ないか、アルバイトはいくらでもある」の誘いに乗っただけだった。

手持ちの荷物を処分した。捨てきれず残ったものは、以前のバイト先で知り合って何度か酒を飲んだこともあった女性の実家納屋にあずかって貰うことになった。布団一式、溜ってしまった本とギター、予備校に籍を置いていたとき上京した母が買ってくれた電気釜、そして冬物の衣服だけだ。薄汚れたままかかっていたはずのカーテン、マフラー(これもブルーとグレーのストライプだった)はどうなったのかまったく意識の中になかった。まとめようとしてもすぐ崩れてしまう手紙の山が残った。ブルー、ベージュ、ピンク、白の洋封筒の癖のない無難な女文字の宛書は、彼女の手によるものに違いなかった。見直せば黒かブルーブラックのインクのペン書きで、宛先の住所別に三つに分かれている。今となっては記憶なのか記録なのか、そしてその残骸なのか、束ねなくてはと思い見回したが適当な紐がなかった。洗って部屋の隅に取り込んでおいたズックが目に入った。(そうだ、おニューを履いて札幌だ)と、ズタズタの履き古した靴の紐がちょうどいいと思い付き、無理やり引き剥がすように力任せに引き抜いた。何に腹をたてていたのかわからない。自分の無力さにかも知れなかった。手紙を二つの束に分けて思い切り(くく)った。束から悲鳴が聞こえてきた。(オマエ、それくらい我慢しろよ)と言いたかった。陽水の唄にもあった。もう見飽きた文字を見ることはない。

彼は予備校時代を含め学生時代に四回、住処(すみか)を変えた。最後の世田谷のはずれの頃は彼女との音信はすでに途切れていた。そこも半年で引き払い札幌に立ち去ったのだ。それまで転居のたびに彼女手製のカーテンを叮嚀(ていねい)にはずして持ち歩いていた。

彼が大学の仲間との徹夜麻雀でアパートを一日二日空けて帰ると、高校時代の仲間二、三人が布団の上で寝ていたことがよくあった。「オマエ、まだ昔の彼女といまどき流行(はや)らない文通してるのか」と部屋の隅の本の上に堆く(うずたか)積まれた手紙を指差しながら、やっかみ半分に云われたこともあった。「彼女はけっきょく東京に来なかったんだろ、オマエどうするつもりなんだ」と、わずかな金を出し合って買える酒を何にするのか()めている最中に。その頃はもうそんな話は現実味のない浮世の話として、彼の胸中を通り過ぎていった。

捨てるだけの思い切りはなかった。折り畳んだ布団の間に紛れ込ませて布団袋のファスナーを締めたときには、とにかく封印だという気分だった。赤帽に引き渡したときには、(新しいスニーカーで札幌だ)と涼しい夏の北海道を思い浮かべた。部屋に久しぶりに晴れやかな風が流れたような気がした。

その日の夜、最後の仕送りとアパートを解約して戻ってきた敷金八千円を握り締めて、朝早く実家のある町に着く上野発の夜汽車に乗った。母に顔を見せ一晩泊まって、その日の夜中には札幌駅のホームに降り立った。最初の二週間は、ススキノ、たぬき小路を飲み歩いた。すべてアイツのおごりだった。さすがにそんな生活を長続きできるわけがない。昼と夜、生活を逆にしようというアイツの発案で、彼は夜中に働くことにした。ススキノで見つけたキャバレーの皿洗いのアルバイトの貼紙をたよりに効力のなくなったはずの学生証を見せ、その夜から通うことになった。

店のおネエさんたちに気に入られるのは早かった。いちばん若い根室から出てきて短大に通っていたアルバイトの()のアパートに仕事明けの朝そのまま時化(しけ)込むことになるのも時間はかからなかった。それでもアイツとは週に一度はたぬき小路でおだを上げていた。アイツは他の仲間のように就いたばかりの仕事や会社でのテンションの高い野暮な話はしない気のおけないヤツだった。社用で使ったススキノのキャバレーの良し悪しと客の側から覗いた札幌の夜の世界を講釈した。彼はいつの間にか厨房を出て黒服をあてがわれて何くれとなく雑用を任されるようになっていた。そのキャバレー花園のおねえちゃんたちの客の値踏み情報を居候(いそうろう)代替わりに明かした。そんな長逗留に見切りをつけ夏の北海道をまともに味わうこともなく、本格的な冬を前に尻尾(しっぽ)を巻いて東京に舞い戻った。東京を離れる前から予感はあったのだ。安アパートを借り直し、年明けからの働き口を何とかしなくてはと毎朝駅まで新聞を買いに行くのを日課にしていた。

彼にも同じように歳月の流れがあったが、彼女との長くても四時間の中では埋もれざるを得ない。今、今の話をしたいのだ彼女は。彼は聞くしかない。そしてお座なりの相づちを打つだけなのだ。

彼女の「子どもは?」の問いに、

「高一で精神科に入院している娘が一人」

「えっ、いつから?精神科って、、どういうこと?」

「わからない。誰にもわからないんじゃないか、、。長くなるから」

彼の正体の語りは、山の上のベンチで顔を見ないで名刺を黙って差し出して()えていた。この名刺が(あだ)となって一枚のファックスとなって(かえ)ってくるのは二年後になる。

その間うしろめたさからくる緊張感は当然あった。それを忘れさせるほどの「逢えた」というエアボケットにはまっていたのだ。迂闊以前の話だ。互いの抱えている現実を考えればなおさらだが、だからこその激情だったのだ。

どこでどう拾ったのか、歌舞伎町の最先端のラブホテルに数時間いっしょにいて、九段下まで送って別れたことがある。新宿のデパートや東京駅の構内でお茶を飲んだこともある。銀座の和菓子屋でも。会社が入居しているビルの一階にあった喫茶店で会ったこともある。地元近くでは、行きつけとなったラブホのほか日本海を真下に見下ろす安宿、オヤジがドアを開けて支払いの催促に来た連れ込み宿と渡り歩いた。犯罪逃亡者が官憲の目を(かす)めて、切るに切れない愛人か恋人との数時間の逢瀬を綱渡りしている気分だったに違いない。安直で有り体なメロドラマの安っぽい主人公だ。

どこのラブホテルでもどんなに今風にオシャレな空間を装っていても、受付でキーが(がこん)と夢のない音で落ちてきたときや車のナンバープレートを目隠しするときの()まわしい印象は変わることはなかった。生臭く(いと)わしい臭いは、()もといった連れ込み宿はもちろん古式ゆかしい風雅な旅館やシティホテルでも体から離れなかった。

麹町のシティホテルで彼女の長女の卒業式の間中、窓のカーテンを開け放ち、ただ抱き合っているだけだったこともある。どこかおおらかというか、彼が事に及んだらどうなったのだろう。子ども三人産んだ女の図太さか。三階の部屋から、道路沿いの向かいのビル上階でビジネスマンの姿を認めて、彼女を抱きながら気にしていた。彼女は気に留める風もなかった。

土曜日の昼前、大森駅まで一人で上京していた彼女を拾い、そのまま中央道をひたすら下った。翌朝早くには日本海に出なくてはという思いはあった。松本で高速を降り大町を経由してその奥の木崎湖辺りの温泉宿に飛び込んだ。真っ暗な林道のなかにぼんやりと姿を現した構えの立派な旅館だった。出てきた女将は突然現れた二人に丁重に応対してくれた。どう見てもお忍びで、訳あり風な切迫感を嗅ぎ取っていたはずだ。彼は実名をサインしたのか、彼女の名をどう書いたのか。「そんなに御早くお出かけでしたらば」と、その場で勘定を済ませたことは憶えている。

彼女は、いつも何と云って家を出てきたのかも触れなかったし彼も訊かなかった。いつまでに何時までに、どうしたいもなかつた。入ったのは何時頃だったのか、彼は豪華なお膳にも箸が進まずビールと酒を空けていた。彼女も慣れない酒を口にしていた。浴衣の胸元から首、顔がピンク色に染まっていった。彼はすぐそこのガラス板で仕切られたヒノキ造りの内風呂に誘った。二人で湯船に()かるのは初めてだった。四十半ば過ぎにしてはまだ張りのある互いの体を手探りで確かめ合った。そのまま濡れた体で襖の向こうに延べられた(なま)めかしく白く浮かんでいる布団に移った。口でなぞり、体をぶつけ合った。彼の体には時間に追われている感覚が乗り移っていた。彼女も時折細く哀しげな声を漏らしながら()いてきていた。  

翌朝四時過ぎに出て、糸魚川まで舗装もされていないジグザクの山道を下り抜け海沿いの八号線を飛ばした。彼には一刻も早く彼女を送り届けなくてはという強迫感だけがあった。朝の陽が薄雲を通して海を(あお)く輝かせていた。こんな色の日本海を見たのは小学校のとき以来だと、ガキの頃の海水浴の風景を思い浮かべた。道中、どう言うべきか思案した。

「大丈夫か、なんて言い訳する」

「うん、なんとかする。疲れたね、でもよかった。気をつけて帰ってね」

最後まで気の利いた言葉を一言もかけられないまま彼女の自宅近くで七時前に降ろした。彼女の無理やりつくった笑顔と裏腹な気持ちを(おもんばか)ったけれど巧い言葉が浮かばなかった。

これから始まるダンナとの修羅場に入っていく後姿から目が離れなかった。上着を抱えしわの目立つブラウスやスカートの乱れを整えることもなく肩を落として遠ざかっていった。姿が見えなくなる前、角で一度振り向いた。取り繕った気丈な笑顔は消えていなかった。このときの気まずさと半分泣いているような笑顔はずっと、重く深く彼の心の底に沈むことになった。(あなたはどんなつらい時でも良妻賢母を通してきたはずだから、オレとのかかわりが唯一の汚点にならないようにせめて、ジョークだった、くらいにして収めておいて欲しい)

その後、顔を見るのは十年後になる。

ダンナとの仲は相当険悪で冷え込んでいることは察しがついていた。おそらく子どもにかこつけてその場しのぎの言い訳をしても、彼女の気配が変わってきていたことに気づかないダンナではなかったはずだ。

「ごめんなさい。電話あったでしょ」あの別れからしばらくしてからだった。この数時間前に突然、ダンナから会社に電話が入っていた。幕引きはずっと前から始まっていたのだ。彼の知らないところで。彼は彼女が最後に見せたつくり笑いを気持ちの中にずっと抱えながら報せを待っていた。

ダンナのいきなりの怒鳴り込みはさすがに予想外だった。彼は受話器を当てながら、(案の定、案の定)と心の中で呟いていた。ダンナの声は遠くに聞こえ、怒っていることは解かったけれど何を言っているのか言葉として届いていなかった。というよりも、聞いていなかったというほうが当たっているだろう。「オマエの会社の客先にみんな言いふらすからな」の一言だけは耳に残っていた。

「電話は適当にやり過ごしたけどね。会社にファックス送りつけてきたよ。驚いた」

「そう、何て?」

「ほとんど恐喝文だね」

どうして彼女にも他人事(ひとごと)のような、そして強気な物言いになったのかわからない。デスクの上のファックス用紙に黒いマーカー文字がのたくっていた。しばらく、なぐり書きの文字の向こうに見える彼女から聞いていた男の怒りぐあいと人となりを想像していた。「社長また何やったんですか」吉乃川を置いている居酒屋の情報をよく教えてくれる経理の女性社員のひと言と冷やかしとも揶揄(やゆ)ともとれる顔つきで現実の深刻さに気づかされた。

ダンナは見合いした頃にはまだ彼との仲が続いていたことを彼女の口から聞いていて、「ずっと忘れていない」という。彼女の男関係といえば彼しかない。その男の二十数年後の名刺を探し当てたのだ。それを振りかざして激怒するのもわかるような気がする。何もなかったその数年前までにも、時折、自分の女とのことを彼女に遠回しにでも触れられると逆に「オマエもまだ続いているんじゃないのか」と彼の名前を出し理不尽に彼女を(なじ)ることもあったという。「下の名まえもずっと憶えている、、、、、こわいでしょう、、、」二十年以上、まさかずっと(りん)()を病んでいたというわけではあるまい。あるとしたら彼女が責められても致し方ない。

彼は黙り込むしかなかった。そしてやっと搾り出した。「そんな素振りするわけないよな」彼は彼女の言葉を待った。「うん、そうよね、そうなんだけど」彼は自分の落とした言葉を悔やんだ。拾い上げようとしたけれど間に合うわけがない。「もういいの」と言わせる無関心を装おうとしている内心の奥に隠している彼女のプライドが透けてみえたような気がした。

彼女は母も妻も人並み以上に自覚的に背負い、そしていつも魅力的な女であろうとすることではぶれない女だ。そんな彼女がそのすべてを呑込んで今の日々を送ろうとすると、彼女の存在自体が危うく色を無くして、寄る辺ない孤独にのみこまれていくのだ。彼もいつだって何くれとなく周りに人がいる。それでもいつもどこかに孤立感があったけれど、彼はそれを(たの)しみ心地よかった。彼の性根がそうさせるのかよほど自分勝手でわがままなのか、そんな自覚はある。匿名的に生きたいと望む人間にとっては理想的な居場所のはずの東京で、彼は何処(どこ)かからの亡命者的に生きたいとあそこから出てきたはずだった。田舎の仲間との腐れ縁のような付き合いだった上京後の二年、その後の大学の麻雀仲間が就職に走り出してからずっと、ひとりを大事に生きてきた。だからこそ彼女の孤独も大事にしたい、そして二人でいる時間が大事なのだ。

「財布のなかまでチェックされてしまって」低くかすみがかかったような暗く沈んだ声色だった。居たたまれないだろう。まだ高校生の次女が手許にあるとしても、毎日が長いはずだ。

「今に始まったことではないだろう」

「うん、小さなポケットの奥に二つに折ってしっかり隠したつもりだったんだけど、ごめんなさい」

すでに抜き差しならないところにいるはずだが、気持ちの揺れは感じさせなかった。ダンナがどんな仕打ちに出たにせよ甘んじて受け切るしかない。

「悪かった。つらいだろうけど、、、」

(あわ)れむようにポロリとこぼれた。彼女を安心させるような言葉を返してやりたかったが、二十数年前の別れとなった電話口での最後の冷たい物言いと同じだったような気がした。

「ううん、会社まで、、、ごめんなさい」

「、、、、、ううん、オレのほうはだいじょうぶだから、安心して」

「町中で顔なじみの店の男の人と話していても、あれは誰だ、だからね」

そんな始終ダンナの目が光るなかで、よくぞ繋いだものだ。携帯のメールは普及し始めていたのだろうが、二人にはそんな知恵も現実感もなかった。

「あなたとの電話の履歴はすぐに消している」これを最後に電話も途絶えた。

 カミさんは彼の学生時代の彼女との手紙を持ち出した。彼女のダンナに見つけられた名刺と同様に瑕疵(かし)の証拠品のように難詰(なんきつ)の道具に使われた。所帯を持つ一年ほど前に発掘されてしまったのだ。職に就いた機会にアパートを借り直し、預けて置いた学生時代の遺物を引き取った。冷たく湿った布団の間に収まっていた束を目にして、忘れていた彼女の面影が浮かんだ。そしてここでも捨てきれず、六年後カミさんが彼のアパートに出入りするようになるまで段ボール箱の中で眠っていたのだ。

「ワタシが持ち出して捨てたあの手紙の彼女でしょ。まだ未練があったわけね。いつからだったのよ」「片田さんからも聞いたけど、お義姉(ねえ)さんからも聞いたわよ。新婚時代、地元の同じアパート暮らしだったらしく『うちと同じくらいの子どもがいる』って」「彼女の旦那さんから電話があったけど、どう出るかわからないわね」彼は動揺を隠しこの時間が通り過ぎるのを修行僧のように()えた。どう出られるかよりも、電話帳に載せていない自宅の番号をどうやって知りえたのか、のほうが気になり執念深い六つ上の男の形相(ぎょうそう)を想像していた。

彼がサラリーマンの時と独立してから間もなくの二度、遊び半分で上京した片田夫婦と彼もカミさん同伴で食事をしたことがある。といっても彼ら夫婦はホテル泊まりで型通り彼のカミさんとは(かろ)うじて面識を得た、といった程度の時間だった。四十半ばになっての、しかも遠い昔の彼女との沙汰だけに深刻さが違うのはわかる。片田の商売柄、女の愚痴や日頃の屈託(くったく)を訊くことは仕事のうちの一つで、そんな女の扱いに慣れているとしても、カミさんがまさか片田に駆け込むとは思いも寄らなかった。片田は三十年前から土佐自慢の(ぶん)(たん)を毎春欠かさず送ってきてくれているが、数年前から電話でさえ話す機会はない。礼はずっと葉書一葉で済ませている。騒動があってからも変えていない。彼はこの二十年文旦を介して以外、賀状の交換さえない昔の仲間を、唐突に俗っぽい破廉恥(はれんち)な夫婦のいざこざに巻き込んだのだが、今後も同窓会以外に会う機会もないことをいいことに、詫びも礼の一言も入れていない。

片田も彼女とは中学は同じだし、まんざら知らないわけでもない。かといってどこかに接点があったかといえばおそらくない。それでも彼が彼女と付き合っていたことは知っていたはずだ。ことさらに彼に問いただすこともなかった片田は、その後の顛末(てんまつ)を訊いてくることもない。男同士の都合のいい()れあいだとしても、彼は自分の大人気(おとなげ)のなさを棚にあげ、これも互いの矜持(きょうじ)なのだと片付けている。

ただあれ以来、文旦の宅急便が届くたびにカミさんの「お礼の電話をいつするの?」「お返しに何を送ればいい?」と問い詰めがくどくなった。そのたびに受け流すのに難渋するのが彼の風物誌になり、ひと月あまりテーブルの上で黄色く()かる季節物を恨めしく眺めるのだ。あのとき、カミさんの聞き役として片田はいちばんの適役だったらしい。今ではカミさんは彼よりも片田の近況に詳しい。(おふくろさんが亡くなって実家に帰ってきた、長男が会社を辞めて家業を継ぐようになった、女房が入院している)

「そうなんだ。よろしく言っといてよ」

素っ気なく相槌を打って聞き流す。彼はカミさんの話が片田の話題に流れるたびに、彼女との話がぶり返し悪夢の時間が始まるのではないかと身をちぢめるのだ。

十年は短かった。

娘の症状は安定せず、学校への事情説明と病院に通う機会が増えた。彼は黙って()われるまま、仕事の都合をキャンセルしてでも車で彼女たちの送迎だけに走った。駐車場で降ろし学内や院内に入ることはなかった。当初、カミさんサンが彼を担任の先生や担当医に面会させることを避けていたのだ。「あなたはまだ会わないほうがいいです」彼は直接訊きたかったこともあったが、逆に訊かれて何も言えない自分の姿を想像した。その後の入退院、休学と夫婦の悩みは深くなる一方だった。

その後、休学が予想以上に長くなり、学校の担当者に彼が面談したのは、結局退学せざるをえなくなった土壇場だった。いわゆるシスターといわれる女性との十分間たけだった。ペルソナのように無表情に感情の起伏をまったく見せることなく、動くのは時おりつぶやく唇と胸で揺れているように見えた銀のロザリオだけだった。途中から白と黒のモノトーンの彫像と対面をしている錯覚しそうだった。休学扱いの期間の延長嘆願に副学園長室に案内されたのだが、あえなく粉砕された。娘が幼稚園から高校まで在学中に先生といわれる人種に会ったのは、これが最初で最後となった。シスターという響きとあの端正なる(と言っていいのかどうか)コスチュームと校内に建っている等身大のマリア像、初めて身近に異教に接するものにとって、なにも知らずに抱いている「慈悲深いカトリックの世界にいる慈悲深き聖人」のイメージを増幅させる厳粛なる仕掛けがあまりにも立派だったためか、有無を言わさずピシャリとドアを閉じられたショックは大きかった。「どうぞお大事になさってください。恢復されることを心よりお祈りしております」部屋を退散する間際、この一言が天から降ってきたマリア様の声のように慈悲深く聞こえた。

会社は本質の危うさを隠したまま、表向きには順調に廻っているかに見えていた。一時の盛り上がりは影をひそめ、先行きの不安に加え違和感は(ぬぐ)えず気持ちの平穏は望むべくもなかった。家の事情を表にすることなく平静を装った日々だった。仕事に真正面に気持ちを向けることはなかったし、反動で彼女に矛先(ほこさき)を向けるわけにもいかない。

逃げに走ったのは同じだった。ニューヨーク、ネパールへは一人でホテルを予約することもなく出かけ一週間くらいウロウロしていた。そこではいつも感じているものとは違う種類の孤立感があった。居心地は悪くない、と思った。カーネギーホールが目と鼻の先のイタリア人家族が(まかな)っているカフェに毎朝通った。異邦人である彼がここで孤立しているのは理に(かな)っている。二重の意味で一人であると気づくと気持ちが落ち着いた。自分はいま正しい場所にいるのではないかと思ったことを、昨日のように思い出す。台北、香港、ソウルやゴールドコーストでは()ぎつけない化粧と体臭の匂いに混ざった。上海、大連、ハルピンは仕事の仲間と出張を装い、ハワイ、グアムは客先との付き合いゴルフだった。ゴルフの誘いがあれば断ることはなく、どんなコンペにも顔を出した。年度末には(税金で持っていかれるよりは)と二班に分かれて全額会社持ちで海外への社員旅行が恒例となった。香港、グアム、ハワイと無理やり企画させ、現地では招待したクライアントの偉いさんと社員とは別行動で遊んだ。オフレコに厳重に気を遣ったのはもちろんだが、そんなことも平気な時代だった。

ついでのように、退院して病状も落ち着いてきた娘とカミさんを温泉やバリ島とハワイに連れていったりもした。運動会や親子面談などに一度も顔を出したことがない身で、外地では慣れない時間をよく無難に繋いだ。カミさんと腕を組んで歩いたのは結婚前以来だったし、娘はよくしゃべった。娘の発病以来、初めての家族のひとときの平和ではなかったか。彼がはじめて実感した家族の中での小さな自信にもなった。その後娘の病状には波があったが、自力で高卒認定試験をクリアし通信教育で大検も合格した。生真面目な努力家を地でいったに違いない。原動力は母娘の意地なのだから、二人でいっしょに挫折することなく必ず成し遂げるものと、彼はここでも遠巻きに立つ傍観者で、途中の紆余曲折の場面でも「頑張っているなぁ」で済ませていた。祝にブランド物の財布を差し出して、御返しに彼女のまっすぐな視線付きの笑顔をもらった。小学六年生のとき以来だから十年ぶりだった。もちろんカミさんの作・演出があったればこその(ほう)()だった。しかし集団のなかで普通にやっていけるところまでは、まだまだ遠いところにいるようだった。彼もそんな場面を何度か目にして、そのたびに心で()いた。それからまた押し寄せた大波小波を泳ぎきったあたりでは、学業への意欲も学園生活のあこがれも影を(ひそ)めていた。

会社では、彼が足を運んでもほとんど意味の無い大阪、仙台、福岡、名古屋での現場の打ち合わせに同行して、煙たがられていた。それをいいことにほんの数十分だけ同席して姿を消した。京都、奈良、下関、出雲、伊勢、思いつきで足を延ばした。一人での息抜きにしては金も時間も体力も予想以上に要求されるちょっとした旅だった。女との行き来はそれなりにあった。スナックのママともしばらくあそんだこともあった。

彼女のその後の成り行きは彼以上に居た(たま)れないほど(むご)いことになっていることは十分想像できた。ダンナに殴られ手込めにされながらも()っと歯ぎしりして(ふる)えている彼女の姿が浮かぶ。カミさんに責められ「娘がこんなときになさけない」と涙をこぼされるたびに、(オレよりもっと(ひど)い仕打ちを受けているだろう)と時折、あの泣いているのか笑っているのかわからないような彼女の表情が懐かしさと一緒に思い出された。

それでも時は過ぎていく。目の前の現実をうっちゃることとその息苦しさから(のが)れることに追われ、彼女の存在自体も次第に消えかかっていた。

突然の電話だった。着信表示に彼女のイニシャルが出た。咄嗟に受信ボタンを押せなかった。着信音は数回で途絶えた。心の奥深いところに隠れていた感情が甦るのに時間はかからなかった。思い直しかけ返した。「元気だよ」「私も、大丈夫、元気。忙しいところごめんなさい」だけでメールアドレスを教えて閉じた。『久し振りに元気な声が聞けて嬉しかったです。初めてのメールでドキドキ。寒くなりますが、お体気をつけて!また連絡します。○子』あの時彼女に取り返しのつかないことをしたと反省したのは一瞬だったのだろうか。時間がかき消すのかもしれないが、反省などできるはずはないのだ。彼はネガティブな感情にしがみついたまま、また暗い裂け目の(ふち)に立ったと思った。

今年の中川からの年賀状には「人生いろいろ」の一言だけだったという。毎年一度か二度地元で会う機会があっても必ず一言添えてあったそうだ。どうしてなのだろうと彼女も疑問だったし、それがひょっとして彼とのことが中川に知れたのではないか、と考えたからこそ彼に唐突に洩らしたのだろう。だからといってことさらに悔しがることも残念がることもないし、表情に出すこともない。冷ややかにつぶやくのだけれど、彼は彼女の胸の内を想像するのだ。こうしたことにかかわらず、彼女はことに自分の身に降りかかった哀しいことに気持ちの揺れを表に出したことはない。少なくとも、彼の前では。楽しげなことは表情を緩め、時には「ネェ、おもしろいでしょ」と彼の顔を見て歯を見せて笑いながら、「ネェ」と念を押す。同じ市内で健在の母親にも滅多なことで日頃の鬱憤(うっぷん)もストレスも明かすことはないだろう。

「わたし一億円の保険をかけられたのよ。母は『あなた殺されるんじゃないの』って(わら)ってた」ダンナの話のなかで一度だけ、彼の居心地がわるくなるほど屈託なく声をたてて笑ったことがある。彼を見つめた目をすぐに伏せたときの卑屈な(かげ)は忘れられない。十年前に二十ニ年ぶりに会ったときのダンナとの惨状をこぼしたときのニュアンスとも悲しげな表情とも違っていた。諦めなのか、居直りなのか、年を重ねたということなのか。今では、東京から戻り家業を継いだ長男の孫が二人いるし、東京近郊で暮らしている長女にも孫が一人いる。東京で就職している次女の結婚を待つだけで「私のお役目は終わり」という心情もわかるというものだ。

「おそらく、片田から聞いたからだろう」

そんなことを中川が知るはずもなかった。去年の夏、五年ぶりの二回目の小学校の同窓会の後の二次会で片田から聞いたのだろう。この日は朝早く家を出て昼前には彼女と合流していた。その前夜は深酒をして自宅に帰りついたのは午前様だった。昼には、彼女が段取りした浜辺の割烹で飲み過ぎていた。昔は相当流行ったであろう、このあたりではそれなりの格式を誇った老舗だった。彼はここでも料理にはほとんど手をつけず、新潟の地酒を空けていた。ずっと酒が切れなかった。彼女の仕切りでご馳走になった。さすがに二十年、地元で商売をしている会社の社長夫人を曲がりなりにも張ってきただけはあるのだろう。席での対応は堂に入ったものだった。その後一度ホテルに戻り仮眠をとつた。

この数時間後、同窓会で顔を出すのが一番遅くなった彼が座ったのは、手招きして席を空けてくれた中川の隣だった。宴会が始まってすぐに中川がおもむろに「小学校のとき誰か好きな子いた?」と聞かれたのには戸惑った。「いたような気がする」とはぐらかしていた。一次会解散の後、神社の境内で彼女と電話していた。「明日朝九時過ぎにホテルに行けるから。それだけ、あんまり飲まないで」突然、暗がりの中から目の前に現れた片田の姿に内心の驚きを隠して「よかった。わかった」だけで切りあげた。にやけた笑顔をつくっている片田を前にして自分の目が泳いでいるのがわかった。鳥居のすぐ脇に並んだ寂れた飲み屋街の二階のスナックに連れていかれた。店に入ると彼を見上げて「オー」と声があがった。全員小学校の同級生のはずだが、中川と片田の他は誰だったのかはわからない。四、五人の顔が並んでいた。四十五年前に机を並べていても一緒に遊んだことは無い連中だろぅ。一次会がお開きとなった頃は相当疲れていたし眠かった。思い起こすのを止め、水割りを一杯空けたところで腰を上げた。「ワルイ、昨日ほとんど寝てないんだ」片田の視線が気になったが目を合わせることもなく、五千円を置いて店を出た。偏屈で付き合いの悪いヤツで押し切った。

「四十半ばになってもまだ続いていたのか、いつ寄りを戻した」十年前の話としても彼らの想像をたくましくさせるには十分なネタだったはずだ。片田の解説と評論付きで二次会の肴としてうってつけのメニューとなったに違いない。「えぇーウッソー」「そうなんだよ。彼の奥さんから聞いたよ。彼女のダンナから電話があって、知らされたらしい。とにかく怒り狂っていたよ。オレは奥さんに昔二、三回会っているしなんとなくわかるよ、その怒りぶりが」なかでも片田と中川は神妙な顔つきを装い話し込んだのではないか。二人の内心の盛り上がり振りが目に浮かぶ。中川も生々しい話には驚いたはずだ。片田も中川も二人が中学二年、三年で同じクラスだったこともある。高校三年になって青臭く、二人の意識では秘密っぽく付き合っていても耳にしていないはずはなかった。

その後彼女と中川の付き合いはどうなったのか彼女からは何もない。中川は同窓会の席ではさばけたようなことを言っていたが、まさか二人がそんなことになっていたとなれば、裏切られたような気分を持ったとしても不思議ではない。「いろいろ」の一言には中川の(あき)れも忠告も含めて彼女に対する複雑な思いが込められているのだろう。彼女もそう考えているはずだ。

中川と彼女は中学校以来の友達で、高校を卒業後も何かと集まっていたことは聞いていた。中川の実家は東京に移り、本人は神奈川に住んでいるらしい。ほんの数人の集まりでも、そのたびに駆けつけるという。彼女は彼と中川とは小学校は違うけれども、仲間たちから何くれとなく伝わっていたのだ。五年前の初めての同窓会のときの一同での記念写真に彼が写っていなかったと、翌日彼女に逢ったときにはすでに知っていたのには驚いた。彼は直行した地元ゴルフ場で予定していたスタート時間が遅くなり開宴時間に間に合わなかったのだ。

片田は子どもの頃から大人びていて、女子との距離の保ち方にもませていたところがあった。学生結婚して女房の実家に入り家業の老舗和装店を継いでいた。反物(たんもの)の仕入れによく通っていた京都での大人のあそびの世界を彼がまだ会社勤めをしていた頃に何回か聞かされた。どこに出ても如才なくこなす片田に合った商売でよかったと思ったものだ。彼は片田の女房と学生時代いっしょに遊んでいた時期もあった。その頃でも、片田は彼女に隠れてずいぶん遊んでいたことを彼は知っているし、彼女を何度も泣かせているのを見ている。その相手を知っているときでも彼は(しら)を切り、彼女をなだめたこともある。

地元のお嬢さん学校と云われていた県立女子高と県内ではトップクラスの進学校に通っていた二人が会うようになったのは、彼がバスケクラブを終えた三年の夏以降だった。

どう約束していたのかまったく記憶がない。帰りの電車はいっしょだったが、彼女と目を合わせることができたときは、仲間と別れてから落ち合う場所は決めていた。彼女の家の裏を通り過ぎ真直ぐ行けば海に突き当たる。手前で右に折れれば公園とも言い難い小さな広場があった。その片隅にあったトイレの軒下だった。十二月に入ると、積もることはないが海側の角の地面にはいつも吹き付けた雪が融けずにグラデーションのように広がっていた。彼は道すがら誕生日にプレゼントされた手編みのマフラーを鞄から出して巻き付けた。彼女は制服のヘルメットのようなつばの狭いハットを目深にかぶってコートの襟を立てずに、視線は道路の向こうになだらかに下っている砂浜に舞う雪を追っていた。

「少し短かったわね、それでも二ヶ月かかった」「(あった)かいよ、ありがとう」

こんな吹きさらしの中、人影などあるはずもない。とんびが数羽低いところでゆったり舞っているだけだ。人差し指で帽子のつばを上にあげ顔を覗き込むと白い歯を見せて微笑んだ。彼は薄い鞄を脇にはやみ、丸めた両手に息を吹き込こんでからポケットに()れながら、背中を屈めて彼女の唇を捜し当て舌で前歯をさらった。それ以上は止めていた。深く舌を入れて抱き合ったこともあったが、通りすがりの自転車のオバチャンに「高校生でしょ、どこの子」と見咎(とが)められてから我慢していた。彼女は手袋を()って彼の右手をポケットから出して両手で彼の手を包んだ。

「寒いね」「歩けば暖かくなるよ」

いつも通り歩き出すしかなかった。風が背中のほうから足元をすくうように吹き上げていた。頭のすぐ上で旋回しているとんびが鳴きはじめた。「寒いのに、どこか時化込むところはないのか」と冷やかされているようにも馬鹿にされているようにも聞こえ、彼は恨めしく振仰いだ。そんな気の利いた場所はこんな海沿いの淋しい通りにはない。町中には行けない。小さな町で世間も狭い。

「わたし、東京には行かないと思う」

「短大とか専門学校に?」

「うん、昨日の夜、途中まで書いたんだけど、まとまらなくて、、、今日渡そうと思ってたの。もう決めた」

彼女の吐く白い息が、舞う雪の中になかなか溶けていかなかった。向こうに霞んで見える堤防の下に並んだテトラポットに砕ける波頭が、空中で()まった絵のようだった。

「うちにあがる?お母さんなら、だいじょうぶよ」「いや、やめとく」いつも通りだ。素直に誘いに乗り彼女の母親の前に顔を出すような若造の健やかさは持ち合わせていなかった。ただ、今後のことを考えるとこれ以上深入りはできないという若気の分別らしきものはあった。(どうしたいのだ、どうできるというのだ、どうすべきなのだ)という問いをずっと抱えていた。

『久々に逢えて幸せでした。お元気で何よりです。運転気をつけてお帰りくださいね』 

『こちらはさすがにお疲れ模様です。先週はオレ、接待されたのか?あなたに酌してもらって、しかもお天道様の下で、しっかり味わったのかな?いずれ何処かでと()してはいたはずだけれども。まぁ、はずだったの繰り返しをこの期に及んでまだやるわけです。七月の明るいにわか雨(降っていたよな?)の下であなたと車のなかで二人並んで手を握りながら高校三年の頃いっしょに見た同じ海をこの夏眺められるとは思わなかった。

 あなたに引きずられるままに身体を運んだけれど、どうやらいままでイメージしていた自分が育ったイナカの(人のつながりが濃密な狭い社会)の実像が大きく様変わりしていることにはじめて気づいた。

そのなかを潜り抜けてきたあなたも変わって当然だよな。いよいよ自分の世界をつくりはじめ、生きていく自信のようなものも躰から放たれている。オレは心の中で密かに拍手しているよ。あなたと陽のあたるところをうろうろして実感した。大袈裟ではないだろう、それほどのことなのだと思う。

オレはといえば、ずっと気持ちの奥に隠していたマグマを呼び覚まされたけれど、ひと昔前のあの時と何ら変わっていないし、変わりようもない自分を改めて見せ付けられた思いで、相変わらず同じところで()っている。

そっちに行くときは、人の目が刺す監視社会に入っていくようで、五感を研ぎ澄ませている自分に気づく。子供のときから身に付いたどうしようもない習性に、町に入ると自動的にスイッチが入る。いつも身構えていたような気がするし、特にあなたと過ごす数時間はずっと気が抜けない。

オレとあなたの関係は現実の世間にそのままコミットできないのだから仕方がない。いつも負い目を抱えているしかない』

彼は会社のパソコンから自分にも言い聞かすように長々と言葉を送ることが多くなった。

彼が東京に出てきた四十五年前と、もちろん再会した二十年前とも、二人の間の距離感がまるで違うものになっていた。携帯電話に加えメールを重宝しているからだ。連絡を取るのは簡単になったのはもちろんだが、文字として残る意味も大きい。

『自分ひとりに沸き起こるこの親しみの感情を、あなたに言葉にして一方的に投げ出すことは、甘えのようにしか思えないけれど、敢えてこれも大人の勇気なのだとうそぶいて送る。実はこの四十年の間、折に触れ暴力的な甘さと苦さであなたという存在に揺さぶられ続けてきたのだということ、そしてこの恋情を未だに掴まえることができない、ということをあなたへの感情のなかでいまこの歳になってあらためて発見している。

あなたを目の前にすると身体の奥から気恥ずかしく情けないほど素直な自分が流れだし収拾がつかなくなり、こんなにも単純で幼くなるものだと実感している。

それでも、しんと静かな、しかし熱い感情のかたまり、そしてきっと時間がもたらしたものだろうけれど、欠落感とうっすらとしたかなしみ、うっすらとしたしかし絶対的なかなしみがいつもつきまとっている。さらに、下半身の単純な欲望ではなく、身体のもっと上のほう、胸のあたりから切なくうずきながら下半身に訴えかけてくる感覚に揺さぶられている自分がいる。揚げ句、抱きたい、欲しいなんていう体の欲望を表す用語で語りかけることしかできないだろうということはわかっている。かといって手垢のついた有り体な言葉でも表現したくないから、そんな言葉を呑み込んでいると、感情が余計に煮えたぎってくる。

そんな内側からの力にじっと耐えて、もっと具体的に言いたい。あなたの魂とかハートとかそして身体のそこここが好きだと。でもそれも違うような気がする。自分がつくりだして、自分で抱えこんでいる幻かもしれない。いずれにせよ、あまりにも単純な恋情の力に呆然となるけれど、あなたに対する感情は、オレの知(痴)や理を超えてもはやこれ以上因数分解できない、ぽつんと孤独でだからこそ強い、心の原形そして煩悩のふるさとなのだろうと自分を納得させるしかない。あとは、天からずっと俺に降り続けているあなたへの恋情の媚薬、としか説明のしようがないではないか、と自分自身にも言い放つしかない。

ただ、歳をとってたいしていいことはないと思っていたけれど、これは間違いなくいいことなのだと確信している』

『心が震えました。今、隣にいてくれたら抱いて欲しい…』

『今夜もお休みなさいを聞いてください』

彼女とは、ここ二週間ほど電話でもメールでも連絡を取っていなかった。時計を見ると十時前だった。

彼はいつもの仕事仲間とけっこう飲んだ後で、改札口で別れたばかりだった。「なんだ、どうした?」と一瞬足が止まりそうだったが、うしろから迫ってくる人混みに圧されながら、階段を下りたところでホームに横付けにされたばかりの電車に乗り込んだ。しばらくそんな帰宅ラッシュの混雑にも気づかないほど、酔いも手伝ってか呆然と考えていた。

電話もメールも四時頃までというのが、彼女とのここ数年のやり取りのなかで了解していた。こんな時間にメールを寄越すことなどダンナが家を空けていたとしても、自制心の強い彼女には考えにくい。彼女のひとりの時間だとしても彼がこの時間ほぼ毎日、仕事でなくても一人ではないことはわかっているはずなのだ。酔った頭と座ったとたんに疲れを感じた意識で、あらためて文字を眺めた。一言だった。着信から三十分は経っている。遊び心での親しみと思慕のメールなのだろう。考えているうちに電車は動き出した。遅くなればダンナが帰ってくるのではないか、今夜はやめよう、明日にしよう。目を閉じた。

男も女も心だけで繋がり通せるはずはない。それほど甘くはない。それでも心が弱くなった瞬間はそんな錯覚を許しそうになる。そして、書き言葉での対話の危うさも身をもって遠い昔に思い知らされていても、明日になればまた言葉を選び送信するのだ。

この十五年で二人を取り巻く現実が刻々変わった。弟夫婦が実家で面倒を見ていた彼女の母親が亡くなった。「ボケがはじまっていたの。私もいよいよ帰るところが無くなった」と云ってから、肩を落としながらも居直ったように晴れ晴れとした顔つきでひとり頷いていた。長年二匹飼っていたペット犬の片方が老衰で死んだという。その身代わりのように長男夫婦に、彼女にとっては三人目となる孫が生まれた。「その世話にまた時間が取られるようになるのよね」と嬉しそうでもなさそうに呟くのが気になったが、ごくごく平均的な老後の生活に入っているといっていいだろう。

彼のところのラブラドール犬メロディも夏に突然逝った。娘が退院した折に友達代わりにでも、と飼い始めて十六年だった。この十年は彼の相棒だった。どんなに遅くなっても彼が帰ると居間から彼の部屋に移りベッドの下で寝ていた。最期は大きな息をしながら這入ってくるようになっていた。娘は相変わらずだから家の中が本当に静かになった。家にいるときの土、日のメロディとの散歩もなくなり、出張やゴルフの機会も少なくなった彼には辛いことになっている。

会社の実績はここ五年で大きく落ち込み、自分の進退と併せて放っておくわけにはいかない。もともと大きな夢や野心を持って構えた会社ではない。二十五年なんとか転がしてきたが、いよいよ大きな決断を迫られている。社員の提案で雇用を守るためにもと、まったく畑違いの分野に乗り出すために設けた別会社はひとつを処分、一社は社員に譲り渡した。

この頃になると、不安の種は増える一方でも五、六年前なら相当落ち込んでいたようなことも、猛犬を飼い慣らすように気持ちを制御する(すべ)を手にしつつあった。

「あの時よく長野まで来たよなぁ。よく抜けられたよな。あれが地元を離れて逢った初めてだっただろ」「毎年友達と行っている徳永のコンサートと言って出て来たって、あの時そう云ったよ」「そう、憶えていない」走り出してひと息ついた頃「ごめんなさい。わたし、生理なの」と呟いた。彼はドキリとした。しばらくしてそうした目的以外に使いみちはないといった連れ込みに入った。ベッドの上でパンツを下ろした彼に、彼女も下着姿になり手や口で一生懸命尽くしてくれてもうやむやに終わった。気まずさがあつたはずだが、笑ってごまかすだけの余裕はなかった。「そうだったよな」「そういうことはよく憶えているわね」

台所と居間をかいがいしく行き来していた母親の姿と照明を落としたラブホテルで背中を見せてお茶の用意をしている俯いた彼女のうしろ姿が重なった。母親は食べ盛りの息子二人にかいがいしくおさんどんしながら何を考えていたのかさすがにわからないが、三人目の孫もできたという身で(こんなことをしていていいのか)といつた自責の念に身を焦がしながら自問自答しているのが彼女の(たたず)まいから伝わってくる。

それを断ち切るように、彼は二年ほど前にメールで前触れもなく寄こした彼女の言葉を手繰(たぐ)り寄せる。『四十年たっても同じです。思いも同じです』文字にするかしまいか迷ったあげく送ってきた二十文字だろう。身体から搾り出したような言葉が彼女の背中に集まるオレンジ色の薄明かりのなかに浮かんだ。ベッドに腰掛けた彼のタバコの煙で消えたり浮かび上がったり明滅していたけれど、震えているようにも見えた。そして一年前に同じこのホテルで天井を見ながら漏らした声も聞こえてきた。「あなたと別れたあと家に帰ると最近はいつも居るのよ。それが、、、ね。そうでしょう。家を空けることはしばらくないと思う。糖尿と心臓でゴルフもダメみたいだから」                   彼はシャワーのあとバスローブをだらしなく羽織りそのまま、先に済ませていた彼女に身体を投げ出すようにベッドに(ころ)がった。彼女は頭を枕に深く沈め胸の上で手を組み、目を閉じて行儀よく仰向けに横たわっていた。その二の腕をごく自然に引き寄せて手を(つか)み、彼もゆったり体を平らにした。彼女はたじろぐ風もなく目を閉じたまま手をあずけるだけだった。

十年前、二人は話し込めばこれからの話に踏み込まなければならないことはわかっていた。だからこそ、それを共謀して避けるかのように身体をぶつけ合って互いの(うち)虚空(こくう)を交換するしかなかった。十年後も共謀の匂いを(まと)いながらも、彼は横になってホッとしたところでこのところいつも、からだの内から突き上げてくるものがなくなっている。彼の気持ちは欲情していたはずだが、身体がもよおさない。(今日もか?!諦めていたいたわけではない)だからといって、新しい姿勢を試みることもない。案外彼女は彼が昔してあげることがなかったやさしさを期待しているのかもしれない。

彼女の気持ちに()められたダンナの(たが)が外れたとは思えないが、からだの箍はさすがに弛んだ。「おなかなんか恥ずかしくてもういっしょにお風呂にはいれない。あなたはまだ大丈夫ね」「こども三人産めばなぁ、、」「そうよね、もうおおむかしね、もういいの」そこに至る気持ちのやり取りは思い出せないが、彼は彼女のバスローブを分けて、皮をむいた白く水気滴(したた)る二丸の冬瓜の間に手を()し入れて(すべ)らすように太腿に掌を這わせた。冷たく柔らかでなめらかな肌触りは十年前と変わりなく、吸い付くように弾力もあった。伸ばした右手の指先、腹が暖かく濡れるのがわかった。彼女は突然、半身を起こして彼に覆い(かぶ)さり彼の口を探して顔をぶつけてきた。彼女の舌は彼を鼓舞するかのようにしばらく暴れてから、やさしい生きものになった。こんなに積極的に彼女から動いたのは初めてだった。彼はそれに合わせて必死に応えたけれど、そのまま彼女の体温を頼りに眠りに落ちたかった。彼は何かを塗りつけるように彼女の首から肩、鎖骨、そして乳房を撫で回した。肩から鎖骨にかけてわずかに脂肪が落ちたのか、尖ったような手触りだった。首回りはたるみ、張りがなくなったかと思わせる大きい乳房が、彼の胸を柔く()しながら何度も大きく揺れた。彼女は彼の中途半端に起った彼のとば口から(ぬる)くこぼれているのを腿に感じたのか、濡れた口を離して、一度彼を睨み付けてから目尻を下げた優しい表情に変えた。二人は苦笑いを交わす。彼女は彼の顔を両手で挟み(いと)おしそうに改めて彼の唇に小さく尖った舌をおずおずと差し入れてきた。前夜も深夜まで相当の深酒だった。ほんの数時間横になって五時前には家を出て四時間、高速を飛ばしてきたのはいつも通りだった。彼には激しい感情のやり取りのないまま流されていく関係が心地良かった。              「あなたは変わらないわよね」「変わりようがないだけだろ」           「シミーズ、着けたのは久しぶり。うん?あなたがスカートのほうがいいって云ってたでしょ」「下着が透けて見えるのがいいよな」「あなたの()(びね)りのコーヒーカップ、割っちゃったよ」「会社でね、自宅ではダメよ」「うん、湯呑みはまだ愛用している」「変わりは来年になるかな」            「バックミラーを見ながらずっと合図していたのにぜんぜん気づかないんだもの。何していたの、電話?」            「オレと一緒に居るとタバコの臭いがつくだろ。ダンナ、タバコもやらないんだろ?」「だいじょうぶ。髪にはなんとなくね、でも、そんなに近くに寄ることはないから」  「散骨が法律でよくなったんでしょ」「墓か。海でも手続きが必要なんだろうけど、新聞に載ってたな。一緒じゃ嫌だってことか」  「息子の嫁さんの両親、韓国の人だと思う。この間、もう五年も経っているのに、はじめて気づいた」「今頃?」「間違いないと思う。今更だけど、どうするということもないんだけど」                     

今回も前日のゴルフのあと寺に寄って手を合わせた。十五年前十年前とは違い墓前に立ったときに胸にせり上がってくる鎮魂の情とは別の気分が頭を(よぎ)るようになった。三十の坂を越えてしまった長女の日常は落ち着いたものの、仕事が確実に下降線をたどりだしたなかで、今後の絵が描けていない漠然とした不安の塊だった。どうせなら成り行きに任せてしまおうかと、また逃げの考えがフッとアタマをもたげる一瞬もあるが、(もう少しやってみよう)自分を御することにも慣れてしまった。いずれにせよ、また大きな岐路に立っている自覚はあった。自信のあった体力の低下もその不安を色濃くする。車の運転でも途中どこにも寄らずノンストップで彼女のもとへ一目散の芸当は到底(とうてい)不可能になった。彼女に向かう欲望は変わらなくても、身体の動きはやさしく、不如意(ふにょい)に終ることも珍しくなくなっている。

 ここまでの仕事四十年の人生で何を残せるのか、たいしたものを残せないことがはっきりしだした還暦過ぎの今となってみれば、往く先が俄然身近になり黒い御影石と墨書も消えかかった卒塔婆(そとば)を改めてまじまじと見詰めると、石裏に刻まれた三人の名前に手を伸ばしてなぞりたくなる。実際、地元の仲間との酒の肴もわずかな孫の話の他は、田舎の同世代の逝ってしまった記憶のなかの彼、彼女の話題が多くなった。彼らは懐かしがるでもなく悲しむでもなく、だからといって、生き残っている自分を幸運と思っているふしもない。羅漢(らかん)のような柔和な笑みを絶やさず深い諦念(ていねん)をかかえた仏者のように人の死を語る。

 東京では原罪を思い出させるかのような(しわ)を深く刻み込んだ額を貼りつけた老若男女を多く見かけるようになった。磔刑(たっけい)(だい)へ急ぐキリストだらけだ。無垢(むく)のしるしをつけている顔はめったに見ない。気のせいだけではないだろう。ゴルフ場でいっしょに廻るのは彼同様一人で参加しているメンバーだが、地元のゴルファーは皆、遊びに熱いまさにプレーヤーで、東京近郊で通っているメンバーコースで目にするのは何かに()え祈りながら(うつむ)き歩く修行僧のようなプレーヤーばかりだ。

 彼はもう四十五年以上勝ち負けを繰り返してきたこの砂漠で何かに祈ったことはない。とはいっても、人一倍原罪を背負っているような顔を人前に(さら)した刹那(せつな)はあるやもしれない。それでも、ゲームのプレーヤーであり続けるために仕事に限らずいつも遊び心を持って事にあたることに腐心(ふしん)してきた。そして今更思い返せば、何かに、何かを祈るのは郷里に帰ったときの一瞬なのだ。                                             帰り、下の道路を避けてすぐに高速に上がった。長野県に入るまで妙高高原を越える登坂だ。ドライブの楽しみはないため、いつもはワインディングが続く一般道を一時間走り関越道を利用する。乗って数分でいきなり渋滞にぶつかり、ノロノロ運転を強いられることになった。疲れがどっと襲ってきた。車窓の右側一面濃い緑か敷き詰められている。見上げると妙高山が大きく迫っている。こんな間近に長い時間生々しく迫る妙高を眺めるのは初めてだった。こどものころから、いつも遠目に身近にあった。十一月にもなれば早くも雪雲に(おお)われ、チェーンの常備なしではおぼつかない上信越道を走るには絶好の季節だ。気だるさをたっぷり()めた身体での県境まで通常の倍の一時間、運転席からの真正面の眺めだった。山肌を荒々しく見せ、隣にわずかに白煙を吐くようになった活火山の焼山を控えた郷土の山は神々(こうごう)しくもあった。

 彼は二十年前から途中七、八年を除き毎月一度は郷里に通った。まっすぐゴルフ場、まっすぐ彼女、そして墓。実家に顔を出すのは五回に一回だ。仏壇に手を合わせ長居しても二時間で、兄夫婦との話は当たり(さわ)りのない大人の会話に終始する。娘のその後については「ここ数年安定していて、去年から週三日働きに出ている。おかげさまで、、、」で封じ、酒も入らないのに始まる兄の釣りとゴルフの武勇伝を聞き流す。一夜世話になることもなかった。いまさらながら思う。何のためなのか。ゴルフ場でプレイして墓前で手を合わせてプレイ(祈る)する。そして、彼女と身体を交わしながら魂も()り合わせたかのような気になって、在るか無しかの二人の行く先を祈っているのではないか。

祈り、には縁はなかったはずだがブータンまで足を運んでその仏教の()()けてきたという触込(ふれこ)みのおばちゃんを自宅に招き、長女を診てもらったことがある。「しばらく私のところに通わせなさい。気で治せるから」彼も直感しなかったわけではないが、その霊媒師のような風体と物言いにカミさんの猛反対に合いながら、そんな他人の加持(かじ)祈祷(きとう)(すが)ってみようとしたこともあった。ほんものの曼陀羅(まんだら)を探して通訳と一緒にネバール・カトマンズの他二、三の町を歩いたのも、ヒンドゥーの神様のお面を恭しく(うやうや)持ち帰ったのも仏か神の霊験(れいけん)(たの)むところがあったのかもしれない。ニューヨーク、ボストンを何日もほっつき歩いた。裏町の古い小さな教会の内陣(ないじん)を覗いたりもした。ステンドグラスを(とお)して射す光も浴びたが、胸元で十字を切りたくなるような敬けんな空気を体感することはなかった。わけのわからないあざとい神に会いに行ったのかもしれない。伊勢神宮や出雲大社に足を運んだのは、スタッフを減らさなければ立ち行かないところまできていた会社の行く末の神頼みもあった。そんな気がする。そんな時だった。

 気づけば、気味の悪いほど黄金色(こがねいろ)に耀く満月がすぐ頭の上で墓地の隅々まで照らし出し、すべての墓石の輪郭を鋭角に切り取っていた。気持ちは切り替わって墓地の外へ向かっていた。水桶を()げ改めて墓石を見ると黒を失くして明るく輝いていた。その中に、病気とは縁のなかったころのおふくろの笑顔が浮かび、四十年前の「付き合っていたんでしょ、その()、家に来たのよ」の声が聞こえたような気がした。彼は墓石に向き直り桶を下ろし、改めて手を合わせた。山門を後にするとき、焼けてひりつくような熱く()かれ()がれる気持ちが、不安のなかからじわりと下半身に降りてきた。高揚と捉えどころのない充足を求める暗い裂け目が拡がった。この夜も明日の彼女との逢瀬までの時間を仲間との酒と痴話でつなぐのだ。

『帰宅がずいぶん遅くなったのね。渋滞がそんなにひどいとは思いませんでした。本当にお疲れ様でした。逢う前には罪悪感というか「回りに迷惑かけてわがままを続けていてはいけない」という思いがあり気が重いのですが貴方のいつも変わらない優しさにふれると満たされます。そしてまたどうしてよいかわからなくなります。答えはでません』

『不合理で厄介(やっかい)な感情の塊、そんなマグマを己の奥深いところに抱えながら熟成される(とき)をまっている。でも完熟(正解)には至らないだろう。そもそも不合理なのだから答えそのものが無いのだとも思う。あなたとの時間をどうつないでいくか、ではないか。それ以上望んではダメなんだ。満たされることは無いんだと思う。それが不合理な感情を抱えてしまった代償なのではないか。

人間は本能が壊れた動物で、その本能の崩壊に対する対策として自我と言語を成立させたんだそうだよ。この自我が厄介きわまりないんだ。自我はあくまですべて根拠のない幻想で、例えば家族とか国家、所属する組織なんかに仮託させているんだ。唯一その根拠となるのが「聖なるもの」らしい。それは、結局、それぞれ一個人のアイデンティティの安定にかかわるもの、誇りとか価値、集団の和、生きる意味、闘う目的といった人間の行為を意義づけるもの。合理的には発見できないけれども、実はそうしたものが自我を支えているんだそうだ。これがないと人間は何もできないし、やる気にならないという。

わかるような気がする。オレにもいっぱいあったはずのその聖なるものも、いま残っているものはほんのわずかになった。敢えて見切りをつけた。この俗物者の最たるオレが隠棲(いんせい)できるわけはないけれどすごく勇気がいる。

それでも捨てきれなくて、これからも保持しなければならない数少ない「聖なるもの」のうちのひとつがあなた、だと思う。あちこちうまく折り合いをつけられればそれにこしたことはないけれど、そんなものはここまできたらもう少ないほうがいいにきまっている。オレはそう思う。けれど、どうしても最後まで手放せない「聖なるもの」なんだ、あなたは。聖なるものと言ってもオレが勝手に作り上げた幻想で、今の六十年生きてきたあなたそのものでいいんだ。

ごめん長くなった。こんな理屈は詮無いな。今週一回電話する。まわりに迷惑かけてって、あなたに関わっている全ての人ということか?』

彼が彼女への思いを言葉にすればするほど、彼女は言葉の裏側を覗いてしまうだろう。二人とも黙り込むしかないのだ。そんなことはわかっている。

学生時代に一度別れてから四半世紀後再会、熱い四年の蜜月のあとの離別、そして十年後の再々会、振返ればそもそもから五十年・半世紀になんなんとしている。本来、奇跡のような不可能事なのだ。行き着くのは自己肯定の感覚だ。他の誰といるときよりも心地いいし安らぐのだ。この自分なら、この自分が、という思いが彼にははっきりしている。彼女といるときの自分が好きだという肯定感がなければ続かなかっただろう。(そういう自分を生じさせてくれるのが愛の相手)だというのだが、わからない。二人が五十年前に乗り合わせた船は、しばらくして往く宛てを失い、互いに別の船に乗った。しかしその船も何十年も経って()ちはじめ、元の船に乗り移ろうとした。しかしその船も旧式の幽霊船同然で、視界の悪い海をただアテもなく漂うだけなのだ。

来週、長男夫婦と埼玉の娘夫婦と孫三人連れてディズニーランドに行く、と電話があった。「東京で何とか一人になる時間をつくろうと思っている。時間つくれますか?」ささやくような小声だった。

「そういえば、このあいだ中川さんと久しぶりに、四年振りかな、三人だったんだけど食事したの。彼女、急に老けたような感じがしたけど、元気そうだった」

「何か言われた?」

「ううん、何も。でも、言われちゃった。『相変わらず可愛いわね』って」

「相変わらず?」

「うん、そう。でも、イヤミかもしれないわね」

どうしようもなく具体的に男と女であることはまちがいないが、二人には逢ったからといって目的などない。今となっては熱望も恐れもない。目的なき密会なのだ。密かに優雅にたがいを(だま)しあえればいいのだろう。人生のサードステージに昇ってしまった男と女が真剣な下心もなく、それでいて男と女を十二分に意識して、心の目配せをかわしながら四十年前に逃がした時をほんのいっとき取り戻すだけなのだ。

俯いて苦笑いしてからゆっくり顔を上げ、下から彼を見詰める。そして笑顔に変わる。そんな姿が浮かんだ。


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