第七話 あの時の衝撃は決して夢ではない。
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。
関係ないけどほぼ丸一日を気絶したり指一本動かせないまま仰向けになっていたりを繰り返しながら過ごした場合人間は主に生理現象的な意味でどうなるだろうか今の俺の状況とは全く微塵も全然ちっとも一切合切一辺たりとも悉く欠片も余すところなく関係ないけど。
あと綾女達が朝早くからここに訪ねてきた気がするのは俺の勘違いだろう仮死状態の恋人が本当に死んでいるのだと思い込み後追い自殺をしてしまう恋愛悲喜劇の登場人物並みに勘違いだろうそもそも後追い自殺の後追い自殺って何だよ。
くっ、殺せ。
……生き恥を晒した気がするけどあれは夢だ。ある夏の夜の夢だ。何故か下半身がしっとりとしている気がするのはいたずら好きの妖精が魔法の花の汁を盛大に垂らしたせいだろう。
原作ではまぶたに垂らすもの? 知っているから演劇部だし。何なら劇団の公演を観た事もあるし。淫らに汚した某作の元ネタとしか知らない奴とは比較にならないくらいよく知っているから。
ちなみに原作の締め方はどうにも好きになれない。あれが最も綺麗な形だとしても、そのために一人の男の想いを捻じ曲げていいとは思えないから。何と言うかこう、ラブコメで主人公がメインヒロインを選んだからと言ってライバルヒロインがその子に好意を示し続けていた男と付き合う事になる展開の何か違う感、あれを悪化させたような感じがしてならない。締め以外は割と好きなのに。あの可変式四角関係とか。
今この小汚い部屋には俺一人しかいない。綾女の結界なら何者かが一晩かけて破ろうとしてもうるさいだけでかすり傷一つつかないから朋友がここに常駐する必要はなくなった。それならいざという時のために色々を知っておいた方がいいだろう、という事で今は綾女達と一緒に座学の最中だ。
ハテ、今日ハマダ綾女達ニ会ッテイナイハズナノニ、ドウシテ俺ハソンナ事ヲ知ッテイルノヤラ?
きっと昨晩うるさいやら痛いやらで眠れなかったから頭がうまく働いていなくて何かを勘違いしているんだろう窓のない部屋で気絶と覚醒を繰り返していたせいで時間感覚が乱れているのもあるかもしれない綾女達が来るまで仮眠でもとっておこうそうしよう。
* * *
夢を見ている。
もはや恒例の神主テンプレチーレムストーリー、ではなくて、俺がまだ小学六年生の頃の、それこそまだ演劇なんて興味どころか知りもしなかったような頃の記憶を基にしている見慣れた悪夢だ。
場所はこども絵画コンクールの展示会場。入賞作品として飾られているライバルの絵と、どこにも飾られていない俺の絵。現実ではこの年は佳作を取れていたから、夢ならではの改変だろう。実に不愉快な話だ。
そう思っている間に黒い影が現れて取り囲まれる。大きさはバラバラだけど人のような形をしている黒い影達の中に、一人だけ顔も形もはっきりとしている子供が現れた。入賞常連だったあいつだ。
いつも細部に違いはあるけど、この悪夢はいつも同じ結末を迎える。展示会場であいつの絵の前にいて、現れたあいつがあの日と同じ言葉を告げる。
傷付いて、
腹立たしくて、
なのにすんなりと受け入れられてしまったあの言葉を。
――欠陥品
俺の絵に対してなのか、それとも俺自身に対してなのかは今でも分からないままだけど、あいつは確かにそう評した。
自覚はしていた。自分の感覚に身を委ねて作り上げた作品は、絵でも何でも大切な何かが足りないと感じた。その何かを求めて手を加えても、完成度が落ちるだけで決して欠けている何かは埋まらなかった。ミロのヴィーナス像の不完全の美のような何かもなかった。
芸術家として、芸術品として、これ以上の欠陥品があるだろうか。実力が足りないのではなく、大切な何かが欠けた不完全な状態こそが完成形。そんな物、どうしようもない。
自分の気のせいかもしれない。そんな薄っぺらい現実逃避を支えに何年も続けてきた絵画コンクールへの挑戦は、それ以来ただの一度もしていない。
まだ小学生だった俺の初めての挫折だった。
ちなみにそのすぐ後、展示会場と同じ建物内にあるホールでやっていた地元の劇団の公演を観たのが演劇の道に入り込んだ最初の一歩である。子供らしい切り替えの早さで先の挫折は記憶の彼方に蹴り飛ばしていたんだから、我ながら単純というか何というか。
あの時の衝撃は決して夢ではない。魔法の花の汁で演劇というものに惚れ込んだわけでもない。むしろあの締めを他の観客がハッピーエンドと言っていた事にも多少なりとも驚いたからこそ余計に深みにはまったのかもしれない。
* * *
「……あー……」
誰かに話すならオチ付きで軽く話せるくらいには自分の中で整理できているつもりだけど、どうしても夢に見た後の寝起きは何とも言えない気分にさせられる。朋友がいれば馬鹿な話でもして気を紛らすのに、まだ戻ってきていないみたいだ。
小学生の時点で将来性まで分かるほどのイケメンだし噂では成績優秀運動神経抜群だったらしいし芸術的感性も非凡だし性格も名前の通り優しいし、思い出してみれば天王寺よりあいつの方が比較にならないくらい勇者に相応しい人材だろう。俺の判定だと天王寺の唯一とも言える長所の容姿でさえ、小学生時点のあいつの方が勝るとも劣らぬくらいだし。完璧超人にもほどがあるだろう。天に万物を与えられたのかあいつは。
考えれば考えるほど勇者だな。あいつならラノベでよくあるハズレや巻き込まれの雑魚扱いされていた奴が最強になる系の展開で出てくる噛ませ犬要員な勇者にされたとしても、最強主人公様をモブ化させて普通に世界を救えそうだ。
あいつが今どこで何をしているのか知らないし、昔でさえ成績とかに関しては噂でしか知らないのに、何故か今でも勝てる気がしない。超えられない壁としての印象が強すぎる。
だからこそ、せめて好きな事、得意な事では並びたかった。
そして俺の勘違いでなければあいつも誰かに並ばれたかったんだと思う。
今でも鮮明に思い出せる。あの日、欠陥品と口にしたあいつは、決して俺を見下すでも嗤うでもなく、むしろどこか寂しそうな顔をしていた。
いつだったか佳作を取って俺の絵が生まれて初めて展示された時、そこで初めて会ったあいつは俺の絵を、その可能性を評価していた。他の上手いだけの入賞作品とは違う何かがあると、そんな話をされた覚えがある。
ライバルたりうる誰かが現れる日を心待ちにしている、楽しそうな表情で。
だけど俺はあいつのライバルにはなれなかった。あいつが感じた俺と他との違いは欠陥芸術という形でしか現れてくれなかった。
それをあいつに理解されて、あいつから逃げた。格好悪くて嫌になる。
……もし、もしもだ。もしいつかあいつにまた会う事があれば、俺は逃げ出さずに向かい合う事ができるだろうか。
……できるな。むしろできない理由がない。何なら今から天王寺の代わりに勇者として召喚されたとしても問題ないくらいだ。いやその場合あいつの方に問題が発生しているか。
何にしてもまた会って話をしてみたくなってきた。それで俺が部活で作った相変わらずの欠陥がある品々を見せてやろう。あいつはどんな反応をするだろうか。
今頃何をしているんだろうな、朝倉の奴は。
……うん、今いい気分だから聖女の張った結界を壊そうとして騒音を立てるだけの無駄な努力を今すぐ止めて静かにしようか。何人がかりだろうと破れるわけないだろうに、うるさいだけで迷惑な連中だ。
今回出てくるあの作品の劇は実際に私が生で観た事のある唯一の劇だったりします。
いつの事だったかは忘れましたが、確か学校行事で。
ディミートリアス ェ……