創造まで
空間と呼べるものがあった。それはいくつも存在し、隣り合ったり、重なり合ったり、遠ざかったりしていた。その空間の中にはたくさんの"何か"があった。そして、ある空間の中の、その中の空間の一つに、存在するものがあった。
それは混沌と呼ばれるものであった。
ただ混沌と呼ばれるものしか、その空間には存在しなかった。
混沌はすべてを持っているものであって、ひとつだけのものではなく、ひとつだけのものであって、すべてを持っているものではなかった。
有であって、無ではなく、無であって、有ではなかった。あるはずであって、ないはずはなく、ないはずであって、あるはずはなかった。
暗闇であって、光明ではなく、光明であって、暗闇ではなかった。闇であって、光ではなく、光であって、闇ではなかった。暗いのであって、明るいのではなく、明るいのであって、暗いのではなかった。明暗のどちらかに別れているのであって、明暗のどちらかに別れていることはなかった。
透明であって、有色ではなかった。有色であって、透明ではなかった。白であり、黒であり、赤であり、青であり、黄であり、灰であり、紫であり、緑であり、橙であり、万色であり、無色だった。
時があって、時はなかった。
始まりであって、続きではなく、終わりでもなく。続きであって、終わりではなく、始まりでもなく。終わりであって、始まりではなく、続きでもなかった。
進化があって、退化ではなく、退化があって、進化ではなかった。ただ、どちらの変化があり、どちらの変化もなかった。
魂があって、魄があり、命があった。ひとつになっていて、生なのである。しかし、死であるようにばらばらであった。
混沌は両極を持ち、中間を持っている。しかし、それらを見極めることは困難なほど、両極でもなく、中間でもなかった。
混沌は混沌のままである。しかし、長い時間であって、一瞬でもあった後、混沌は混沌ではなかった。
始まりと思われる時、静かに変化は訪れ、騒々しくはなかった。つまり、終わりと思われる時、落ち着きのもとに調和がなって、不調和ではなかった。いや、終わりと思われる時、騒々しく変化は訪れ、静かではなかった。つまり、始まりと思われる時、荒々しさのもとに不調和がなって、調和ではなかった。
調和はすべてをもって整うことであり、不調和はすべてをもって整わないことであった。
調和があって、不調和がなく、不調和があって、調和がなく、共にあって、表裏であり、別々であった。
すべては予定であり、計画であって、すべては確定であり、結果であって、ひとつが予定であり、計画であって、確定であり、結果であった。
混沌は存在するのであり、存在したのであった。
静かに、しかし騒がしく、混沌は混沌であることを止め、混沌というかたちを捨てようとし始めた。
一瞬、いや長い時の後、その変化は爆発によって起こった。爆発はすべてを、ひとつをばらばらに、散り散りにして混沌は終わった。
爆発は爆発を呼んで、すべては、ひとつは一瞬光に、闇に包まれた。
そして、ばらばらになったものものは、何かに引かれ合い、弾かれ合いして新たな形を成し始めた。やがて、引かれ合ったものものは、火花を散らしてひとつのものとなり、大きくなっていった。
偶然の形成か、必然の形成か。自然を保つのに適したのが、円であったのか。
空間の中に宇宙ができたのであった。
2015/03/25