04-B
……こんなはっきりとした声、聞き逃すわけがない。
でも、今彼が発した言葉を、私はなかなか信じられずにいた。
ん、……告白? 告白、だよね?
私、告白されたんだよね? 彼に。ローレンツに。
「えっと……」
言葉が、出てこない。……どうしよう。
16年の人生で、異性から初めてされた愛の告白。
しかし困ったことに、どう反応したらいいのかわからない。
……好きって言われたんだから、私も好きって言えばいいのか?
でも、私は本当に、この人のことが好きなの?
……まぁ、嫌いではないよな。
彼に肩を掴まれていても、全然嫌じゃないし。
こんなに近くにいても、抵抗感はまるで無い。
でも、だから好きってことになるとは思えない。
う~ん……。
よくわからないっていうのが、私の本心だ。
「ティナ?」
「! え?」
ローレンツの声に、思考が途切れる。
じっと私を見つめる、彼の双眸。
……私の答えを、待ってるのか。
どうしよう……。
困惑する私の肩から、彼の手が離れる。
肩を掴まれた時よりも、ドキッとした。
――嫌われちゃった?
ローレンツは手を下ろし、ゆっくりと前に向き直った。
「……ごめん。いきなりすぎたよね。僕たち、なかなか会えないし、会えたとしても、一緒にいる時間は短かったし。だから、急にこんなこと言われても、困るよね」
……口に出しては言えないけれど、正直、その通りだ。
そうなんだよね。
彼のことは嫌いじゃないけど、まだ、好きでもない。
好きになるには、もっと彼のことを知る必要があるんだと思う。
「……謝らないで。好きって言ってもらえたのは、嬉しかったから」
彼を慰めようと思ってこんなことを言うわけじゃない。
これは、私の本心だ。
そして、これ以上のことは言えない。
私も、前に向き直る。
そのすぐ後に、ローレンツがこっちを見る気配。
「……もっと、一緒にいられればいいんだけどね」
元気の無い呟きに、思わず彼を見る。
目が、合う。
「でも、仕事があるから。……会うとしたら、偶然に頼らなくちゃいけない。今までや、今日のように」
そう呟き続ける彼は、とても寂しそうに見えた。
「……私と、一緒にいたいの?」
その問いは、ほとんど無意識の内に出たものだ。言ってから、ハッとする。
ローレンツは、薄く微笑む。
「そりゃあ、一緒にいたいよ。好きだから」
そんなに、私のこと好きなんだ。
でも、だからって、勢いに任せて「私も好き」なんて言えないよなぁ……。
まさか、彼についていくわけにもいかないし……。
だって、きっと私じゃあ、彼の足手まといにしかならないもの。
……でも、もしも彼に、ついてきてって言われたら?
そしたら私は、どう思うんだろう。
言って、くれないかなぁ……。
「ティナ?」
「!」
しまった。またぼーっとしてた。
「えっと、なんかごめんね。君を混乱させちゃったみたいだ」
「えっ?」
違う! あ、いや、違わないかもしれないけど、えっと……。
「もう、行くよ」
「!」
言って、立ち上がるローレンツ。
「待って!」
私は慌てて立ち上がり、彼を呼び止めていた。ローレンツは、半身だけ振り返る。
……呼び止めてみたものの、続く言葉が見つからない。
あれ? なんで呼び止めたりなんかしたの?
でも、だって……。
「わ、私、私も、あなたのことを好きになりたい!」
「え」
……ん?
あれ? 今私、なんて言った?
見れば、ローレンツは目を丸くして固まっている。
私、なんて言ったの?
「好きになりたいだなんて、面白いことを言うんだね、君は」
「あ……」
何言ってんだ、私。
意味分かんない。
ああ、ヤバイ。なんか泣きそう……。
「!」
俯く私の視界に、彼の足。
見上げれば、優しい瞳と出会う。
「でも、どうやら嫌われてるわけじゃないってことだけは、わかったよ」
そう言って、右手を差し出してくる。
「これからもよろしく。ティナ」
「え、あ……」
彼の顔と、彼の手を、交互に見る。
そしてその手を、そっと握る。
……大きくて、温かな手だ。
「……私の方こそ、よろしく。ローレンツ」
その言葉だけは、すらすらと、素直に、口から流れ出た。
公園から出て行くローレンツ。
私は、その姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしたまま見送った。
すとんと、ベンチに腰を下ろす。
「……」
じわりと、私の心に滲む感情。
……寂しさ。……後悔。
言えばよかったかな。私も好きだよって。
でも、まだ好きじゃないのに好きって言うのは、どうなの? 駄目だよね?
……っていうか、好きってどんな感情なんだろう。
そもそも、それがわかってないんだよなぁ、私。
「はぁ~あ」
「待ちくたびれちゃった?」
「――!」
突如湧いた女性の声に、心臓が跳ね上がった。
「あなた……」
ベンチの横に立っていたのは、あの新聞記者。首を傾げて、私を見つめている。
「えっと、……アイヴィーさん、だっけ?」
鼓動を落ち着かせながら、問いかける。
「そうそう。アイヴィー・プライス。スクルド新聞社の記者だよ。あなたは、ティナ・ロンベルクさん、だよね?」
ルイスに聞いたんだろう。私も「ええ」と頷く。
「聞いたよ~? あなた、元AAランクのクレイグ・ロンベルクさんの娘さんなんだって? 私それを聞いて、ちょっとだけあなたに興味が湧いちゃったな~」
ニコニコ明るく笑いながら、アイヴィーは私の隣に座る。
「でも、あなたはまだ、取材するには値しないかな。有名傭兵の血を引いてるってだけじゃ、ちょっとネタとして弱いんだよね。そういう人、世の中に結構いるし」
別に、取材してくれなんて一言も言ってない。
っていうか、隣に座っていいって言ってないのに、なんなの、この人。
「ところで、ルイスさんの取材は終わったの?」
不機嫌さを隠すことなく声に乗せ、隣の馴れ馴れしい女の顔を見る。
「うん、少し前にね。で、近くに公園があるって聞いてさ、そこで取材内容をまとめようかなって思って来たら、あなたがいたの」
なるほど。
じゃあ、さっさとルイスのところへ行こう。
たぶん、帰り支度をしてるだろうし。
「でも、いいよね~。親が有名っていうのは、羨ましいよ」
立ち上がろうとした私を引き止めるように、アイヴィーは話し始める。
「私の親なんか、田舎の警察官だよ? しかも、放っておいても事件なんか起きないような、治安がいい街の。まぁ、治安がいいに越したことはないんだけどさ」
そう言って、「はぁ~あ」とわざとらしく溜め息をつくアイヴィー。
「そういえば、クレイグさんってもう傭兵辞めたんだよね? 今は一緒に暮らしているの?」
「え? うん。同じ家で暮らしているといえばそうだけど、今、お父さん別の仕事してるから、週に何回かしか帰ってこないの」
「ふぅん。でも、同じ家で暮らしてるんだ。……私は、お父さんとはもう2年くらい会ってないなぁ。家を飛び出してそれっきり」
空を見上げるアイヴィー。その横顔は、寂しそうに見えた。
「……喧嘩でも、したの?」
聞くと、アイヴィーは「そういうわけじゃないんだけど」と苦笑する。
「私、新聞記者に興味があってさ。で、思いついたらすぐ行動に移しちゃう質なのね? 絶対なってやるって言って、ほかにはなんにも考えずに家を出たの。両親には、結構止められたんだけどね」
それは喧嘩じゃないのか?
「一度も、家には戻ってないの?」
「うん。手紙も出してない。帰ろうと思えばいつでも帰れる距離っていうのが、決断を鈍らせる原因なんだと思うんだよね。実家があるの、北部だし。カランカからだと、半日もかからずに行けちゃうもん」
……北部?
……ん、あれ? 警察官の父親?
それに、確かこの人の名前……。
プライスって、どこかで聞いたような……。
! もしかして……。
「あのさ、違ったらごめんなさい」
「何?」
「あなたのお父さんって、もしかしてラベドラって街の警察官?」
すると、アイヴィーの目が丸くなる。
「そうだけど、え? なんで知ってるの?」
「やっぱり! ダドリー・プライス警部のことでしょ!」
「お父さんに会ったの?」
「うん。ちょっといろいろあってね、プライス警部にはお世話になったんだ」
あの時のことを思い出す。
「えっ。あなた、警察に捕まったの?」
「! 違うよ! 面倒事に巻き込まれた私を、いろいろ助けてくれたの!」
「冗談だよぉ。そんな怒んなくてもいいでしょう?」
苦笑いを浮かべるアイヴィー。
「でもさぁ、私のお父さんのことを知ってる人と会うなんて、思ってもみなかったよ。これって結構、すごいことかも」
ちょっと嬉しそう。
「そうかな……」
「そうだよ。あなたはほら、お父さんが有名だから、こういうの慣れてるかもしれないけどさ、私は初めてだもん。お父さんも普通だし」
そう言って、ずいっと身体を寄せてくるアイヴィー。
髪と同じ色の瞳が、笑みの形に細められる。
「ここで会ったのも、何かの縁かも。良かったら、友達になってくれない?」
友達……か。
まぁ確かに、縁があって出会ったような気がしないでもない。
断る理由も無いし、別にいいか。
「いいよ」
そう答えると、アイヴィーは「ありがと」と笑い、元の位置に戻る。
「ところでさ、あなたの彼氏ってすっごい格好いいね。びっくりしちゃった」
「はっ?」
心臓がドクンってなった。
まさか、まさかこの人……。
「みっ、見てたの?」
今度は私が近付く番だ。見開いた目で、アイヴィーを凝視する。
アイヴィーは「にひひ」と笑い、コクンと頷きやがった。
「どどっ、どこからっ?」
まさか、最初から見てたんじゃ……。
「どこからって言われてもなぁ。なんかベンチに仲良く座って喋ってるのを見てただけだし……」
それじゃあ、どこから見られてたのかわかんないじゃん!
ボッと、顔が熱くなる。
「横を通り過ぎる時に見たんだけどさ、いや~、すごいね。あんな美男子、なっかなかいないよ? まさに、白馬に乗った王子様って感じ? どこで知り合ったの、あんなイイ男と。もしかして、あの人も傭兵なのかな?」
「ええっ? ……えっと、彼とは採用試験の時に初めて会って……」
そこまで言って、アイヴィーがいつの間にかペンと手帳を持って何か書こうとしていることに気付く。
「ちょっ、ちょっと! 何書こうとしてんの!」
慌ててペンを奪おうとする私から身を捩り、声を上げて笑うアイヴィー。
「あなたも、なに律儀に答えようとしてんの。真面目だなぁ」
ムスッとする私を見て、アイヴィーは「冗談、冗談。何も書かないって」とペンと手帳をバッグにしまう。
「あんまりからかうと、友達の件は白紙に戻しちゃうよ?」
「え~? ごめんって。ほらほら、笑ってよぉ、ティナぁ」
言いながら、突然私の脇に手を入れてくすぐり始める。
「ちょっ、あはっ、やめっ、あはははっ、やめて! あははははっ」
「ほれほれ~。ここはどうだ。ここも弱いだろ~」
「いやははははっ、駄目っ、そこは、あははっ、このっ、もう怒った!」
反撃開始だ!
……そんなこんなで私たち以外誰もいない公園ではしゃいでいたら、やがて待ちくたびれたルイスがやってきて、私は慌てて帰り支度をしに宿へ戻るのであった。