04-A
翌朝、宿近くの小さな食堂で少し遅めの朝食を摂った私たちは、帰り支度をするために宿への帰路についた。
歩いて5分程度の帰路だ。
また2日間の汽車の旅かぁ、と辟易していた私の耳に、どたどたとこちらに近付いてくる足音が入ってきた。
足音は前方から。
そちらへ顔を向けた時には、足音の主が、私たち、というかルイスの前に立ちはだかっていた。
「ルイス・キルマイヤーさん、ですよね? AAAランク傭兵の」
私と同じくらいの歳の少女が、息を切らせながら問いを放つ。
陽の光を浴びて輝く綺麗な茶髪は、肩にかかるくらいの長さ。
前髪は切り揃えられている。
髪と同じ色の瞳が、真っ直ぐルイスを射抜いていた。
「そうだが、君は?」
足を止め、律儀に答えるルイス。そこに戸惑いは感じられない。
名を聞かれた少女は、「あ、申し遅れました」と言ってから、肩にかけているバッグの中を探る。
「私、こういう者です」
差し出されたのは、名刺のようだ。
ルイスはそれを受け取り、視線を這わせる。
「……スクルド新聞社、記者、アイヴィー・プライス」
スクルド新聞社?
それって……。
「新聞記者が、俺に何の用かな?」
服の胸ポケットに名刺をしまいながら、目の前の少女に問うルイス。
スクルド新聞社って言ったら、大陸の三大新聞社の一つだ。
……若そうな見た目からするに、この人は新米記者かな?
でも、そんな有名新聞社に勤めるくらいだから、きっと優秀なんだろう。
などと考えていたら、アイヴィーという名の記者はいきなり声を張った。
「取材をさせて下さいっ! お願いしますっ!」
「……え?」
ようやく戸惑うルイス。
……取材? ルイスを?
アイヴィーの顔は、真剣そのもの。
一歩二歩とルイスに近寄り、じっと目を見つめる。
その瞳からは、「絶対に諦めない」という強い意思が伝わってくるようだ。
「別に構わないが」
「へっ?」
アイヴィーの目が丸くなる。たぶん、すんなり許可が貰えるとは思っていなかったんだろう。
私だってそうだ。あっさりしすぎだろ。
「ただし、手短に頼むよ? どんな取材をするのか知らないが」
「はっ、はははい! ありがとうございます!」
アイヴィーは目をキラキラ輝かせた後、そこでようやく気付いたかのように、ルイスの少し後ろにいる私に視線を向けてきた。
「あのぉ、その子は?」
聞かれたルイスは、「ああ」と私を振り返り、「友人の娘だ。ちょっと仕事に付き合ってもらったんだ」と返答。
「へぇ~、ご友人の……」
細めた目で私を見るアイヴィー。何、その顔。
まぁ、彼女が何を言いたいのかは、なんとなくわかったけど。
「取材は、宿泊してる宿の部屋でいいか? 終わったら、すぐに帰り支度をしたいからな」
「え? あ、はい。問題ありません」
ルイスの問いに答えたアイヴィーの目が、再び私を捉える。
「えっと、取材はルイスさんと1対1で行いたいから、あなたはちょっと外してもらえる?」
はいはい、言われなくてもわかってましたよ。
「どのくらいかかるんだ? その取材は」
「1時間くらいに収めるつもりですけど、長いでしょうか。長いなら、頑張って短くします」
「いや、いい。1時間だな? そういうわけだ、ティナ。すまないが、帰るのは少し遅れそうだ」
「別に構いませんよ、1時間くらい。街を歩いて時間潰しますから」
ちょっとムカついたけど、ルイスが取材を受けるって言うんだから仕方ない。
世話になってるし、ワガママは言えないよね。
「ごめんなさいね」
すまなそうな顔を作るアイヴィー。私は「いいえ」とそっぽを向く。
「じゃあ、さっさと始めようか」
「はい! よろしくお願いします!」
すぐそこの宿へ並んで歩いて行く2人を見送りながら、腰に手を当て、溜め息。
私は1人、逆方向へ歩き出す。
しっかし、本当に何もない街だな。
国境地帯の近くなんていう危険な場所だから、そりゃあ観光できるような街じゃないのはわかるけど、それにしたって何もない。
時間を潰そうにも、ベンチにでも座って、空を見上げながらぼーっとするくらいしか手段がないよ。
……っていうか、まさに今、そういう状態なんだけどね。
ここは、街の北側にあった小さな公園の中。
周囲を木々に囲まれた、静かな空間だ。
園内にはいくつか遊具があるけど、どれもかなり老朽化していて、もちろん子供の姿なんてどこにも無い。
いや、私以外誰もいない。
「……」
懐中時計を取り出して、時間を確認。
ルイスたちと別れてから、まだ30分くらいか。
ほかに時間を潰せそうな場所も無さそうだし、ここでだらだらしていよう。
「はぁ~あ」
溜め息と共に声を発し、ベンチの背もたれに身体を預けて脱力する。
「暇そうだね、ティナ」
「――!」
突然の声に、身体が飛び跳ねた。急激に鼓動が激しくなって、ちょっと苦しい。
「…………あ」
ベンチの後ろ、私の背後に、1人の男性が立っていた。見知った顔だ。
鼓動が、さらに激しくなっていく。
「久しぶりだね。まさかこんなところで会えるなんて思ってなかったよ」
「ローレンツ……?」
そこにいたのは、金の髪と暗い緑の瞳を持つ、長身の青年。
私が出会った1人目のAAAランク傭兵、ローレンツ・キストラー。
私だって、こんなところで会えるなんて思ってない。
信じられない思いで、彼の顔を見つめ続ける。
……言葉が、出ない。
「ティナ?」
「――えっ? わぁっ!」
気付けば、ローレンツの綺麗な顔がすぐ近くにあった。
「疲れているみたいだね。ここには、仕事で来たのかな?」
言いながら、私から顔を離す。
「えっと、あの、……仕事っていうか、依頼を受けたのは私じゃなくて、私は付き添いで来たというか……」
「ふぅん。誰の付き添い?」
「えっと……」
あれ? どうして私、言葉に詰まってるんだ?
言えばいいじゃん。ルイスの付き添いだって。
「お父さんの友達に、国境地帯視察に一緒に来ないかって誘われて……」
「国境地帯視察? ということは、もしかしてルイス・キルマイヤーさんかな?」
「え? 知ってるの?」
驚き、すぐに、そりゃ知ってるだろと思い直す。
だってほら、同じAAAランク傭兵なわけだし。
「もちろん知ってるさ。同じランクだからね」
ほら、やっぱり。
「でも、付き合いは無いよ。ほとんど面識も無いしね」
へぇ、そうなんだ。ちょっと意外。
AAAランク傭兵だけで集まって、情報交換とかしてるのかと思ってた。
「それで今、ルイスさんはどこに?」
言ってから、辺りを見渡すローレンツ。
「あ、えっと、今はちょっと取材を受けてて」
「取材?」
ローレンツは不思議そうな顔をする。
「うん。さっき、スクルド新聞社の記者さんに会ってね。たぶん、AAAランク傭兵の取材ってことなんだと思うけど……」
するとローレンツは、「AAAランクの取材、か」と呟く。
「もしかしたら、僕のところにも来るかもしれないね、その記者さん」
そう言って、微妙な笑みを浮かべるローレンツ。
「ああ、来るかもね」
自然と、口元が綻ぶ。
「ねぇ。隣、座ってもいいかな?」
「え?」
ローレンツは、私の隣を指差している。
少し収まりかけていた鼓動が、また速くなり始めた。
「……い、いいけど?」
ドキドキしながら、少し横にずれてスペースを空ける。
ローレンツは「ありがとう」と言って、そこへ腰を下ろした。
静まり返った公園。公園だけじゃない。街も静か。
鳥の声くらいしか、そこには無い。
うわ~、どうしよどうしよ。
えっと、黙ってたら気まずいよね。何か話さないと。
話題、話題……。
「……この街には、仕事で来たの?」
よし。会話の糸口を見つけたぞ。
「いや、ちょっと立ち寄っただけだよ。南部はファミリアが多いからね。時々足を運んで、地元の傭兵の手伝いをしたりするんだ。今日も、この辺りで仕事だよ」
「へぇ、そうなんだ」
……会話、終了。
駄目じゃん!
もっと話を膨らませなくちゃ!
……いや、ほかの話題を探そう。
えっと、えぇっと……。
……あっ、そうだ!
「あ、あのね、この前、ハイディマリーさんに会ったよ」
そう言って隣に顔を向けると、緑の瞳がすでに私を捉えていてドキッとする。
「ああ、聞いたよ。あの人の仕事の手伝いをしてくれたんだって? 僕からも礼を言うよ。ありがとう、ティナ」
「え、あ、いや、……うん」
手伝った、というか、そもそもあれは仕事だったのか?
大陸中央のブリュンヒルデ王国に本社を置く、ヘルヘイムという会社がある。
芸術品のオークションを主催したり、娼館や孤児院を経営する、やたらと資金力のある会社だ。
およそ1ヶ月間、私はそこの社員だった。
いや、社員にさせられていた。
ヘルヘイムの女社長、ハイディマリー・ロットナー。
私は、彼女に汚い手を使われてマーセナリーライセンスを奪われ、無理矢理ヘルヘイムに入社させられたんだ。
……まぁ、その後はなぜかそこに馴染んでしまい、社内のごたごたに巻き込まれて痛い目に遭ったりもしたけれど、そのごたごたを解決するというのが仕事だったと言うのなら、ちょっとは手伝ったことになるのかもしれない。
「ハイディ、また君に会いたいって言ってたよ」
ハイディって呼んでるんだ、あの人のこと。
まぁ、本当の母親じゃないしね。
きっと、あの人がそう呼べと言ったんだろう。
「今はちょっと会社が大変らしいけど、すぐに立て直して見せるって意気込んでたな。もし時間を作れたら、会いに行ってやってほしい。とても喜ぶと思う」
微笑む彼に、私は「うん」と頷く。
「……!」
そこで、あることを思い出す。
ヘルヘイムの社員だった時、私はハイディマリーとある話をした。
いや、話をしたというか、聞いちゃったというか……。
どうしよう。聞いてみようかな。
でも、違ったらどうしよう。
でもでも、……やっぱり確かめたい!
「……あ、あのさ、ローレンツ。聞きたいことが、あるんだけど」
意を決して、ローレンツの目を見つめる。
彼は、「なんだい?」と穏やかな表情を崩さない。
「……ハイディマリーさんのところに帰るたびに、土産話をしてあげてるんだってね」
あぁぁ、やっぱり、いきなり本題には入れないよぉ。
「え? ああ、うん。ハイディは、僕を本当の息子のように世話してくれたからね。だから僕も、ハイディを本当の母親だと思って接することにしてるんだ。旅をして家に帰ったら、親に土産話をするのは当たり前だろう?」
優しい微笑みが、とてもまぶしい。思わず目を逸らす。
「えっと、あの、……それでさ、私のことも話してるとか、聞いたんだけど」
あの人言ってたよね? 私の勘違いじゃないよね?
「うん、話したよ」
それを聞き、再び彼の目を見る。
「どうして? どうして、私のことなんか……」
緊張する。彼は何と答えるんだろう。
「それは……」
しかし、なぜか彼はそこで口ごもる。
「それは?」
じわっと、手のひらに汗が滲むのを感じる。何なの、この緊張感……。
彼の目をじっと見て、答えを待つ。
まだ? まだなの?
「ティナ!」
「――ひぇっ」
大声で私の名を呼び、身体ごとこっちを向くローレンツ。びっくりしたぁ……。
彼は、真剣な目つきで私を見つめている。強い眼光。目が離せない。
「――!」
彼の両手が、私の肩を掴む。思わず、身体がビクッとなった。
な、なに……?
「そのこと、なんだけどさ……」
そのこと? ……ああ、私のことをハイディマリーに話した理由?
ローレンツは私から目を逸らし、うろうろさせてから、また私に固定した。
「実は、初めて会った時から、君のことが気になっていたんだ」
「えっ?」
初めて会った時から?
それって……。
「それで、君のことを考えてる内にさ、その、……いつの間にか、好きになってた」
「……えっ?」
今、言った?
好きって、言った?
「ああっ、ごめん!」
「――えっ?」
なんだなんだ?
「こういうことは、ちゃんと言わないと」
「?」
私の肩を握る彼の手の力が、ちょっと増した。
そして彼は、意を決したように表情を引き締める。
「ティナ。僕は、君のことが好きだ」