02-A
およそ2時間の汽車の旅を終えた私たちは、馬車に乗り換えてさらに南下。
そして1時間近く経った頃、目的地の小高い丘が見えてきた。
「あそこだよ。あの丘の上にあるお屋敷に、ルイスさんが住んでるの」
緑で覆われた丘の上を指差すと、マリサとリュシーが同時に動き出し、客室の窓に貼り付いた。
森の中の緩やかな坂を上りきった先で馬車を降り、みんな揃って屋敷を見上げる。
「ここに、あいつがいるのか」
リュシーが呟くと、それとほぼ同時にマリサが歩き出す。
「あ、おい! 待てよ!」
その後を慌ててリュシーが追い、私とテッサも続く。
屋敷前の広い庭を歩き、玄関へ。
もう少しで辿り着くというところで、ガチャッと音がして、目前に迫った玄関のドアが開いた。
私たちは足を止め、出てくる人物を待つ。
そして現れたのは、トレーニングウェア姿の2人組。1人はルイス。もう1人は、……あれは確か、メイド長のシャノン、だったっけ。
「ん」
すぐに、私たちの存在に気付くルイス。
直後、マリサが彼に向かって駆け出した。
そのままルイスに抱きつくのかと思ったけど、それは阻止される。
瞬時にルイスの前に立ち塞がった、シャノンによって。
「待ちなさい。誰なの、あなた」
マリサを睨みつけるシャノン。その顔は、警戒心一色だ。
無理もない。見ず知らずの少女が、いきなり主人に駆け寄ってきたのだから。
「マリサ?」
ルイスの声に、シャノンは「え?」と彼を振り返る。
「あっ」
その一瞬の隙をついてシャノンの防衛網を突破したマリサは、予想通り、ルイスに抱きついた。
「うおっ!」
声を上げ、マリサの勢いを殺しきれずに後ろへよろめくルイス。
「ととと……」
どうにか体勢を整えたルイスは、自分にしがみつくマリサを見下ろす。
「ちょっとあなた! 離れなさい!」
マリサの肩を掴んで引き剥がそうとするシャノンを、ルイスは「いいんだ」と制した。
「久しぶりだな、マリサ」
そう言ってから、ルイスはリュシーとテッサへ視線を移す。
「お前たちも、久しぶりだな。テッサ。リュシー」
微笑むルイスに、テッサは「お久しぶりです」、リュシーは「おう」と返す。
ルイスの穏やかな瞳が、最後に私を捉える。
「君が、この子たちをここまで案内してくれたのか? ティナ」
「あっ、はい。カランカで偶然会って、ルイスさんにどうしても会いたいからと言われて、それで……」
「そうか、ありがとう。ご苦労だったな」
ルイスはマリサの肩にそっと触れて、優しく引き剥がす。
そしてその顔を見て、優しく笑う。
「おいおい、泣くなよ。そんなに俺に会いたかったのか」
ここからでは、泣いているというマリサの顔は見えない。
だけど、何度も頷く彼女が漏らした「うん」という声は、もうほとんど泣き声のようだった。
ルイスがシャノンにマリサたちのことを紹介している間、マリサはずっとルイスの腕にしがみついて、シャノンを睨みつけていた。
……マリサって、こんなに感情豊かだったっけ?
微笑でさえ珍しいのに、今はこう、なんだか普通の女の子に見える。
だけどどうして、彼女はシャノンを睨んでるんだろう。
「そういえばあの頃、ルイス様は家にあまりお戻りにならないことがありましたね。はっきりと教えて下さらなかったので気になっていましたが、ようやく謎が解けました」
シャノンの言葉に、ルイスは「悪かった」と苦笑。
そういえばシャノンって、結構前からルイスの使用人なんだっけ。
ルイスがマリサたちに剣を教えていた時にはすでに、こういう関係だったんだ。
「事前に連絡してから来ればよかったんですけど、なにぶんどこにお住まいなのかわからなくて」
テッサの言葉に付け足すように、「そんな暇無かったけどな」とマリサに視線を送るリュシー。
「まぁ、突然だから驚いたが、またお前たちに会うことができて本当に良かった」
「あなた、何なの?」
和やかな雰囲気になりつつあったところを、マリサの硬い声が空気を変えた。
みんなの視線が、マリサに集まる。
彼女は、ルイスの横にいるシャノンを、一層鋭い眼光で睨みつけていた。
「どうして、ルイスと一緒に住んでるの? この人とはどういう関係なの?」
ああ、なるほど。
ようやく、マリサがシャノンを睨む理由が理解できた。
「私? 私は、このお屋敷の使用人だけど」
「嘘言わないでっ!」
そんな大きな声が出せたのかというくらいの怒声を放ち、ルイスの腕を放してシャノンの前に立つマリサ。
「ルイスはどう思っているのかわからないけど、あなたはルイスのことが好き」
「なっ」
動揺するシャノン。シャノンだけじゃない。私たちもどよめいた。
ルイスだけは、平然としている。
「ちょっと! 何を言い出すの、この子は……」
「しらばっくれても駄目。私にはわかる」
思わずといった感じに、一歩下がるシャノン。
この人がこんなに動揺するの、初めて見るな。
「それと、もう一つ」
シャノンが下がった一歩分、マリサが詰め寄る。
「あなた、強いでしょ」
……? 強いって、どういう意味だ?
「ああ。シャノンは傭兵だからな」
「――!」
なんだって? シャノンが、傭兵?
「やっぱり」
マリサには、シャノンが只者ではないことがわかっていたようだ。
でも一体、どこで見抜いたんだ?
……まぁ確かに、ただのメイドって感じじゃないなとは、以前会った時に思ったことがあるけどさ。
でもまさか、傭兵だったなんて。聞いてないよ!
「私と、勝負して」
「はぁ?」
突然の申し入れに、シャノンは眉を捻る。
理解できていないのは、シャノンだけじゃない。私も、それにきっと、ほかのみんなもわかってない。
ルイスだって、不思議そうな顔をしている。
マリサは、そんな彼の方へ振り返る。
「あなたは、強い女性が好きなんでしょう? だったら私は、この人よりも強いということを証明する」
「おい! ちょっと待てって。落ち着けよ、マリサ」
さすがに見かねたのか、リュシーが止めに入る。
「そうだよ、マリサ。ちゃんと話を聞いた方がいいよ」
テッサも説得に加わる。
しかし、マリサは2人の方は見ずに、ルイスと目を合わせたまま「黙ってて」と一蹴。
「あなた、いい加減に……」
シャノンがマリサの肩に手を伸ばす。
「いいじゃないか、シャノン。戦いたいと言っているんだ、勝負してやれ」
ルイスのその言葉に、シャノンの顔が強張る。
「ちょっ、ちょっと、ルイス様?」
「擬似剣ならあるから、それを使え。持ってくるからちょっと待ってろ」
楽しげにそう言い残し、ルイスは屋敷の中へ戻っていった。
残された私たちは、マリサ以外、開いた口が塞がらないのであった。
数分で戻ってきたルイスの手には、2本の擬似剣が握られていた。
真剣と同じデザインだけど、刀身には柔軟性があり、物を斬ることはできない。
まぁ、いくら柔らかいといっても、当たれば痛いんだけどね。
傭兵採用試験の二次試験を思い出すなぁ。
「時々、シャノンと手合わせする時に使っている物だ」
ルイスはそう言って、マリサとシャノンに擬似剣を手渡した。
彼の言葉にマリサの眉が一瞬寄ったのを、私は見逃さなかった。
庭へ移動し、試合の準備をする。
試合は、制限時間を10分に設定。私が時計係になった。
攻撃は、擬似剣によるもののみ有効。
各取得ポイントは、頭部20ポイント、胴体10ポイント、四肢5ポイント。
リュシーがマリサの、テッサがシャノンのポイント計算係を務める。
そしてルイスは観客だ。
私たちの視線の先で、距離を取って向かい合う2人。
両者共に真剣そのものの表情だけど、その度合いではマリサの方が勝っていた。
「あいつ、感情丸出しだな。大丈夫か?」
リュシーが言った通り、マリサの顔は闘争心で塗り潰されているように見える。
いつも冷静過ぎるほどに冷静な人なのに……。
「でも、なんだか貴重なものを見ちゃった感じだよね。あんなマリサ、私初めて見るよ」
楽しげに言うテッサに、リュシーも「まぁな」と口の端を上げる。
「ティナさん。始めて」
「あ、うん!」
マリサに指示され、自分の仕事を思い出す。
一歩前に出て、右手を上げる。目だけ動かし、左手にある懐中時計の秒針を凝視。
針が、12時のところまで、あと3、2、1……。
「始めっ!」
勢いよく、右手を振り下ろす。
次の瞬間、あれだけあった両者の間合いがゼロになった。
柔らかな刃同士がぶつかる、鈍い音。
力比べも一瞬。すぐに同時に距離を取り、攻防が始まる。
冷静さを欠いていたマリサだったけど、それが私たちの思い過ごしであることがすぐに証明された。
相手の動きをよく見て、わずかな隙も見逃さずに攻撃を放つ。そのいずれもが、ポイントの高い頭部を狙っている。
そしてとにかく、手数が多い。もし私が彼女の相手だったら、そのほとんどを食らっていただろう。
「なっ……!」
驚愕に目を見開く。驚いているのは私だけじゃない。テッサやリュシーが息を呑む気配を感じる。
もちろん、マリサの戦いぶりは凄い。だけど、それ以上にシャノンの動きが信じられなかった。
あれだけの速度を誇るマリサの攻撃を、全て躱していたんだ。
刀身で受けるでもなく、必要最低限の動きで。
シャノンが傭兵だと聞かされても、戦いが始まるまでは半信半疑だった。
でも、今はもう完全に信じられる。っていうか、傭兵以外なかなかできないでしょ、あんな動き。
長い黒髪が、舞うように動く。シャノンの表情は、冷たささえ感じるほどに冷静そのものだ。
私はそんな彼女から、目が離せなくなっていた。
なんて綺麗で、なんてカッコイイんだ……。
「すごいだろ、あいつ」
「――!」
シャノンに心奪われていた私は、突然の声に驚き、我に返る。
振り向けば、隣にはルイスの姿。いつの間に。
「メイドにしておくのは勿体無いよなぁ」
懐中時計を見やる。まだ開始2分くらいだ。これなら、少しの間目を離しても大丈夫だろう。
気になってることを聞いてやる。
「シャノンさんって、出身はどこなんですか?」
まぁ、あの戦いぶりを見れば、予想はつくけど。
「ヘルムヴィーゲだ」
やっぱり。
「シャノンさんとは、ヘルムヴィーゲで出会ったんですか?」
ルイスは「ああ」と頷く。
「あいつはあの頃、天才と呼ばれていた。実際に戦っているところを見て、すぐに納得したよ。それでいて、周囲からどれだけ高評価を受けようと、決して驕ることはなかった。こいつは本物だなと思ったものさ」
再び、試合へ目を戻す。
マリサの怒涛の攻撃を、やはり確実に避け続けているシャノンの姿があった。
「淡々と、だが確実に、あいつは傭兵としての自分を高めていった。傭兵になって5年足らずでBランクまで上がれたのは、奇跡でもなんでもない。絶対に、もっと上まで行ける奴だと思っていたよ、俺は」
「Bランク……?」
ヘルムヴィーゲのBランク傭兵なんて、私にとってはもう未知なる存在だ。
現在Dランクのマリサでさえあれだよ? 彼女がEランクだった時でさえ、私はまるで歯が立たなかった。
……以前、ヘルムヴィーゲのBランク傭兵だった男と戦ったことがある。
奴は傭兵を辞めてだいぶ経っていたけど、それでもとんでもなく強かった。
「シャノンさんは、現役なんですよね?」
「ああ。ライセンスを持っている限りは、現役だ」
男女の差はあれど、シャノンは現役。
あの男と同等かそれ以上の実力を持っていると見ていいだろう。
「……ん? 上まで行けると思ってたって、どういうことですか? まるで、もう無理みたいな……」
「おいおい、マジかよ……」
「?」
質問を続けようとしていた私の耳朶に、リュシーの動揺が触れる。
「――えっ?」
いつの間にか、攻守が逆転していた。シャノンの怒涛の攻撃に晒されるマリサ。
しかも、マリサは全てを避けきれていない。シャノンの攻撃に、マリサの頭部が揺さぶられている。
そして膝をつくマリサ。その姿も、初めて見る。
感情を露わにした姿よりも、何倍も衝撃的だ。
まさか負けるの?
あのマリサが?