第六話 では天国へ
「さて、では隼人君。これから君にやってもらう事なんだけどさ〜」
急に後ろから声がしてハッと顔を上げる。隼人の正面には洋服を着た愛瑠がいつの間にか立っていた。振り返ると僕がもたれていたテーブルの後ろの椅子には、幽静も座っている。
愛瑠は、薄いピンクの半袖襟付きシャツに白いふんわりしたミニスカート姿だった。胸下まである長い髪は毛先だけ綺麗に巻かれ、耳の横に花とリボンとレースのコラージュみたいな髪飾りを付けていた。白い肌と愛らしい顔立ちが、それら全てと綺麗に合わさっていて、その姿はまるで妖精みたいだ。
「君たちには、楽しい社会見学に行ってもらおうと思う」
小学校以来の行事名を急に言われて、隼人は思わず愛瑠に答えを求める様に目をやった。愛瑠も少し困惑している様だった。一瞬2人の目と目が見つめ合う。女の子と目を合わせる事に、いや、人と目を合わせる事に不慣れな隼人は自分から見た癖に僕はすぐに目を逸らしてしまった。
「あー、愛瑠ちゃんは今、ショック性の記憶喪失なんだよ。暫くしたら戻ると思うからあんまり気にしないで仲良くしてやってくれ」
幽静が2人の微妙な距離感を感じてか、何となく言っただけなのか、相変わらずの棒読みで言った。
(仲良く?僕が?どうやって?僕には友達もいないし、兄妹もいない。まともに人と話せない。そもそも人とどうやって接したらいいのかが分からない)
「あ、待てよ、愛瑠ちゃんは高校生だから隼人君よりお姉さんか〜、愛瑠ちゃんがリードしてあげてね〜」
高校生という言葉に反応して隼人は盗み見る様に愛瑠を見た。愛瑠は「はーい」などと明るく返事をしていた。
(高校生…ますます接した事がない人。同じ歳の子たちともうまくやっていけず、僕は生きている間あんなに苦しんだというのに)
気が重くなり、ますます下を俯いた。しかし、何かが近づいた気配がしてふと視線に気付き顔をあげる。隼人の真正面にいつの間にか愛瑠の顔がアップであった。愛瑠と隼人はちょうど同じくらいの背だったので、視界が愛瑠の顔でいっぱいだった。
(ち、近い!!!!)
愛瑠は、にこーと笑って「よろしくね」と手を出してきた。愛瑠との距離が近過ぎて、恥ずかしさのあまり隼人はただモジモジする事しか出来なかった。
隼人がモジモジしているのにクラスメイト達の様に「気持ち悪い」や「うざい」などといった言葉は全くなく、愛瑠はすっと手を下げてにっこりもう一度笑った。
「ま、そんな事より。まずは、せっかく死界に来たんだから社会見学♪社会見学♪では、天国から見に行ってみよ〜」
幽静の妙なテンションと愛瑠の無邪気な笑顔、今までに味わった事の無い不可思議な空気に少し隼人は戸惑う。今まで彼の周りには殆ど口を聞かない父親と、勉強と将来の話ばかりをする母親、それから汚い言葉で罵るか、存在しないものみたいに無視をする同級生達だけだった。
(こ、こんな時僕はどうしたら良いんだろう)
隼人はそこで結局なにもしない、という行動を選んだ。
「ここ三途の川から天国へはいくつかの結界が張ってあって簡単には行けなくなっているんだよ〜、面倒くさい。なんで途中までは俺が案内してあげるよ」
幽静がスーツのポケットから丸いキーチェーンを取り出す。そこには無数の鍵がぶら下がっており、その厚みとポケットのサイズがとても不釣り合いだった。
「さ〜て、じゃあお二人さん、おやつはもったかな?いくよ〜」
幽静は座ったままで、キーチェーンから黄金色の鍵を一つちぎり取ると、そのまま手で簡単に
握り潰した。そして、粉砕した鍵の黄粉をそこらじゅうに散蒔いた。
キラキラと光輝く粉が隼人や愛瑠の周りに飛び散り、程なく辺り一面は金一色になっていった。
「え?」
金粉が消えると、先ほどまで居た白い部屋ではなく、永遠と砂地が続く空間だった。見上げると青い空がひたすら広がっていて、あとは前も後ろも横も凹凸もないただの砂だけの場所だ。心地よい熱気を帯びた空気が辺り一面に漂う。