第三話 悪魔とは単純...否
「あの生活から逃げられてラッキーだなんて思ってないか隼人く〜ん?」
(!!!!)
男性の声に妄想の世界から急に引き戻された。ハッと顔を上げると男性は少し隼人を見下した視線を送っていた。
「隼人くんは今までの学校生活が一番の苦痛なんて思っているのかい?」
隼人はヨロヨロとその場に立ち上がった。
(あれより酷い事なんて…)
「地獄ってさ、いちいち悪魔達がムチや針を使って人間を折檻していると思っているのか?人間社会がこれだけ進歩しているのに地獄は手作業なんてね〜人間って自分達が一番優秀だなんて勘違いしているのか?」
「 ……… 」
「キミ達人間の悪い癖だな〜。何でも自分達基準で物を考える。悪魔がそんな単純な生き物だと思うか?人間程度の単純な。」
隼人が何も答えず俯いているのを見て男性はため息を吐いた。
「まぁ、ここで説明しても仕方ない。実際地獄で実刑を受けたら分かるさ。人間の恐怖なんて可愛いもんだって。真の恐怖とはこう言うものかと」
男性が話し終えると、その空間がしんと静まり返った。暫しの静寂の後、ピチャンと高い音を立てて水槽の水が揺れる。隼人はチラリと水槽の方に目をやった。
「お?怖い?その中味気になるかい?その濁った水の中には何が潜んでいるのかなぁ」
隼人の背中がゾクっと震える。
「クククク、良いね、隼人くん。大丈夫だよ安心しな。そんなの怖くもなんともない。ね〜?」
顔色がすっかり青ざめて口元を手で押さえる隼人に対して男性は更に続ける。
「あれ?具合悪そうだね?隼人君、だいじょ〜ぶ?」
男性は意地が悪い声を出して下を俯く隼人を覗き込む様に首を傾けて言った。
「だって隼人君はそれくらいの覚悟で窓から飛び出したんだろ?おっかしいな〜」
「……………」
「あ、そうか!隼人君は賢くて脳みそいっぱい詰まっているから、頭が重くて下をむいちゃうんだな!そうか〜」
この人は決して友達にはなりたくないタイプだ、と隼人は思った。
(僕に友達なんていないけど…)
「だって隼人君は将来お医者さんになるんだもんなぁ〜賢いよな〜そりゃ」
その言葉に反応して隼人はハッと顔を上げた。しかし、男性はシラケた顔をしながらテーブルの上のもので遊び始めていた。
(父さん…父さんきっと怒っているだろうな…あんな事をして)
隼人は小学生…いや産まれた瞬間から医者になる事を決められていた。隼人の家は代々医者で小さな診療所を営んでいた。しかし、父親は商才に長けている人物で、その診療所は継がず自分で美容外科を開業し、全国に店を構える程まで大きくした。隼人の父親は、とにかく仕事に厳しく他人の失敗も許せない、誰にでも自分の我を通す人だ。
それとは逆に祖父は隼人が小学生の時に亡くなってしまったが、亡くなる前日まで病院で患者さん達を診ていた。仕事熱心で自分には厳しい人だったが、人には優し過ぎるほど優しく父親が病院を継がない事も一度も反対しなかった。
「人生とはその人自身のもの。親が勝手に押し付けるものじゃない。決めつけるものじゃない。ただ、親である以上は子供に色んな道を見せてあげなくちゃいけない。より多くの選択肢を選べる様にしてやらなくちゃいけないんだよ」
祖父のそんな台詞が隼人の心に今でも強く残っている。そして祖父を尊敬して止まない隼人は医者になってまたあの診療所を再開させたいと思っていた。ただ、父親はせっかく大きくした病院を他人に渡したくないという気持ちから隼人に必ず継ぐ様にと、小さい頃から強要してきていた。
祖父の後を継ぐにしても、父親の言う事を聞くにしても、どちらにしても医者になるしかないので、いつしか隼人は勉強漬けの毎日を送る様になっていた。
「おじいちゃん、今頃悲しんでいるんだろうな〜」
男性の声に一瞬ドキッとする。男性は木製のステッキを片手でくるくると回していた。
「なんで医者になるって夢があるのに安易な道を選ぶかな〜隼人くーん」
この棒読みの力ないもの言いでさえ、その言葉は今の隼人には充分深く突き刺さった。
「やっぱ、人間には悪魔の部分が入ってるからか〜?あいつら堕落に目がないからな〜」
「?」
(何を言っているんだ?)
男性はステッキを軽く垂直に投げそれをキャッチすると、わざとらしくテーブルに身を乗り出しながら言った。
「人間ってさ、神と悪魔から作られたって、知っているかい?隼人君」
「??????」
この人は世間でよく言う不審人物という人だろうと、ひどく冷静な目で隼人は見た。