第二話 加古 隼人 くん
カチ
何か嫌な音がした。
「あ…」
すると左右の床から豪速球で、巨大な水槽が天井に向かって垂直に生えてきた。
「うわわぁぁぁ!」
いや、水槽と呼ぶべきなのだろうか。その立方体は3辺がそれぞれ2メートル程はある巨大なもので、中には緑色に濁った水がなみなみと入っていた。立方体は等間隔を保ち次々と奥へ向かって出現していく。無機質な白い部屋の両端に巨大水槽が並んでいる景色は、昔あったIQというゲームの世界を彷彿させた。
「おーい、こっちこっち」
少年がその場で足をガタガタと震わせ動けずにいると、奥の方から男性の声が聞こえてきた。
「いやぁ、久々の来客だから嬉しいなぁ。悪いね、こっちまで来てくれないか」
少年は、何度も何度も辺りをキョロキョロとしていたが、再度向こうから「おーい」とお呼びがかかるので、厳重警戒態勢でゆっくりと歩き出した。ちらりと水槽を見ると緑濁した水の中で得体の知れない「何か」が動いた気がして少年は少し小走りに奥へと向かった。
近づくにつれて、ぼやけていたものがハッキリとしてくる。白いクロスのかかったテーブルに、威圧感のある椅子、それからそこに座る男性が見えた。
「遠路はるばるようこそ〜」
男性の2メートルくらい手前の所で少年は足を止めた。真っすぐ見つめる事はせずにチラチラと彼を見る。
棒読みの台詞を低めの声で発する男性は、シルバーの髪をオールバックにしており、やたら不健康そうな青白い顔をしていた。ライトグレーのスーツが顔色の悪さに拍車をかけている。
近くで見ると、テーブルクロスには金の刺繍が施してあり、裾から出ているテーブルのしっかりした脚はとても重厚感があった。男性が座る椅子はやたら背もたれが大きく、木製のふち部分には植物や鳥達の繊細な柄が彫られていた。ヨーロッパかどこかの王宮にありそうな家具に少年はついボケっと見惚れてしまっていた。
「ようやく会えたね、加古 隼人くん」
「あ、え…?」
(何で僕の名前を知っているんだろう?この人)
「いやぁ〜、3ヶ月も外で待たせて悪かったね〜」
(3ヶ月?僕は…?)
「天国と地獄でキミの取り合いをしていたんだけどさ〜結局決着がつかなくて。で、俺が引き受けたってわけ」
(天国と…そうか、やっぱり僕は死んで…)
「他殺なら天国、自殺なら地獄、ただ隼人君が地面に衝突した瞬間すでに死んでいたか否か、そこがどうも微妙でね〜」
男性はどこか力が抜けた口調で話しかけてくる。
「それにしても、またえらく酷い目にあったね〜」
「酷い目」というその言葉に隼人の頭よりも早く体が反応した。ビクッと小さく体が揺れ、表情がより一層強張った。男性はその様子をじとっと見ると、スーツの胸ポケットからネズミ色の紙切れを出して、読み上げ始めた。
「え〜、中学二年生男子(14歳)がクラスメイトによるイジメで教室の窓から飛び降りるという事件が発覚した。事件当日、男子生徒はクラスメイトにより口を粘着テープで塞がれた上に、髪をライターで燃やされた事が判明。髪が燃えた男子生徒はそのままパニック状態で教室の窓から転落…」
ガタガタを足が震えだし、隼人はそのままその場にしゃがみこんだ。男性は大きくため息を吐いた。
「これ、隼人くんの記事ね。下界では隼人くんは一応自殺という事で解決しちゃったよ〜口が塞がれて息が出来なかったのにね〜酷い酷い」
顔を上げると、男性は顔色一つ変えずにそんな言葉を口走っていた。
(酷いなんて…思って無い癖に!!みんな、みんな、おもしろがってたじゃないか!)
「人間は勝手に隼人くんを自殺と断定したけど、俺達の判断はまだ決まってない。隼人くんは地面にぶつかる前に窒息していたか…」
じろりと男性の鋭い視線が刺さる。
「それとも頭部を強打した事により絶命したのか…」
透ける様な青い空。
一匹の白い蝶がヒラヒラと窓から飛び立つ。
「錯乱状態だったとしても自殺は地獄行きだよ」
大空に飛び出した蝶は羽を動かす事をやめ、無抵抗のまま地面に落ちる。蝶は地面に叩き付けられピクピクと痙攣していた。
「天国と地獄、隼人くんはどっちだろうね〜」
ただ、蝶は綺麗な夏空にさらされ、かつてない輝きを……。
「あの生活から逃げられてラッキーだなんて思ってないか隼人く〜ん?」
( !!!! )