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桜散る、その前に…

作者: 綺翔

 「頑張れ」とは、言えなかった。


 彼女が難病と診断された日…彼女から、苦笑いしながらその話をされた。僕は、彼女の眼を見れなかった。


 彼女の病気は、聞いたことのないものだった。

 …全身が硬化し、身体の諸臓器を侵す原因不明の病気。200万人に1人の割合。

 僕はただ、「そっか…」と消えそうな声で呟くことしかできなかった。


 僕の反応に、彼女は正直困っていたに違いない。先に口を開いたのは彼女だった。

 「私ね、いつ死んでもいいと思ってるの。成人式は迎えられたし、大学にも行けた。彼氏もいたし、やりたかったことは、大抵できたから!あっ、結婚はしたかったなぁ。でも、いつ死んでも悔いはない…」

 笑いながら、でも寂しそうに…真っ青になった手を摩りながら。


 ………。


 「ふざけんなよ!」

 僕の声は、誰もいない教室に響いた。

 「お前がそんなことを言ったら、医者や周りの人はどうしたらいい?始めから投げ出すなよ!死んでもいいとか言うなよ!!」


 思っていたことが、口から出てしまったすぐ後に…乾いた破裂音が耳に飛び込む。同時に左頬に痛みが訪れた。


 彼女の平手打ちが、僕の左頬に当たったのだった。

 少し遅れて、彼女に叩かれたことに気付いた。

 「雅人(まさと)に何がわかるの…?医者に手のほどこしようがないって言われたことある?親にごめんねって泣かれたこと、ある…?」

 彼女はそう言うと、教室を出て行った。



 あの日から、10日。彼女…向井紗弥(むかいさや)はゼミはおろか、大学にも来なかった。

 紗弥があんなことを言うなんて、正直ショックだった。

 誰だって治らないと宣告されれば、弱気になる。

 死をリアルに感じ、全てを投げ出したくなる。

 頭では判っているのに…。

 そんな、弱い紗弥を許せなかったのかもしれない。

 でもそれは、僕のエゴ…。


 「雅人!最近、向井に会った?」

 学内の廊下で、ゼミの笠原教授に声をかけられた。

 「あっ、いえ…」

 「なんだお前ら、喧嘩でもしたのか?」

 「そんなんじゃ…」

 さすがに、ひっぱたかれましたとは言えない…。

 「…雅人、人は沢山の物を失って、沢山の物を得ながら生きているんだ。向井の場合は、健康かな。でもな、逆に得た物もあると俺は思う。早く、気付いてくれるといいな」

 「先生、知って…」

 「向井がな、泣きながら話してくれたよ。病気のことも、お前を叩いたことも…。お前の反応は、間違ってなかったと思う」

 涙が、出そうだった。

 何が正しくて、何が間違っていたかなんて、何度考えても解らない。

 どんな言葉を言って良いのかなんて、解らない。


 だって僕は…彼女じゃないから。


 「人の痛みは、その人のものでしかないんだよ。いくら分かり合いたくても、その痛みの10分の1も分かってあげられないもんなんだ。だから寄り添い、一緒に痛みを分かち合いたくてもがいてしまうのかもな」

 笠原教授の言葉が、心に染み渡る。あの時の想いを話そうとした瞬間…。

 「先生!」

 紗弥の声が廊下に響いた。

 「先生…就職決まったー!今度はなんとね…劇団の制作部。広報やグッズ販売してて、ちゃんとした株式会社なんだよ。それでね…あれ?雅人!こんな所で何してるの?」

 駆け寄ってくる紗弥の顔は、憑き物が落ちた様なスッキリしていた。

 「就職って紗弥…」

 「…あぁ、前の会社は内定を辞退したの。水を扱う仕事は避けなさいって医者に言われたから」

 知らなかった。そんなことになっていたなんて。

 「紗弥…」

 「雅人、この前はごめんね。あんなこと言うつもりはなかったの。けど、ああやって強がってないと自分を保っていられなかった。恐くて仕方なかった…」

 苦笑いを浮かべる紗弥の言葉は、あの時の事を悔いているように聴こえた。

 「就職を辞退した日に、たまたまやっていた舞台を観たの。そしたら、ちゃんと笑って、泣いて、感動してた。今までの自分と、ちっとも変わってなくて…何を悩んで、嘆いてたんだろって思えたら心が軽くなった。それで、どうせ新しい世界で就職するなら、人を元気に幸せにさせる仕事がしたいって思って。すぐに、劇団の人に働きたいって伝えたら採用されたんだ!」

 そう言った紗弥の目には、いつもの強さが戻っていた。

 そうだ…その強さに惹かれ、憧れていたんだ。

 「俺…紗弥が好きだわ」

 「はぁ?」

 突然の告白に、口をポカンと開けた紗弥が瞳に写る。

 「雅人…そーいうことは、大衆の面前ですんるじゃない」

 笠原教授の持っていた教科書で、頭を軽く叩かれる。

 「あっ…はい…」

 頭を掻きながら、照れくさいのを誤魔化した。

 「向井」

 先生の呼び掛けに、今だポカンとしている紗弥の顔が動いた。

 「雅人のような単純な奴…俺は嫌いじゃないぞ」

 ニヤリと口元を緩めた笠原教授に、一瞬間を置いて紗弥は顔を綻ばせた。

 「はい!私も…嫌いじゃない、です」


 単純な僕は、紗弥に言いたかった言葉をかけた。

 「一緒に頑張ろうな!」

 ふわりと微笑んだ紗弥の瞳は、何よりもキラキラと輝いていた。


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