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第一話『イツモト違ウ日常』


 破邪の血族。それは、はるか古の時代より伝わりし、邪妖を討ち、その災禍たる邪気を封じることを使命とした者達の総称である。

 彼らは己の肉体を極限まで鍛え上げ、人の魂から生み出される生気を精錬することで、破邪の気と呼ばれる神威魔討の力を得た。その力をもって、天地開闢以来、不倶戴天の敵である邪鬼妖魔との死戦を戦い抜いてきたのである。

 古代における彼らの役割は、国の統治の中核を担うものであった。常世とこよからの侵略を繰り返す邪鬼妖魔と戦うだけでなく、自らが安住の地である現世うつしよを守護する役目も同時に負っていたのである。そうした繁栄の時代を経て、破邪の血族はその勢力を大きなものとしていった。

 しかし彼らにとっての我が世の春は、永遠のものではなかった。栄枯盛衰という言葉の通り、長い時が過ぎ、時代が移り変わっていく過程で、破邪の血族という存在は歴史の表舞台から姿を消していったのである。

 かつては人々にとって希望の拠り所であった彼らも、時代の変遷には勝てなかったのだ。

 ここで、そのままひっそりと破邪の血族は滅んでしまったのか、という問いに答える必要があるだろう。

 答えは『否』である。

 公の場から退場しただけで、破邪の血族の勢力は未だ隠然たる影響を、この現世に残している。それはつまり、常世から送り込まれてくる邪鬼妖魔の数も後を絶たない、という意味でもあった。

 我々がただ知らないだけで、破邪の血族は今も誰にも知られることなく、影ながら、現世に生きる人々の為に、己の身命を賭けて戦い続けているのである。

 ふとした好奇心に駆られて、破邪の血族を探そうと思うのならば、街中でぐるりと見渡せばいい。その末流まで辿れば、ほぼ全ての人に破邪の血族の力が脈々と息づいているのだから。

 四季家もまた、古より続く破邪の血族の末裔である。それも名門中の名門で、四季家だけでなく、傘下に有力な他家をいくつも従えていた。それらの勢力は四季一門と称され、数いる破邪の血族の中でも特に巨大な勢力と目されていた。

 そして、現在の四季家を取りまとめている家長の名は、四季春陽。四季一門の総代を務めるのは、四季家の当主と定められているので、春陽は若い女だてらの身で、一大勢力の首領として君臨していたのだった。


※※※


「さあて、と。それじゃ、がんばってお掃除しますか」

 学校に行った妹達を見送ると、掃除の時間の始まりだ。腕まくりをした春陽の表情はやる気にみなぎっていて、何とも言えず頼もしい。

 四季家の家事は、すべて春陽が取り仕切っている。家長として最低限の責務であると、自身に課しているためだった。

 一口に掃除といっても、四季邸は一般的な家屋と比べると、かなり広い部類に入る。それを一人でこなすとなると、相当な労力が必要とされるが、春陽はそれを苦と思わないないようだった。

 掃除が終わると、次は洗濯である。何しろ五人分あるので、洗濯機は毎フル回転だ。洗濯カゴいっぱいの洗濯物を、日が照っている庭にてきぱきと干していく。まもなくして、四季家の庭一面に、真っ白な洗濯物と、ふうわりと優しいフローラルな香りが広がった。

 春陽がその仕上がりに満足していると、家の中から声を掛けられた。

「姉さん。それじゃ私、行ってくるから」

 縁側からのぞき込むようにしていたのは、夏凛だった。黒のライダースーツを格好良く着こなす次女は、小脇にフルフェイスのヘルメットを抱えていた。四季家で唯一のバイク乗りが彼女だった。

 どこに、と聞こうとして、春陽はぽんと手を叩いて思い出す。

「そうだった。桐生院さんの道場に伺うんだったっけ?」

「うん。桐生院殿に、門弟達の出稽古を頼まれてるから。帰りは昼頃になるかな」

 時計を気にしながら、夏凛が続ける。

「だから、午後の血族会議には間に合うと思う。今回はお供できるよ」

「本当に? ありがとう。夏凛ちゃんが一緒に来てくれると、心強いわ」

 そう言いいながら微笑み合う二人。春陽と夏凛は、妹達の前では姉としての威厳を意識的に保とうとしているが、二人の時は自然な雰囲気になるのだった。

 夏凛が颯爽とバイクに乗って出ていくのを見送ると、春陽はまだまだたくさん残っている仕事に思いを馳せた。

「よし、と。お昼までに全部片づけないとね」

 大きく胸を反らした春陽に、少し強めの陽光が降り注いだ。眼鏡越しに眩しい光を受けて、春陽は目を細める。今日はいい天気になりそうだった。


※※※


 厳粛な道場に響き渡るは、威勢のよい掛け声。道着姿の若者達が汗にまみれながら、互いに切磋琢磨している風景。その中に、やはり彼らと同じ道着を着こんだ夏凛の姿があった。

 ここは、破邪の血族の『御三家』に数えられる、桐生院家が開いている道場だ。名うての破邪剣士を常に排出している桐生院は、たくさんの門弟を抱えていた。一門のみならず、他家から出向してくる者も多く、その影響力と信奉の強さがうかがい知れた。

 その桐生院家から出稽古を打診された四季夏凛は、破邪剣士としての実力を十分に評価されているということになるのだった。

 だが、当の夏凛にとって、この道場の熱気は温いと見える。指導が始まってそこそこの時間が経過していたが、未だ剣を持とうとさえしていなかった。

「夏凛。お前から見て、家の若い衆はどうだ? 目にかなう者はいるか」

 瞑想に耽っていた夏凛は、不意に声をかけられて目を開く。そしてすぐに立ち上がり、声の主に向き直ると、非礼を詫びるように大きく頭を下げた。

「これは桐生院殿。失礼いたしました。座してお迎えした仕儀、お許しを」

「畏まることはない。楽にしてくれて構わん。お前を呼んだのは俺だ」

 道着をいかめしく着こんだ長身の男が、夏凛の謝辞をにこりともせず受け入れる。この男こそ桐生院征璽。泣く子も黙る、破邪の御三家に名を連ねる桐生院家の当主である。

 征璽は凛とした表情の夏凛を見やると、おもむろに手にしていた模擬剣を夏凛に投げて寄越した。無言でそれを受け取った彼女に、征璽が告げる。

「手合わせ願おう。どうやらお前には、この程度の剣気では不足とみえる」

「いえ、決してそのような……」

「俺が相手でも不服か? それとも、強者に対するを怖じ気づき、剣も握れないか」

 言い淀んだ夏凛に、征璽は容赦のない言葉を浴びせかけた。夏凛の真面目堅気な性格を鑑みるに、本気を出させるにはこれしか方法がないと推察したからである。

「そこまで仰るのならば、不肖の身なれど、お相手いたしましょう」

 そして目論見通り、夏凛はそれに乗った。夏凛の方でも、当代一の破邪剣士と誉れ高い征璽と剣を交えるのは望むところだったのである。

 二人は道場に進み出て、稽古に余念がなかった門弟達から注目を集める。彼らは遠巻きに囲うように、征璽と夏凛の一戦が始まるのを、固唾を呑んで見守った。

「遠慮はいらん。本気で打ちこんでこい」

 征璽は自然体のまま、右手に持った剣を肩口まで上げて、剣先を水平に構えた。添えた左手で標的に狙いをつける。

「おお! 桐生院殿の『穿牙』だ……!」

 門弟達の間から興奮の声が上がる。穿牙とは桐生院家に伝わる破邪剣術の奥義で、神速で繰り出される貫徹の突きである。破邪の気をのせて放たれるそれは、鉄鋼をも易々と撃ち貫くとさえ言われていた。

「言われるまでもない。……勝たせてもらいますよ」

 対する夏凛も持ち前の冷静さを崩さない。相手が征璽であろうと、関係なかった。

 夏凛は剣を持った右手を上段に構え、前に突きだした左手で上下の均等を図った。この独特な構えは、一撃の威力の重きをおいた、四季家伝来の破邪剣術『崩天』である。

 両者は間合いをはかり、じりじりと一進一退を繰り返す。穿牙と崩雲、手段は違えど、一撃必殺の奥義である。最初の一撃がそのまま最後の一撃となる可能性が高い。

 迂闊に動けば死に繋がる。独特な緊張感が二人の間で渦巻いていた。

 その中で、数いる門弟のひとりがかいた汗が、道場の畳に落下した。それがぴちゃりと爆ぜた音が、戦いの開始を決定づけた。

「はああぁぁぁ!」

 先んじたのは夏凛だった。一足飛びに間合いを詰め、征璽の動きを捉えた。

「もらった!」

 勝ちを確信した夏凛が、上段から思いきり剣を振り下ろす。崩天より繰り出される一撃は威力、速さともに申し分ない。征璽は避けるはおろか、防ぐこともできまい。

 斬撃が叩きつけられ、生じた剣破が周囲をまとめて吹き飛ばした。のだが、肝心の手応えがなかった。

「消えた……?」

 一瞬前まで視界に捉えていた征璽は消えていた。夏凛は必死に征璽の気配を探った。仕留めることができず、さらにその姿をも見失ったということは、自分が絶体絶命の危地に立たされたということに直結する。

 夏凛が危惧した通り、その凄まじい剣気は背後より迫りきた。

「『穿牙・走狗』……!」

 征璽の穿牙の鋭さは、予想をはるかに超えるものだった。振り向くことさえできず、夏凛は道場の壁面に叩きつけられた。そのまま意識を失い、力無く畳に崩れ落ちていった。観客から喝采が沸いた。

「……すごい! さすがは我らが師、桐生院殿!」

「奥義・穿牙の前では、勢い盛んな四季殿といえど手も足も出なかったようですな!」

「四季殿の剛と桐生院殿の柔。どちらも神技の妙、お見それいたしました」

 門弟達が騒ぐのを、征璽はうるさそうに聞き流していた。乱れた呼吸を整えるように息を吐くと、感慨を口にした。

「この俺に、強攻を選択させたか。やはり面白い存在だ、四季夏凛」

 夏凛に思い切りよく踏み込まれた征璽は、起死回生を狙うために、下がるのではなくあえて前進した。それが夏凛の攻撃をいなすことに繋がり、さらには彼女の背後に回ることができた。そして、必殺の一撃を打ちこめたのである。

 門弟に助け起こされる夏凛を見つめながら、征璽は思う。自分を恐れることなく、真正面から打ち負かそうと挑んできたこの剣士は、将来が楽しみな逸材だと。

「少し扱いにくいのが難点だが、それはそれで味があるというものだ。ある程度の反骨心がなければ、強くなどなれん。……あいつのようにな」

 征璽が思い出したのは、ひとりの青年だった。今、あの男は何をして過ごしているだろう。野垂れ死にしてなければいいが。割と深刻に考え込む征璽であった。



「なあ、栄斗。ちょっといいか?」

 級友の田沼にそっと耳打ちされて、栄斗は首を傾げる。三限目の授業、体育で校庭に移動している最中だった。田沼は周りをうかがうようにきょろきょろとしてから、慎重に言葉を続けた。

「お前、四季さんと仲良いけどさ、付き合ってたりするのか?」

「は? 急に何を言い出すのかと思えば……」

 栄斗は思わず吹き出しそうになったが、見つめてくる田沼の顔があまりにも真剣だったので、笑うのを止めた。代わりに潜めた声で聞き返す。

「そんなわけないだろ。そりゃ、僕は秋良の家に世話になっている身だけど、小さい頃から兄姉みたいな関係だったんだ。それ以上は特に何も……」

 と言いかけて、栄斗はそれ以上何か言うことを迷った。不意に秋良の笑顔が脳裏をよぎったからだ。栄斗しか知らない彼女の笑顔、それを他人に知られるのは嫌だと、思ったからだ。

「本当か? いや~、よかったよ。もしお前らが付き合ってたりしたら、告白なんてとてもできないからな」

 しかし、田沼はそんな栄斗の葛藤に気づくはずもなく、勝手な解釈をして、ひとり舞い上がっていた。栄斗は不審の目を向けた。

「告白ってお前、もしかして?」

「そうさ。俺は四季さんが好きだ。告白にこぎ着けるためのアピールが必要なんだ。おあつらえ向きに、今日の授業は俺が最も得意とするサッカーときた。これはもらったぜ」

 そう言って田沼がほくそ笑む。これで彼は、クラスでなかなか目立つ存在だった。そこそこ格好良いし、性格も悪くない。勉強も運動も隙なくこなし、家は金持ちという好条件もある。要するに、女子にもてる要素をたくさん持っている、イケメンなのであった。

「……だから! 協力してくれるよな? 栄斗」

「えっ? な、何?」

 急に大きい声で言われて、栄斗はついどもってしまう。田沼の呆れ顔から察するに、どうやら物思いに耽っているうちに、彼の言葉の大半を聞き流していたようだ。とりあえず謝ると、田沼はそれ以上気にしようとはせず、栄斗に頼みこんだ。

「今日のサッカーで、俺に花を持たせてくれ! 頼む、この通りだ!」

 手を合わせて拝みたおしてきた田沼に、栄斗は慌てた。周囲が向けてくる視線が痛い。

「ちょ、ちょっと。やめてくれよ。それに花を持たせるったって……」

「そんなのは簡単だ! お前の運動神経はザルだ。ボールを持った俺に突っかかってきてあっさり抜かれるのもいいし、下手なりに俺をフォローすればいいんだから」

「……なんか、思いっきりバカにされてるような気がするんだけど」 

「そんなことはどうでもいいんだよ! で、引き受けてくれるのか!?」

「えっ? それは……」

 栄斗が言葉を詰まらせる。すると田沼は、疑心の目で栄斗を見やった。

「それともお前、やっぱり四季さんのことを……」

 田沼の猜疑の声が、栄斗の柔らかい箇所を抉る。半ば反射的に栄斗は叫んでいた。

「違う! 僕は秋良のことなんか好きじゃない!」

 言い切った直後、栄斗に後悔の波が押し寄せる。が、途端に田沼が喜色満面になったのを見たら、もはや何も言うことができなかった。

「よしっ! 契約成立だ! これからしばらく、お前の昼飯は俺が奢ってやるぜ!」

 栄斗の肩を激しく揺さぶってから、田沼は意気揚々とグラウンドに走っていった。その後ろ姿は、水を得た魚のように軽快だった。逆に栄斗は落ち込むばかりである。

 と、突然背中を誰かに突き飛ばされた挙げ句、そのまま羽交い締めにされた。完全に極められてしまい、息が詰まった。加害者が栄斗に囁きかけてくる。

「栄斗く~ん? 何でそんなにおセンチになっているのかな?」

「あ、秋良? いたたた、いたい! 痛いからーッ?」

「何よ、大ゲサ言っちゃって。こんなの、全然たいしたことないでしょ」

 言いながら、秋良がさらに締めつけを強くした。声にならない悲鳴が、栄斗の開ききった口から放たれる。だがそれは同時に、背中にある秋良のやわらかさも強くしていた。

「……お、お願いだから、もう、止めて? でないと死んじゃう……真面目に!」

「ったく、軟弱だなあ。男だったら、軽く振りほどいてみなさいよ」

 栄斗の必死の懇願に、秋良は溜息をつきながら、ようやく戒めから解放してくれた。前のめりに、たたらを踏みながら難を逃れた栄斗は、涙目で秋良を恨めしそうに見上げた。

「秋良の馬鹿力を払いのけられるわけないだろ、って痛いッ?」

 またも栄斗が悲鳴をあげる。彼の泣き言にむっとした秋良が、それに対してげんこつで報いたからである。じとっとした目で見やりながら言う。

「仮にも女の子に向かって馬鹿力はないでしょ? デリカシーなさすぎ」

 栄斗には言いたいことが山ほどあったが、それを喉元でぐっと堪えた。もはや何を言っても負けだろう。じんじんと痛む額をさすりつつ、秋良の挙動に注意を払った。そのあまりに露骨な警戒に、秋良がおかしそうに吹き出した。

「何よそれ。アンタが元気なさそうだったから、少しからかっただけよ」

 秋良は体操着姿である。身長は栄斗と同じか、少し低いくらい。真っ白なシャツが程良く隆起していて、紺のショートパンツからは、肉感的で健康的な太股が元気良く伸びていた。

 有り体に言って、美人である。可愛さも持ち合わせていて、田沼のみならず、男子だったら誰でも、秋良には好意を抱くに違いない。

 自分はどうだろうか。栄斗は考えた。嫌いではないと思う。では好きなのか。それも違うような気がする。

「ほら、またそうやってうじうじ考えてる。そういうのがダメだって言ってんの」

 と、秋良の不満そうな声が、顔の真正面から聞こえてきた。いつの間にか、秋良は眼前にまで顔を近づけていたのだ。栄斗は飛び上がるように驚いた。呆れたのは秋良である。

「で、田沼クンと何をひそひそやってたの? 何か悪口でも言われた?」

「そ、そんなんじゃないよ。彼はただ秋良に……」

 告白しようとしてるだけ、と言おうとしたぎりぎりのところで、栄斗は口をつぐむことができた。そのかわり、秋良の形のいい眉が潜められる。

「アタシが、何なの?」

「……いや、それは」

 静かに尋ねてくる秋良の迫力は鬼気迫るものがあって、それに屈しないようにするのが大変だった。栄斗がああでもないこうでもないと言い出したところで、秋良はそれ以上の追求を断念したようだった。

「何だかよくわかんないけど、サッカーがんばりなさいよ。アタシも外でバレーだから、活躍楽しみにしてるからね」

 秋良は笑顔で栄斗の肩を叩くと、グラウンドに向かって走っていった。その直後にチャイムが鳴る。見ると、グラウンドではすでに整列が始まっていた。栄斗は釈然としない気分のまま、列の中に加わった。

 ランニングと準備体操を終えると、早速チーム分けが行われた。その結果、栄斗と田沼は同じチームになった。田沼がにやつきながら栄斗に近寄ってくる。

「わかってるな、栄斗。俺を最大限にサポートしてくれよ?」

「……うん」

 間もなく試合が始まった。といっても、しょせんは体育の授業である。やたらと張り切っている連中がオフェンスに回って、やる気のない面々がディフェンスに落ち着く。栄斗も普段は後者の人間だが、今回ばかりはそういうわけにはいかなかった。

「よっしゃ行くぜ、栄斗! 俺達のゴールデンコンビっぷりを見せてやろうぜ!」

 つい数分前に、半ば強制的に組まされたゴールデンコンビが、ゴールに向かって突進する。運動能力抜群の田沼はともかく、サッカーに何の興味もない栄斗は、完全なピエロである。

 走りながら、ふと、バレーコートに目を向けると、こちらを見ていた秋良と目が合った。満面の笑顔で大きく手を振ってくる。すごく恥ずかしくなってすぐに目を逸らした。

 その時である。栄斗の体の奥底で何かが蠢いたのは。

『欲望ニハ忠実デアルベキダ。何ヲ遠慮スル必要ガアル? 邪魔者ハ全力デ排除スレバヨイダケノ話ダ』

 思わず足を止めてしまうほどの不快感が栄斗を襲った。ざらざらとした感触が全身を総毛立たせる。ぞっとするような寒気のあと、全てを壊してやりたい衝動がこみ上げてきた。

「……栄斗、いったぞ!」

 声のした方を、栄斗は睨みつけた。転がってきたボールが足にぶつかって止まる。そこへ相手チームの連中が殺到しかけた。

「今だ! パスをよこせ!」

 ゴール前付近で、田沼が絶好のチャンスとばかりにボールを要求している。それを見て、栄斗は愕然とした。憎らしいほどに笑顔の田沼に、秋良が吸い込まれていく映像を見たからだ。

 栄斗は怒った。全身が震えるほどの憎悪に支配される。そのせいで、日常生活で抑えていた力が、いとも簡単に解放してしまった。それは、栄斗の限界をはるかに超えた力だった。

「……え? こいつ、なんか怖くね?」

「ちょ、マジでヤバそうなんだけど」

 栄斗を取り巻く異様な雰囲気に、生徒達は脅えたように二歩三歩と後じさる。何か見えない力に押し退けられているような感覚だった。

 それに構わず、栄斗は転がっていたサッカーボールを思いきり蹴り飛ばした。前述の約束通り、田沼に向かって痛烈なパスボールが飛んでいく。

「……ひっ?」

 まるで砲弾が撃ち出されたかのような勢いのボールに、田沼は表情を一変させた。避ける間もない。うなりをあげるショットは、超重量級ボクサーのフィニッシュブローと同等、もしくはそれ以上の威力だった。直撃を受けた田沼の体は、空中できりもみ回転をしながら吹っ飛ばされた。

 どさり、と田沼の体がグラウンドに沈む。審判を努めていた教師はおろか、その場にいた全員が凍りつく。静まり返ったグラウンドで、栄斗はひとりだけ凄惨な嗤いを浮かべていた。そして聞こえてくる、愉悦に満ちた暗い声。

『コレコソガオ前ノ本性。憎悪ニ魂ヲ委ネヨ。破壊ノ悦ビニソノ身ヲ震ワセヨ。我ガ真性ヲ取リ戻スノダ……!』

 怨嗟の声は悦びに揺れていた。それを心地良く思うと同時に、耐え難い苦痛と感じる自分がいた。栄斗が我に返ったのは、相反する感情のせめぎ合いの末であった。

 倒れ伏した田沼に生徒達が殺到していく。栄斗には、それがとてもゆっくりとした動きに見えていた。そして頭の中でわんわんと響く声。世界が回る。気持ち悪い。吐きそうだった。

 視界の片隅に、こちらに向かって走ってくる人影が映った。それを認めて、栄斗は弱々しく笑った。秋良がひどく怒った様子で近づいてきている。またどやされるんだろうな。そう思った時、言い訳が勝手に口をついて出ていた。

「そんなに怒らないでくれよ。僕にだって、何が何だかわからないんだからさ……」

 すべての力を失った栄斗が地面に倒れこむ。周りはざわめいているようだ。急速に意識が遠のいていく。暗い闇に囚われるのは恐ろしかったが、近くで聞こえてきた秋良の声が、いくらか救いになった。

 次に目が覚めた時、元の自分に戻っていることを切に望みながら、影生栄斗は深い眠りに堕ちていった。



 昼が過ぎ、午後のうららかな陽差しが閑静な住宅街を優しく撫でている。その陽光が道路を走る黒塗りのリムジンを鈍く照らした。スモークが張られた窓の中にいたのは、見目麗しい若い婦人が二人。春陽と夏凛であった。

 四季家の長女と次女を乗せた車が向かう先は、今回の血族会議の議場である高科の本家である。高科家といえば、数いる破邪の血族の中にあって最大の閥を誇る、名門中の名門。破邪の御三家の頂点に立つ、血族の長である。

 春陽と夏凛は会議に臨むべく、共に正装で身を固めていた。

 春陽は、白とピンクが映えるレディーススーツを着用している。見た目は華やかだが、それだけに留まらず、帯びたる雰囲気は芯がしっかりとしている。四季家の当主たるに相応しいものであった。

 対して夏凛は、上下共に黒のパンツスーツである。凛々しい顔立ちをさらに鋭くさせて、隙を全くうかがわせない。さながら春陽を脇でしっかりとガードする、有能で頼もしいSPのようであった。

 そんな夏凛が、痛みを堪えるかのような渋面になる。午前中の出稽古で負った傷が後を引いているのだ。それを見咎めた春陽が、眼鏡の奥の眉根を寄せる。

「やっぱり痛むんじゃない? 夏凛ちゃん、無理しなくていのよ?」

 春陽は夏凛に対して、少し過保護なきらいがある。年が近い妹ということもあるのだろうが、それが夏凛には少しくすぐったい。心配する姉を安心させるために、夏凛は笑顔を作った。

「平気だよ、姉さん。桐生院殿の技の冴えを、直に体験できたことが私には嬉しい。この程度の傷みは、授業料みたいなものだよ」

「そうは言ってもねえ……。征璽さんは加減を知らないのよ。相手が女の子でも、決して手を抜かないんだから、あの人」

 頭を押さえる春陽の声は、どうにも疑わしい。春陽と桐生院征璽は年齢が四歳しか違わず、人となりはそれなりに知っているつもりだった。無口で頑固で融通がきかない。大人になった今も、その性質は変わっていないはずである。

「確かに姉さんの言う通り、完全に本気だったよ。でも大丈夫。家に帰ってから、姉さんに手当てしてもらったし。すぐに良くなるよ」

 夏凛が男前に微笑んでみせると、春陽は照れたように頬を朱に染めた。破邪法師である春陽は、破邪の気を封じ込めた霊符や、法印を結ぶことによって、様々な効果を発揮する法術を使うことができる。彼女の能力は血族の中にあって折り紙つきで、周囲から一目置かれる存在であった。

 破邪の血族が邪鬼妖魔を退治することを、破邪業という。破邪の剣をもって戦う破邪剣士と、破邪の力を振るって挑むのが破邪法師である。血族に生まれし者は、その成長過程に応じて、どちらに素養があるのかを見極められる。そしてその為の過酷な鍛錬を義務づけられていた。

 四季家で言うと、破邪法師として長女の春陽と末妹の冬莉。破邪剣士としては次女の夏凛と三女の秋良が適合とされていた。だが、家長である春陽の意向で、秋良と冬莉には血族としての使命を課していない。冬莉に至っては、破邪法師の修練さえ積ませていなかった。

 それは、春陽が冬莉に対する強い想いの表れであった。

 まだ学生である秋良と冬莉、それと栄斗には、血族の重い枷を背負わせたくなかった。春陽自身、四季家の当主を引き継いだ時、まだ高校生だった。学業や友人、その他諸々を手放さなくてはならなかった過去が、春陽を意固地にさせていたのだ。

 夏凛はそんな姉の気持ちがよくわかるので、その心中は複雑であった。高校を卒業してすぐに破邪業に身をやつしたのは、ひとりですべてを背負いこもうとする姉を、少しでも支えてあげたいと思ってのことだった。

 現在のところ、四季家で血族の掟に従って動いているのは、春陽と夏凛の二人だけである。もっとも秋良と栄斗は、夏凛に付いて鍛錬を積んでいるようだが、本格的なものと比べるとほど遠い。持って生まれた素質があるとはいえ、その才能が開花するのはまだ先の話であろう。ただ栄斗に関しては、秋良に強引に付き合わされているだけという感じを受けるので、正直あまり期待できそうになかったが。

「春陽お嬢さん。もうそろそろ、高科のお屋敷に到着しますよ」

 運転席から、木崎が声をかけてきた。春陽はルームミラー越しに、たおやかな笑みを見せた。

「ありがとう、木崎さん。それじゃ夏凛ちゃん、伏魔殿に突入する準備はできてる?」

 春陽の表情は、冗談というには少々きつすぎるものであった。血族会議に参加するのは、よほどのことがない限り、各々が家の当主である。当主の中で最も若く、さらに女性である春陽は、それら古強者達の渦中に身を投じなくてはならなかったからだ。

「うん。他の血族達に舐められるわけにはいかない。父さんと姉さんが守ってきた四季家を、誰にも悪くは言わせない」

 夏凛は頷き、剣なき戦いに挑む心構えを強くした。四季家に対する風当たりは強く、敵視すらされることもざらであった。血族間の派閥的な問題も要因のひとつだが、それ以上の暗部が四季家にはあるらしかった。

「……もし私達に牙を剥くというのなら、好きにすればいい。敵対する者は、それがたとえ同胞であったとしても容赦はしない。我が身の破滅を覚悟することね」

 だからといって、やられっ放しでいる理由はない。春陽の低い呟きは、車中の温度を寒からしめた。思わずぞっと凍える眼差しで、正面を見据える姉の横顔は、夏凛でさえ畏れと緊張を強いるものだった。

 いつも穏やかで優しい笑顔を振りまく春陽。だがそれは、彼女のほんの一面に過ぎない。その裏側には強かで冷酷な、破邪の血族という特殊な世界を生き抜いていくための顔が潜んでいるのである。

 それは、四季一門を率いる総代として、必要不可欠な要素なのであった。


※※※


 高科邸。純和風の趣が端々から感じられる、巨大な武家屋敷である。広大な敷地内に母屋と離れが並び建ち、その経路を回廊で繋いでいる。広い庭には庭園が設けられ、見る者すべてを和ませる風景を提供していた。

 その玄関に二人の美女が現れたことで、邸内はにわかにどよめいた。四季家の姉妹といえば、類いまれない美貌と、それに似つかわしくない黒い噂とで評判である。聞こえてくる声には、憧憬や賛嘆もあったが、ほとんどは畏怖と嫌悪の情で占められていた。

「やはりここに味方はいないようだね」

「信頼を置ける者なんて、私達にはいないわ。家族以外にはね」

 辛辣な言葉を口にしておいて、春陽と夏凛は周囲を意に介することなく、玄関に上がりこむ。すると、すぐに人が現れて二人の進路を塞いだ。形ばかりの笑みを繕った、高科家の門弟である。

「ようこそ高科本家においでなさいました。自分が案内役を務めさせていただきます」

 慇懃な礼をほどこしてから、男はさっさと背を向けて歩き出した。広い肩幅で肉厚の黒い背中が、春陽と夏凛についてこいと言っている。二人は無言でそれに従った。

 男の後を追うようについていった春陽達は、池のほとりに佇む離れにやって来た。静かな水面に建つ水閣が、荘厳な威容でもって人間どもを見下ろしている。その中はすでに多くの者達で賑わっているようで、ざわつきが耳に不快だった。

「四季殿でございますね。こちらが本日の席次となっております。どうぞご確認を」

 建物の中に入ると、別の黒服の男が春陽達に応対した。受付名簿に名前を記入して、指定された席を確認する。四季家の当主である春陽には上席が用意されていたが、妹といえど四季家の子弟に過ぎない夏凛に座席はない。末席に雑居するしか方法がなかった。

「一門の連中も来ているだろうから、彼らと席を同じくするよ。姉さんにできないことは、私が引き受けるから」

 夏凛はそう言って笑うと、やたら広い座敷の下座に一門の姿を見つけて、真っ直ぐそこに向かった。場の雰囲気に負けない妹が黒だかりにおさまるのを見届けると、春陽はそれを申しわけなく思いながら、あてがわれた上席へと向かった。

「いかに四季家の勢力が御三家に次ぐものとはいえ、席が彼らの真正面とはね。何か企んでいるのかしら」

 四季家の席は、御三家が鎮座まします壇上の、すぐ目の前であった。挙動を見張られるようで何とも嫌な感じだが、名誉といえば名誉なのだ。だがそれが突然だったので、春陽が訝しがるのも無理はない。このような小細工を弄するのは、御三家にあっても、あの男しか考えられなかった。

直江龍生なおえりゅうせい……。彼だけは容易ならざる相手よ。手の内が読めない、危険な存在だわ」

 隣り合う、血族の重鎮達に軽い会釈をしつつ、磨き上げられた紫檀卓の前に丁寧に正座する。高科家の女中がすぐに茶を運んでくるが、それには手をつけず、静かにその時がくるのを待った。

 周囲の声が聞こえてくる。

「おい、どういうことだ? なぜ四季家が御前に座る?」

「先代の当主といい、四季家の連中は不可解なことばかりしおる」

「忌み子などを拾って、あまつさえそれを飼おうなどと。正気の沙汰とは思えぬわ」

 聞くに堪えない、誹謗中傷の嵐だった。もちろん聞こえてくる内容はそれだけではないが、春陽の意識をかき乱す内容だけが渦となって、春陽を呑みこもうとするかのようだ。しかし四季家の若き美貌の当主は、それに対する動揺を見せようとしなかった。

 参加者が続々と議場に詰めかけ、ざわめきが大きくなり出した頃、不意に上座に姿を現した者がいた。それを受けて、議場に緊張が走る。壇上の中央の席に腰を落ち着けたその人物は、破邪の血族の筆頭である高科家の当主、高科一心たかしないっしんであった。

 上質のスーツを隙無く着こなし、少し長めの黒髪をオールバックにした、紳士然とした男。意思の強さを感じさせる眼光と、引き締められた口元とが、組織の頂点に立つ者の風格を感じさせる。高科一心は泰然自若とした物腰で、壇上から議場全体を見渡した。

 その一心と真正面から顔を合わせた春陽は、頑なにしていた表情をほんの少しだけ和らげた。彼とは幼少の頃に知り合い、それなりの仲を育んだ背景がある。父の死後、何かと便宜をはかってくれた恩義もあり、春陽にとって兄のような存在であった。

 そういうわけで、高科一門と四季一門は心許せる関係ではなかったが、春陽と一心個人で言えば、友好的な関係にあるはずだった。

「一心くん、どうして私から目を逸らすのかしら……?」

 春陽が腑に落ちない顔をしたのは、目があった一心が視線を逸らし、以後、まったくこちらを見ようとしないせいだった。広い議場の中で、自分だけが取り残された感じがして、それがひどく寂しい。

 それから間もなくして、さらなるどよめきが沸き起こる。袴姿の桐生院征璽がやって来たのだ。彼は一心の左隣に胡座をかくと、そのまま目を閉じて押し黙った。もともと寡黙な征璽だが、今日はそれに輪を掛けたようである。一心と一言も言葉を交わそうとしない態度に、春陽は抱きつつあった疑惑をさらに強くした。。

 最後に現れたのは直江家当主、直江龍生である。彼は破邪法師が着用する法威ほういを身に纏っていた。直江家に伝わる法威『神暦かみごよみ』が放つ、厳格な神々しさが周囲を圧倒する。議場のざわめきはそれを前に、一瞬にして静まり返った。

 龍生の目が春陽に向く。表情を感じさせない眼差しだ。春陽はそれを真っ向から見返し、彼の深意を探ろうとするも、さすがは御三家の参謀とまで恐れられる男である。そこからは何も読みとることができなかった。

 議場に居並んだ、総勢二百名からなる破邪の血族。古きから現在にいたるまで、非日常の脅威と向かい合ってきた、真の強者達。それらが口を閉じ、居住まいを正したのを確認すると、高科一心が厳かに告げた。

「それでは、これより血族会議を始める」

 長い一日になるだろう。じっと正面を見据えながら、春陽はそう覚悟を決めていた

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