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…………………。
…………。
……?
目を焼くかと思うほどの光が瞼から消えたのを感じて私は恐る恐る目を開く。
年季の入った柱、食器棚にシールがペタペタ張られた冷蔵庫。外からは近所の子供たちの遊ぶ声が遠くから聞こえてくる。見慣れた家の風景が目に入ってきて思わず目をパチパチと瞬いた。
気付けば私は家の台所に座り込んでいた。
「ゆめ………?」
白昼夢だったと言われればそのまま信じられるぐらい目の前の光景は日常と何も変わらない。
そうだよね。プリン・アラ・モードと一緒に異世界に召喚されてそこで宅配サービスを頼まれたってそんな現実離れしたことが本当に起きるわけ………。
「うぁ~~~ここがご主人さまの御住まいなのですか?」
可愛らしい女の子の声が響く。思わず周囲を見渡すが遠くで冬香が手を洗っている水音しか聞こえてこない。
「え?」
「ご主人様。ここです。ここ」
下から聞こえてくる?
声を辿って視線を下に降ろせば私の膝の先に可愛らしい黒猫ちゃんがちょこんと座っている。
………尻尾の先には鈴、首には赤いリボン。瞳は石榴色………。
「え?あれ?貴女………喋って……あれぇ?」
夢じゃ、ない?
何度見てもそこにいるのはあの異世界で見た喋る黒猫ちゃんである。
恐る恐る手を伸ばして触れてみれば手触りの良いもふもふの感触。
擽るように顎を撫でれば黒猫ちゃんは気持ち良さそうに目を閉じて髭をそよがせた。
「………」
「うにゃ~~~」
「………」
「ごろごろ」
現実逃避気味に黒猫ちゃんを撫でて撫でて撫で倒す。
って!違う!魅惑のもふもふを堪能している場合じゃない!
慌てて立ち上がった私の目に机の上に残された四つのプリン・アラ・モードがうつる。
周囲を見渡してもやっぱり残りのプリン・アラ・モードはない。
「うにゃ?ご主人さま?」
とてとてと黒猫ちゃんが近づき足元で見上げてきた。
「………ねぇ。黒猫ちゃん」
「?わたくしのことですか?ご主人さま」
「そう、あのね、貴女が喋っていることだとか異世界にプリン・アラ・モードと一緒に召喚なんぞされたこととかそこで王様と王子様と怪しげな魔術師さんと出逢ったことだとか………なんか勢いで宅配サービスを始めて料理を届けることを了承したとか………全部現実?」
「???はい。全部先ほど起きたことですよ?」
なんでもないことのようにあっさりと頷く黒猫ちゃん。
全部、本当のこと。
現実。
げん………。
思わずふらついてテーブルに手をついた私はポケットに何かあることに気付いて取り出してみる。
そして止めと言わんばかりに現われたのはものすごくお高さそうな手鏡。
夢の中にいるかのような感覚が一気に現実へと引き戻された。
「うっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「うにゃあ!」
「おねぇ!どうしたの!」
近隣近所に響き渡るような叫び声を上げた私に黒猫ちゃんは飛び上がらんばかりに驚き、冬香は弾丸のような勢いで台所に飛び込んでくる始末。
「………だいじょうぶ!………あれ?ねこちゃん?」
「はじ………」
「あ、あはははははははっ!ごめんね。この子、突然勝手口から入り込んじゃったみたいで、つい驚いて叫んじゃった!」
飛び込んできた冬香に声をかけようとした黒猫ちゃんを閃光石火の早業で抱きかかえて
その口を塞いで、思いついた言い訳をべらべらと喋り倒す。ちなみに冬香からは死角になって見えないが勝手口はしっかりと閉まっていた。
幸いにも直後の私の大声にびっくりした冬香は黒猫ちゃんが喋ったことには気づいていないようだった。………よかった。
「そうなんだぁ」
素直ないい子に育ってくれて、おねぁは嬉しいけどちょっとだけ君の将来が心配だよ。妹よ。
「ねこさん、かあいいね?ねこさん、わたし、ふゆかっていうの。よろしくね」
黒猫さんの前足をそっと掴んで握手する冬香。
黒猫さんは喋るなという私の無言の圧力を正しく読み取ってくれたのか「にゃあ」と可愛らしく鳴いてくれた。
ふう………どうにか誤魔化したか。でも、異世界デリバディーなどという非常識な出来事が起きていることには変わりはないんだよね………。
「あ~~~~~~~~~!おねぇ!プリン・アラ・モードが足りない~~~~~~!」
「え?あっ!」
そうだった!
私の分ともうひとつ、異世界で魔術師とリカルドくんが綺麗に平らげてしまったんだった!器もお盆もあちらに置きっぱなしだし!
私の分はいいとしてもあと一人分、足りない計算になる。
「おねぇ!足りないのなんで!」
「いや、あの………ざ、材料………そう!材料が足りなかったの!丁度二人分足りなかったのよ!」
再び苦し紛れの言い訳開始。
「あはははっ!おねぇちゃん、うっかりしていたわ!冬香、おやつ食べたら買い物に行こう。そしておやつ作りをお手伝いしてくれない?」
「おてつだい?するっ!ふゆかする!」
最近お手伝いすることにはまっている冬香は簡単に意識をお手伝いの方に向けてくれた。
うううっ………嘘ついてばかりのおねぇちゃんでごめんね。冬香。
無邪気な冬香に罪悪感を大いに刺激された私の足元を黒猫ちゃんが擦り寄る。
「にゃあ」
「あ、その猫ちゃん。どうするの?」
「そうね………お父さんが帰ってきたらこの家に住んでもいいか聞いてみようか………」
この非常識な展開のサポート役の黒猫ちゃんを手放すわけにはいかない。
うちの飼い猫として受け入れてもらえればそれが一番。
そういう打算と。
「それにこの子、かわいいしねぇ~~~~~~~~~~~」
猫大好きという本能が出した結果であった。




