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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い一号 ―陣―
7/39

… Friday …

… Friday …


「ひろさん……」

「おはよ。それ以上言わないで。わかってるわよ、ひどい顔してるんでしょ。でも泣いてないし寝不足でもないから!」

 教科書とノートを抱えてアコードの前で待っていた轟と千歳は、わたしを見るなり同情的な顔をした。先手を打って言ってやると、千歳が肩をすくめた。

「泣いてたし寝不足なんですね?」

「違うってば!」

 彼らの視線を振り切って助手席に回ろうとすると、轟に制止された。

「ひろさん、後ろに乗って下さい」

 何で、と反抗的に言おうとして、心配丸出しの顔に気を挫かれた。

「今週末、修理に出しますから。シートベルト直すまで、絶対助手席には乗せませんから。僕、乗り移られたとかそれより、ひろさんを危ない目に遭わせたのが……」

 轟はしゅんとして俯いた。

 昨夜いろいろと話してわかったところによると、陣に身体を乗っ取られていた間、どうやら轟には意識があったらしい。ダイレクトに伝わってくる陣の怒り、言うことを聞かない身体、迫力のカーチェイスに死ぬかと思ったそうだ。

 轟は壊れたシートベルトのせいでわたしがあわや車外放出の危機だったことを知って、ひどく恐縮していた。

「でもほら、千歳が抱えてくれたし」

「けど、最終的にひろさんを助けたのは陣さんなんでしょ」

 拗ねたような口調で千歳がまぜかえす。後部座席の右側にすんなり座ったところをみると、わたしの耳のことをさりげなく考慮してくれたらしい。

「うん……あれっきり音沙汰ないんだ。御礼を言いたいんだけど……」

 助手席が空のアコードは、キャンパスに向けてゆっくり走り出した。

「……なんか、タクシー状態じゃない?」

 漂っている落ち込んだ雰囲気を変えたくて言うと、千歳も乗ってきた。

「ですね。しかも白タク。運転手さん、大学までー。上、使っていいよ」

 高速通らないけど。

「……料金もらいますよ?」

 恨めしそうな口調とは裏腹に、バックミラー越しに見えた轟の目は笑っていた。

 あれだけ無茶なドライブだったにもかかわらず、アコードは前のバンパーが少々傷ついた以外は無事だった。翔太くんのお父さんの黒いツードアも、右前のライトが割れてバンパーが落ち、少々凹んだくらいだったようだ。それだけで済むようなスピードではなかったと思うけれど、陣がうまく二台をコントロールしていたのだろう。暗い夜道で飛び出した翔太くんをよけた陣の運転技術は、やっぱり下手なんかじゃなかったのだ。

「陣かあ……」

 わたしを受け止めてくれた後から、ずっと姿を見ていない。翔太くんがお父さんに連れられて帰っていったのを、見届けてくれただろうか。

「……もう死んじゃってる人を好きになったりしたら、不毛よね……」

 自嘲的に呟くと千歳は一瞬俯いて、でも上げた顔はおどけていた。

「それもある意味、純愛ですけど。とりあえず生身の人間にしときましょうよ」

 そうよね。

「誰かいい男紹介してくれる?」

「俺とか?」

「……他にいないの」

「俺とか?」

 よくそんな、とぼけた顔が出来るもんだ……。

「他には?」

「俺とか?」

 ……もういい。

 赤信号で停止すると、轟が運転席から怪訝な顔で振り返った。

「あのう……ひろさん。なんかさっき、未来形に聞こえたんですけど……好きだった、んじゃないんですか?」

 あ、そうか。まだ誤解を解いてないんだった。

「違う違う。全然他人。死んでから知り合ったの。こないだの土曜日にね……」

 あははと笑って手を振ろうとして、二人の機嫌の悪い視線に射すくめられた。

「恋人だったって言ってた気がするんですがー……」

 轟のゆっくりしたしゃべり方は、こういう時は迫力があるように聞こえる。

「んーと、あれは嘘も方便というか……」

「成仏させてあげたいって泣いてませんでしたか……?」

 千歳もまあよく覚えてるなあ。

「実を言うと、最初っから成仏してたんだけどね」

「ひろさんっ!」



 結局絹さんのことも守護霊見習いのことも、全部話す羽目になった。講義で中断はしたものの、昼休みも、講義が終わってからも、アパートに戻ってからも、散々文句を言われた。

「僕たちには何でも言って下さいね。頼みますから」

「ひろさんの涙はもう信じません」

 夕方、それぞれの台詞を残して轟と千歳はやっと帰っていった。二人ともバイトがある日で助かった。

「疲れた……」

 きん、という澄んだデュポンの音にまた煙草を吸おうとしてたことに気付く。陣のことは片がついたんだから、これ以上吸ってなるものか。煙草のせいだろう、何度も耳鳴りを起こしてたので代わりにガムを口へと放り込む。

「言っとくけどガムだってお金かかるし、太るんだから……」

 誰にともなく文句を呟いて肩を落とした時、目の前の床に足袋が現れた。全ての元凶、絹さんは憎たらしいほど清々しい、かつ悪魔的な笑い方をした。

『うまくやったようじゃないか、シロ』

 ……うまくって、あのね。

「絹さん! 何を呑気に見物してたのよ、陣のせいで大変な目に遭ったんだから!」

『あの男もめでたく見習い修了だな。ふー、肩の荷がおりたわい』

 ……聞いてない。何もしてないくせに、何が肩の荷だ。明日から仏壇にコーラ置いてやる。しかも、ホットのチェリーコークだ。

『忘れてるようだから、言いに来てやった。こしあんだぞ、いいな』

 そう言い捨てて、絹さんはさっさと消えてしまった。

(大福……そういやほんとに忘れてた。粒あんにしてやる)

 密かにささやかな復讐を練っていると、入れ替わるように争いの張本人、陣がやってきた。

 ……土足で。

『よお』

 翔太くんの件を片付けたせいか、比較的機嫌がいいらしい。挨拶してもらったのなんて初めてだ。相変わらずの無愛想でも、ちょっと嬉しくなる。

「あ……あの時は、ありがと」

 急停止した車内で受け止めてくれたことの御礼を言ってなかったので、まずはぺこりと頭を下げた。

『別にー。一応、見習いでも守護霊だからな。死なすわけにいかねえだろ』

 ……見習いという自覚があったのか、ほんとに?

(だけどよく考えればあの危機を招いたのって、他ならぬ陣のような気がするんだけど……)

「ま、いっか……翔太くん、成仏してくれそう?」

『あとは閻魔さまとか次第じゃねーの? 俺の事故に関わってるし。でもガキだから大目に見てもらえんじゃねーの。ま、どうでもいいけどな。それよりあのオヤジに話つけたんだろうな?』

 どうでもいいとか言っている割には、きりりとした眉が少し曇っているように見えた。

(翔太くんのことが気がかりで見習いさせられる羽目になったくせに、今更、下手って噂が大事みたいなフリして……意地っ張り)

 そんなこと言ったらまた逃げられるか殴られそうだから、黙っておいた。

「さま、って呼んじゃうほど、閻魔さまって怖いわけ?」

 陣の口からそんな尊称が出てきたのが意外で聞くと、陣は苦ーい顔をした。

『こええ。あいつは、おふくろよりこええ。二度と会いたかねーな』

 ……あのいかにも有閑マダムな陣ママも、怒ると怖いらしい。

「あのさ……翔太くんのお父さんに話してもらうの、七月になってからでいいかな」

 聞いてみると、陣は先刻承知だったかのように頷いた。

 翔太くんのお父さんは、バンダナさんに真相を話してくれることになった。でも、それは翔太くんの四十九日が終わってからがいいと思う。

 仏教で言えば、閻魔大王の裁きは死後三十五日までに決まることになっている。そしてそれまでの法事に参列した人々の善業が、翔太くんに及ぶとされている。万が一、翔太くん父子が当たり屋をしようとしたという噂が広がって参列者が減ったりしたら、閻魔大王さまの裁きにも、四十九日目に決まるとされている転生先にも悪影響が出るかもしれない。それは避けたかった。

 翔太くんは、閻魔さまの厳しい追及を受けているだろう。それを免れさせることは出来ないし、してはいけない。今のわたしたちが翔太くんのためにしてあげられるのは、その裁きが終わるまで真実を晒さないでいてあげること、法要に参列すること、そして祈ることだけだ。陣もそれを願っているのだろう、目を伏せて静かな顔をしていた。

 わたしの視線に気付いたのか、陣は急に例の投げやりな態度になってあらぬ方向へと目を転じた。

『にしても、見習い終わってせいせいしたぜ』

(ありがとうの一言もないのか、こいつは……)

「こっちだって、厄介払いできて喜んでます。二度と帰って来ないでね」

 その時、陣は笑った。唇の端を持ち上げるみたいな皮肉っぽい笑顔だったけれど、幽霊なのが実に勿体無くなるくらいかっこよかった。

『あのなー、気付けよおまえ。あのばーさんに、いいように使われてんぞ。見習い終わらせて株が上がんの、あのばーさんだぜ』

 あのばーさんって……絹さんか。

『俺で味をしめて、次を連れてこようとしてるぜー。ま、せいぜい頑張るんだな』

(次っ? 次の見習いっ? ……あのババア……)

 冗談じゃない。あとできっちり断って、粒あん攻撃だ。

『じゃーなー』

 いきなりの挨拶にハッとして仰ぐと、陣の姿はもう消えかけていた。

「やだっ、どこ行くの? 誰かの守護霊しに行っちゃうの……?」

 よっぽど情けない顔をしてたんだろうか。行きかけていた陣はちらりと振り返り、呆れたような表情を天に向けると、面倒臭そうに肩を揺らした。

『そんな顔すんな、ブスになるぞ。……じゃあ、またな』

 それは再会の約束。

 言い方はキツくても、とっても優しかった。ほっとして息をついて、笑顔で手を振る。

 滅多に出て来ない出不精の陣だけど、きっとまた会えるよね。ピースを吸ってる人を見るたび、この人の守護霊は陣かもしれないなんて期待しちゃうんだろうな。

「うん、またね」

 わたしの挨拶もろくに聞いてないような速さで、照れ隠しみたいな速さで、陣は消えてしまった。



 それからというもの、わたしの部屋の仏壇には、金色の鳩が飛ぶ群青の箱が供えてある。


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