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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い一号 ―陣―
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… Wednesday …

… Wednesday …


 あの後、翔太くんらしき男の子の話はわたしたちの間で禁句のようになってしまった。

 全く関係の無い話で妙に白々しく盛り上がりながらアパートに帰還した。そして、今日はありがと、じゃあねと短い挨拶をしてそれぞれの部屋へと引っ込んだのだった。

(あの子をどうするかなんて、言い出せる雰囲気じゃなかったな……)

 水曜日は大学の方針で、大抵の学生は授業が入らないようになっている。思いっきり朝寝坊してから起き出すと、もう十時に近かった。ブランチに軽くパスタを食べて出掛ける用意をする。

 鞄にはバンダナさんに教えてもらった、陣の家の住所を書いたメモを入れた。

 わたしが付き合わせたせいで、轟と千歳が喧嘩してしまった。すぐに仲直りはしてくれたけど、やっぱり後味のいいものではなかった。これ以上、この話に巻き込むべきじゃないと思う。

(気になるけど……もう、あの子のことは忘れよう。もともと、わたしとも陣とも関係ないんだし)

 夜に枕を抱えて一人で色々思い返しているうちに、そもそもあそこに行ったのは陣の事故現場を訪ねるのが目的だったことを思い出した。翔太くんらしき男の子の動機はともかく、陣がどうしてあそこで事故を起こしてしまったのかは知っておきたかった。それが、陣が見習いさせられてる原因に関係している気がして。

(出て来てくれたら聞けるかもしれないのに……)

 バンダナさんにバカと言われながらも、しんみり悼まれていた陣。あんなに無愛想で口が悪くても、ちゃんとその死を悲しんでくれる友達がいるのだから、本当は嫌なヤツじゃないんだろう。バンダナさんの口ぶりでは、陣には意外と友達が多いみたいだった。

(何よ、わたしにはあんなにつんけんしてるくせに……)

 何だか腹が立って、鞄をぶんぶん振り回しながら駅へと歩き出した。



「で……でかい……」

 陣の家は、事故現場から少し丘側に入った住宅地にあった。タイル張りのモダンな三階建てが、先端に百合をかたどった瀟洒な鉄柵の向こうにそびえている。

 インターフォンを押すと、優雅が声になったような応答が返って来た。

『お電話下さった方ね。どうぞお入りになって』

 カメラつきのインターフォンなんて久しぶりで緊張して、やけにヘラヘラ笑いかけてしまった自分が恥ずかしい。

(門と家の間に庭を持ってくるって嫌味よね。絶対嫌味)

 自嘲と羨望を八つ当たりに変換し、ぶつぶつ言いながら門を入った。ガーデニングは鉢植えの世界だと思っていたが、ガーデンが庭という意味だったことを思い出す……というか、思い出させられた。

(陣ってばいいとこの坊ちゃんだったんだ……道理でチンピラくさくても、そこはかとなく品があると思った)

 それはまさか普段着ですかと聞きたくなるようなシルクっぽいワンピースをお召しの陣ママに案内されて、和室の一角にしつらえられた仏壇で焼香させてもらった。

 その後、口紅をつけてしまうのが畏れ多いような、いかにもお高そうなカップで紅茶を頂きながら話をする。

「あの子のお友達にあなたみたいな、その……普通のお嬢さんがいらしたなんてねえ」

 バンダナさんと同じことを言っている。陣の友達にはヤンキー仲間しかいなかったのか? それとも暴走族あがりだったりして……あり得る。

「はい、ふとしたきっかけで……よく車に乗せてもらいました」

 嘘も方便。ふとしたきっかけ、という便利な言葉に感謝した。

「まあ、あの悪趣味な車にねえ」

 陣ママ、悪趣味と言い切っている……。バンダナさんによると色々パーツがついてたらしいけど、一体どんな車だったんだか。ヘンなもの見たさで、事故で大破する前に見てみたかった気もしてきた。

「はい。陣さんは、天国でもあの思い出の車を乗り回してるんでしょうね……」

 その言葉に、陣ママは俯き加減だった顔を上げてマスカラの濃いまつげをぱちぱちさせた。

「あら、ご存知ないの?」

「はい?」

 フランス窓の向こうに見えているガレージを掌で示して、陣ママは言った。

「あの日、あの子は車に何ですか、新しいライトか何かを着けたら電気がつかなくなったとか言って」

 コンタクトブレーカ。

 その言葉が、目の前でぱちんと弾けた気がした。アコードの運転席で苦い顔をしていた陣の姿が脳裏をよぎる。歯車が動き出す予感に、体が震えた。

「もう暗くなってきてましたから、部品を主人の車で買いに行って」

 目撃者はおらず。

「その時に事故に……」

 事故なんか起きるようなカーブでは。

「その車は何ですか!」

 わたしの勢いに身を引いて驚きながら、陣ママはしどろもどろに答えた。

 いかにも翔太くんらしき男の子が飛び出しそうな、高級車の名前を。



 ネットカフェに駆け込んで、翔太くんの事故を検索した。

 被害者として大まかな住所しか出ていなかったが、花束を持って沈痛な面持ちを作り「翔太くんのお宅は……」と聞くと、通りすがりのおばさんはわざわざ付き添ってくれた。

(陣ママやこんな親切なおばさんまで騙して……これで事故の原因が陣の居眠りだったりしたら、絹さん召喚して厳重抗議しなくちゃ)

 翔太くんの家は、事故現場から駅ひとつ離れた市営団地らしかった。そこを目指して、古くて小さな木造住宅が窮屈そうに並ぶ、どこか懐かしい住宅地を通り抜ける。

「もうねえ、思い出すだけで泣けてきますよ。いい子だったのにねえ」

 おばさんは、いい話し相手が出来たとばかりにしゃべり倒していた。案内役を捕まえたと思ってたら、捕捉されたのはわたしの方だったらしい。

「可哀相な話よねえ、まったく。葬儀の日ね、天気予報では晴れだったんですよ。でも雨が降り出して。涙雨だったんだろうねえ」

 そうですね、と答え終わらぬうちにおばさんは次の言葉を繰り出してくる。相槌の間くらい待てないのか。

「人見知りで、いっつもお父さんにくっついててね。翔ちゃんには、お父さんしかいなかったから……」

 父子家庭だったのか。

「あ、じゃあ今伺ってもお仕事でお留守ですよね」

「どうだろうね」

 頬に手を当てて嘆いていたおばさんの眉が、いきなり不快そうにぎゅぎゅっと寄った。

「駅前のパチンコ屋を探した方が早いかもしれないよ。全くあの男は、翔ちゃんには悪いけどだらしないね。そりゃリストラされたのは可哀想だよ。でもだからってろくに働きもせずに賭け事ばっかり」

 急に涙が出そうになって、わたしはおばさんから顔を背ける。

 当たり屋をさせてたのを裏付けそうなことなんて、聞きたくなかった。轟もきっと同じ気持ちで、否定したくて千歳と喧嘩したんだろう。

 五月晴れが恨めしかった。



 市営住宅四番棟の三一一号室は、おばさんの予言通り留守のようだった。仕方なく、褪せたペールグリーンの扉に花束を立てかけて帰ることにする。

 それでもすぐには去りがたくて花束を見つめたままボンヤリ立っていると、二つ三つ向こうの扉ががちゃんと開いた。遊びに行くところなのか、サッカーボールを大事そうに抱えた坊主頭の男の子が出てくる。

「翔ちゃんに会いに来たの?」

 坊主頭くんは走り出そうとしてわたしを見つけ、花束を見下ろし、足を止めるとそう言った。

「うん、でも誰もいないみたい」

 翔太くんの友達だったんだろう。吊り目の生意気そうな坊主頭くんの口が、泣くのを我慢してるみたいに歪んでいる。じんわりと、湿った雰囲気が漂った。

「そうだ、ねえ、翔太くんの写真持ってる? わたしが知ってる子、たぶん翔太くんだと思うんだけど、はっきりわからな……」

 最後まで言い終わらないうちに、坊主頭くんは身を翻してドアの中に消えた。そしてすぐに、アルバムを手に戻ってきた。御礼を言って、フィルムを現像に出すと必ずついてくる、表紙が厚紙の簡素なアルバムというかファイルをめくる。

 そこで笑っていたのは、やっぱりあの男の子だった。



 部屋でピースを吸いながら考えた。一箱でやめるとか言いながら、結局何箱目なんだろう。早いところどうにかしないと、せっかく治まってきていた耳鳴りが再発しそうだった。

 陣がどうして守護霊見習いなんかさせられてるのか、相変わらずはっきりしない。絹さんはおまえに任せるの一点張りで、陣はいくら呼んでも出てこようとしない。

 成仏していても何か心残りがあって霊的に成長できないからじゃないかというのは、わたしの推測に過ぎない。けれどそう考えて心残りの原因を探る以外に、絹さんがわたしに面倒みてやれと言う理由が思い当たらない。守護霊のハウツーを教えるのはわたしには不可能だ。だって、経験ないんだから。

(生きてる人間に守護霊の経験あったら、怖いって……)

 自分に突っ込むのが虚しくて、煙と一緒に溜息をつく。

 もし翔太くん父子を恨んでいたら、陣はそもそも成仏しなかっただろう。だから陣が、単に自分が死んだことを翔太くん父子に謝罪して欲しいと思ってるわけじゃないと思う。

 じゃあ成仏した後であれが事故じゃなく当たり屋だったことを知って、怒ってるのだろうか。

(でも、あの時……)

 翔太くんの霊を見てる時より、バンダナさんを小突いてた時のほうがよっぽど怖い顔してた。

 そうなると陣の心残りは、事故原因が単なる運転ミスでなくて、車に当たりに来た翔太くんをよけるためだったのを明らかにして欲しいということじゃないだろうか。走りがうまいと思っていたらしい陣にとって、何でもないカーブで命を落として仲間に「下手だった」と噂が広まったのはプライドが許さないのだろう。

(全然出てこようとしない陣が、バンダナさんに下手だと言われた時はすかさず小突きに来てたもんな……)

 その後呼び出したかのように翔太くんが現れたのは、陣が自分の事故に翔太くんが関わっていたことを知らせたかったからだと思う。

(だけど……)

 だけど、翔太くんのお父さんを問い詰めて事故原因を明らかにしたところで、どうなるのだろう。

 陣は、自分の運転技術の未熟さが死因じゃないことをクルマ仲間に示せて満足かもしれない。でもそうすると、翔太くん父子が当たり屋であることを暴露してしまうことになる。

(そんなことしたら……)

 そう知ったら、あの坊主頭くんはどんな顔をするだろう。

 道案内をしてくれたあのおばさんは、翔太くんを何て言いふらすだろう。

 ひまわりの花束を供えてくれた子のこいのぼりは、どんな思い出になってしまうんだろう。

(翔太くんが当たり屋やってたことを公表するなんて、出来ないよ……)

 故意でなく事故で飛び出してしまったのだということにしても、後日また飛び出して亡くなったのだから、不注意な子だという強い印象を植え付けかねない。

(真相は確かめなくちゃいけないけど……)

 翔太くんのお父さんから陣の事故の原因は息子の飛び出しだったと、それだけをバンダナさんに話してもらえるよう説得できないだろうか。名前を伏せておいたら、翔太くんの思い出は傷つかずに済む。

 翔太くんのお父さんの当たり屋行為を告発することが出来ないのは悔しいけど、わたしの目的は陣の心残りをなくすことであって、犯罪を暴くことじゃない。

 もう一度溜息と一緒に、紫煙を天井へと吹いた。

(明日は翔太くんのお父さん、つかまえられるかな……)


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