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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い一号 ―陣―
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… Tuesday …

… Tuesday …


 眼を覚ましたのが電子音のせいだと気付くまで、しばらくどんよりした意識に沈んでいた。のろのろと寝返りを打って、枕元の床の充電器に差した携帯を手探りで引き上げる。

「……はい」

『おはようございます、こちらレストラン轟でございます。ひろ様、本日の朝食のご希望を承りまーす』

「千歳……?」

 かったるい朝に場違いな、明るい声が聞こえてくる。枕の裏に埋もれた目覚まし時計を発掘すると、八時だった。

(火曜は二限からだったっけ。そろそろ起きなきゃ……)

『はいっおかゆ一つ入りましたー! 料理長、よろしくっ』

 頼んでないんだけど。

 千歳に続いて、だから今作ってるじゃん、という轟の声が遠くから聞こえた。

「いいよお腹すいてない……」

『それじゃ十分後に一〇三号室、レストラン轟までお越しください! ご注文ありがとうございましたー』

 やたらとテンションの高い電話は一方的に切れてしまった。仕方なく切ボタンを押し、のそのそと起き上がる。まだボーっと重い頭でいらないと電話しようか考えているうちに、昨夜のことも徐々に思い出した。

 急にわたしが泣き出したせいで千歳に怒られ困っていたバンダナさんに謝り、携帯番号をもらって帰途についた。その車中、泣き疲れて助手席でうたた寝している間に二人の潜めた会話が聞こえていたっけ。

「なあ、千歳。ひろさんって……陣って人のこと、好きだったのかなあ」

 轟の小さな声に千歳も小さな声で、さあな、と返した。彼らが声を低くしていても右耳は聞こえるから、右耳が車内に向く助手席にいる限り会話を聞き漏らすことはなかった。

「ひろさんはあの煙草、無意識に買ってたみたいなんだよね……それ供えてたってことは、その人が吸ってた銘柄なのかなあ」

 ややあってまた、さあなと千歳が答えた。

「好きだって気づいて、ブランド男さんと別れたとか……」

「もうやめろよ、ひろさん起きちゃうだろ」

 珍しく不機嫌な声で千歳が遮るのを、ぼんやり聞いていたっけ。そのまま帰宅して、御礼だけ言って寝ちゃったんだ。

(……心配させちゃったな、行かなくちゃ)

 一〇三号室というと千歳の部屋だ。

 急いで身支度をして、出張レストランに向かった。



「このレストランは持ち込みオッケーですかー!」

 インターフォンに素早く反応して開いたドアの向こうへ、葵の御紋みたいにはちみつ梅干を突きつけた。

「あ、ええ、はい。どうぞ」

 料理長はわたしの勢いに眼を丸くして戸惑いながらも、こくこくと頷いた。

「武器の携帯はご遠慮願ってますけど」

 その後ろでウェイターが生真面目な顔を作り、人差し指を横に振る。

「これは投げません」

 どんなにお仕置きが必要な事態になったとしても、それだけはするまい。以前、梅焼酎なんぞにしようとした轟に肘鉄を入れたくらいの好物である。

「ではこちらのお席へどうぞー」

 ふざけ続けている千歳に案内されて、遠慮なく部屋にあがりこむ。通りすがり、おたまを握ったまま心配そうな目をする轟へ笑顔を作ってみせた。

 千歳の部屋はわたしの部屋よりよっぽどモノがある。とは言ってもどこか統一性の無い雑貨たちは、轟に聞いたところによると歴代の通い妻たちが残していったものらしい。

 轟もわたしもフローリングにラグを敷き、その上に直に座ってご飯を食べるようにしている。ここには小さいながらもダイニングセットがあるのは、そうでないと通い妻と自家製カクテルを乾杯しても格好がつかないからに違いない。

 いつもと視点が違って何だか落ち着かないそのダイニングセットを囲んでの朝ごはんとなった。轟シェフのおかゆには、鰹だしの餡まで添えてある。一口ごとに、彼らの優しさが身体の中心から染み渡っていく気がした。それはやがて元気に変わって、作らなくても笑顔になれた。

「昨日はごめんね。今日はありがとう」

 食べ終わったところで切り出すと、二人は小さく笑って、小さく首を振った。

「あのねー、実は……男の子の霊を見ちゃったんだ」

「へっ?」



 ややこしくなるので絹さんと陣のことは伏せておいて、とにかく霊が見えることと、翔太くんらしき少年の霊が繰り返し車道に飛び出していたことを話した。

「そうなんですか……はあ、そうなんですかあ……」

 轟はやけに大きく頷いて、鼻をぐすっと鳴らした。飛び込み続ける少年の姿を想像して涙腺に来たらしい。

「ひろさんには当たりクジだけじゃなくて、霊まで見えるのか……俺のトランクスの柄まで見えてたりして。まさかもしかして、さらにその下まで……」

 千歳は冗談を言うことで、信じがたい話を受け入れる時間を稼ごうとしているようだった。

「ねえ、あの子が車に飛び込む理由ってなんだと思う?」

「理由……?」

 しんみりしていた轟は気を取り直して、居住まいを正した。

「その子は、事故で轢かれたんじゃないんですか?」

 違うと思う。未練を残した霊は、亡くなる直前の行動を繰り返す。だからあれは、あの子の死の間際の行動そのものだと考えられる。

 少年は明らかに、車が来るタイミングを計って自ら飛び込んでいた。

「自殺だって言うんですか」

 また泣きそうになったらしく、轟は顔を背けて唇を引き結んだ。もらい泣きしそうになるのを、必死で我慢した。

「わたしだってそんなこと、信じたくないけど……」

「事故じゃないんですか? その子は倒れた後、茫然としてたって言ったじゃないですか」

 轟は、どうしても事故だと思いたいらしい。その気持ちは良くわかる。

「うん。でも、すっごい見極めて飛び込んでたのは確かだもん」

「何もそんなことしなくても……」

(……ん?)

 その台詞で轟が言いたかったのは、いたいけな子供が自殺などすることないのに、ということだっただろう。だけどわたしは違う解釈ができることに気付いた。

 どうしてあの子が飛び出しを選ぶ必要があったのか、ということだ。

「そう言われてみれば……、子供が自殺するのに、普通わざわざ車に飛び込んだりするかな? それにまだ十歳くらいなのに、自殺っていうのも考えにくい気がするし……」

 涙を隠そうとしていたのだろう、あらぬ方向を見ていた轟は当惑した表情で振り向いた。

「例えば、飛び降りる方を先に思いつきそうな……それに何て言うか、思いつめたって顔でもなかったような……まるで……」

 もしあの子の死因が事故か自殺だったら本当に申し訳ないので、わたしは一瞬口ごもった。

「まるで、真剣な悪戯でもしてるみたいな」

「……度胸試しみたいなことをしてたかもしれないって言うんですか。陣さんの友達は、親がそばにいたって言ってませんでした? 滅茶苦茶叱られそうなのに、親の前でそんなことする子供がいるとは思えませんけど」

 轟は咎めるような目でわたしを見ている。いつも穏やかに笑っていた唇は、それ以上言いたくないみたいにぎゅっと結ばれていた。

「でもほら……どうしても親の注意を引きたくて、とか……」

 少年の死を穢すような可能性を口にするのは我ながら気が引けて、最後は尻すぼみになった。首を縮めてもじもじしていると、それまでずっと黙っていた千歳がぼそりと口を開いた。

「……その子、どんな車を選んでたんですか」

 え、と振り返ると千歳はどきっとするような無表情で目を伏せていた。

「飛び込む車と見送った車があるって言ってたでしょう。違いは何ですか」

 自殺なら、飛び込む車まで選ぶ余裕が果たしてあったんだろうか。あれが悪戯で命が惜しかったなら、スピードが速すぎず大きくない車を選ぶように思える。

 男の子に気を取られてそこまで見ていなかったと答えると、千歳はもの問いたげな顔を轟へと向けた。

「……今から運転しろって言ってる?」

 千歳は満足そうに笑って、触れてみたくなるようなさりげない厚みのある唇から歯を覗かせる。轟は観念したように溜息をついた。笑顔の消えていた二人にいつもの表情が戻ったことに安堵していて、咄嗟にはその言葉の意味がわからずにいた。

「え? え? だって、講義……」

 轟がキーを、千歳が食べ終わった皿を手に席を立つその間で、わたしは交互に彼らを見上げた。

「気になって手につきませんって。それに運転は僕がしますって言いましたよね」

「ひろさんは比較文化論、いつも寝てるんだから同じじゃないですか」

 投げようとしたスプーンは、寸前で千歳に取り上げられてしまった。そうなるとテーブルの上に残っているのは、はちみつ梅干の入ったプラスチックケースだけである。

 千歳は悠々とそれを見下ろして、にやにやした。

「武器じゃないって言いましたよね?」

 ローキックを見舞ってやった。



 針のような松の葉も、潮風に吹かれて揺れていた。五月にしては温かな日差しが降り注いで、優しい土の匂いがしている。事故現場の松林に並んだ花束にもうひとつ花を添えて、手を合わせた。

 ほどなくして松の後ろから男の子が現れ、道路を行き交う車列を見つめ出した。

(これが普通よね。呼んでも噂してても頑固に出て来ない陣って、相当のひねくれ者……)

「いたいた」

 言うと、轟と千歳は頬を強張らせて二、三歩後じさった。話には聞いていても、実際目の前に霊がいると聞くと怖いらしい。けれど男の子の方は、わたしたちなど見向きもせずに車が来るのを待ち構えている。

 念のために話しかけてみたけれど、ちらりとも振り向く気配はなかった。亡くなってしまった幼い瞳がじっと車道を窺っているのを見ていると、目頭が熱くなった。

(泣かないで、しっかり見なくちゃ……)

 少年が飛び出すたびに合図すると、轟がその車のスピードの緩急や特徴をノートに書き留めていく。たまに通りかかる歩行者が疑わしそうにじろじろ見ると、千歳が交通調査でーすと笑顔であしらった。

 こいつの笑顔は信用ならんということを、改めて胸に刻む。

(だけど、この子やっぱり、自殺には見えないなあ……)

 落ち込んだり悲観したりといった様子はない。だからと言ってリラックスしてるわけでもなく、高い飛び箱を前にして緊張しているような顔をしている。

(轟には悪いけど、ひどい悪戯のつもりだったんじゃないかな……)

「ひろさん、もういいですよ」

 突然、千歳が苛々と吐き捨てるように言った。普段は不必要なほどににこにこしている千歳だけに、その勢いに驚く。

「何で? 僕には、速さはバラバラみたいに見えたけど……」

 首をひねる轟のノートを覗き込んだ。千歳は不機嫌そうに海を見たまま黙っている。どうしちゃったのかと焦りながら、急いで紙面に目を走らせた。

 走り書きされた車名を追ううちにふとあることに気付いて、わたしは胸底が冷たくなっていくのを感じた。

「高級車ばっかりだ……」

 今朝、部屋にいる時から千歳が寡黙だったのは、これを予期していたからかもしれない。

 千歳はゆっくり振り向くと頷いた。

「そいつ、わざとやってんですよ。当たり屋」



 轟と千歳が言い争ってるのを、初めて見た。

「この辺は高級住宅地なんだから、高級車が多いのは当たり前だ。 何でそんな風に疑うんだ」

 轟の口調はゆっくりと落ち着いていたけれど、その低さが怒りを含んでいることを物語っていて逆に怖かった。

「悪戯なら、わざわざこんな見通しの悪い場所を選ぶ理由がねえだろ! 横断歩道を渡ってる歩行者を轢くってのはな、青信号を渡ってんのを轢く次に車両側の責任が重いんだよ。 当たり屋にとってこんな絶好の場所が滅多にあってたまるか!」

 対する千歳は投げて捨てるような言い方で、いつもが丁寧な口調だけにこれまた怖い。

「近所に住んでるかもしれないのに、決め付けるのはどうかと思う」

(やめて……)

「じゃあおまえの車で通ってみろよ。そいつが飛び込んできたら、間違ってるって認めてやるよ」

(やめてよ……)

「わかった、待ってろ」

「二人ともやめてっ!」

 叫ぶと、肩を怒らせて歩き出しかけていた轟の足がぴたりと止まった。

「喧嘩しないでよ! 何で喧嘩しなくちゃならないの? あんたたちが喧嘩したって、この子が浮かばれるわけじゃないのよ!」

 彼らに見えないことを忘れて、思わず指差した。少年は相変わらず、淡々とループ作業を繰り返している。

「言わなきゃ良かった。泣いた理由なんて、この子のことなんて話さなきゃ良かった! 二人が喧嘩してるとこなんて、見たくないよ……」

 涙腺は、一旦緩むとなかなかすぐには締まらなくなる気がする。涙もろいわけでもないし泣き顔を見られるのは大嫌いなのに、どうしようもなかった。意志とは反対にどんどん落ちてくる涙を手の甲で拭う。

「ひろさん、すいません。仰せの通りです。つい熱くなっちゃいました、許して下さい」

 千歳はえらく変わり身が早かった。ぺらぺらと詫びの言葉を並べながら、ハンカチを探し回っている。綺麗にアイロンのかかったコットンシャツに申し訳ないと思ったけど、とりあえず胸を借りてみた。

「すぐ謝るくらいなら、最初からしなきゃいいのにい!」

「それって喧嘩を止めてるんですか、勧めてるんですか……」

 苦笑混じりに言って、千歳はよしよしと頭を撫でてくれる。

(……なんかこいつ、女を泣かし慣れてる気がする……)

「僕も、すいません……悪かった、千歳」

 しおらしさが圧倒的に好印象の轟のニットシャツに乗り換えると、千歳が探し当てたらしいハンカチを振り回すのが見えた。

「ああっ、ひろさん、何で移動するんですかー!」

 轟は昨日と同じように、泣き付いてきた女性をどうすればいいのかわからずにおろおろしているようだった。

「轟、そういう時は肩のひとつも抱くもんだぞ!」

 わざとらしい小声で千歳が耳打ちしている。轟はおずおずとわたしの肩に右手をかけた。

(……遠慮深いんだから)

 それが微笑ましくて、二人がいつの間にか元通りに仲良くしてるのが嬉しくて、わたしはもうちょっとそのままでいたくなった。


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