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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い最終号 ―永誉―
35/39

… 3 …

… 3 …


『今朝はどうも。ご挨拶が途中でしたが、私、永誉と申しまして。このたび守護霊見習いを仰せつかり――』

 完全に忘れてた。丸刈りでやけに溌剌とした守護霊見習い待ちの存在を。そんな名前だったっけ、エイヨなんて珍しくも偉そうな名字。

「こんばんは、見習いの話なら来週に聞く。今はテスト期間だし、もう寝るから」

 時計は深夜一時を回っていて、フローリングにいそいそと来客用布団を設置していた千歳がギクッと硬直した。

 轟も千歳も霊視力を持ってはいないけど、霊の存在を信じて慣れてきてくれてる一方、二人にとって不可視で未知な霊たちにまだ恐れも抱いている。

 永誉さんは藍色の甚平を着てて、ちょこんと正座してると若いお坊さんみたいな雰囲気だ。袖をまくってシタタタタタ、と雑巾で床磨きに走り出しそう。見習い霊が報酬として部屋掃除してくれたらどんなにいいか。

『来週でも再来週でも、ええこちらは全く構いませんです。そうですか試験ですか、学生さんの本分ですもんね、頑張って下さい!』

 カラリとした笑顔で素直に応援されると拍子抜け。今までの見習い霊には問答無用で巻き込まれて、後でいいなんて爽やかに遠慮してもらったことなんてなかった。

「それでいいの? 心残りとか未練とかあるんでしょ?」

 つい逆に居心地悪くなって、訊ねてみたりしてしまう。

『とんでもない。私は現世の人様に迷惑をかけたりしませんですよ、ハイ』

 何だか話がうますぎる。絹さんがこんな扱いやすい見習いを寄越したりするんだろうか、裏があるんじゃないかと疑いたくなってくる。いつもは未練を残した霊が見習いとして送られてくるはずなのに。

『それでは、おやすみなさい。私はこれでしばし失礼します』

 ぺこりといんぎんに頭まで下げ、永誉さんの姿は消えた。聞き分けが良くて話の分かる見習いなんて、慣れてなくって落ち着かない。展開を話すと、へえ珍しい、と千歳まで怪訝そうにした。

「だからってひろさんがウズウズしたりしないで下さいよ、せっかく向こうが急がないって言ってんだから」

 ものすごく読まれている。

「で、邪魔者は消えたんだよね?」

 枕元のスタンドだけ残して明かりを落とした途端、千歳がベッド際へにじり寄ってきた。困らすことはしないと宣言したくせに、早速困らされそうな予感。明らかに頼みごとをしようと企み顔の千歳から、警戒して距離を取る。

 だけどその頼みごとは予想外なものだった。

「刺し傷の痕、見せて」

 刺し傷といえば一つしかない。金縛りの犯人と目されている竹原が生前、わたしの下腹に残していったものだ。

「そんなもの見てどうするの?」

「……痕になってんだ」

 誘導尋問に引っかかった。

 刺し傷の痕、どうなった? って聞かれたら、残ってないって答えただろうに。千歳はこの刺し傷は自分のせいだと思ってる節があるから、痕になってるって知られたくなかった。

「見て気合入れようと思って。はい脱いで」

「脱ぐ必要なんかないでしょ! まくれば見えるんだから!」

「じゃあ、まくって」

 またしてもうまく誘導されてる。見せる気はないのに、まくらなきゃいけない状況になってる。

「あ、明るすぎる? この位でいい?」

 楽しくてしょうがないって様子で勝手にスタンドの向きを調整し、わたしの逃げ道をふさいでいく千歳。傷を見るのに暗くするなんて、行動が矛盾してる。

「脱がないしまくらない! この話はおしまい、おやすみっ」

「それって、脱がせてってお願いかな。ごめん、女の子にそんなこと言わせて」

 言ってない。そう怒鳴ろうとして、千歳の肩越しに異変を感じた。

「あのう、千歳。取り込み中、悪いんだけど」

「なに? 俺としては、ずっと取り込んでたいんだけど」

「霊が来た……」



 昨晩、シロに威嚇されて霊が消えていった壁際の一角。教科書やバッグが積んである辺りから白煙のようなものが立ち昇り、ゆっくり人の形になった。

 どろりと濃い霊気が溢れてきて、透明なドライアイスみたいに足許で波打つ。この霊は日に日に力を増しているようだ。

「俺の後ろにいるんですか」

 一気に緊迫した小声で千歳が聞いてくる。振り返る勇気はないみたい。わたしの腕を掴んだ千歳の厳しい顔つきは、背後に怯えてるんだか庇おうとしてるんだか微妙なところ。

 風に流されるようにすうっと音も立てず、霊は千歳を避けるようにして回り込んでくる。

「来ないで、バカッ」

 怒鳴りつけたところで、霊はかしこまりましたとUターンしてはくれなかった。

 どうせ金縛りにされるなら起き上がってた方が息が楽かもしれない。そう気付いて上体を起こしかけたところで、ズシンと重みに押し潰された。

 昼間の横断歩道で足が動かなくなった時は、腰が百倍の重さになったような気がした。今度は背骨が軋みそうに重い。重いというより痛い。分厚い空気の層で締め付けられているみたいで、魂まで搾り出されてしまいそう。

 魂の代わりなのか、その一部なのか。かろうじて呻き声が喉から漏れるのが、ラジオのようなノイズの向こうに聞こえた。耳鳴りじゃない、霊が発してる音。こんな音、昨日はしなかった。やっぱり相手はパワーアップしてる。

 もしこの霊の来訪が続いたら、この霊の力がもっと強くなったら。金縛りで死んだ人なんて聞いたことない、という自説が危うくなる予感がして怖くなる。

「ひろさんに近付くな!」

 不意の一喝が、雲を払うようにノイズを断ち切った。

 千歳が霊を押しのけるようにして抱え込んでくれる。確かな存在と体温は何て安心するんだろう。さっきまでは千歳を危険視してたのに、すっかり逆転してることに気付いて急に可笑しくなった。

 笑いが霊の勢いを削いだのか、金縛りの悪質な重みは渋々離れていく。

 肋骨がたわみそうな圧力で制限されていた呼吸は解放の反動で咳を引き起こし、気管が鳴りそうなくらい咳き込んだ。

「大丈夫?」

 背中をさすって、ここに至って千歳はようやく正義のボディガードっぷりを発揮してくれた。

「ふわー、痛かった……」

 思わず呟く。疲れてくたっと寄りかからせてもらった千歳の肩の向こう、白い影がしつこく待ち構えているのが見えた。

 地縛霊だって、一度追い払えばその場は退散するものだ。この霊は地縛霊じゃないくせに、どうしてこんなに長く留まっていられるのか。よっぽどわたしへの遺恨が強いのか、それとも拠り所でもあるんだろうか。

 そもそもこの霊は竹原なのか誰なのか。

「まだ痛い?」

「憑座……」

「え?」

 憑座。ヨリマシともノリクラとも言い、霊が降りる際に媒介とするもの。霊媒。霊媒体質の人を指すことが多いが、人に限った呼称ではない。何らかの理由で霊が寄りやすい器物の場合もある。

 神道では神が降りるための媒体を憑代と呼び、それがご神体であったり、古くは巫女であったりしたのだ。正月の門松にも福をもたらす神々の憑代としての意味があるとされる。

「竹原を呼んじゃうようなもの、この部屋にある? 念が篭もっちゃうようなもの」

 竹原の持ち物なんてない。竹原が執着した金庫内の横領資産、その一部としての金貨ならある。けれど財産にこだわるなら、わたしより多く資産を掠め取ったはずのリョウや、正当な持ち主である旧財閥資本家のところへ化けて出たっていいはずだ。

「あるよ」

 わたしには見当も付かずにいたのに、千歳はあっけらかんと言い切った。びっくりして振り仰ぐ。

「ビクトリノックスのキーホルダー。竹原はあれで、恨み篭めてひろさんを刺したんだよ。ひろさんの持ち物の中で唯一、竹原が触った物なんじゃない?」



 ビクトリノックス・スパルタンライト。わたしはこのアーミーナイフをキーホルダーにしている。かつて千歳に女の子らしくないと文句を言われ、竹原がわたしを刺すのに使ったもの。定位置はジーンズの後ろのポケット。

 昼間の横断歩道で腰を掴まれるような金縛りをかけられたのは、ポケットにあるビクトリノックスを憑座にしたからと考えると納得できる。

「それ、どっか部屋の外に捨てて来て。バッグの中にあるから、鍵を外して」

 金縛りをかけに来る霊は部屋の壁際から現れたり消えたりしていた。そこはいつも鍵や財布を入れたバッグを置いてある場所。霊は憑座であるビクトリノックスから出没していたんだ。

 千歳は即座に言った通りにしてくれた。人目に触れないよう、駐車場の片隅へ投げ込んできたらしい。部屋に留まっていた白い影は、千歳がビクトリノックスを持って外に出たあたりで薄れて消えた。

 せっかく二人きりなのに次から次へ邪魔者ばかり、などとぶつくさ呟いて玄関を戸締りする千歳が珍しく頼もしい。

「ありがと……助かっちゃった。わたしが憑座持ったら憑かれそうだもん。霊感のない千歳だから捨ててもらえた。ビクトリノックスだってすぐ見抜いてくれたし」

「ご褒美に、合鍵くれてもいいですよ?」

 ついさっきまで真剣そのもので緊張みなぎらせてたのに、千歳はもういつもの調子を取り戻してる。立ち直りと切り替えの早さは千歳の長所だと思う。

「鍵じゃないもので考えとく。それにしてもビクトリノックスが憑座ってことは、あの霊は竹原で確定かあ……」

 さすがに竹原を守護霊見習いに引き受けたくはない。竹原の未練はすなわち、わたしを殺し損ねたこと。手伝うのは遠慮したい。

「キーホルダー、お祓いでもしてもらって処分して下さい。第一、刺すのに利用されて血まみれになったものを使い続けてるのが理解できないっ」

 千歳のお小言劇場開演。

「だって自分の血だもん。せっかく千歳がきれいに洗ってくれたし」

「洗うんじゃなかった。あの場で捨てとけばよかった。新しいキーホルダー買ってあげるから、あれをまた拾って使うとか絶対やめて下さいよ。絶対絶対」

 さすがに今回ばかりはそんな気分にはなれない。

 お小言絶賛上演中の千歳は胡坐の上に頬杖ついて、はーと不機嫌なため息をこさえた。

「あいつ、ずるいよな。ベッドに上がりこんで、俺より先にひろさんに乗るなんて」

 どういう理屈ですか。

「俺のひろさんに触るなってんだよ」

 フン、と冷淡な鼻息を漏らしたりしてる。どさくさに紛れて、俺のなんて言ってるし。

 こんな軽口は、場を和ませようとする千歳の気遣いなんだろう。だから俺の発言は指摘しないであげとく。なだめたらすんなり機嫌を直すのも、最初から計画されてたようなスムーズさだ。

 信用してボディガードしてもらって良かったと素直に思う。

 もともとの寝不足に千歳やリョウとのごたごた、竹原ショックや金縛り疲れと重なって、体力も気力もすでに限界。ベッドに横になると、体がシーツもマットレスも突き抜けてフローリングまで沈んでいきそうだった。

「今度こそ寝る……おやすみ」

「おやすみ」

 囁くような優しい声がした。

「俺が何しても起きないくらい、ぐっすり寝てね」

 やっぱり信用ならない。


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