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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い最終号 ―永誉―
33/39

… 1 …

… 1 …


 金縛りは胸が重くなるのが定番コース。

 濃い空気で肌を押してくる感覚が霊気で、それをもっともっと強力にした感じ。気圧が一気に増したみたいに、じわりぐぐっと圧力がかかる。プールの底に沈められた気分が近い。

 手や膝で力をかけるような物理的一点集中の重みじゃない。ましてや金縛りという単語が表現する、鉄の鎖で縛られる束縛感でもない。

 金縛りをされるとしゃべれないのは、恐怖で声が出ないのでも、声帯が働かなくなるのでもない。重さのあまり発声に必要な量の空気を肺に引き込むことも、吐き出すことも出来ないから。浅い息の中で、どうにか呻き声をやり繰りするのが精一杯。

 何にしたって楽しいものじゃないのは確実。

 不穏な霊気の接近は金縛りの前兆。寄って来るなのオーラを発して追い返す。だけど霊気を察知できないほど熟睡してたら、金縛りの苦しさで目が覚めるなんてこともある。

 まさしくその不快な起こされ方をして、うんざりだった。

 丑三つ時に仰向けでというのがメジャーだけど、来る時は横向きだって昼間だって来る。その点、三日ほど前から現れるようになったこの霊は律儀というか古典的というか。真夜中、わたしが深い眠りに入った瞬間を狙ってるかのようだ。

 テスト期間中の今は毎晩遅くまで勉強――いわゆる一夜漬けというのに追われていて、睡眠不足が慢性化してる。ようやく目途が立って、あるいは諦めがついてベッドに潜り込んだところだというのに。

 連続訪問で相手の姿は確認済み。小柄の男、その程度しか判別できない濃いもや状の白い塊。

『眠いんだから放っといてよ!』

 声が出せなくても、霊に意思を伝達する方法はある。頭の中から何度も抗議を繰り返した。

 霊感持ちのわたしにとって、金縛りなんて日常茶飯事。部屋に霊道が通ってた頃は特に頻繁だった。

 霊道があるとそこを通行中の霊が、ふと道を外れては寄ってくることがある。仏壇のお茶を飲んでいったり、話しかけてきたり、金縛りをかけていったり。守護霊である絹さんが神主さんを呼びつけ、霊道の軌道を上空へとずらしてくれてからは、そういった道草霊現象も一気に減っていた。

 ところが現世と同じでしつこく存在を主張したがるでしゃばりなヤツはいて、この金縛り霊もそういう類に違いない。無視していればいずれ諦めてくれるだろうと思ってたのに、日増しにキツくなるのが腹立たしい。

『ほんとに迷惑だから、どっか行ってー!』

 脳内の叫びが我が飼い猫シロには通じたらしい。いつもは霊を怖がって物陰に隠れているシロ。意を決したように走り出てくると、尻尾をふくらませてシャーッと盛大に威嚇した。

 渋々のように白い人影が動く。胸の上からするりと流れ落ち、フローリングの上を滑って部屋を横切る。そして教科書やバッグを積んである一角で、凝縮するように細くなって消えた。

 霊の勝手な振る舞いと息苦しい重さからようやく解放され、疲労の中で何度も深呼吸をする。

「シロ、いい子……明日、海老入り猫缶あげるからね」

 やっぱり怖かったのか、小さくなってふるふるしているシロを撫でながら今度こそ眠りを貪った。



『おはようございます。私、本日より守護霊見習いとしてお世話になりま――』

「帰って下さい……」

 叩いてアラームを止めた目覚まし時計を、そのまま投げ付けてやろうかと思った。勉強と金縛りによる寝不足で起きてみれば枕元に幽霊が待ち構えてたなんて、実に実に爽やかでない朝だ。

 重い瞼をねじ開けて見てみれば、三十代くらいの痩躯の男が床の上でちんまり正座している。

『ほらほら、若者らしくシャキッと起きましょう! 窓を開けて深呼吸して、さあ新しい一日の始まりです!』

 朝からこのノリと元気。生前は体育教師か、早朝のニュースキャスターか何かか。パンパン、なんて耳元で手を叩かれてる。わたしは鯉じゃない。

 眠気も吹っ飛ぶほどの美青年ならともかく、スキンヘッドというより丸刈りと表現した方がぴったりな頭を一瞥しただけで、起きる価値なしと判断。毛布を頭まで引き上げて枕に頬ずりし、また眠気におぼれていく。

『起きないなら、目覚ましをかける意味はありませんよー』

 分かってないなあ。

 二度寝の幸せを味わうために目覚ましをかけるのだ。一回目のアラームで起床する人は、毎朝味わえるはずの幸せをみすみす逃している。

『とりあえず自己紹介でも致しましょうかね。私、永誉と申しまして。ひろサンの、あ、ひろサンとお呼びしていいですか? いいですね? ひろサンの守護霊見習いをさせて頂きますので、ひとつどうぞよろしくお願いし――』

 一人で話を進めていた溌剌幽霊男の口上を振動音が遮った。前期期末試験期間に入ってから毎朝恒例になっているモーニングコール。枕の下から手探りで携帯を救出する。

『ひろさん、おはよー。配給だよ』

 いつの間にかタメ口が標準になってきた千歳。朝だよじゃなくて、メシだよと言われるのが情けない。

「食欲ない……気持ち悪い」

『――俺の子だよね』

「コーヒー飲みすぎたの!」

 わたしと千歳が妊娠及びつわりの可能性が生じるような関係になったことは、一度たりともない。千歳は、わたしをからかうことにかけては朝っぱらからでも実に頭が切れるのだ。

『轟、メシ何だっけ? ……野菜餃子入りの中華粥だって。おっ、轟シェフ特製のネギ油が登場! じゅわって音、聞こえる? いい匂いだなー。アジアの食いもんって、胃よりも本能が満たされるよなー』

「……食べます」

 習慣に近くなるほど繰り返されてる、こんな朝。



「すごいくま出来てる」

 ドアを開けてすぐ、千歳は形のいい眉をしかめた。あったかい両手で顔を挟まれ親指で両目の下をマッサージされると、眠気で意識が飛びそうになる。すぐに密やかな声が右耳に滑り込んできた。

「俺のメニュー変更しちゃおうかな。俺の耳に」

「起きた起きた、起きました」

 千歳の言う『俺の耳』はわたしの難聴な左耳の代名詞。食べられないように手で庇いつつ、部屋に上がりこんだ。ここは一〇三号室、千歳の部屋だ。

 千歳と、同じく一階に住む轟とは大学どころか学年も学部もアパートも一緒で、わたしたちは四六時中つるんでいる。ごはんを食べる、買い物する、勉強する、彼らはもう生活に欠かせない存在になってる。

 千歳はスレンダーでしゃれてて彫りのはっきりした顔に強い瞳、となかなかいい男だと思う……外見は。社交的で世慣れてて気遣い屋で、隣にいると楽しい……すぐに人をからかう癖がなければ。

 口八丁手八丁、って千歳のためにある表現じゃないだろうか。何かにつけ口説いてくるし、付き合うって返事してないのに何度キスを持っていかれたことか。

「遅くまで勉強してたんですか? あまり無理しないで下さいね、単位落とさない程度でいいんですから」

 心配そうに小首を傾げながら中華粥のおわんを差し出してきたのは轟。お粥の、食欲を刺激しすぎない穏やかで肌に染み入るようないい香りは、轟の優しさそのものみたいだ。

 もしわたしが前世で犬を飼っていて、その犬が人間に転生したとしたら、轟こそがそうなんじゃないかと思うことがある。例えればゴールデンレトリバー。色素の薄い柔らかそうな髪も、人懐っこく下がった目尻も、マイナスイオンを放出してる笑顔も、友情に厚くてどこにでもせっせと付いて来てくれるところも。

 ファミレスの厨房バイトで鍛えてる料理テク、そして生来の世話好きによって、轟はわたしたち三人のコックという位置が定着している。背が高くてどこか西洋的な顔立ちをしてるから、シェフの服が似合いそう。医者一家の生まれで一般人より医療に詳しく、医者も似合いそう。いずれにしろ清潔白衣系。

 普段は腰が低くて頼りなさげなんだけど、いざとなると意外にしっかりしてて包容力がある。とってもいいヤツなのにどうして彼女がいないのか、世の中の女の子は見る目がないもんだとしみじみ不思議だ。わたしが男で轟が女なら、間違いなく惚れちゃうと思うのに。

 轟が出してくれたお粥と胃薬で、胃壁はすっかり機嫌が良くなった。



 寝不足時においしいご飯でお腹一杯になると、どうなるか。寝る。

 この単純明快な公式に従い、轟の愛車アコードの助手席に座るか座らないかで記憶が吹っ飛んだ。それでも体のどこかは移動の気配を把握しているらしく、大学の駐車場に停めてるところでちゃっかりと意識が浮上する。

「せっかくそんなに疲れるまでテスト勉強してきてんですから、本番中に寝ないように」

 あふあふとあくびを空に逃がしてると、千歳が本気の懸念顔で念を押してきた。

「んー、実はテスト勉強で寝不足なんじゃなくて……ここんとこ毎晩、金縛りにあうんだよね」

 校舎は道路を隔てた丘の上だ。横断歩道に向かいながら伸びをする。

「うわ……それ、こないだ儲け損ねた絹さんのお仕置きか何かですか?」

 三ヶ月ほど前だったか、守護霊見習いに金縛り状態にされたのがよほどの恐怖体験だったらしい轟が、鳥肌の立った腕をさすりながら聞いてきた。

 守護霊である曾祖母の絹さんは霊界でのポジション強化のためだか儲けのためだか、いずれにしろ自己中心的な理由でわたしに守護霊見習いなるものを押し付ける。守護霊見習いとは成仏したものの守護霊を務めるには未熟な霊で、絹さんは彼らの霊的成長をわたしに手助けさせるのだ。

 面倒だし大変だし危険だし、迷惑なだけだった。今はそうでもない。

 強引な絹さんのやり方には納得できないものの、見習い霊たちが心残りを晴らした時に見せてくれる笑顔は、悪くない報酬だと思える。それにこれが世の中に対してわたしが出来る、数少ない貢献かもしれないのだから。

「絹さんだったら若作りの匂いがするから分かるもん。金縛りは別の人……あたっ」

 べしん、と後頭部をはたかれた。振り仰いでも誰もいない。轟も千歳も前を歩いている。呼びかけても滅多に反応しないくせに、絹さんが悪口を聞きつけて報復にやってくるスピードは恐るべき速さである。

「とにかく金縛りは放っとく。重くてウザいけど、金縛り放置して死んだ人なんて聞いたことないし」

「ひろさん、場慣れしすぎ……」

 青信号の横断歩道を渡りだす。交差点を曲がってくる車がいて、三人して足を速めた。駐車場の少しでも校舎寄りな場所を確保したいから、学生ドライバーの大半はせっかちだ。歩行者の背後ぎりぎりをすり抜けようと、ゆるゆる動いて迫ってくる。轟ならしっかり停止して待つのに。

 その時だった。がくん、と腰を掴まれたみたいに動けなくなった。

 一瞬にして下半身が足元のアスファルトと同化されてしまったように、有り得ない重さが加わる。同時に背筋をざわりと抜けていく濃い霊気。金縛りだと頭の隅が気付く一方で、耳は悲鳴のようなブレーキ音を聞いていた。


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