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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い四.五号
32/39

Key Race

… weekday …


「どうして知らせてくれなかったんだい、リョウ。赴任先が変わったって、年賀状に書いただろう?」

「んなもん、いちいち覚えてるかっての」

 苦虫ついでにフィルターも噛む。短くなった煙草を踵で捻り潰すと、見ていた神宮寺は呆れ顔でそれを拾い上げた。

「ポイ捨てはいけないな。しかも勤務中で、他所様の敷地じゃないか」

 煙草はいけないな――懐かしい響きだ。こいつはクラスメイトでもないくせに屋上まで追っかけてきては、いちいち説教くれやがった。流石にこの年になると煙草はいけないとは言わないが、説教するポイントが変わっただけの話だ。

 神宮寺は制服のポケットから出した携帯灰皿に、ぼろぼろになった俺の吸殻を収めた。まるで鑑識が重要な証拠をビニール袋に落とす時のような、慎重で真摯な手つきだ。

 その携帯灰皿には、見覚えがありすぎるほどあった。

「まだ使ってんのか。物持ちいいにも程があるぞ」

 戦隊ヒーローみたいな、熱血が形を持ったらこんなんだろうという精気に満ちた神宮寺の顔が怪訝そうに傾いた。そいつだ、と新しい煙草の煙を手元に吹きかけて示してやる。

「ああ、灰皿か……思い出深いじゃないか。何人もの、何本もの煙草がここを仮の宿としたかと思うと」

 何が仮の宿だ。校舎内、煙草やサボリを説教して回った副産物に過ぎないのに。それを思い出深いなんて微笑まれると、ケツが痒くなってくるんだが。

「嬉しくねえほど変わってねえなあ、神宮寺」

「その名前は伏せてくれって言っただろう、リョウ?」

「いいじゃねえか、警視庁副総監の息子殿」

 警察官になりたいんだ。殺人事件を見事に解き明かす刑事もいいけれど、町の交番で人生の道案内をするような、ね――そう語られた時は、素で飲んでたもんを吹いた覚えがある。

 だが、神宮寺という名前はありふれているとは言えない。警視庁副総監と同じ名字では、望まぬ特別扱いを受けるかもしれない。だからこいつは、わざわざ母親の旧姓になってまでそれを回避した。おかげで望み通り、平穏無事に地域密着型熱血警官でいられるというわけだ。

「学生時代から、君はそうだな」

 俺を君呼ばわりするのはこいつくらいだ。思いっきりウンザリな顔をしてやった。

「遠慮なくぶつかってきてくれる。俺の親父が警視庁副総監だからって渋々手を引く奴らばかりだったのに、君だけは本気で殴りかかってきた」

 ところが、その親父仕込みの柔道とボクシングで返り討ちに遭った。学生時代の思い出したくない屈辱的出来事ナンバーワンだ。実際カウンターを食らった後のことは、思い出したくても記憶がブッ飛んでいるが。

「生憎、キレると周りが見えなくなるタチでな。それだけの話だ」

「……傷害で執行猶予中なんだって?」

 そんな憂いの目で見ないでもらいたい。そのせいでヤキ入れ損なったヤツがいるんだから、憂いたいのはこっちだ。

「知ってんなら聞くな」

 ハハッと明朗快活笑顔に、逆にゲンナリさせられる。

「良かったよ。止めてくれるいい友人が出来たみたいで」

 理沙の勤めてた美容院での一件を言っているらしい。調べやがったな、こいつ。友人とか言われてんのは、ひろのことかと思い当たる。

「まぁ相棒っつーか、妹みたいなもんだな」

「相棒? 君んとこの鍵屋、バイト雇う余裕あるのかい?」

 もしかしてこんなチンケな仕事にわざわざ俺を駆り出したのは、資金繰りを心配してのことだったのか。確かに表の鍵屋なんてろくに稼動しちゃいないが、それを説明してやる必要はない――特に、血統書つきの警察犬である神宮寺には。

「遅えな、執行官」

 競売物件の強制執行は、執行官の立会いなしには解錠出来ない。規則や裁判所の役人なんぞクソくらえだ。神宮寺でなけりゃとっくに帰ってる。

「リョウが引っ越してきてくれて助かったよ。今まで依頼していた鍵屋のじいちゃんが、夏はつらいと言い出してね」

 神宮寺は長身の、見るからに頑丈そうな背を屈めて、ぶ厚い金属扉のドアノブを覗き込んだ。

「それに、君はディンプルキーと聞いても顔色を変えなかったしな。カバもマルチロックも開けられる鍵屋なんて、そうそういるもんじゃない」

「ほお」

「ははっ、企業秘密はあまり詮索はしないでおくよ」

 本業が裏稼業なのは最初から予想されてたらしい。幸いにもさらりと流された。追及を免れてせいせいしていると、ああそれからと事のついでみたいに切り出された。

「この礼と言っちゃ何だが、君んち周辺の不審者はよく見張っておくから安心してくれ。通報があれば、何を置いても俺が一番に駆けつけるさ……ああいう事件の怨恨は長引くものだからね」

「……おう」

 ああいう事件と言われても心当たりがありすぎるが、恐らく理沙のことだろう。何だかんだ言い訳して引っ張り出して、結局は力になるぞと伝えたかっただけなのか。本当に、こいつのおせっかいは変わってない。

 この土地に引っ越してきたのは、まぁそれをアテにしてた面もなかったとは言えないのだが。こうはっきりと申し出られると、認めづらいものがある。転属の知らせを記憶してたことさえ。

 俺自身はルールなんてもんを無視して稼いでんだから、それに守られようなんてムシのいいことは考えちゃいない。だが理沙は違う。理沙をこっちの領域に引き込む気はない。

「神宮寺が手錠プレイの最中に鍵失くしたら、俺が出張してやるよ。大負けの三割引でな」

「有難いと言いたい所だが、そんな趣味はない……ああ、執行官のお出ましだ。煙草を消してくれないか」

 無言で捻り潰した吸殻を、正義漢の指先がまたも律儀に拾い上げた。



 俺は間違い探しが得意だ。

 ただし好きでやってんじゃない。高頻度でやらされてりゃ得意にもなる。しかも三次元の記憶問題。出かける前と帰宅後と、部屋のどっかが変わってねえか、だ。

 忌々しい予告メールが来ていた。必ずどこかが違うはずだ。

「……あちー」

 熱血警官と炎天下、解錠作業なんぞやらされて汗だくだった。冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを掴み出すと、それを手に二十畳のリビングを眺め渡した。

 テーブルには理沙のアクセサリーに、読みかけのファッション雑誌。これは異常なし。ステレオ――は先週、どんなCDを入れても美空ひばりが歌い出したから、同じところはもうやらねえだろ。

「……どこだ」

 テレビのリモコンの赤外線がレーザーポインタに替えられたのは事前に見つけられなくて、俺の仕業だと理沙にあらぬ誤解をされたままだ。セブンスターのカートンから雪駄が出て来たのは引いたな、オヤジギャグか。カレンダーに理沙の安全日を書き込まれたことも……何で知ってんだあの野郎。俺でも覚えてねえのに。

「どこだ……」

 リビングをにらみ回しながらペットボトルをあおる。途端に口内に広がるは、強烈な苦味。

「がはっ! にがっ! 何だこいつはっ」

 平日のこの時間、アツが電話に出ることはあまりない。気が向いて授業に出てるのか、引きこもって売り物にする盗撮ビデオでも作ってんのか。俺んちに機材を使いに来たんなら後者だろうが、まあ、そんなことどうでもいい。俺がアツに望むのは迅速な対応と正確な仕事、それだけなんだからな。

 とにかく、解毒剤が要るなら買ってやるから出せとメールすると、簡潔な式が返って来た。

『ミネラルウォーター=スプリングウォーター=温泉水』

 ミネラルウォーターと無色透明の温泉水をすり替えておいたらしい。確かにミネラルウォーターも温泉も湧水だから、同じスプリングウォーターだが。

「ツール使いに入るのはいいが、ついでに悪戯するためだけに温泉水用意すんのか、あいつは……粘着だな」

 自宅の一室をオフィスにしたのも、アツに解錠テクを教えたのも間違いだった。気付いても遅すぎる。後悔と一緒に、何度うがいしても味蕾に引っかかるように残る苦味を、今度こそ飲料用のスプリングウォーターで胃に流し込む。

 アツからのメールには続きがあった。

『相棒見習イ召喚求ム』

 また何か企んでるらしいな。



 呼び出せばすぐやって来るという点じゃ、ひろには相棒の素質アリ。問題は仕事をする気がないことだが、そこは俺達がちょいと細工してやれば済む話だ。ひろの極めて単純明快な思考回路のおかげで、今日も首尾は上々だ。

 携帯の留守電を再生すると、怒りのメッセージが続々と飛び出してきた。

『二十分遅刻ー! 他人んちの鍵を性懲りもなく無断で交換した上に、遅刻までするなんて信じられないっ』

『もう三十分経ってるんだけどっ。遅れるなら遅れるで、一言連絡くれればいいのに。この駅前広場、日当たり良すぎて干からびそうなんだから……うー』

『六時になっても来なかったら、近所の鍵屋さん呼んで開錠してもらうからねーっ』

 時計の表示は五時五十分。いい塩梅だ。車の窓越しに、道路を挟んで向かい側の広場へと双眼鏡を向ける。不機嫌のどん底な顔で腕組みしているひろが見えた。番号を呼び出す。

「おー、ひろ。悪い、行けそうになくてな。鍵は鍵穴に差しといたからな」

『……ふざけるのも大概にしてよ、この不良変態……』

「あのなー、変態変態言うがな、俺は極めて平均だ。俺に言わせりゃ優男の方がおかしいぞ。あいつ枯れてんのか?」

 煽ると、話題を変えるなとか盛大な文句が返って来た。こうも素直に反応してくるひろを相手に、色男は一体何を手間取ってんだか。

 肩を怒らせたひろはバス乗降場に移動している。その数メートル後ろを、ターゲットもついて来ていた。発車間際のバスを前にして、ひろは言い足りなさそうに最後の怨嗟を漏らすと通話を切った。ひろと、続いて背を丸めた中年小男がバスに乗り込むのを視認してから、慣れた番号へと繋いだ。

「ひろは部屋に向かったな。しっかり撮っとけよ、アツ。こっからがキー・レースだ」

 乗降場を出発したバスが隣を抜けていく。ひろに見つからないよう、車のシェードをずらして顔を隠す。その隙間から、ちらりと小ずるそうな中年男の横顔が見えた。アツの不興を買ったのが運の尽きだったな、と内心で弔辞を述べてやる。

「さーて、色男の仏頂面見学といくか」



 相棒にする気はさらさら無いが、こいつもまた思惑通りに動いてくれる奴だ。開店したてでまだ客もまばらなバー・Poison Appleの店内、色男は俺にビールを運ぶと、すぐ横で携帯を引っ張り出した。

「ひろさん? どうしてひろさんを呼び出した男が、ここで呑気に酒を飲んでんですか?」

 瞬時に、色男のしかめっ面が一段と険しくなった。受話器の向こうで騒がれたんだろう。すぐに通話を切られたらしい色男は、振り返ると期待したまんまの仏頂面をしてくれた。

「ひろさんを振り回すのもいい加減にしろよ」

「おまえの許可でも要るってのか?」

 せせら笑ってやると、色男の目が放つ光がますます険悪になった。本気でつまみ出してやろうかと考えてるな。

「おまえはあいつの小姑か。優男の方がよっぽどうまく立ち回ってるぞ」

 詰まってやがる。どうやら自覚があるらしい。

「おまえ、あれだろ。名言集をひろに聞かれたくないのって、こっ恥ずかしいからじゃねえだろ。ひろには知られたくないこと言っちまったからだな……『轟にも譲れないから』、だったか?」

 優男も気があると知ったら、ひろは『彼女になって』という色男の頼みに返事するのを、ますますためらうだろう。出来ればひろが気付かないうちにモノにしちまいたい、というのが色男の本音ってとこじゃないのか。

「ほんっと悪趣味だな、盗聴野郎」

「あれはひろも合意の上だから、盗聴じゃねえだろ。気付かなかったおまえが間抜けなだけだ」

 睨んでる睨んでる。だが俺に対抗しようなんて百万年早いんだよ、色男。

「……これだけは言っとく。今度ひろさんに大怪我させるようなことがあったら、警察に突き出してやるからな」

 こいつが俺を毛嫌いする理由は幾つも思いつく。そのうちの一つがこれだ。色男にとって俺は、想定ミスを犯してひろを命の危険に晒した大罪人だからだ。それはあながち間違ってはいないのが痛恨だ。

「あのなあ……俺だって、ドア一枚隔てた向こうで女が死にかけたのがどんな気分か、知らないわけじゃねえんだ」

 俺が鍵屋になった理由を、こいつはひろ経由で聞いているらしかった。容赦なく注がれていた鋭い眼光が、ほんの僅かに緩む。

「それに、ひろが俺に惚れるのもまぁ当然といえば当然だが、一人で盛り上がっちまっただけだろ。そういきり立つな、みっともねえ。そら、もう一杯持って来い」

 飲み干したグラスを押し付ける。心底嫌そうな顔をしながら、色男は黙って引っ込んでいった。あの様子じゃ、今この瞬間もひろをダシに使ってるなんて知ったら、本気で蹴りつけてきそうだ。



 優男というオマケを連れて、ひろはやって来た。ひとしきりワーワー怒っていたが、これしきで俺との付き合いを絶つような女じゃない。結局こいつは、一回首を突っ込んだ相手に対しては、呆れるほど面倒見がいいのだ。絹とかいうばーさんは、そういうひろの性格を見抜いた上で面倒事を押し付ける確信犯だ。

「今度から絶対絶対、近所の鍵屋さんに開錠してもらう」

「無理だな。おまえの名前は、日セフ連のブラックリストに載せてある。防犯連もだ。どの鍵屋もおまえの依頼なんぞ引き受けねえぞ」

「……悪魔……」

 色男が熱心にひろを慰めてやっている。例によってあいつに近付くなとか説教もしているらしいが、いい加減無駄だってことを悟って欲しいもんだ。これだから、諦めて従う優男の方がうまく立ち回ってる、っつってんのに。

「おい、優男。目の前でひろが色男に取られんの、見過ごす気か?」

 困ったような笑顔で二人を眺めていた優男に、声を低めて聞いてみる。ゆっくり振り向いた瞳は、とっくに考え尽くした人間の穏やかさを湛えていた。

「見過ごすも何もないです。僕は、見守るだけですから」

 それは、色男をか、ひろをか。

「友達のままでいたくはないが、友達でさえいられなくなるなら、友達のままでいる――とか、尻込みしてやがるのか?」

「……僕がどうしようと、ひろさんが誰を選ぶかは、ひろさんが決めることです」

 ジジくさいぞ、優男。何も仕掛けなくても、好かれる時は好かれるって理屈か。ま、仕掛けまくってはあしらわれてる色男を観察してりゃ、ひろに対してはそれが賢いやり方だろうが。

 煙草をふかしながら、優男の落ち着いた横顔を眺めた。自信があるからこその発言とは思えない。ただ純粋にそう信じてるだけだ。こいつは絶対に、ひろに打ち明けたりしないだろう。

「一生、気付かれないかもしれねーぞ?」

 答えないまま小さく笑った優男は、それでもいいと言っているように見えた。老成しすぎだろ。

「性欲も独占欲もないのか、おまえは。不健康だな、干上がるには早いぞ」

 その時、アツからメールが入った。

『任務完了 撤収ス』

 事はうまく運んだらしい。ニヒルに唇の端を吊り上げるアツが目に浮かぶ。





… weekend …


『……うちに盗聴器ですか』

 ひろの声には、たっぷりと静かな怒気と諦観が含まれていた。驚かないだけの理由を与えたのは、他ならぬ俺だな。

『そうです。これは盗聴電波受信機でしてね。ま、世の中には盗聴で使用される周波数の帯域ってものがありまして。方向探知アンテナを使いますと、設置された盗聴器の場所が割り出せるんですな』

 へりくだってはいるが、鼻につく男の声。デカいトランシーバーみたいな受信機を振りかざして見せているに違いない。

『私は盗聴電波の発信源を突き止めて、取り外す手伝いをしとるんですよ。調査代金と工事料金で、今すぐ取り外し可能です。見ず知らずの人間にプライバシーを侵害されるのは、気持ち悪いでしょう? 女性の一人暮らしではなおさら、防犯には気を付けないと……』

『いくらですか?』

 男がもったいぶって提示した金額に、ひろは一瞬黙り込んだ。金は持ってるはずなのに、相変わらず高額には耐性がないらしい。

 ここで断られるとマズい展開だったのだが、昨日さんざん怒らせといた甲斐があった。ひろは、お願いしますと言って盗聴器除去業者の男を部屋に上げたようだ。

「俺らが盗聴電波を出すような、チャチな無線式盗聴器なんぞ仕掛けると思ってんのか、ひろは。シロウトじゃねえんだぞ。あいつには華麗な盗聴テクを、徹底的に仕込んでやらないといけねえな。なあ?」

 ひろのアパートの裏に停めたワンボックス、運転席でチュッパチャップスを舐めているアツに同意を求めた。紺色のキャップの下で、アツは目を細めてモニターに見入っている。画面には、部屋の中でアンテナを大げさにあちこちに差し向ける男と、不機嫌そうにそれを見守るひろが映っていた。

 目覚まし時計、ブレーカー、電話線、室内灯などなど、盗聴器が仕掛けられやすい場所を男は順繰りに検査していく。電源の付属したものに設置するのは、半永久的な盗聴には不可欠な条件だからだ。

『分かりました。これですね』

 ややあって男は屈むと、三又ソケットを指し示した。

『こういった、コンセントの周囲に設置するタイプは多く出回ってるんですよ。誰にでも簡単に入手可能ですからね』

 ひろは男の手元を覗き込んでいる。取り外したソケットにアンテナを寄せて、電波がそこから発信されているのを見せてもらっているようだ。

『……つまり、アマチュアの仕業ってことですか?』

 首を傾げたひろの質問が、男には意外だったらしい。アマかプロかを聞かれる可能性など、考えてもいなかったのだろう。

『まあ、そりゃ、こういったものはほんの僅かな隙に設置が可能ですからね』

 答えになっていない答えに、ひろは眉を寄せている。俺がアマチュアでも設置できるような盗聴器を仕掛けるわけがない、と不思議に思っているに違いない。ま、これくらいは疑問視してくれないと、相棒に引き込もうって側としちゃ逆に不安だ。

『それじゃ代金を頂けますかね?』

 金を渡す映像は、アツのモニターにばっちり映し出されていた。アツの唇が薄く笑っている。こいつはこれからいそいそと、ひろの顔にモザイクの加工処理を施すはずだ。

 一仕事、区切りのついた時の煙草は格別だ。ふかしながら、露見しない自信がある盗聴器から転送されてくる音声を絞った。当分、それを外してやるつもりはない。

「これでめでたく、ドッグフードができたな」





… a few days later …


 うだるような、いやむしろうだりきった昼下がり。またしても執行官は遅れている。執行官の遅着で作業を始められずに困った顔をする不動産屋を見るのが、自分の権威を確認する術だとでも思っているのか。くだらない。

「おい、神宮寺。次からは執行官が来てから俺を呼べ」

 文句と共にガムを吐き捨てた。苦笑する神宮寺はティッシュでそれをつまみ上げ、お得意の携帯灰皿へ落とし込む。

「すまない。あの人は、自分が最後でないと気が済まないらしくてね」

「しかも何だよ、ありゃただの南京錠じゃねえか。あんなもん、鍵屋を呼ばなくても捻じ切っちまえばいいだろ」

 今回の物件は、相当にボロい家屋だった。ドアなんぞ一発で蹴破れそうだ。

「そういうわけにはいかないって、君も知ってるだろ? ……ところで、リョウ。先日、俺宛てに映像ファイルが届いたんだ。中身は、とある悪徳業者の犯罪現場を押さえたものでな」

「ほお」

 通りを行き交う車を眺めながら、適当に相槌を打つ。

「その男は探偵の看板を出しているが、そっちはどうも不調らしくて、副業を始めたらしい。それが女性の部屋に侵入して盗聴器を仕掛けては、後日何食わぬ顔で盗聴器摘発業者を装って再訪し、料金を騙し取るというものなんだ」

「ほお」

 煙草をくわえて、火を点ける。

「映像には、その男が駅前広場で被害者を物色し、尾行して家を突き止め、留守を狙って盗聴器を設置し、後でそれを外して金を受け取る一連の自作自演が全て記録されていた。おかげでやっこさん、すんなりと罪状を認めたよ。棚ぼたで俺の功績にしてもらったわけだが――」

 視界の隅で、神宮寺がこちらを向いたのが見えた。

「俺は、匿名でその映像を送ってきた人間に心当たりがあるんだ。どう思う?」

「阿呆か、俺が知るか」

「ははっ、それもそうだな。……で、どうしてその匿名の鍵屋は、不届きな探偵崩れを告発したんだと思う?」

 神宮寺の口調は嬉しそうだ。もう今更、否定する気も起きない。

「さあな。いつの話か知らねえが、探偵とやらがたまたま本当に盗聴器を発見して金取ってみたら、被害者の女はどっかの粘着変質者が気に入りの覗き相手だった、とかじゃねえのか」

「正義の鉄槌じゃなくて私怨だと? それにしても、映像ファイルの送り先に俺を指名する必要はないわけだ」

「――だから、俺が知るか」

 それより、騙しておとりに使った事情をひろに説明したあと、どうやって機嫌を取ろうか。やっぱメシだな。焼肉と冷麺のうまい店にでも連れてくか。

 通りの向こうに執行官の姿を見つけて、俺は息をついて立ち上がった。あのくそジジイ、今度俺を神宮寺と二人っきりにさせたらタダじゃおかない。熱気の立ち込める夏空の下、こいつの話に付き合わされるなんて暑苦しいことこの上ない。

「煙草を消してくれないか、リョウ」

 無言で吸いさしを弾き飛ばす。どうせ、どっかの熱血が拾うだろ。


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