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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い四号 ―理沙―
30/39

… Tuesday …

… Tuesday …


「爆睡してましたねー」

 火曜日最後の講義終了を知らせるチャイムが目覚ましだった。教授の話なんて一切記憶にない。隣にいた轟は呆れるのを通り越して、感心しているらしい。

「だってもう、霊がぺたぺたぺたぺた歩いてくのがうるさくって。エロオヤジみたいのが立ち止まって、じーっと覗き込んでくるし……ふわあ」

 頬についてしまった、枕代わりにしてたテキストの線をさすりながら、大あくびをかます。

「だから俺の部屋に泊まれって、あれほど言ったのに。酔い潰しちゃえば良かった」

 ますます眠れないに決まってる。寝ぼけて焦点が合わないのだが、とにかく千歳を睨んでおいた。

 アパートに帰ると、ローテーブルの上に万札がブチまけられていた。リョウが経費くれたらしい。きちんとアポ取ってベル鳴らして、茶菓子と一緒に詫び入れつつなんてのはハナから期待していない。だけどせめて郵送とか振込みとか、勝手に鍵開けて現金バラまく以外の方法は思いつかないのかっ。

「それにしても金銭感覚どうなってんの……」

 下着の弁償にどうして七桁の現金が必要なんだ。

 でも、こんなに要らないと言ってもリョウの気持ちなんだろうし。断ったって以前みたいに、流されてしまうに決まってる。せっかくだから下着を買いつつ、轟と千歳にたっぷりおごってあげよう。

 誘おうとアパートの階段を下りていくと、一階の外廊下でその二人が何やらもめていた。

「あっ、ひろさん……すいません、僕見てませんからっ」

「バカ、黙っとけっ」

 わたしの姿を認めた轟が、わたわたとCDを差し伸べてきた。顔が真っ赤だ。それを千歳が留めて押さえ込んでいる。

「何か、すごーく嫌な予感がするんだけど……」

 札束をわたしの部屋に撒いたついでに、リョウは何か妙なモンを轟と千歳の部屋に投下していったのではないだろうか。轟がわたしに謝るということは、その中身がわたし関連であることは間違いない。

「ちょっと千歳! それが何なのか白状しないと、今すぐ名言集お取り寄せしちゃうからっ」

 名言集というのは、おじいちゃんの事件の時に千歳が知らず知らずのうちにマイクに吹き込んでしまった、わたしへの悪口やら、もしかしたら照れくさい言葉の数々が収録されたCDである。千歳はそれをわたしに聞かれるのを異常に嫌がっていて、取り寄せると脅すと大抵素直に言うことを聞くのだ。

「あーもう、何で言っちゃうんだよ、轟」

 はー、と残念至極そうな溜息をついてから、千歳はわざとらしい爽やかスマイルを浮かべた。

「ひろさん、ターコイズ色の下着、おニューでしょ。前に見た時はなかったもんね」

「……はっ?」

 千歳は顎をさすって、わたしを眺めながら何やら違うものを見ているようだ。

「ナースの制服も似合ってましたよー。これがまた、嫌でたまんないような顔してるのが妙にツボで……」

 待て待て待て。轟はまだしも、千歳はわたしがそんなの着てたとこ、見てないはずなのに。しかも下着って。

「すっごい至近距離で撮られてましたよ。着替えてる時に気づかなかったんですか? あれは固定カメラじゃないですねー。なあ、轟」

「や、そんなちゃんと見てないからっ……」

 さっきは、見てないって言わなかったか、轟。ちゃんとという副詞がつくと、見ることは見たってことになるんだぞ。

「えっ……まさかロッカー?」

 リハビリセンターで、看護婦さんの制服を借りて着替えてるとこを盗撮されてたらしい。だってあの時はわたし以外に誰もいなかった。掃除のヤンキーさんが入ってきたことはあったけど……掃除の……。

「ああっ! あいつサンバイザーで顔隠してた! 体格からすると、アツが変装してたんだな。あのくそド変態っ……」

 携帯でリョウ経由に文句つけてやろうと、びゅっと回れ右する。

「ひろさんの可愛いお尻、もらっていいんですかー?」

 駆け上がる階段の下から、のんびりとした千歳の声がした。いけない、回収せねば。

「……千歳は胸よりお尻が好きなの」

「見えないとこが一番好き」

 いやらしさの欠片もない、野球少年みたいな笑顔で即答される。爪先を踏んでやった。

「いてて、何考えてるんですかー。性格って意味なのに」

 嘘つき、と突っ込む気も起きずに、黙って手を出す。

「はい、どうぞ。お返しします」

 轟と千歳と二枚分のCDを、千歳はやけにあっさり引き渡した。

「……まさか、コピーしてないでしょうね」

「まっさかー」

 轟がぶんぶん首を横に振る隣で、千歳は両眉をひょいと上げてみせる。あまりにわざとらしいんですが。

「したんでしょ、千歳!」

「まー今夜こそ泊まってくれたら、したかどうかくらいは教えてあげてもいいですけどー」

「千歳ーっ!」



 外廊下を含み笑顔で逃げ回る千歳を追い立てていたら、妙な気配がした。きょろきょろ見回すと、頭上の空、すなわちわたしの部屋がある二階の高さを通る霊道が、徐々に動いている。

「……上がってる?」

 今日、地震があった記憶はない。どこかで大規模な道路工事でもしているんだろうか。

 ゆっくりと上昇していく霊道を歩く霊たちが、何となく興味ありげに振り返って見ているらしい方向を目指して走り出した。

「ひろさん、どこへ……」

「もう単独行動はさせねーからっ」

 轟と千歳も追ってくる足音がする。アパートを出て前の道を折れ、霊たちの視線を辿って駆けつけた先は、空き地だった。先日まで古くて大きな屋敷が建っていたところだ。白いテントが張られ、何やら十数人ほどが集まっている。

 覗くと神座が設けられていた。その周囲に立てられた青竹にはしめ縄が巡らされて、白い紙垂が揺れている。お神酒や米などの神饌は、えらく存在感のある神主さんによってすでに撒かれたあとのようだ。更地の隅に米粒が散らばっている。

「地鎮祭……」

 見上げると今やビル数階分の高さにまで上昇した霊道は、やっと動きを止めて落ち着いたようだった。この分だと、わたしの部屋からも霊道は遥か上空へ移動したに違いない。

 固まっていた人の輪がざわざわと解け、どうやら地鎮祭は終わったようだ。直会が始まるのだろう、人々がテントへと向かいだす。その中にいた神主さんが、ふとこちらを見た。

「あの人、かなり偉い役職の人だと思う……」

「何で分かるんですか?」

 わたしが地鎮祭など急に見に来た理由が分からなかったのだろう。不思議そうな顔をしている二人に耳打ちすると、ますます不思議そうにされた。

「神主さんの袴の色ってね、階位で決まってんの。よく見かける白とか浅葱色って階級が低いの。階級が上がるとまた色が違ったり紋がついたりするんだけど、あの白に藤の丸紋がついてる袴は確か一番上の特級……」

 しゃべってるあいだに、その特級神主さんがひょこひょこ近づいてきたので黙る。高貴さ滲む袴でなければ、近所で盆栽の手入れでもしてそうな、人の好さそうなおじいさんだ。すっかり白髪なのに、身のこなしはやけに軽い。それでいて、周囲を圧倒するような気を発していた。

「これはどうも。あなたの守護霊様でしたか」

「はい?」

 にこにこと、眼がしわに埋もれそうなほどな笑顔でいきなりそんなことを言われる。霊のことだけじゃなく、わたしに霊感があることまで分かってるみたいだ。只者じゃなさそう。

「実はですな、こちらの地鎮祭は先週の金曜日に予定されておったのですがな。行く者行く者、ことごとく追い返されて来たんですわ。道に迷わされたり、事故に遭ったり……いやいや事故と言いましても、大した事故ではございませんがな」

 金曜日……というと、わたしの部屋に霊道が移動してきてしまった翌日だ。

「それがどうやら霊障らしいちゅうことでな。話が出来る者がその霊に伺いましたところ、この地に霊道が通っとるから、動かせるだけの力を持った者を寄越せっちゅうことでしてな。さっきまでそこで見張っておられましたぞ。海老茶色のお着物を召された、年配の女性でしてなあ」

 ああまた嫌な予感がする……。

「霊道を行く者が、自分の供物である大福を盗み食っていくと、そりゃあご立腹なご様子でしてな。いやよほど大福がお好きとみえる」

「すいません、それうちの絹さんです……」

 くらっとして、額に手を当てつつ白状した。

(絹さん、霊道の移動に協力してくれたのはいいけど……神主さんに霊障を負わせてまでしなくてもっ……)

 まあ、絹さんらしいといえば絹さんらしいやり方ではあるが。何しろ絹さんのこしあん大福への愛着は、執念に近いものがあるのだ。

「そのようですな。それでこの老骨がはるばる参上したっちゅうわけですわい、はっはっは」

「す、すみません、ご足労をおかけして。あの、こちらの方々にもお詫びした方がいいですよね。それからその、謝礼なんか……」

 絹さんが神主さんを次々に追い返したせいで、ここの地鎮祭が金曜日から四日も遅れてしまったことになる。ぺこぺこ頭を下げると、特級神主さんは老骨と自称するには豪快すぎる笑い声を上げた。

「なーに、心配ご無用。どうせこの土地に家を建てれば、二階に霊道が通ってしまうはず。それでは地鎮祭を執り行うわしらの面目が立ちませんでな、始めっからわしが参ればよかったことですわい。守護霊様に、なかなか面白い趣向だったとお伝え願えますかな、はっはっは」

 インチキくさい霊能者と違って、地鎮祭に紛れて霊道を動かしてくれた親切な神主さんは、お金より絹さんの巻き起こした珍騒動に興味があったようだ……。

「ありがとうございます。そういえば霊道って、閉じるんじゃないんですね。浮かせたんですね」

「うむ、下手に閉じると道が詰まりますからな。霊が行き先に困るし、閉じた場所で霊障が起きるだけですわ。こうしてちょいと空に上げてやるだけで、霊も誰も困らずに済む。霊道を閉じるなどすぐ言い出すような輩は、信用せんことですな」

 振り返ってやると、危うくその信用ならない霊能者に相談しにいくところだった千歳が、呻きながら眉間を押さえていた。

「さて、ではこれにて失礼しますよ。はっはっは、いい退屈しのぎでしたわい」

 来た時と同様にひょいひょい、とリズミカルに特級神主さんはテントへ戻っていった。

「ひろさん、ひょっとして霊道動かしてもらえたんですかっ?」

 絹さんショックにぼんやりしていたら、肘を引かれた。振り向くと二人が喜色満面で覗き込んでいる。

「うん、そうみたい。もうずっと上の方にあるから、わたしの部屋には通ってないと思う」

「じゃあ引越ししないんですね?」

 うん、と答えると轟と千歳はハイファイブで歓声を上げている。引っ越さなくてよくなったのはいいけど、絹さんに大きな借りができてしまったという恐ろしさに気づいてるんだろうか、こいつらは。

『シロ』

 背筋をぞっと冷たいものが走り抜けた。やっぱ、猫を呼んでるんじゃないだろうなあ。今一番会いたくない人の、明らかに怒りを含んだ声に恐る恐る振り返る。

『おまえ、生霊を返したんだって? 一言の報告もなしに、勝手なことを!』

 案の定、後ろには神主霊障多発事件の犯人、絹さんがどーんと般若の顔で待ち受けていた。この人に、勝手だと他人を怒れる権利なんてないと思う。

「いや、だって今回は見習いじゃない……」

 一応弁解を試みているのに、絹さんには苦々しげな舌打ちであっさり無視された。

『おかげで賭けそこねたじゃないか。今度こそは失敗するだろうって輩ばかりで、大儲けできるところだったものを……バカたれ』

「は・い?」

 溜息と共に絹さんの口から、何だかとんでもない事実が語られた気配がしたのだが。

「まさか見習いで毎回わたしをダシに賭け……ちょっとどこ行くのよ、人の話は最後までっ……」

 ……聞いてもらえなかった。

「ひろさん、えーと落ち着いて、何かの冗談かもしれませんし……」

 絹さんとの喧嘩を察知したらしい二人は、さっきの喜びようから一転、まさに導火線が焼き切れそうな爆発物を前にしているかみたいに怯えた顔をしている。

「店長に頼んで、ディサローノじゃないアマレットも入荷してもらったんですよ! おごりますから、飲みに行きましょう!」

「……だから、いつでもそれさえ与えとけば機嫌が直ると思ったら間違いなのーっ!」



 酒さえ与えとけば機嫌を直すと思うな、とか言いながら結局Poison Appleに来たりするから、食べ物やお酒でどうにかなると思われちゃうんだろうか。

 途中、携帯で連絡を取ってきたリョウが、外泊許可をもらったという理沙さんを連れて加わった。理沙さんは警察の事情聴取があったとかで少し疲れた様子だったけれど、退院の話になると途端にクラッカーが弾けたみたいに笑顔になった。

「亮ちゃんがこの近くに美容院の店舗スペース借りてくれたの。あたし店長さんだって! どうしよう、ひろちゃん経営学部なんだよね。お店の経営見て!」

「いいのかよ、こいつの金遣いメチャクチャだぞ」

 リョウにだけは言われたくない……。

 それより銀行だの経済だの法律だのに実は詳しいリョウが見た方が、よっぽど儲かると思うんだけど。と言おうとしたら、そのリョウにアナコンダの眼で睨まれた。裏稼業のことはまだ話しちゃいけないらしい。

「あ、リョウ。あの弁償って有難いけど払い過……」

 また睨まれた。そうだ、生霊がいたことやアツが仕組んだことは、実体の理沙さんには伏せてあるんだ。相貌認知が回復した理由も、本人には何とかごまかして説明してある。わたしが関与して報酬をもらったことも口に出来ない。

「そういえばアツでしょ、あのCDを……」

 焼いたのは、と言おうとしたが唇の動きだけで殺すぞと言われた。アツの存在も話してないのか。きっと怪しい仕事で稼ぎまくってることを理沙さんに知られたくないんだろう。

 理沙さんは過去や、自分やリョウの気持ちに向き合ってやっと歩き出そうとしているところだ。何も今、そこに急いで色々荷を足す必要はない。リョウは理沙さんの防波堤になってるんだ。入院してる時だって、ずっとそうだったんだ。

 ころころ幸せそうに笑ってばかりの理沙さんの隣で、リョウは穏やかに寛いでいる。わたしといる時には見せない姿だと思った。

(だから最初から、リョウの彼女は理沙さんだって分かってたってば……)

 わたしもリョウに少しだけ傾いたらしい気持ちは忘れて、轟や千歳の気持ちに向き合わなくちゃ。見習いよりややこしい恋の話は、これから理沙さんがまた沢山教えてくれるだろう。

「どこらへんに住むの?」

 前の古いアパートは引き払って、かなり近くに越してくるらしい。事件が起きた街にはもういづらいだろうし、この近くならわたしがいるから安心なのかも。リョウがグラスの向こうから窺うようにこっちを見てたから、任しといてと頷き返しておいた。近親相姦のお誘いしてるんじゃないといいけど。

 これからは霊感のある者としてじゃなくて、ただの女友達として理沙さんと付き合うことになる。リョウも理沙さんも、友達としてのわたしを必要として、頼りにしてくれるのが嬉しかった。今まで見習いで関わった人たち、霊たちは、それが終わったらどうしても離れてしまっていたから。

 呪縛を解かれてやっと寄り添いあえた二人を、ずっと見守っていこう。



 十一時過ぎに飲み会はお開きとなった。

 前回はひろさんを送り損ねたばっかりに一晩中心配する羽目になった、挙句に喧嘩までした。と言って千歳はバイトが終わるまでわたしを待たせている。轟はシロが心配なので、とか急ぐ理由にならない理由で先に帰ってしまった。最近の轟は行動原理が謎だ。

 ソファで一人ぼーっと待っているわたしに気づいた店長さんが、気を遣って上がらせてくれたらしい。私服に戻った千歳はお先に失礼します、とカウンターで洗い物をする店長さんに頭を下げた。

 真夜中の繁華街を駅に向かうほろ酔いのサラリーマンたちの波を逆流して、アパートへと並んで歩きだす。十五分ほどの道のりだ。店が少なくなって住宅街に入り、ふと会話が途切れると、やけに虫の音が鮮やかだった。いい音コレクションに加えたいけど、虫のグロい姿を見てしまうと風情も半減だろうと即刻そんな考えは捨て去る。

 気づいたら、じーっと観察されていた。

「……ひろさん、大丈夫?」

「うん、酔ってないけど?」

 はー、と恒例行事になってきた長い溜息をつかれた。

「あの二人見てても大丈夫だったのかって聞いてるんですが」

「ああ、なんだ。うん、ちょっと羨ましいだけ。あ、理沙さんがじゃなくて……二人とも幸せそうでお似合いで、そういう相手がいるのっていいものなのかもなあって……」

 しまった。夜目にも千歳の眼がきらーんと光った気が。

「今、明らかに俺に餌投げてましたよね」

 投げてない投げてない。

「絶対釣ってましたよね」

 釣ってない釣ってない。だからそんなに嬉々として覗き込まないで頂きたいのですが。

「俺とひろさん、多分今回みたいな喧嘩いっぱいすると思うけど……うまくいくよ、きっと。賭けてもいいよ」

 急に思い当たった。最近、千歳ってタメ口もしゃべるようになってる。自信ありげで楽しそうな笑顔は、それに気づいてるんだろうか。

「何を賭けるの」

 アパートの前に着いたけど、進路をブロックされて立ち止まった。追い込み漁で釣られようとしてるのはわたしなのか。

「そうですね……」

 爽やかに迫るなー。肩に腕を回すなー。

「俺とひろさんがうまくいく方に、俺とひろさんがうまくいくことを賭けます」

 言われて、勝った場合と負けた場合を考えた。千歳が勝ったらわたしたちはうまくいってるってことで、負けたらわたしが手にする賞品は千歳とうまくいくことだということになる。

「……それってどっちにしろ、千歳とうまくいくってことにならない?」

 何か問題でもあるのか、と言いたげな顔をされた。

「そうですよ? これは賭けたもん勝ちなんです」

 呆れるのも忘れて笑ってしまった。千歳はわたしを怒らせたり笑わせたり、いつも元気にしてくれる。うまくいくよ、という言葉をちょっと信じてみたくなった。

「そのうち、同じ方に賭けたくなりそう」

 千歳は唸って星空を仰いだ。

「またそういう微妙な返事しますかー。ほんっと生殺しが好きなんだからな、ひろさん。きっと俺をMに調教するまで返事しないつもりなんだ」

 わたしが蛇みたいな言い方しないで欲しい……。

「忘れるのに利用してもらっていいのに……ま、いっか。ひろさん、あの部屋にいてくれるんだし。すげえ近くにいて、俺のことちゃんと考えてくれるんだし……」

 引っ越すくらいで騒ぐなんて贅沢だってリョウにからかわれたから、気にしたのかな。それとも、放置タイプのわたしに合わせようとしてくれてるのかな。

 わたしも千歳も、手探りでもこんな風に歩み寄り合えるなら、そのうちお互いの手を掴みそうな気がする。その時、わたしの左手首に腕時計は巻かれてないかもしれない。

「そういえばこの頃、耳のこと忘れてた」

 耳鳴りの具合や聞こえを、しょっちゅう気にしていたのに。

「千歳のおかげだね、きっと」

 ものすごい至近距離で、聖人君子みたいな慈愛に満ちた眼をして微笑まれた。ラストノートがふわりと香る。

「なら、お礼に見えないとこまで全部下さい」

 顔と台詞が一致してません。

「どうしてそうなるのよ!」

「いやもう自然の摂理で」

 どういう乱れた自然なんだそれは。っていうか肩に置かれてたはずの千歳の指先、いつの間にかキャミソールのストラップと肌の間に入り込んでるんですが。明らかに偶然じゃないと思うんだけど。

「あのー、何してんの、これ」

 何やらちゃっかり侵略してきてる場所を指したけど、千歳はしらっとして見ようともしない。

「気にしないで下さい。予行演習ですから」

 言いながら温かい指先はストラップを伝って、ゆっくり胸元に降りてくる。なぞる線がやけに生々しい。

「泊まらないって言ってるでしょ!」

 その手を強引に引き剥がしてやった。千歳お得意の、さらりと悪戯そうな笑み。

「ひどいな、俺いつでも本気なのにー」

 でも、口調は意外と真剣だった。

「…………」

 何気ない一言だったけど、ふとそこに答えがあるような気がした。

 どっちでもいいのかも。嘘でも愛想でも冗談でも、本気でしてくれるなら。本音を言わないなんてお互い険悪になったけど、それでうまく回るならわざわざ全てを暴く必要はないのかもしれない。理沙さんに全てを明かさず全てを負わせなくても、リョウが理沙さんと恋人同士でいるように。

「じゃあ、キスひとつに負けといてあげます」

 そんなことを考えていたら、千歳の言葉に反応するのが遅れた。断る前に支払わされた。



「ところで念のために聞いておきたいんですけど」

 勝手に回収されたお礼の仕返しにつねってやった腕をさすりつつ、千歳はやけに真面目そうにした。

 さっきまでわたしのストラップの下に潜り込んでいた指先は、封印するみたいに千歳のジーンズのポケットに突っ込まれている。こういう引き際に関しては、千歳は妙に紳士だ。ほっとしながら、うんと答える。

「轟と二晩も一緒で、どうだったんですか」

「あ、今回ねー、轟がいてくれてすっごい助かっちゃった! 医学のこと知ってるし、人の気持ち分かるし。轟がいなきゃ、うまくできなかったと思うな。アコードにたっぷりハイオク入れてあげな……きゃ……」

 わたしの脳みそのスペックを計るために、透視でもしてるのか。千歳の細められた眼に質問の意図と違うことを答えてしまった気配をムンムンと感じてしまったので、笑ってごまかす作戦に出る。

「そうそう、千歳と仲直りしろって諭してくれたの、轟なんだよ。千歳ってば愛されてるねー」

 千歳は同意しかねるように首を傾げた。

「愛されてるのは俺なのか、果たして……いえ、何でもないです」

――僕、嫌がってるのに見習いしちゃうひろさんの気持ち、分かってきた気がします。手伝いたいです――

 心配するんでも、千歳はとにかく絶対ダメだの一点張りだけど、轟は何だかんだでサポートやフォローをしてくれる。どうしてあんなに協力してくれるんだろう。轟には何の得にもならないのに。幽霊怖いくせに。

「実は轟って包容力あるよね。思ってたより大人って感じがしたなー……」

 リハビリセンターの屋上へ続く階段で、見とれるほど綺麗な眼をしてたっけ。そういえば千歳に隠し事するの慣れてるなんて、一体どんなことを隠してるんだろ。

(愛されてるねなんて、さっきは冗談で言ったけど、まさか轟って……まさかほんとに千歳のこと好きなんだったりして……?)

「……ひろさんって頭が良くて意外性の男が好みなんだ」

 考えてもみなかった可能性に脳をぐるぐるさせてたら、急にそんなことを言われた。千歳が不穏な雲行きを睨んでるみたいに、じーっと眼をすがめてるはどうしてだろう。好みの話をしてたつもりはないんだけど。

 問われてみると、本人が気づかぬうちに垣間見せた意外な一面というのには弱いかもしれない。ショーケースに飾られたアクセサリーより、自分がこの手で掘り出した砂金に価値を感じるみたいに。リョウが見せた情の深さや、轟に滲む頼もしさや、千歳がこぼす本音みたいに。

「意外って言えばアツも意外じゃない? 変態ってただのアホだと思ってたのに、影の首謀者で知能犯だったなんてね。一度じっくり顔合わせて話したら、結構面白いヤツかも……」

 形容しがたい呻き声が聞こえた。

「博愛主義もほどほどにしてください!」



 傷つき傷つけることを恐れ、自分だけの論理で鍵かけて、現実や気持ちに向き合わずにいるのは楽かもしれない。選択の余地なく、それが必要なことだってあるだろう。

 でもリョウは言った。どんな鍵だって最後は開く日がやってくる。鍵は何かを隠したり隔てるためだけにあるんじゃなくて……鍵という形を取って隠されたり隔てられてたものを、もう一度繋げるためにあるのかもしれないと。

 わたしはその鍵を持っているのだと。

 それがどういうものなのか、よく分からない。でももしリョウの言う通りなら、わたしは相棒を引き受けるだろう。現実の鍵屋ではなく、何かをもう一度繋げるためにいる鍵屋の相棒を。


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