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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い一号 ―陣―
3/39

… Monday …

… Monday …


 月曜日の一限は轟と一緒だ。別の講義に出る千歳と別れて、わたしたちは眠い眼をこすりながら簿記の講義に臨んだ。私語には厳しい教授なので、隣に座っている轟のノートのに手を伸ばして、勘定式貸借対照表の借方欄に書き付ける。

『今夜、アコードちゃん貸して下さい』

 昨日、運転させたくないと言ったばかりの轟は見るからに不安そうな顔をした。そして貸方欄にペンを走らす。

『いいですけど、まさか一人じゃないですよね』

 そのまさかである。

『ちょっとそこまでドライブをば』

 借方欄に加わった答えになってない答えを見て、轟は嘆息した。

『ドライブくらい、僕が連れてってあげますよ』

 アコードちゃんが大事なのか、周囲に迷惑をかけそうなわたしが心配なのか。両方だろうけど、その割合は聞いてみたいようなみたくないような。

 どっちにしろ本気で心配されると、断るのがひどく申し訳ない気がしてきて強く出れない。轟のこういう真摯なところに妙に弱かったりする。

『ありがとー! ガス代とごはんおごるから!』

 それより、と轟は声を潜める。

「負債って借方ですか? 貸方ですか?」

 ……どうにかしてやらなきゃいけないのは陣じゃなくて、轟のローンか簿記の単位か。



 月曜は店が休みで暇だからと、千歳も行くと言い出した。

「あ、デートなら遠慮しますけどー」

「違うって、ねえ、ひろさん?」

 簡単に焦って、おたおた否定する轟は可愛いやつだ。これが千歳だったら、聞くなよ野暮だなーとか言うんだろう。

「じゃあ、ちょっとそこで車停めて」

 轟にだけおごって千歳におごらないのも可哀想なので、資金調達することにした。

 夕焼け色に染まり始めた商店街の一角に路駐してもらって、まずは自販機でピース、そして路上の売店でスクラッチくじを買い込んだ。助手席と運転席の間のCDボックスにそれを広げて、百円玉でざんざんと削っていく。

「はい、これ夕飯とガス代ね。換金してきて」

 くじを押し付けられた轟がぽかんとしたまま降りて行くと、後部座席にいた千歳が残ったくじを指した。

「削ってないの、まだありますけど」

「いらない。それ、当たんないから」

「えー、じゃあ俺が削っちゃいますよ……あ、ほんとだ」

 どこをどう削っても当たらないくじであると確認して、千歳は珍しく驚嘆している。

「ひろさん、超能力者じゃないですか!」

 実を言えば、絹さんが教えてくれるだけである。生活費に困ると度々絹さんのお世話になっていた。御礼に大好物の大福を奮発して供えてあげるので、絹さんとは利害が一致しているのだ。

 そんなことをバラすわけにもいかないので、まあねと言葉を濁しておく。粒じゃないぞ、こしあんだぞと念を押しながら、絹さんは千歳の隣からすうっといなくなった。

 それと入れ替わるように、轟があたふたと運転席に戻ってくる。

「あの、これ八千円もあったんですけど!」

 よかったねーと言うと、轟は大きい方の紙幣をおろおろと差し出す。

「多すぎます。これ返します」

「いらなーい。そういうので現金のやり取りするの、きらーい。はい、さっさと車出して!」

 そんな風に言い出したら、わたしが絶対ひかないのは承知らしい。轟はしばらく一人でばたばたした後、御礼を繰り返しながら昨日は出て行くばかりだった財布に紙幣をしまった。

「ええとそれで、どこに行きたいんですか?」

 金はいいからテスト問題を当てて下さい、とうるさい千歳の頭を後部座席へ押し戻しているわたしに、轟が聞いた。

「渡瀬橋」



 そこに着く頃にはもう夜が忍び寄っていて、空気は初夏の宵独特の懐かしいような匂いがしていた。さらに潮風と来てはサザンでもかけながら窓全開で走りたくなるのだが、ぐっとこらえて目的地へ向かう。

 電信柱に表示されている住所と記憶の中の住所を見比べ、どうやらそれらしいカーブを見つけた。カーブそのものだと危ないので、近くの路地に停めてもらってそこまで歩く。

 海側のガードレールが一部分だけ新しいのは、薄く降りてきた夕闇の中でも一目でわかった。ガードレールの向こうは数メートルの高さの崖で、ごつごつした岩に砕ける波頭の白が際立って見えた。遠くには回り始めた灯台の光がちかちかしている。

 反対側はなだらかに丘に続いていて、その上に立ち並ぶ住宅街を海風から守るように松が植えられている。もう少し手前は防風林さえも切り開いた新興住宅地が広がっていたが、この辺りは高級住宅地ということもあってまだそこまで開発が進んでいないようだ。そのためか周囲から一段沈んだように暗く、車通りはあっても人通りは少ないようだった。

 釣り人のためにだろうか。古くかすんだ細い横断歩道が、ガードレールの隙間から降りていく狭い階段へと敷かれている。

「ひろさん、何かあるんですか? ひょっとしてブランド男んちがこの辺で、デュポンを返しに来たとか……」

「千歳」

 息を呑んでたしなめた轟には見えていたのだろう。そこだけが白々しく新しいガードレールに供えられた花束は、包まれたセロファン紙が潮風にあおられて哀しみを呟いているように聞こえた。

 しゃがみこむと、その横へ買ったばかりのピースの箱を置く。手を合わせても陣は姿を見せなかった。自分が命を落とした事故現場へわたしが来ていることに、気付いていないはずはない。

(勝手に調べて来たこと、怒っているのかもしれないな……でも……)

 突っかかってばかりで謝ることも知らない男。禁煙したわたしを通して煙草を吸いたがる男。そう考えればろくなヤツじゃないのに、気になってここまで来てしまった。あの若武者の役でもやらせたらさぞ似合うであろう、生意気な凛々しさ満点の顔が笑ったらどんなだろうだなんて想像までして。

(わたし、面食いなのかな……ブランド男も顔だけは良かったし)

 しばらくの間ぼんやりと波の打ちつける音を聞いていると、少し肌寒くなってきた。ふうとひとつ息をつき、勢いをつけて立ち上がった。

「ごめんねー付き合わせちゃって。さ、ごはん食べに……」

 明るい声を出して振り返ると、二人がおそろしく神妙な顔で俯いているのでびっくりした。

「ど、どうしたの?」

 彼らは気まずそうに視線を交し合っていたが、やがて千歳がガバッと頭を下げた。

「ひろさん、ごめんなさいっ! 俺、軽はずみなこと言っちゃって。事情も聞かずに儲からせて頂きました、なんて」

(は?)

 今頃何を言い出すのかと思っていると、轟までもが激しく頭を下げた。

「僕も、すいません! まさかブランド男さんが死んじゃったなんて思いもしなくて。あのライター、形見だったんですね!」

「はああああ?」



「謝って損しました。返してくださいよー」

「うーん、返してって言われて返せるものじゃないんだけど」

 近くのファミレスで、ブランド男はわたしが振った後もぴんぴんしてることを説明すると、轟は脱力し千歳は呆れて怒り出した。あの事故現場で亡くなったのは親戚の知り合いということにする。まあ、あながち嘘ではない。

 せっかく人がおごってるというのに、轟はいじいじと鉄火丼定食を突付いている。

「僕、天国からひろさんを見守っててあげて下さいとか祈っちゃいました」

 轟が祈った相手は間違ってても、内容はそのまま陣に届いててもらいたいものだ。結局、ちらとも出て来なかった。こうまで避けられると、守護霊の適性以前に人格の問題があるのは間違いない気がする。

「誤解させてごめんね。大丈夫、あのデュポンは形見じゃなくてちゃんと巻き上げたものらしいから!」

「うう……それはそれでグサっと刺さることを言ってくれますね、ひろさん」

 千歳は大げさに胸を押さえた。見ない振りをしてデザートのメニューを眺めていると、轟がふと言い出した。

「ひろさん、氷好きなんですね」

「え?」

 轟はわたしが無意識にゆるゆる回していたグラスを指していた。

「氷の音。水は飲まないのにずっと音立ててるから」

「あ……ご、ごめん。うるさかった?」

 にっこり首を横に振られて、わたしは自分の頬がかっとするのがわかった。

(轟っておっとりしてると思って油断してると、たまにやけに鋭いんだから……調子狂っちゃうなあ、もう)

「ひろさんがカクテルじゃなくてロックを飲みたがるのは、もしかしてそのせいもあります?」

 千歳に言われて考えてみると、確かにグラスを揺らすというのはわたしにとって大事な作業である気がした。

「そうかも。でも、こういう所のグラスっていい音しないね。アマレット用にいい音のロックグラスが欲しいけど、探そうとしたって食器売場で氷入れて音を試してみるわけにいかないし」

「そんなひろさん見かけたら俺、知らない人の振りしますよ」

 今夜の飛び道具はコースターだった。千歳によけられ、シートの背に当たって落ちたコースターを拾いながら、轟は悟ったような声で言う。

「その方がまだいいかも。僕はひろさんが室内用のししおどしを買うって言うから、デパートで聞きまわるのに付き合ったんだよねー」

「へ? ししおどしってあの、日本庭園とかでカコーンって鳴るやつ? あれの室内用なんてあんの?」

「あるの!」

 純粋に驚かれるのが恥ずかしくなって、わたしは二人の会話に割って入った。

「でもね、やっと見つけて動かしてもらったら、なんか違うの。あれはほら、日本庭園みたいに周囲のお膳立てがあって石なんかに反響して、初めてしみじみする音なのね。あれだけがフローリングの室内にあっても雰囲気なさそうだったから、やめちゃった」

「……それ、実物を眼にする前に気付くんじゃないですか、普通」

 和風ハンバーグについてきたナイフを掴むと、千歳はへらっと笑いながら急いでメニューの陰に避難した。



「翔太くんの、お墓参りの方はいいんですか?」

 ファミレスを出てとっぷり暗くなった駐車場をアコードへと歩いていると、思い出したように轟が言い出した。

「轟おまえ、ひろさんが今から墓に行くとか言い出したらついてくの? 肝試しにはちょっと時期が早いんじゃん?」

 冗談めかして言いながらも想像しただけで怖いのか、千歳がぶるっと肩を震わせた。だけどわたしが立ち止まっているのに気付くと、二人揃って振り返る。

「ひろさん?」

「翔太って誰?」

 轟はもともとぱっちりした目を、さらにぱちくりさせた。

「親戚の知り合いじゃないんですか? 名前も知らずにお参りしてたんですね、ひろさん……」

 言いながら向けられた千歳の呆れた視線をぶんぶんと振り払った。

「違う! 名前は陣! 翔太ってそれ、どっから出てきたのよ?」

「さっきの現場に供えてあった花束に、翔太くんへってカードが添えてあったのが見えたんですけどー……」

 言いにくそうに轟は首をすくめた。

(あの花束……陣にじゃなかったのか……)

 無言になった二人の視線の呆れ具合がMAXに振り切れているのは、痛いほどわかった。

「すみませんごめんなさい。さっきの場所に戻ってもらっていいですか……」



 轟が言った通り、花束に差し込まれたカードには翔太くんへと忌々しいほどはっきり書いてあった。小さなひまわりの間には、子供向けのおまけつきお菓子まで入れてある。

「同じとこで事故ったんだ……まだ小さい男の子だったみたいですねえ」

 お菓子を覗き込みながら、痛々しそうに轟が言った。

「そうみたい……」

(そこに煙草を供えちゃったわたしって……)

 さすがに自己嫌悪である。

 書き慣れないのか、翔の字がやたらと拙いそのカードをこっそり覗かせてもらった。

『こいのぼり、楽しかったです。来年からは、翔太くんのことを思い出しながらこいのぼりをします』

 五月五日より後の事故ということは、つい最近だ。

(ごめんね、一緒にしちゃって)

 心の中で謝りながら、ピースの箱をガードレールの隣の柱に移動させた。そして改めて、陣と翔太くんに手を合わせておく。

「そんな、死亡事故が起きるような急カーブじゃないのにな」

 やりきれないといった口調で千歳が呟くのが聞こえた。

 確かにそうだ。カーブだし対面一車線ずつの狭い道で見通しはききにくいけれど、前後に信号が多いから釣り人じゃなければ歩行者は何もここで横断する必要はないのに。

(陣はあの年で暴走族ってこともなさそうだから……単にスピード好きだったのかな)

 考えていると、不意にキューッと軽いブレーキ音がした。顔を上げると横を通過したばかりのシャコタンのバックランプが、ぴかっと白く光ったのが見えた。

 車はボンボンと野太い排気音を立てて、瞬く間にバックしてきた。

「ひろさん、下がった方がいいですよ」

 見るからにお行儀の悪そうな車が接近すると、千歳が車道とわたしの間に立った。スモークを貼った助手席の窓がウィーンと下がっていく。

 ……確か助手席にフルスモーク貼るのって法律違反だったような。

 窓が下がりきらないうちに、運転席から迷彩バンダナを巻いた頭が首を伸ばしているのが覗いた。

「あ、わりいわりい。ツレかと思っちまった」

 バンダナさんは、わたしたちの顔を見るとニヘラと笑った。何となくカマキリっぽいが呑気な笑顔に、わたしたちの緊張もほどけていく。千歳と並んでいる轟の強張った肩から、ふうと力が抜けるのが見えた。

「あの!」

 んじゃ、とそのまま走り去ろうとした車に慌てて走り寄る。背後で男二人のぎょっとした気配がわかった。

「ひょっとして、陣……さん、のお友達ですか」

 見開かれたバンダナカマキリさんの眼が、イエスだと答えていた。



「うそー、あいつにこんなマトモっぽいダチいたなんて聞いてねー」

 ダチじゃありません、陣はただの見習いです。

 と言いたくなるのをこらえて、親戚の知り合いでという例のごまかしを繰り返す。

「あそこで拝んでんの見えたからさー。陣のダチなら知ってるヤツばっかだからー」

 やっぱりそうか。

 事故現場で手を合わせてるのを見て車を停める人、しかも陣と似たようなヤンキー風情が無関係なわけないと思った。

「じゃあ事故現場って、ここでいいんですね。なんか、翔太くんって子への花束ならあるんですけど、陣……さん、のはないから本当にここなのか不安になっちゃって」

「ガキのは、あっち」

 カーブのど真ん中をブロックする形になっているバンダナさんは、後続車へ先に行けと窓から振って合図していた手で松林側を示した。翔太くんの事故も知っているらしい。

 言われて丘側のガードレールの向こうへ眼を凝らす。夜の闇に沈んだ松林の陰に、街灯の白い光を反射するセロファンがちらりと見えた。

(なんだ、あのひまわりの花束のほうが間違えてただけじゃない……)

「親が目ェ離した隙に、歩道から出ちまったらしーぜ」

「ここって、事故が多いんですね」

 眉があるんだかないんだかわからない男と長話を始めたわたしが心配らしい。轟と千歳は会話に入るでもなく離れるでもなく、所在なげにうろうろしている。

「んなことねーよ。陣がやっちまう前までは、聞いたことなかったぜ。陣がガキ呼んだんじゃねーの、あっはっは」

 笑い事になりませんって。

 陣がそんなことするような悪霊じゃないのはわかっているからいいけど、そういう類の霊とは関わりたくない。成仏できずにいる霊を見ることができても、それを『上げて』やれるのは修行を積んだ人だけだ。当然、修行を積んでいないわたしには出来ない。

「あいつバカだったからな……」

 バンダナさんはテンション高く笑ったあと、急に意気消沈して呟いた。いきなりの沈黙が胸に痛くて、急いで繋ぐ言葉を探す。

「あの。陣さんって、その……スピード狂だったんですか」

 何とか搾り出した話題がこれかと我ながら情けなくなるが、何とか沈滞ムードを変えたかった。

「いやー、走るのもだけどー、どっちかっつーとクルマいじりが好きだったんでないの。羽つけたりとかさ」

「羽?」

 話題のまずさにもかかわらず、バンダナさんは元の調子を取り戻したようだった。

「ウィング。レースカーによく付いてんじゃん」

 エアロパーツとかいうやつだろうか。飛行機のアレですかと聞かなくて良かった。

「本人は走りもイケてると思ってたくさいけど。プライド高いっつーの? でもこんなとこで事故っちゃなー。ほんとはダメダメだったんじゃねーのって、みんな言いたい放題でさ」

 その瞬間、陣が姿を現した。突然なうえ、怒気に満ちた顔にどきりとする。

 陣はわたしとバンダナさんの間の助手席に出て来たかと思うと、グーでバンダナさんのこめかみを小突いた。バンダナさんに陣は見えてなかったらしいけれど、それでも一瞬不思議そうに辺りを見回したところを見ると小突かれた感触があったらしい。

 首をかしげてから、バンダナさんは気を取り直したように続けた。

「ま、改造が好きだったんじゃね? 黄色のランサーに砲弾マフラーつけちゃってさあ。あーそうそう、前にいたずらで空き缶詰めてやったら、陣のヤロー……」

『ねえ、陣って何か心残りがあるから見習いさせられてるんじゃ……』

 やっと出てきたチャンスを逃すわけにはいかない。何やら昔話を始めたバンダナさんを無視して陣に話しかけようとする。なのに陣はフロントガラスから車道を眺めて、振り向きもしない。

 その横顔は、静かに何かを見つめていた。



(……えっ)

 何気なく陣の視線を追って、ぎょっとした。道路の向かい側、松林の間から、ふっと小さな影が出てきたのだ。十歳くらいのその男の子は疲れたような薄っぺらなTシャツに、しわだらけのカーキ色の半ズボンをはいている。

 だがその服は半透明で、背後の松が白いフィルタを通したように透けていた。

(まさか、翔太くん……?)

 少年は対向車線の車の来る方向をじっと見つめて、松の陰に佇んでいる。

(あっ!)

 叫びそうになってしまった。二、三台を見送った後、少年がいきなり細い横断歩道を車道へと飛び出したのだ。幽霊だとわかっていてもつい驚いてしまう。

 息を呑んで陣を振り返ったが、助手席のシートはもう空になっていた。見回しても、どこにもいない。

(逃げられた……)

 再び眼を上げると、少年が飛び込んだ車は何事もなく走り去っていく。バンダナさんは昔話を続けており、轟と千歳は少し離れたガードレールに腰掛けて話している。誰も気付いていないようだった。どきどきする胸を押さえて、平静を装う。

 尻餅をついていた幽霊少年は、上目遣いに虚空を見上げていた。それからたどたどしく起き上がり、また松の陰に立つ。そして首を伸ばして車の流れを覗き込み、何台かを見送った後、また飛び込む。すがるような眼で立ち上がり、また飛び込む……。

(やだ……)

 人が亡くなる寸前に何かに執着していると、霊になってもその行動を延々と繰り返していることがある。山の遭難者が、遺体が下山して供養されてもずっと山中をさまよっていたり、戦死した兵隊が銃を構えて何度も突撃しに走って行ったりするのだ。

(この子も……)

 繰り返し繰り返し車に飛び込む少年の姿と、流れるヘッドライトの光がぼやけていった。

(もうやめて!)

「ど、どうしたんスか? あの、すいませーん」

 バンダナさんが素っ頓狂な声を上げ、ばたばたと足音が近付くのが聞こえた。

「ひろさん、大丈夫ですか?」

 視界が水の中な状態だったが、それが轟というのは柔らかな、心配そうな優しい声でわかった。一瞬迷ったが泣いてるのはバレているようだったので、結局うわーんと胸に泣きつく。

「てめえ、ひろさんに何したんだよ!」

 後ろでびびってたはずの千歳が、バンダナさんに食ってかかっているのが聞こえた。

「知らねーよ! 陣の話してたらいきなり泣き出したんだって!」

「それくらいで、あのひろさんが泣くか!」

 ある意味、千歳の言うことは正しいのだが……気に障る。

「…………」

 轟は轟で無言のまま硬直している。どうすべきかわからずに無意味にあたふたしている手が見えた。

(こいつら、わたしを素直に泣かせてくれる気はないの!?)

「うるさいな! バカっ、バカバカっ、さっさと成仏しなさいよーっ!」


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