第二十一話 守るんだ
「―――では、本日はこれで終わりにしましょう」
柳井が告げると、堂本がハァーっと息を一気に吐いた。
「御主人様、大丈夫ですか?」
リリムが堂本に駆け寄る。
「うん、僕は大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ」
「今まで認識してこなかった事を頭と体で感じとろうとしている訳ですから、疲れるのは当然です。ただ、今の堂本さんならすぐに疲れる事もなくなると思いますよ」
柳井がニッコリと笑う。
「本当ですか!?」
「ええ、ですから、焦る必要はありませんよ。一度コツをつかんでしまえばすぐですから」
柳井はそう言うと、特訓に付き合わされ、ひどく疲労し、座り込んだ女性の方を向いた。
「あなたも、もう少し付き合って下さいね」
女性は無言で柳井から視線を逸らす。
「あの、大丈夫ですか?」
堂本が心配そうに尋ねると、女性は堂本を睨みつけた。
「大丈夫そうに見えるの?」
「えっ、えっと、その‥‥」
堂本が動揺してどもると、リリムが堂本を庇うように前に立つ。
「アンタ、御主人様に文句があるの?」
「‥‥別に」
女性はそっぽを向いた。
「アンタね」
リリムがもう一度女性に何か言おうとしたが、堂本が後ろからリリスの腕を掴んだ。
「御主人様‥‥?」
「僕は、大丈夫だから」
堂本がリリムに微笑む。
リリムはその表情を見て、言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
堂本が女性に手を差し伸べた。
しかし女性は、その手を払い、自分で立ち上がった。
「アンタね‥‥!」
「リリム」
再び食ってかかろうとするリリムを、堂本が再度制止する。
「ですけど」
食い下がろうとするリリムに対し、堂本は黙って首を横に振る。
「疲れたし、もう戻ろう?」
「‥‥御主人様がそう言うなら」
リリムはしぶしぶ堂本に従う。
女性がリリムを見てせせら笑うと、リリムが黙って睨みつける。
「行きましょう、柳井さん」
堂本が柳井に声をかける。
しかし、その場に柳井はいなかった。
「あの女なら、さっさと先に言ったわよ」
女性は柳井が立ち去った方を指差す。
「さっさと言いなさいよ!」
「別に、私に関係ないもの」
女性は淡々としている。
「御主人様、早く行きましょう!」
「う、うん‥‥どうしたの、急に?」
堂本が突然急かしだしたリリムに尋ねる。
「‥‥あの教師くずれが言っていたんです。この辺りは日が暮れると、野生の動物達が出てくると」
リリムはそう言うと、堂本の手を引き走り出した。
女性は、急ぐ二人のすぐ後ろを追いかけ始めた。
三人は、帰路を急いでいた。
突然、先頭を走っていたリリムが立ち止まった。
「リリム、どうしたの?」
「‥‥何かいます」
リリムが臨戦態勢を取る。
場の空気が、肌を突き刺すような緊張感に包まれる。
ふいに、がさりと右側の草むらから音がした。
堂本達がそちらを見た瞬間、草むらから男が襲いかかってきた。
『稲妻の弾丸』
しかし、リリムが呪文を唱えながら右手を振ると、放たれた稲妻が男に直撃し、
吹き飛ばされた。
「これ‥‥」
「また、山賊みたいですね」
リリムが淡々と呟き、後ろを追いかけていた女性の方を向いた。
「アレも、アンタ達の仲間?」
「答えると思ってるの?」
女性は呆れたような口調で答える。
「‥‥アンタ」
リリムが右手を女性に向けようとする。
「リリム、仲間割れしてる場合じゃ」
「仲間‥‥?」
女性が堂本の方を向いた。
「誰と誰が、仲間だっていうの?」
「‥‥僕は、そう思ってますけど」
堂本がそう答えると、女性が再びせせら笑った。
「本当に、甘いとは思ってたけど‥‥ここまでくると馬鹿げてるわ」
「甘いんじゃないわ‥‥懐が広いのよ、御主人様は」
リリムは自信を持って。
かつてそれを実感していた彼女だからこその言葉だった。
女性は、その自信に満ちた表情を見て呆れた顔をした。
「‥‥こいつは私達の仲間ではないわ。そもそもここは私達の縄張りじゃないし
ね」
女性は呆れた顔のまま倒れた男を指差し言った。
「‥‥信じていいのね」
「別に、信じなくても構わないわよ」
リリムは訝しげに訊くと、女性は男から視線を外し、リリムをしっかりと見た。
「僕は、信じますよ」
堂本がしっかりとした口調で、いつも通りの笑顔で言うと、リリムの方を向いた。
「‥‥御主人様がそう言うなら、信じます」
リリムはそう言うと、堂本の手をしっかり握る。
「急ぎましょう、こいつの仲間でないのなら、他の山賊も次々襲いかかってくる可能性が高いです」
リリムはそう言って走り出そうとした。
その瞬間。
『氷塊』
呪文の声と共に二人の真横から、こぶし大の氷の塊が飛んできた。
リリムは一瞬反応が遅れた。
『土壁!』
しかし、氷の塊は二人の背後にいた女性が唱えた呪文により出現した土の壁にぶつかった。
『白き稲妻』
土の壁が消えた瞬間、リリムが真横に稲妻を放つ。
直撃したのか、短い男の呻き声がした。
「貸し一つね」
女性は笑みを浮かべている。
リリムは一瞬苦虫潰したような表情になるが、すぐに真剣な表情になる。
「‥‥すでに囲まれたみたいです」
リリムが堂本から手を離し、両手を真っ直ぐ左右に伸ばす。
『稲妻の環』
リリムが呪文を唱えると、三人を中心にして、円を描くように稲妻が発生し、周
りの木や植物ごと吹き飛ばす。
「強引に突破します!」
リリムが全速力で駆け出す。
堂本と女性が後ろに続く。
山賊達は稲妻の円に巻き込まれない位置から攻撃を仕掛けようとするが、山賊達の放つ魔法は、堂本達に到達する前に稲妻によってかき消される。
リリム達がしばらく走ると、攻撃が止んだ。
「‥‥撒ききれましたか」
リリムが一息ついた瞬間だった。
『大地の咆哮』
呪文が唱えられた。
その瞬間、三人の地面にひびが入る。
「危ない!」
堂本が女性の手を強く引っ張る。
その瞬間、女性がいた場所の地面が大きく割れた。
「だ、大丈夫ですか!」
女性は黙って頷く。
「逃げますよ!」
リリムがまた走り出そうとする。
しかし、リリム達の前に、今まではいなかった一人の大男が立っていた。
『白き稲妻』
リリムがいきなり稲妻を相手に向けて放つ。
しかし、男は体に見合わぬ俊敏な動きで稲妻を躱すと、一瞬でリリムの目の前に移動し、リリムの腹に強烈な拳を入れる。
リリムはその場に崩れ落ちる。
「リリム!」
堂本がリリムに駆け寄ろうとする。
しかし、それよりも早く男が堂本目掛けて拳を繰り出す。
堂本は、本能的にそれをギリギリ回避した。
「ほう‥‥カンはいいようだな」
男がニヤリと笑う。
「御主人様‥‥私は、大丈夫ですから」
リリムがよろよろと立ち上がる。
「でも」
「グチグチ言ってる場合じゃないでしょう!?」
女性が金切り声で叫ぶ。
女性の言う通り、男は追撃の姿勢に入っていた。
男が再びリリムを襲う。
『反射鏡!』
堂本は、本能的にリリムに対して魔法を使った。
「馬鹿、その魔法は相手の魔法にしか効果ないのよ!」
女性が叫ぶ。
しかし、男の拳はリリムの目の前に現れた鏡に当たると、反発するかのように弾かれた。
「ほう‥‥肉体強化の魔法を使っていたのに気がついていたのか」
男が興味深そうに堂本を見る。
実際は、轟の魔法を見よう見まねで使っただけなのだが。
「え、いや」
堂本が否定しようとするが、女性が無言で静止する。
「御主人様がそんな事気がつかないわけがないじゃない」
リリムも相手の勘違いに乗った。
「‥‥なるほど」
男は堂本に視線を移した。
その一瞬の隙を、リリスが突いた。
『稲妻の弾丸』
稲妻が男性に向かって放たれる。
しかし、男性はその攻撃が当たる前に、堂本の目の前に移動していた。
男性が拳を振り上げた。
堂本の脳裏に、先程まで柳井に教わった『授業』が浮かんだ。
『要はイメージなんです』
何度やっても上手くいかない堂本に対し、柳井は優しく語りかけた。
『イメージ‥‥?』
『そうです。例えば強い氷の球が作りたいのであれば、漠然と呪文を唱えるのではなく、強く自分が作りたい氷の球をイメージするんです。例えば‥‥』
柳井はそう言うと、女性に目配せする。
女性は嫌々ながら右手を前に突き出す。
『氷塊』
女性が呪文を唱えると、氷の塊が柳井に向かって飛ぶ。
しかし、氷の塊は柳井に当たる前に空中で止まった。
そして柳井も、同じように氷の塊を作る。
『ここに出ているのは、同じ魔法によって生み出されたものです。ですが、実際の威力は大きく違います』
柳井はそういうと、女性の作った氷の塊にかけた魔法を解除した。
氷の塊は柳井の脇をすり抜け、後ろの木にぶつかった。
木は、ミシミシと音を立てながら倒れた。
柳井は同じように倒れた木に向け氷の塊を放った。
しかし、氷の塊は木に当たると砕け散った。
『彼女の魔法には、強い殺意が込められていました。なので、木を倒す事が出来ました。ですが、私の魔法は、なんとなく作ったものです。なので、木にぶつかると砕けました』
『殺意‥‥』
堂本が女性の方を向く。
『まぁ、殺意は一例です。他にも、例えば――』
「御主人様!!」
リリムの叫び声が堂本を現実に引き戻す。
男の拳は、堂本に近づいてくる。
堂本は、本能的に、右手を男に翳した。
『氷塊』
堂本の右手から、氷の塊が放たれた。
塊は、男の腹に当たると、砕ける事なく男を後ろに吹き飛ばした。
男は空中に飛ばされると、背中から叩きつけられる。
堂本が『変換力』を身につけたと感じる間もなく、男は立ち上がろうとする。
『土束千縛』
しかし、堂本の後ろにいた女性が唱えた呪文によって、男は地面に拘束された。
「逃げるわよ!」
女性が勢いよく走り出す。
リリムと堂本がそれに続く。
『稲妻の環!』
リリムが発動した魔法により、再び三人を囲むように稲妻が発生する。
三人は必死に逃げる。
しかし、ダメージを負ったリリムや授業で疲弊していた堂本や女性では、それほど早く逃げる事が出来ない。
次第に、リリムの呪文だけでは山賊達の接近を防ぎきれなくなってきた。
本来なら、各個撃破が一番良い。
しかし、それでは確実に背後のあの大男に追いつかれる。
そうなれば、一気に山賊達に囲まれる。
それだけは、避けたかった。
一人の山賊が、攻撃をかいくぐりリリムの目の前に現れた。
リリムは、瞬時に反応する事が出来なかった。
山賊が、リリムに襲いかかろうとする。
「リリム!」
堂本は、リリムを救うためにその手を山賊に向ける。
堂本の脳裏には、柳井の言葉が浮かぶ。
『まぁ、殺意は一例です。他にも、例えば――自分を、そして誰かを、守ろうとする意志。これも、強い気持ちを込めれば、強い魔法へと変わります』
(守るんだ、リリムを‥‥皆を!)
『炎球!!』
堂本の手から、炎の球が放たれ、山賊に直撃する。
山賊は後ろに吹き飛ばされた。
「御主人様‥‥」
「急いで、リリム!」
リリムが堂本の方を向くが、堂本は必死で叫ぶ。
リリムも堂本の意志を汲み取り、逃げる速度を上げた。
そのおかげか、なんとか無事に柳井の住む街に戻ってきた。
「こ、ここまでくれば‥‥」
三人は一気に速度を落とし、息を整えた。
それはわずかな間だった。
しかし、その僅かが、彼らの隙になる。
「っ! 危ない!」
リリムが女性を突き飛ばす。
その瞬間、女性がいた場所に土の塊が飛んできた。
「やってくれたじゃないか‥‥」
ゆっくりと、あの大男が現れた。