7 ほんとうに戻った!
カチリッ!
と乾いた音がして、その瞬間に、老人の頬を一筋の汗がスッと流れた。
ほっとしたような顔で、老人は「これでよし」と言い、ふうとため息をついた。
「戻ったっ!」
シンジが叫んだ。
「なに?」
老人は聞き返した。
「戻ったんだよ。ほんとうに戻った!」
「おまえさん、戻ったのか?戻ってきたおまえさんなんだな!」
「なんだかへんな言い回しだなあ・・・・」
「じゃあ、こいつの使い方はもう知ってるな」
老人はストップウォッチをシンジに手渡した。
「何か訊きたいことがあるんじゃないのかね?」
「一つだけある!時間が止まってる中にあまり長くいることはヤバイような気がするんだけど」
老人はうつむいて、しばらく考えた。
シンジは老人が顔を上げるのを黙って待っていた。
老人が顔を上げ、シンジの顔を見つめた。その顔を見て、シンジはハッとした。さっきより、戻って来る前の時間の流れ(そんなものがあればの話だが・・・・)のときよりも、老人が歳をとったように見えたからだ。
「別にヤバイことなんて、なにもないよ」
「そう・・・・。考えすぎだったのかな」
「ただ、ひとつだけ注意しなくちゃならんことがある。時間が動きだしたら、二度と戻ることはできんということだ。動きだす瞬間になにかをやろうとしても、失敗したらそれでおわり、やり直しはできん。だから、一か八かの賭けみたいなことは決してしてはならん!いいな」
「うん、わかった。それよりも時間がないんだ。もういくよ」
「だから、ワシがさっきからそう言っとるだろ」
シンジは自転車にまたがり走り始めた。
しかし、一番重いギアしか使えないので、なかなか前に進まない。
「ねえ、ちょっと押してもらえないかな」
と、肩越しにシンジが老人に言った。
「ワシに押せって言うのかい?こんな年寄りに?」
「お願いだから、ほんのちょっとだけでいいんだから」
「しかたないのう・・・・」
老人は自転車の荷台を押し始めた。しかし、その足取りが、あまりにも弱々しいので、シンジは少しイライラしてきた。
「こんなんじゃ、カタツムリに押してもらったほうが、まだマシだよ!さっきはボブスレーの選手みたいだったのにさ」
「さっきって、いったいいつのことを言ってるんだ?自転車を押すのは今日初めてなんだぞ!」
「チェッ、わかってるくせに」
ああ、わかってるとも。おまえの言いたいことはよくわかってる。わかってないのはおまえのほうだぞ、シンジ。おまえからみればおれはさっきの爺さんとおなじようにみえるだろうが、ちがうんだ。おまえがその機械を使った時点で、世界はガラリと変わっちまってる。おまえがもどってきたのは同じ場所だが、それはあくまでも機械が動きはじめた3時50分00秒までのはなし。そいつをちょっとでも過ぎたら、そこはまったく別の世界なんだ。おなじようにみえてもほんとうはそうじゃない。おれが前とは違うようにな。
老人は最後に力を込めて、シンジの自転車を押し出した。老人の手を離れたあと、自転車はグングン加速して、見る見るうちにシンジの姿は小さくなっていった。
老人は、その後姿が見えなくなるまで見送った。
「今度はうまくやるんだぞ」